20.






不吉な予感がしていた。



大広間が皮切りだった。
ピンク色の花で装飾され、頭上からは絶え間無くハート型の紙吹雪が舞い落ちていた。

次はその場で朝食を摂っていた時だ。
フレッドとジョージが名前を見て、ニヤニヤと意味ありげに笑っていた。

そして授業の合間、廊下で歩いている時だ。
自意識過剰ではなく、やけに周囲から視線を感じた。



それら全ての事柄から、名前ははっきり異変を感じていたのだ。















「ナマエ・ミョウジ!」





午前中の授業を終えて、名前は昼食を食べに大広間に向かう途中だ。

人通りも疎らな石畳の廊下をゆっくり歩いていると、ローブの裾を掴まれると共に呼び止められた。





『………』



「あなたにカードです。」





せいぜい名前の膝丈ほどだろうか。

振り向くと、金色の翼を身に付け、ハープを持った小人が、名前に向けて精一杯腕を伸ばしていた。

小さな手にはピンク色のカードが握られている。



本日二月十四日。
バレンタインである。

昨年は生徒間で細々と行われたイベントが、今年は先生であるロックハート直々に取り仕切るため、大々的なイベントになっていた。

大広間の飾り、この小人の衣装、小人によって配達されるカードの全てが、ロックハート先生の提案である。





『………』





名前がカードを受け取るまで手を下ろすつもりは無いようだ。

仏頂面で名前をじっと見詰めている。
と言うよりは、睨んでいる、と表現した方が正しいだろうか。

その視線と目付きには、言外に「早く取れよ」という意味が含まれている気さえする。





『…』





名前がカードを受け取ると同時に、小人は手を離してさっさとどこかへ行ってしまった。

名前はその姿を見送った後、本来の目的であった大広間に向かう。





「ああ、ナマエ。」



「こっちに来て。一緒に食べよう。」





大広間では、ハリー、ロン、
そして二月初めになって、やっと退院することができたハーマイオニー。
いつもの三人が固まって座っていた。

まだ食事を始めたばかりのようだ。

名前は呼ばれるままに三人に近付き、空いていた椅子に座る。





「ナマエ、またカードをもらったのね。」





隣に座るハーマイオニーが、真新しい皿にサンドイッチやソーセージを盛り付けながら言う。

そしてその大盛りの皿は問答無用で名前の前に置かれた。

こうでもしなければ、名前は好きなものを好きなだけ食べてしまう。





『…』



「またもらったんだ、ナマエ。」



「今日が終わる頃に数えてみなよ。
学校中の生徒からもらってるかも。」





ロンはだいぶ苛々している。

頭上からハート型の紙吹雪がヒラヒラと落ちてくるのだ。

それが何度払っても皿の上に積もるものだから、苛々しても仕方ないだろう。





「傘をさしていたいよ。」
ロンはうんざりした様子だ。



「あら、たまにはこういうのもいいじゃない。」
反対にハーマイオニーは楽しんでいるようだ。



『……ロン』



「なに?ナマエ。」



『…』





無言で差し出す。

ロンは差し出された物に目を遣り、徐々に見開いていった。





「ナマエ、それって…
もしかして…」



『…』
頷く。



「やったあ!」





途端に笑顔になった。

さっきまでの不機嫌な顔付きが演技であったかのようだ。





「確かに、たまにはこういうのもいいね。」





調子の良い事を言っている。

早速包みを開けているロンを見ながら、ハーマイオニーは呆れているようだ。





『…ハリー、ハーマイオニー。』



「ありがとう、ナマエ。」



「私にもあるの?」





どこからともなく、名前は丁寧にラッピングされたプレゼントを取り出した。

ハリーは割れ物でも扱うかのように大事そうに受け取り、
ハーマイオニーは驚きと喜びが入り交じったような表情だ。





「ありがとう、ナマエ。
これ、バレンタイン…のよね?」




『…』
頷く。



「私、あなたに何かお返しするべきかしら。
日本には、ホワイトデーっていうお返しする日ががあるんでしょう?」



『しなくていい。…
俺があげたいだけ。』





本日二月十四日。
今日はバレンタインデーだ。

大広間を彩るピンク色の花も、
皿の上に積もっていくハート型の紙吹雪も、
このイベントを盛り上げるための装飾品である。





「ナマエが作ったの?」



『夏休みに、お菓子を作ってほしいと頼まれた。』



「…ロンね。」



『…』





ロンはチョコチップクッキーに夢中だ。

聞こえていないらしい。





『学校のキッチンを借りた。…
友達に贈るのは、おかしい。』
首を傾げてハーマイオニーを見る。



「そうね…勘違いされちゃうかも。」





ハーマイオニーは苦笑交じりに微笑む。

何しろイギリスのバレンタインは夫婦間、恋人同士、好きな人へなどと「愛する者へ贈る」というのが一般的だ。

贈る物もチョコレートばかりではなく、薔薇だったりカードだったりする。

そして送り主が分からないように、「愛する者より」などと匿名が多いようだ。





『…日本ではよくある事だ。』




「そうらしいわね。友チョコっていうんでしょう?」



『………物知り。』





日本で生まれ育った名前は、
バレンタイン=女性が好きな人、または友達にチョコレートをあげる日。
ホワイトデー=男性が女性にお返しする日と認識している。

なので何も作らなかったし、
受け取っても何もしなかった。

けれども今年はロンとハリーのご要望でお菓子を作らなければならない。





「ナマエくん。」





肩に重みがかかった。




「俺達には無いのかな?」





もう片方の肩にも重みがかかる。

肩に伸し掛かる腕を辿って見てみれば、そこには赤毛が特徴的な、似た顔が二つ並んでいる。

フレッドとジョージだ。

ニヤニヤと、意味ありげな笑みを浮かべている。





『………』



「ワオ!これは驚いた。」



「言ってみるもんだ。」





名前が無言で差し出したのは、ハリー達に渡した物と同じ物だった。

フレッドとジョージは見るからに喜んでいる。





「まさか、俺達にも用意してくれているとは思わなかったぜ。」



『…』





無邪気に輝くフレッドの瞳。
名前はそっと目を反らした。

「作りすぎて余っていた」なんて、喜びに水を掛けるようなことは言えない。





「お返しは、この焼き立てアップルパイをどうぞ。」



『…』





鼻先にくっつきそうな位置に差し出された。
名前は少し仰け反る。

焼き加減や形は、店で売られているような綺麗なアップルパイだ。





「食べなくていいよ、ナマエ。
兄貴達が作るものはろくなものじゃない。」



「失礼だぞ、ロン。」



「ちゃんとレシピに沿って作ったんだ。味は保証するぜ。」



「さあどうぞ、ナマエ。」



「冷めない内に食べてくれ。」



『…』





鼻先に突き出したまま、アップルパイは動かない。
食べるまで引く気はないようだ。
名前はアップルパイをじっと見詰める。

よく見てみると、神経質なほど綺麗に切り分けられている。
ゆっくりとした動作で、その一切れを持ち上げた。

パクリ、一口かじる。
(向かいの席でロンが「あ〜あ…」というような顔をしたが、気にしない)

なるほど確かにサクサクのパイ生地で、甘味も丁度よく、リンゴの果汁が溢れ出てくる。





―――パシャッ





フラッシュが焚かれた。

突然の事に咀嚼を止めて、光った方を見る。





『……』



「ご協力感謝するぜ、ナマエ。」



「どういう事だよ、二人とも?」





どういうわけか、ジョージがカメラを構えていた。

ロンは責めるような声音だ。
口には出していないが、ハリーとハーマイオニーも些か非難がましい顔付きである。

当事者の名前はこの中でただ一人動きを止めている。
鳩が豆鉄砲を食ったようだ。

無表情だが。





「実は、このアップルパイを作ったのは俺達じゃないんだ。」



「ある人物からの依頼でね。証拠に写真が欲しいって言うんだ。
断れないだろ?たくさん写真を買ってくれたし…」



「なんだって?」
ロンの声が尖る。



「いや、何でもない。
誰かは言えないが、カードはあるぜ。」





そう言って、フレッドはローブのポケットからカードを取り出した。
そうして名前に手渡されたのは、ハートや花が装飾された可愛らしいカードだった。

真っ白いカードに輝くようなエメラルドグリーンで文字が連ねられている。

丁寧で綺麗な字体だ。





―――
いつもあなたを見ています。
M・F
―――





短い文章だ。

それだけだ。
他には何もない。

名前が今日受け取ったカードの全てが、大体そんなものだが。
(中には長いものもあったが)

隣からはハーマイオニーが。
向かいの席からは、ハリーとロンがわざわざ覗き込んでいる。





『…』



「僕、なんとなく、分かったかも。…」





カードを見詰めたまま、ハリーが呟く。
そしてチラリと、視線を奥にやった。

つられたように、名前、ハーマイオニー、ロンもそちらを見る。





「…………」





頬を染めたマーカス・フリントが、こちらをじっと見ていた。





「…」



「…」



「…」



『…』





ハリーとロンは静かに席に座る。
ハーマイオニーと名前も、捻っていた体を元に戻した。

四人は昼食をじっと見下ろしたまま黙る。

フレッドとジョージの二人だけは楽しそうに笑っていた。





「いつまでああなの?」





意を決したようにハーマイオニーが言った。

その問いは誰に向けてか。
誰にも分かるはずはない。





「きっと、ずっとだよ。」



「そうさ。君を好きにならずにいられないんだ。」





イギリスは割と同性愛に寛容なようで、同性同士でのそういった贈り物も珍しくはないらしい。





『…』





その恋の相手となったのは、日本で健全に生まれ育った名前だが。

名前の知らぬ間に、
彼の心には、いよいよ本格的な恋が訪れているようだ。

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