11.






『…クッシュン』




最小限に留められたくしゃみはロックハートの声に掻き消された。

彼は本日も絶好調である。















「闇の魔術に対する防衛術」の授業が終わった。
途端に教室内は生徒達のざわめきで騒がしくなる。

楽しそうなお喋りが飛び交う中、名前は一人黙々と教科書や筆記用具を片付けている。





『………
グス…』





泣いているわけではない。

確かに賑やかな空間の中、名前ただ一人行動を共にするような者はおらず、その後ろ姿からは孤独感と悲哀が漂うが、幸か不幸か気付く者はいない。

名前の心中は分からないが、一人ぼっちは特別珍しい事ではない。

手早く荷物を纏めると、ゆっくりと席を立った。





『…』





生徒達でできた群れの流れに乗って教室から出ていく。

他の生徒と比べて圧倒的に背が高い名前はとても人の注意を引く。
じろじろ無遠慮に見られる事も少なくはない。

ただ今日は普段より更に目を引いた。

名前の顔半分を埋め尽くす白いマスクが原因だろう。
擦れ違う人々は心底不思議そうに名前のマスクを付けた顔を見る。

名前は出来るだけ俯いて、廊下の端の方を控え目に歩いた。

向かっているのは、どうやら図書館のようだ。





『…』





図書館に着くと人目はぐっと減った。
名前は少し落ち着いたようだった。

本を返却して、のんびりと本棚を回る。

数冊新たに本を選び、いつも通り奥の机に向かった。

明かりの届きにくい、少し肌寒い、人気の無い机だ。

その辺りに置いてある本といえばマニアックなものが多いのだが、そんな理由が相俟ってか、ほとんど人は寄り付かない。



それだけに彼の存在は異変だった。





『こんにちは、トム。』



「やあ、こんにちは。ナマエ。」





椅子に腰掛けた青年―――トムは振り向いて、名前を見ると嬉しそうに笑顔を浮かべた。

彼はいつもいるわけではないが、会った時には、少なからず会話がある。

磨りガラスを通したようにぼんやりとした見た目で、地に足付けた人間ほどの存在感は無いが、人の心を満たす事が得意なようだった。

気配り上手で、博識で、驕り高ぶったところがない。

出会ってからの会話は少ないけれど、トムが現れた事によって名前に何らかの影響を与えたのは確かだろう。

以前よりも図書館に向かう回数が増え、居座る時間が長くなったのだから。





「それ、どうしたんだい?」





椅子に座った名前を見届けてから、トムは首を傾げつつ尋ねた。

目を大きく見開いている。





「風邪?」





どうやらマスクの事を言っているらしい。
トムは自分の口元をつつく真似をして見せた。

名前はどうも反応が鈍い。
マスクの事を言っているのに中々気付かない。

やっと気が付いて返答する頃には、トムの顔にはありありと心配の色が浮かんでいた。





『…そうだと思います。』



「マダム・ポンフリーのところへ行ったらどうかな。すぐに良くなるよ。」



『大したことじゃないです。』



「そうかな。そうは見えないけど…」





元々返答までの時間はかかる名前だが、今日はいつになくする事なす事何もかも遅い。

異常な状態であることにトムはすぐ気が付いたから、咎めるような目で名前を見た。

名前はがっちりその目と視線が合ったにも関わらず、スッとそらすと、極々自然な動作で本を開いた。
トムの方を見ようとしない。

先に折れたのはトムだった。





「君が大丈夫って言うならいいさ。
でも、つらくなる前に行った方が身の為だよ。」



『………はい。』





一応は了解したようだが、本に集中する名前を見ればどうしたって生返事に聞こえてしまう。

本当に理解したのか問い詰めたいくらいである。

そんな様子を見ていたトムは心配、怒り、呆れ、と百面相をしていた。

いろいろ言いたい事があるらしいトムだが、ぐっと飲み込んで代わりに大袈裟なくらい大きな溜め息を吐いて、自分も本を開いた。

名前は相変わらずだ。

トムがどんなに話し掛けても、暖簾に腕押し、糠に釘、大した反応は返ってこない。

ただ沈黙が多いだけで、無視しているわけではないだろうが、名前本人の意図は分からない。





『………』



「………」





長身の男子二人が並んで本を読む、しかも一人は生身ではないという異常な風景だが、誰もその光景に遭遇する者はいない。

パラリ、
パラリ。

ページをめくる音だけが響く。





『…』





しばらくして、名前は本を閉じた。

別の本を開く事は無く、かといって新たに本を選ぶわけでもない。

本の表紙を見つめたまま微動だにしない。
不気味である。





「大丈夫かい?」





どんなに気味が悪かろうと何度も経験すれば抵抗を感じなくなるものなのか。

トムは本を読んでいたのにも関わらず、名前の異変にすぐさま気が付いた。





「やっぱり医務室へ行った方がいいんじゃないかな。
顔が赤いよ。」



『…』





心配性なのか世話焼きなのか、体調の悪そうな名前の事が、トムはとにかく気になるらしい。

やきもきするトムの心情を、今の状態の名前が感じ取る事はできないだろう。
だからといって、普段は人の感情に敏感かというとそうでもないが。

名前は不思議そうに首を傾げてから、自身の手で額や頬、首筋に触れた。
そして更に首を傾げる。
肩に頬が触れそうだ。





『そうでしょうか。』



「鏡を見たらどうだい?」





それでもやはり名前は首を傾げている。
理解しない(もしかしたら理解しようとしていないのかもしれない)名前に、ついにトムはがっくりと俯いた。

けれども諦めることはしない。
トムは再び口を開いた。





「…」





しかし言葉は出てこない。
その内、開いた口を閉じてしまう。

話を聞くため態勢を整えていた名前は、トムの行動に首を傾げた。

そして疑問をぶつけるかのようにじっと見つめる。





『…』





トムの目は名前を見てはいなかった。
名前の後方へ向けられて、それが移動している。

すると、コツコツと忙しない足音が聞こえてきた。
だんだん近付いてきている。

名前はトムの視線を辿って、音のする方を見た。





『…』





離れて見ても分かるくらい痩せた女性だ。
マダム・ピンスがこちらに向かってきている。

マダム・ピンスは名前の横の通路を足早に歩いて奥へ入って行った。

足音は遠ざかる。

名前がいる場所よりもずっと奥のようだ。





「あっちは禁書の棚だ。」





隣でトムが囁くように言った。

少しして、戻ってきたマダム・ピンスの手には古めかしい大きな本があった。

表紙には「最も強力な魔法薬」と記されている。





「禁書の棚にある本は、先生にサインをいただかないと読めないものだ。
容易ではないけどね…。

君の友達じゃないか?」



『…』





マダム・ピンスの向かう先には確かに見慣れた三人がいた。

トムは横目で名前を見る。





「あの本が必要な事があるのかな?」



『…』





名前は首を傾げる。

そんなことは知らない。
少なくとも、名前は必要としていない。

トムは首を傾げる名前をじっと見つめる。

何も感情を感じさせない、何を考えているのか分からない表情だ。

トムのその表情を見て、名前は目をぱちぱちさせた。
トムのそんな表情を見るのは初めてだった。

出会って日は浅いが。



トムは見つめ返す名前から目をそらした。





「明日はクィディッチの試合があるだろう?ナマエは観戦するのかい?」





今までの意味ありげな沈黙は何だったのか。

トムの表情も声音も、いつもと変わりはない。

話し掛けられた名前はそれが突然だったからか、突如変わった内容に対してか、また目をぱちぱちさせた。





『はい。』



「体調が良くなってたらいいけどね。」





名前はくしゃみをした。

トムはまた溜め息を吐いた。

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