19.
クリスマス休暇が終わる頃、名前は雪化粧したホグワーツに戻ってきていた。
トランクの車輪をガタガタとさせながら、名前は寮を目指して石畳の長い廊下を歩く。
閑散としているのは、雪のせいだけではないだろう。
学校にいるのはクリスマス休暇中残った僅かな生徒ばかりで、人のいる気配が無い。
帰省したほとんどの生徒達が、まだ戻ってきていないようだ。
『…』
寮には誰もいなかった。
無人の談話室で、暖炉の薪がパチパチはぜる音だけがする。
名前は重たいトランクを抱えて階段を上がり、部屋に向かった。
ドアを開ける。
『…』
部屋にも誰もいない。
同室のハリーとロンはクリスマス休暇中もホグワーツに残っているはずだが、姿が見えない。
名前は自身のベッドに向かい、トランクを開けて荷物の整理を始めた。
『…』
ガチャリ。
荷物の整理を終えて、お年賀だけを取り出して、トランクに鍵を掛ける。
立ち上がった名前は、窓に目を向けた。
真横から雪が降っていて、非常に見通しが悪い。
これは吹雪といってよいだろう。
この天気では、外出は困難だ。
『…』
名前は暫し固まった。
それから思い付いたように、私服姿のまま寮を出ていった。
図書館、トイレ、風呂…
覗き込んで一通り巡ると、またどこか目当てがあるのか歩き続ける。
どうやら、ハリー達を探しているらしい。
(お年賀として最中と花びら餅を持ってきた)
(早く食べなければならない)
『…』
階段を下りている時だ。
ゆっくりと動き始めてしまった。
戻るにしても進むにしても、ちょうど階段の真ん中辺りにいるので、間に合うとは思えない。
名前は立ち止まって手摺を掴む。
潔く諦めて、動きが止まるのを待つ事にしたらしい。
『…』
手持ち無沙汰に待ちながら、ぼんやりと階下を眺めている。
すると、曲がり角から誰かが現れるのが見えた。
黒髪の癖毛と赤毛の二人組だ。
それがハリーとロンの二人だと気が付くのに時間はかからなかった。
『ハリー。ロン。』
名前の声が響き渡った。
普段これ程大きな声を出した事はないので、多少無理した感じはあるが、呼び止める効果はあったらしい。
階下で二人は立ち止まり、キョロキョロと辺りを見渡している。
そしてようやく、目と目が合った。
「ナマエ!」
「ナマエ、戻ってきたんだね!」
二人はニコニコと笑顔を浮かべて、階上にいる名前に向かって手を振った。
控え目ながら、名前も手を振り返す。
『あけまして、おめでとうございます。』
「あけましておめでとう。」
「今年もよろしくね。」
階段が動き始め、名前はやっと階下に下りる事が出来た。
直ぐ様ハリーとロンは駆け寄ってくる。
嬉しそうに笑顔を浮かべている。
『お菓子を持ってきた。
すぐに食べなきゃいけない。』
「やった!」
ロンが叫んだ。
『…ハーマイオニーは。』
「………」
「………」
二人は顔を見合わせた。
それから名前に視線を移して、人気の無い事を確認すると、何やら真剣な表情で話を始めた。
何でもハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、ポリジュース薬を使ってスリザリン寮に入り込む事を目論んだらしい。
ポリジュース薬は、なりたい相手に変身できる薬だ。
しかしこれは動物に変身することはできない。
ハーマイオニーは誤って猫の毛を入れてしまった。
通常一時間ほどで元通りの姿になるはずが、数週間かかっている。
今も医務室で過ごしているという話だ。
ハリーとロンは成功したので、二人だけでマルフォイから話を聞き出したのだという。
結果、マルフォイは継承者ではなかった。
そしてミセス・ノリスやコリンを襲った者―――
つまり継承者が誰なのかも知らなかった。
『…勇気があるな。』
「バレないかとか、いつ薬がの効果が無くなるかと思って、冷や冷やしたよ。」
「そういえば、ナマエには計画を話して無かったんだね。」
頷く。
『知らなかった。』
「知ってるもんだと思ってたよ。
薬を作ってる最中に横にいても、何も言わないからさ。」
「僕も。」
『……』
「けど、ナマエはやらなくて正解だったと思うぜ。」
『…』
「どうして?ロン。」
「いくら姿が変わったって、ナマエがそいつに成りきるのは無理だと思うからさ。」
「…」
『…』
「確かに。」
言い返すほどの自信は無かった。
新学期が始まったが、ハーマイオニーはまだ医務室で過ごしていた。
勤勉なハーマイオニーが授業に出ずに、ベッドでただぼんやりと寝ていられるわけが無い。
ハリーとロンは毎日夕方に、授業で出た宿題を持って見舞いに行った。
名前が着いていく事もあった。
けれどほとんど別々で、名前は一人で見舞いに行く事が多かった。
名前は決まった時間に見舞いに行って、授業の内容を話したり、役立ちそうな本を届けたりした。
『…』
夜。
雪が止んだ空には雲一つ無く、丸い月だけが浮かんでいる。
授業も夕食も、日課の練習も見舞いもシャワーも終えて、後は眠るだけだ。
寝巻き姿の名前はベッドに寝転んで、分厚い本を読んでいる。
『…』
コキリ。
名前が首を回すと、そんな音がした。
本を置いて伸びをすると、ポキポキと身体中が鳴る。
枕元に置いてある時計を見ると、本を読み始めてから二時間ほど経っていた。
『…』
名前は時計から目を離して、閉めたカーテンの隙間から、ハリーとロンのベッドを見る。
空っぽのベッドだ。
名前は首を傾げる。
『…』
名前が本を読み始めてから二時間。
それはハリーとロンが見舞いに行ってから二時間、という事も意味していた。
積る話があるのだろう。
名前は再び本を読み始めた。
キィ…
バタン。
扉が開き、閉まる音がした。
同室の誰かだろうか。
カーテン越しに扉の方を見詰めて、名前は首を傾げる。
時計を見ると、あれから一時間ほど経っていた。
「ナマエ、起きてる?」
『…起きてる。』
「ちょっといい?」
遠慮がちにかけられた声はハリーのものだった。
体を起こしてカーテンを開く。
明かりのない暗い部屋を背景に、ハリーが申し訳なさそうにして立っていた。
背後にはロンもいる。
『どうしたんだ。』
「これを見て。」
ハリーは首を傾げる名前の目の前に、何か突き出した。
名前は視線を下げて突き出された物を見る。
手帳ほどのサイズで、あまり大きなものではない。
傷んだ黒い表紙から、古いものだと分かる。
『……』
名前は首を傾げたまま、それをじっと見つめた。
―――見たことがある―――
記憶が呼び起こされる感覚。
ただの既視感なのか。
掠れ、消えかけた文字。
タイトルから察するに、どうやらこれは日記のようだ。
「…」
『…』
突き出されたままのそれをゆっくりとした動作で受け取る。
じわり、手に吸い付くような、湿った感触がした。
濡れているらしい。
開いてみる。
最初のページに名前が書かれていた。
―――T・M・リドル―――
『……………』
パラパラと中身を見た。
白紙ばかりで、それ以外は何も書かれていない。
「日記みたいなんだけど、何も書かれていないんだ。」
「僕は止めたんだぜ。どんな魔法がかけられているのかも分からないんだから。」
自分のベッドの上に座りパジャマに着替えながら、ロンが口を挟む。
『これは、どうしたんだ。』
「拾ったんだ。トイレで。」
「マートルがそれをぶつけられたらしいよ。
その時マートルは、そいつの顔を見てなかったみたいだけど。」
『…』
「これ、五十年前のものみたいなんだ。
だけど、なんにも書かなかった日記を、誰かがどうして捨てようとしたんだろう。」
『…』
日記からハリーに視線を移す。
輝くグリーンの瞳が名前を見つめている。
名前の考えが話される事を期待する、それを待っている瞳だ。
名前はやがてゆるりと視線を下げて、首を左右に振った。
『俺には、分からない。…』
「そっか…。」
ハリーはあからさまにがっかりしたようだった。
けれどすぐに名前へ笑みを見せた。
「ううん、ありがとう。読書の邪魔してごめんね。」
『いや…』
「じゃあ、僕は寝るよ。
おやすみ…。」
『…おやすみ。』
ハリーは名前から日記を受け取ると、自分のベッドに向かっていった。
それを見送ってから、名前はカーテンを閉める。
読み掛けの本を手に取り暫し固まるが、それは棚に置いて、枕元の明かりを消した。
『…』
ベッドに潜り込んで毛布を鼻先まで引き上げる。
名前は寝転んだまま目をぱっちり開いて天蓋を見詰めた。
『(五十年前…
T・M・リドル…』
その言葉に記憶が引き出される。
終わりのない考えばかりが、ぐるぐると頭の中を巡っていた。
『(………トム。…
答えてくれるだろうか……)』
目を瞑れば、微笑みかけるトムの姿が浮かんだ。
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