10.






ミセス・ノリスが石にされた事件を切っ掛けに、図書館では『ホグワーツの歴史』が全て貸出状態になった。
予約も二週間先までいっぱいである。

いつもはひっそりしている館内も、今や混雑しつつある。





『……』





奥の隅の方で本を開く名前にはあまり関係ない話かもしれない。















今頃、大広間では生徒達が夕食を楽しんでいることだろう。

昼間は混む図書館も夜にはガラガラだ。

夕食も食べずに名前は何をしているのかといえば、ただひたすら読書である。

ここ数日、授業とトレーニング以外はほとんど図書館で過ごしている。
図書館に住んでいると思われてもおかしくない。





「ねえ、君。」





すぐ近く、隣で誰かの声がする。

名前は気付いているのかいないのか、はたまた自分だとは思っていないのか、読書を続行している。





「君だよ。ナマエ・ミョウジ。」





本に目を落としていた名前は、おもむろに顔を上げた。





「やあ。隣、いいかな?」





彼に見覚えはない。

顔立ちの整った青年だ。
背は同じくらいだろうか。年齢は彼の方が上に見える。

黒い髪の毛に、赤い瞳が印象的だ。
胸には銀色の監督生バッジが付けられている。

そこに立っているが、現実味がない。
何しろ向こうの景色が透けて見えるのだ。





『…』



「ありがとう。」





そこまで目で確認した名前は頷いて、隣の椅子を引いた。
座ることができるのかは分からないが。

けれども彼はにっこり笑うと、ふわりと椅子に腰掛けた。





「ナマエはいつもここにいるね。」





彼の話は終わってなかったらしい。
むしろ始まったばかりかもしれない。

本に戻ろうとした名前は、もう一度彼に目を向けた。





『あなたとは初めてお会いします。』





涼しげな目元は貫くように真っ直ぐと彼を見据えている。

表情は無い。
口調も抑揚のないものだ。

相手が誰であろうとこんな調子である。

大概気味悪がられる。
一部興味を覚えるが。

彼もその一部なのかもしれない。
名前が真っ直ぐ見つめたまま黙っているのに、やけに嬉しそうにしている。





「そうだろうね。僕もこうして顔を合わせるのは初めてだよ。
夕食は食べなくていいのかい?」



『…調べたいことがあるのです。』



「そう…。君は知識に飢えているんだね。」



『……』





いつも本を読んでいるわけではない。
知識に飢えているという自覚もない。
ただ他にやる事が無いだけである。

第三者から見れば知識に飢えているように見えるかもしれない。

けれど名前自身はそのつもりはないのだろう。
首を傾げている。





「君が調べているのは、もしかして秘密の部屋の事かな?」





首を傾げる名前から、名前が読んでいた本に目を移して彼は言った。

名前は頭を元の位置に戻す。
じっと彼を見つめる。

彼は瞳だけを動かして名前を見た。
流れるような動きだ。





「ごめんね、探るような事を言って。気分を悪くさせてしまったかな。
どうしてこんな話をするのか、まずはその理由から言うべきだったね。」



『…』



「僕は初めて君を見たとき、何となく気になったんだ。
図書館で君を見掛ける度に、何を読んでいるのか、どんな本が好きなのか、気になりだしてね。」





話だけ聞くと何だか危ない人物だが、彼にそう思わせる要素は無かった。
何せ爽やかだったし、きっと誰が見ても彼を悪い人物だとは思わないだろう。

向こう側が透けて見える、少し色付いたその姿を、名前はじっと見つめる。





「迷惑だったかな。」



『いいえ。』



「そう、それはよかった。」





安心したのか、彼は笑みを深くした。





「それで、君が調べているのは秘密の部屋の事かい?」



『はい。』





頷きながら名前は肯定する。
次いで首を傾げる。





『どうしてその事を聞くのですか。』



「その事なら、僕も少し知ってるからね。
ナマエが望むなら教えてあげよう。」



『…』





秘密の部屋については、それがどういうものなのか、といった事柄ならば知っていた。
もしかしたら知らない者の方が少ないかもしれない。

ミセス・ノリスが襲われたというこの出来事は周知の事実であった。
生徒達は皆、こぞって秘密の部屋について調べている。

しかしその情報はどれも確かなものではなかった。





『秘密の部屋は、存在するのでしょうか。』





それこそが問題だった。

多くの先生が徹底的に学校を調べた事はあるようだが、部屋は見つからなかった。

秘密の部屋の話は、今や神話や伝説、七不思議のようにひっそりと残っている。





「秘密の部屋は存在する。」





まるで見たことがあるかのような、はっきりした口振りだ。
だけれども声色も表情も、彼を包む雰囲気のどれもこれも、決して名前をからかおうと企んでいるものではなかった。

彼は真摯な態度であった。





「多くの先生は、荒唐無稽な作り話だと仰られるだろう。
けれど僕が五年生のとき、部屋が開けられた。一人の生徒が殺されたんだ。」





その時の光景を思い出しているのか、彼は床に視線を向けてぼんやりとした。





「五十年前の事だよ。」





そのまま言葉を続ける。





「怪物は生きているし、それを操る人物は捕まっていない。
ミセス・ノリスだけじゃ済まないだろう。」





そこまで言い終えた彼は顔を上げて名前に目を合わせる。
ルビーを嵌め込んだような瞳が二つ見つめてくる。

日本人である名前にとっては珍しい瞳の色だ。

それゆえにか、いつもは逸らしてしまう視線も、今は真っ直ぐ見つめ返す事が出来た。





「ナマエ、気を付けるんだ。

僕は君を失いたくはない。」



『…』





名前が多情多感な年頃の女の子だったら顔から火が出たかもしれない。
生憎精悍な顔立ちをした少年だが。

今日初めて出会ったばかりだというのに―――
彼は前から知っていると言うけれど―――
名前に対してとても真剣である。

そんな風に扱われるのは、交遊関係の少ない名前にとって初体験であった。
当然反応に手間取っている。





『気を付けます。』





しばらくして名前はそう言った。
言いながら目を逸らす。
彼がじっと見つめてくるのに音を上げたようだ。

名前は自分が見つめるのは良いのに、誰かに見つめられるのは耐えられないらしい。





「そろそろ戻った方がいいね。」





満ち足りた微笑みを浮かべた彼は、壁に掛かった時計を見上げて言った。
名前は彼の視線につられて時計を見る。

とっくの昔に夕食の時間は終わっていた。

名前は頷き立ち上がる。
出していた本を元の位置に戻して、借りる本だけを抱えた。





「そうだ。ナマエ。」





声を掛けられた名前は彼を見る。
思いの外近くに立って(浮いて?)いた。

身長が同じくらいなので、目線がしっかりと合う。





「僕の事は秘密にしてほしいんだ。」



『…』



「僕が秘密の部屋を知っているって分かったら、聞きに来る人が出てくるかもしれない。
そうなると困るんだ。
本当は話してはいけない事なんでね…。」



『…分かりました。』



「ありがとう。ナマエ、秘密だよ?君の親しい友人にも話しちゃあいけない。
僕とナマエだけの秘密だ。」



『…』





名前は深く、強く頷く。
それから一歩後退ると、ぺこりとお辞儀をした。

本を抱え直して、カウンターに足を向ける。

けれどもすぐに立ち止まる。
振り返って彼を見つめる。





『…あなたの名前は何とおっしゃるのですか。』



「ああ、言ってなかったね。」





彼は申し訳なさそうに、少し眉を寄せた。





「僕はトムっていうんだ。」





言って、彼―――

トムは微笑んだ。

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