14.
あれからどのくらい経ったのだろうか。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
名前は再び目を覚ました。
『………』
視界は薄墨色に染まっている。
窓の外の月は大分移動しているが、まだ辺りは夜の景色だ。
壁に掛かった時計を見てみれば、名前がいつも起きる時間だった。
習慣とは恐ろしいものである。
『………』
上半身を起こした名前は、その姿勢のまま手を握ったり開いたり、首筋に手をやったりした。
そして一人ウンウン頷いている。体調は良好のようだ。
そうしてから、カーテンの隙間に指を入れて、少しだけ開いた。
顔だけをカーテンの外に出す。
キョロキョロと辺りを見渡した。
マダム・ポンフリーはいなかった。
ハリーはベッドに横たわり、まだ眠っているようだ。
規則的な寝息が微かに聞こえてくる。
『………』
名前は顔を引っ込めて、カーテンをぴっちり閉じる。
ベッドの柵にもたれ掛かり、そのままボーッとし始めた。
名前が目を覚ましてから、時計の針が二回ほどぐるりと回って、やっと太陽が顔を出した。
その頃になるとマダム・ポンフリーもやって来て、起きている名前を見ると朝食を持ってきてくれた。
お盆に載せられた朝食はオムレツとベーコン、ポテトフライ、バターの塗られたトーストに、フルーツと紅茶だった。
いつもの名前の朝食は、サラダにミルク、たまにスープが足される程度だ。
朝からこんなに食べるのは、ウィーズリー家以来である。
『……』
食べ終わった名前の顔色は、何となく悪い。
緩慢な動きでパジャマを脱いで畳み、着替えを済ませてカーテンを開けた。
広い医務室にたくさん並んでいるベッドは、人がいればすぐに分かる。
遠く離れたベッドの上、上半身を起こしたハリーと目が合った。
ハリーはまだ食事中だ。
視線が合ったまま逸らされないので、名前はハリーの方へ近寄った。
『おはよう、ハリー。』
「おはよう、ナマエ。」
『腕の調子は。』
「うん、大分いいよ。まだちょっとだけ違和感が残ってるけど。
ナマエはもう大丈夫なの?」
頷く。
『マダム・ポンフリーは、朝食が済んだら帰っていいと言っていた。』
「僕もなんだ。」
『…』
名前はちらりと、ハリーの左手を見た。
ぎこちない手付きでオートミールを口に運んでいる。
それを見てから、名前は再びハリーを見る。
『着替え、手伝った方がいい。』
「…そうだね。そうしてもらえると助かるよ。」
名前は椅子に座って、ハリーの食事が終わるのを待った。
終わったらカーテンを引いて、ハリーの着替えを手伝う。
「ねえ、ナマエ。昨日の夜…」
『………』
ハリーの声は小さかった。
まるで内緒話をしようとしているかのようだった。
それにどことなく大切な話であるような雰囲気を醸し出している。
シャツのボタンを掛けていた名前は、ハリーの顔を見た。
「一人、医務室に運ばれてきた生徒がいるんだ。コリンだった。
ナマエ、コリンを知ってるよね?」
『…』
頷く。
「ダンブルドア先生と、マクゴナガル先生と、マダム・ポンフリーが話してたの聞いたんだ。
コリンは襲われたんだ。石になってたんだって。」
『…ミセス・ノリスと同じ。…』
「そうなんだ。つまりそれって、秘密の部屋が、また開かれたって事だよね…。」
ハリーはそこまで話すと、何か思い出したようだった。
短く息を吸い込んだ。
「ナマエ、ドビーが来たんだ。」
『………』
「ドビーが夜中、僕のところへ来て、言ったんだ。
始業式の日に汽車に乗り遅れたのも、ブラッジャーで僕に怪我させたのも、僕を家に返すためにやった事だって。それに…」
話すのを止めて、ハリーは周りに誰もいないか確かめるように息を潜めた。
カーテンで周りを囲っているので分からないが、少なくとも足音や気配は近くに無いようだ。
誰もいないと判断したのか、ハリーはまた口を開いた。
「『秘密の部屋』が本当にある事と、以前にも開かれた事がある事。
それが誰なのか、今度は誰なのか、ドビーは知ってるみたい。」
『…誰なんだ。』
「言わなかった。言っちゃいけないんだって。」
シャツのボタンを全て掛けて、ネクタイを結んだ。
名前は脱ぎ捨てたパジャマを畳む。
「これからコリンとドビーの事、ロンとハーマイオニーに話そうと思う。名前も行かない?」
『………』
ハリーはそう尋ねながらも、付いて来て欲しそうな顔をしている。
その目に負けたのか他に用事が無かったのか、やがて名前は頷いて承諾した。
ハリーと名前は医務室を出るとすぐにグリフィンドール塔へ向かう。
しかしそこにロンとハーマイオニーの姿は無かった。
「どこにいるんだろう?」
ハリーは少し落ち込んでいるようだ。
見舞いにも来なかったから、ほっとかれていると思っているのかもしれない。
横目でその姿を見つめて、名前は口を開いた。
しかし中々言葉が出てこない。
『……………
図書館かもしれない。』
「そうだね…。行ってみよう。」
寮を出て、図書館へ向かう。
入り口に差し掛かり、中に入ろうとするちょうどその時、パーシー・ウィーズリーが出てきた。
ハリーを見つけると笑顔を浮かべた。
「ああ、おはよう、ハリー。ナマエ。
昨日は素晴らしい飛びっぷりだったね。ほんとに素晴らしかった。グリフィンドールが寮杯獲得のトップに躍り出たよ―――
君のおかげで五〇点も獲得した!」
「ロンとハーマイオニーを見掛けなかった?」
「いいや、見てない。」
パーシーの笑顔が消え失せる。
「ロンはまさかまた女子用トイレなんかにいやしないだろうね……。」
ハリーはあからさまに空笑いをした。
女子トイレとロンの関係、ハリーが空笑いをする理由、名前は何がなんだか分からない。
パーシーがいなくなるのを見計らい、ハリーはどこか明確な目的地があるかのように歩き始めた。
『………』
着いた場所は三階の女子用トイレだった。
ハリーはキョロキョロと辺りを見渡して、誰もいない事を確認している。
確かに誰かに目撃されたらまずいだろう。
男子が女子トイレに入るべきではない。
女子トイレと分かっていながら入るのだから、間違えましたではすまされない。
ハリーは躊躇せず女子トイレのドアを開けて、足を踏み入れた。
『………』
女子トイレの前で突っ立っているわけにもいかない。
あらぬ疑いをかけられる可能性がある。
少し遠慮がちに名前もハリーに続いた。
天井が高く、わりと広く、小綺麗なトイレだ。
締めきっていないのか、壊れているのか、手洗い場の蛇口から水滴が垂れて、定期的にぴちょん、と音がする。
ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。
いくつか並んでいる小部屋の中からだ。
ハリーは声のする小部屋へ近寄っていく。
「僕だよ。」
小部屋の中から息を呑む音がした。
すぐにドアは開き、ハーマイオニーが顔を出した。
「ハリー!ナマエ!ああ、驚かさないでよ。入って―――
腕はどう?体はもう平気なの?」
「大丈夫。」
『治った。』
答えながらハリーと名前は小部屋に入った。
便座の上に大鍋が乗っかっている。
パチパチと火花が散る音がする。
鍋の下で火を焚いているのだろう。
「君らに面会に行くべきだったんだけど、先にポリジュース薬に取りかかろうって決めたんだ。」
『………』
「ここが薬を隠すのに一番安全な場所だと思って。」
この大鍋の中身はポリジュース薬らしい。
何故ポリジュース薬を作っているのかは分からない。
隠すと言っているあたり、表沙汰にしてはいけないようだ。
状況を把握していない名前をさておき、ハリーがロンとハーマイオニーにコリンの話を始めた。
「もう知ってるわ。マクゴナガル先生が今朝、フリットウィック先生に話してるのを聞いちゃったの。
だから私達、すぐに始めなきゃって思ったのよ―――」
「マルフォイに吐かせるのが早ければ早いほどいい。」
ロンが力を入れて言う。
「僕が何を考えてるか言おうか?
マルフォイのやつ、クィディッチの試合の後、気分最低で、腹いせにコリンをやったんだと思うな。」
「もう一つ話があるんだ。」
せっせとポリジュース薬作りに勤しむ二人を見つめながら、ハリーは静かに、落ち着いた様子で、話を始めた。
「夜中にドビーが僕のところに来たんだ。」
鍋の様子を見ていた二人は、勢いよくハリーを見た。
その勢いといったら、首を痛めそうなぐらいだ。
ハリーは名前に話した内容を、二人にも同じように伝えた。
二人は揃って口をポカンと開けている。
「『秘密の部屋』は以前にも開けられた事があるの?」
「これで決まったな。」
ロンはやけに力強く言い切った。
「ルシウス・マルフォイが学生だった時に『部屋』を開けたに違いない。今度は我らが親愛なるドラコに開け方を教えたんだ。間違いない。
それにしても、ドビーがそこにどんな怪物がいるか、教えてくれたらよかったのに。そんな怪物が学校の周りをうろうろしてるのに、どうして今まで誰も気付かなかったのか、それが知りたいよ。」
「それ、きっと透明になれるのよ。」
浮かんでくるヒルを突き鍋底に沈めながら言う。
「でなきゃ、何かに変装してるわね―――鎧とかなんかに。
『カメレオンお化け』の話、読んだ事あるわ……」
「ハーマイオニー、君、本の読み過ぎだよ。」
ロンはクサカゲロウの入った袋を開けて、鍋の上で引っくり返した。
ロンとハーマイオニー、中々見事なコンビネーションだ。
空になった袋を丸めながら、ロンはハリーを見る。
「それじゃ、ドビーが僕達の邪魔をして汽車に乗れなくしたり、君の腕をへし折ったりしたのか……」
ロンはゆるゆると首を左右に振る。
やれやれ、といった感じだ。
「ねえ、ハリー、分かるかい?
ドビーが君の命を救おうとするのをやめないと、結局、君を死なせてしまうよ。」
ドビーはハリーを死なせる気なんて欠片も無いだろう。
誤ってうっかり、なんて事はあるかもしれないが。
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