15.
それから少しずつ異変は起きていった。
まず月曜日の朝、朝食を摂るために大広間向かうと、異様な雰囲気が漂っていた。
生徒達は朝御飯を食べながら、ひそひそと何か囁き合っているのだ。
その内容は、コリン・クリービーが襲われたという話だった。
次に集団で行動する生徒達を多く見掛けるようになった。
どうやら、一人でいると襲われると思っているらしい。
魔除けや護身用グッズまで出回るようになり、本当に恐れているらしいことが分かる。
(まあ、楽しんでいる者も一部いるかもしれないが)
そんな中名前はいつも通り過ごしている。
いつも通りという事は、何をするにしても一人だという事である。
傍目からしたら寂しい姿だが、今この状況では疑心暗鬼を煽るだけである。
おかげでますます人が寄り付かなくなってしまった。
「必要なのは―――」
木曜日の午後は、スリザリンと合同の魔法薬の授業がある。
その時が刻々と迫ってきたとき、ハーマイオニーが名前、ハリー、ロンの三人を見渡しながら、はっきりと言った。
「気をそらす事よ。
そして私達のうち誰か一人がスネイプの研究室に忍び込み、必要な物をいただくの。」
名前はハーマイオニーをただじっと見つめながら、わずかに首を傾げる。
彼らが何故そのような行動をするのか、未だに名前は知らない。
尋ねれば彼らは全てを話すだろう。
けれどもハーマイオニー達は、名前を加えて当たり前のようにてきぱきと進行していく。
「私が実行犯になるのがいいと思うの。」
ハリーとロンは心底不安そうにハーマイオニーを見ているが、ハーマイオニーは平然と続ける。
「ナマエは背が高いから目立つわ。
あなた達二人は、今度事を起こしたら退校処分でしょ。私なら前科が無いし。
だから、あなた達は一騒ぎ起こして、ほんの五分くらいスネイプを足止めしておいてくれればそれでいいの。」
事も無げな様子だが、それは決して容易ではない。
スネイプは元よりグリフィンドールの生徒に厳しいし、特にハリーを目の敵にしている。
理由は分からないが。
とにかくハリーがスネイプの授業で騒ぎを起こすなんて自殺行為であり、とんでもなく勇気のいる事だ。
見付かったらただでは済まないだろう。
不安を募らせたまま授業は始まる。
『……』
名前はいつも通り、壁寄りの後ろの席で、一人黙々と作業を行っている。
揺らぐ水面を見詰め、時折気になるのか顔を上げた。
スネイプが煙の中を歩き回っている様子が見える。
閉め切った部屋で大鍋が二十一個使用されていると、さすがにすごい湯気だ。
騒ぎを起こすには向いている状況かもしれない。
『……』
スネイプがハリーに何かを言っている。
離れているので聞こえないが、良い事ではないだろう。
ハリーは心ここに在らずといった感じで、あまり気に留めていないようだが。
『………』
スネイプがハリーに背を向けて立ち去る。
ネビルの元へ向かったようだ。
それを見ていたハリーがハーマイオニーから合図を受け、大鍋の陰に身を隠した。
いよいよだ。
名前は身構えた。
『………』
立ち上がったハリーが何かを放り投げた。
それは弧を描いて飛び、ゴイルの大鍋に落ちる。
名前は素早く机の下へ潜った。
瞬間、爆発音が響く。
悲鳴があがった。
次いでしとしとと水滴が落ちる音がする。
床板が濡れ色に染まった。
『………』
それが静まった頃、名前は机の下から出た。
生徒達は大騒ぎだ。
本日の課題は「ふくれ薬」だったわけだが、それがクラス中に降り注いだ。
飛沫がかかった生徒は混乱状態である。
悲鳴をあげ、右往左往している。
「静まれ!
静まらんか!」
スネイプが怒鳴った。
取り乱していた生徒が一瞬身を震わせ、その後我に返ったのか少し落ち着く。
「薬を浴びた者は『ぺしゃんこ薬』をやるからここへ来い。
誰の仕業か判明した暁には……」
早足でマルフォイが進み出た。
お辞儀でもしているかのように頭を垂れている。
どうやら鼻が膨れた重みで頭を垂れているらしい。
鼻に果実が生ったかのようだ。
クラスの半分はどこかしらに薬を浴びて、マルフォイに続き、重たい体を引き摺るようにしてスネイプの元へ向かった。
『………』
口がきけないほどに唇が腫れ上がったり、腕が丸太のようになっていたり、申し訳なく思うくらいなかなか痛々しい姿だ。
解毒剤を受け取るために列になる生徒達を眺めていた名前は、先頭のあたりまで視線を移動させて固まった。
スネイプがじっと見ている。
『………』
じろり、ではない。
ぎろり、ぎろぎろ、といった感じだ。
とにかく鋭い。
獲物に狙いを定める鷹のような目である。
本来ならここでポーカーフェイスを保ちつつ、目を逸らすべきなのだろうが、この状況ではやましい点があるように見えるかもしれない。
かといって、じっと見つめ返すのもおかしい。
名前はするりと、極々自然に目を逸らすのが常なのだから。
名前が固まっているうちに、皆解毒剤を飲んだようだ。
「ふくれ」の収まった生徒が各々席に戻ると、スネイプはやっと目を逸らした。
『………』
今名前の脈拍を測れば、全速力で走った後のように頻脈状態になっている事だろう。
表情は相変わらずの無表情だが。
スネイプはぐるりとクラスを見渡し、爆発場所を特定したようだ。
大股でゴイルの元まで向かった。
黒いマントが翻る。
スネイプはゴイルの使用した大鍋の前に立つ。
大鍋の中身は半分以下にまで減っている。
ほとんどが爆発の衝撃で飛んでいってしまったらしい。
スネイプはそっと手を伸ばし、匙を握ると、大鍋に突っ込み、ぐるりとかき混ぜた。
匙を持ち上げる。
掬い上げられたのは、黒焦げの縮れた花火の燃え滓だ。
「これを投げ入れた者が誰か分かった暁には」
スネイプの元々低い声が、更に低くなっている。
「我輩が、間違いなくそやつを退学にさせてやる。」
犯人のハリーは素知らぬ顔だ。
けれどもスネイプは射貫くように真っ直ぐハリーの顔を見据えていた。
嫌な雰囲気に包まれながら、生徒達は道具を片付ける。
終業ベルが鳴る事により、それも終わる。
「Mr.ミョウジ。」
片付けを終えた名前がいざ席を立った時だ。
スネイプが教壇から下りたと思うと、カツカツと靴を鳴らしながら、大股で名前の前までやって来た。
机に目を向けていた名前は、ゆっくりとスネイプを見た。
「残れ。」
『………』
一言が重々しい。
ハリー達が申し訳なさそうに名前を見ながら、生徒達に紛れて教室を出ていく。
すぐに生徒達はいなくなって、広い教室に名前とスネイプだけが残された。
「…………」
スネイプはおもむろに、花火の燃え滓を指先で摘んで持ち上げ、名前の眼前に突き出した。
「Mr.ミョウジ」
低い声だ。
そのくせ妙に優しく甘ったるい猫撫で声なのだから、器用なものである。
「騒ぎが治まった時、君は机の下から出てきた。
我輩の目にはそう見えたのだが?」
『…はい。』
「隠れていたのかね?
「ふくれ薬」を浴びないために?」
『………はい。』
スネイプはほう、と驚いたようにわざとらしく息を吐いた。
片方の口角が上がり、冷笑が浮かんでいる。
「それでは君は見たのかね?
この花火が大鍋の中に入るところを?」
『……』
「あの立ち込める湯気の中、この小さな花火を見つけるとはなかなか目が早い。」
摘んだ指先が下ろされる。
直後、スネイプは机を挟んで、名前にぐいと体を近付けた。
瞳孔の大きさが変化するのが分かるぐらい顔が近い。
真っ黒い瞳が瞬きもしないで、名前を見詰めている。
「誰が投げたのか見たのではないのかね。
もしくは、知っていたのではないかね。」
『……』
「………」
『…………』
「よかろう。」
黙り込む名前を見詰める瞳が細められる。
眼光は更に鋭くなった。
「Mr.ミョウジは花火が投げ込まれる瞬間をたまたま目撃し、机の下に潜る事で難を逃れたと。
つまりはそういう事だ。
全て幸運な偶然。」
『………』
「ミョウジ、もしもお前がこの件に関与していながら白を切り、そして今後それが分かった時、
只では済まん事をよく覚えておくがいい。」
低い声で、言葉の一区切りずつ、粘り着く話し方でそう言うとスネイプはゆっくり体を起こした。
無言で顎をしゃくって、出ていけという指示をする。
監視するような目で見つめられながら名前は荷物を抱えた。
それからスネイプの方を見て、少し固まる。
『……失礼します。』
会釈と共に言って、教室を出た。
スネイプは眉間の皺をぐっと深くさせたが、名前は見ていなかった。
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