06.-1
『………』
まだ辺りが薄暗く、自分の影と暗闇の見分けがつかない夜明け前、名前は校舎の壁に寄り掛かって汗を拭っていた。
日課の走り込みだ。
初めはどこをどのくらい走ればよいか分からずに、校舎の周りをうろうろしてばかりいたが、
走り込みのルートも大体決まってきて、今ではスムーズに行えている。
『………』
静かに荒い呼吸を繰り返す。
汗は何度拭っても、頬や首筋を伝った。
そうして静かに休憩していると、だんだん空が白み始める。
空が白み始めれば、日が昇るのはあっという間だ。
森にうっすらかかった朝靄や、朝露に濡れた芝生なんかがよく見えるようになる。
「おや?そこにいるのはMr.ミョウジかな?」
静かな朝の光景に、いきなり声が聞こえた。
それも自分に向かって掛けられた言葉だ。
名前は丸めていた背中を直定規のように伸ばした。
そして、そのままの体勢でそっと振り返る。
「ああ、やっぱりMr.ミョウジだ!」
『…おはようございます、ロックハート先生。』
「おはよう、Mr.ミョウジ!」
振り返った先には、ニコニコと笑顔を浮かべたロックハートがいた。
挨拶を交わしながら、軽やかな足取りでこちらに近付いてくる。
「こんなところで会うなんて、偶然の出会いというものかな。
私は会議がありましてね。今はその帰りですが…たまたまこっちの道を選んだのですよ。いつもは通らないのに。偶然…いや、運命的だ。
朝早くから一体何をしているのかね?」
『……走り込みです。』
「走り込み!こんなに朝早くから?君は何かしているのかな?例えばクィディッチとか…」
『いいえ。ボクシングです。』
「ボクシング、というと…非魔法界の打ち合う格闘技だったね?」
『………はい。』
「Mr.ミョウジはとても努力家のようだ。初めての私の授業で見事満点をとって見せた。
けれども公の場所で力をひけらかしたりはしないようだね?先生方から聞いたよ。
君は授業態度は真面目で、試験でも満点をとるとね。
しかし、当てられるまで発言しないとも聞きましたよ。」
『…』
「Mr.ミョウジ、君はそんなに消極的になることはない。もっと行動すべきです。
校舎裏のこんなじめじめしたところで一人ひっそりと!なんとも涙ぐましい努力じゃないか!」
『…』
「けれども、それが君の持ち味なのかもしれませんね。何と言っても、君はクールだ。
さて。私はそろそろ部屋に戻ります。ファンレターの返事を書かなければならないのでね。」
何が何だかわからないうちに会話は終わっていたようだ。
ロックハートは軽やかな足取りで廊下を歩いていった。
残されたのは名前と、嵐が過ぎた後のような静けさだけだった。
シャワーを浴びてさっぱりした名前は、ロックハートと会話した分、いつもより遅く大広間に向かった。
しかし、友人三人の姿がない。
『……』
「あ、ナマエ。」
トーストをかじっていたネビルが、立ち尽くす名前に気が付くと顔を上げた。
パン屑が口の周りに付いている。
『ネビル。…おはよう。』
「おはよう、ナマエ。
ハリーたちを探しているの?」
『ああ。』
「それなら、競技場にいると思うよ。ハリー、クィディッチの練習があるんだって。
君のベッドにメモが残してあったでしょう?」
『……』
「…とにかく、ハリーたちは競技場にいると思うよ。」
『ありがとう。』
ペコリと小さなお辞儀をしつつお礼を言って、名前は大広間を出ていった。
冷たい空気が漂う廊下を大股で歩き、競技場の観客席の階段を上る。
『…』
空を見上げるが、誰もいない。
練習と聞いていたのに。
キョロキョロと辺りを見渡す。
そうしてやっとこさ彼らを見つけた。
彼らは箒を片手に芝生の上に立っていた。
けれども、何か様子がおかしい。
名前は首を傾げる。
『スリザリン…』
深紅のローブの中に、グリーンのローブがちらほら見える。
その集団の中にロンとハーマイオニーが加わるのを見つけて、名前も競技場に続く階段を下りる。
「どうしたんだい?どうして練習しないんだよ。それに、あいつ、こんなとこで何してるんだい?」
ロンがドラコ・マルフォイに向けて言ったのとほぼ同じタイミングで、名前はハーマイオニーの隣に立った。
背の高い東洋人が近付いてくればそりゃあ目立つので、皆一瞬話を忘れてそっちを見る。
「ウィーズリー、僕はスリザリンの新しいシーカーだ。
僕の父上が、チーム全員に買ってあげた箒を、みんなで賞賛していたところだよ。」
そして何事もなかったかのように話は再開した。
ロンがスリザリンチームの持つピカピカの最高級の箒を見て、口をぱっくり開けている。
「………」
しかし、一人は違う。
名前を視界に入れた途端石のように固まってしまった。
それから片時も目を離さない。
見るというより、凝視である。
名前は目を合わそうとしない。
「いいだろう?
だけど、グリフィンドール・チームも資金集めをして新しい箒を買えばいい。クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ。」
「少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。
こっちは純粋に才能で選手になったのよ。」
「誰もおまえの意見なんか求めてない。
生まれそこないの『穢れた血』め。」
マルフォイのこの発言に、グリフィンドール側は非難囂々である。
猟犬のように飛び掛かる者がいたくらいだ。
その騒ぎで名前はやっと突き刺さる視線から解放された。
「マルフォイ、思い知れ!」
マルフォイに突き付けた、ロンの継ぎ接ぎだらけの杖から、緑色の閃光が逆噴射した。
つまりこの閃光に当たったのは、杖の持ち主のロンである。
マルフォイはもちろん、スリザリンチームは大爆笑だ。
「ロン!ロン!大丈夫?」
ハーマイオニーがロンに駆け寄った。
ハリーと名前もそれに続く。
ロンは芝生の上で四つん這いになり、腹の辺りを押さえていた。
ロンの口からゲップが出た。
それと共にオエッと出てきたのは大きなナメクジだ。
「ハグリッドのところに連れて行こう。一番近いし。」
ハリーの提案に、ハーマイオニーと名前は頷いて賛成した。
三人はロンの腕を掴んで助け起こすが、足元がふらついている。
考えた末に名前がロンを背負った。
時々、吐いたナメクジが名前のローブやらカーディガンに引っ付いて、ヌメヌメ光る足跡を残していったが、全く意に介さない。
「ハリー、どうしたの?ねぇ、どうしたの?病気なの?でも君なら治せるよね?」
首からカメラをぶら下げた小さな男の子が、スタンドから駆け下りてきた。
その男の子はロンがナメクジを吐いているのを見ると、目を輝かせてカメラを構える。
「ハリー、動かないように押さえててくれる?」
「コリン、そこをどいて!」
男の子はコリンというらしい。
最近、ハリーがコリン・クリービーという者を避けているという話は聞いていたが、名前が彼を実際に見るのは初めてだ。
何せ名前の行動パターンといったら、トレーニングか勉強か食事か、あとは図書館で読書である。
「もうすぐよ、ロン。すぐ楽になるから……もうすぐそこだから……」
ハーマイオニーが励ましながら、なんとかハグリッドの小屋の側までやって来た。
後少しというところで小屋の扉が開く。
薄い藤色のローブが見えた。
「早く、こっちに隠れて。」
ハリーの判断は素早かった。
薄い藤色のローブを纏ったのがロックハートだと知った途端、名前のローブを引っ張って茂みに隠れたのだ。
ハーマイオニーはなんだか不満そうだったが。
ロックハートが城の方へ行って、完全に見えなくなるまで待って、四人は小屋に向かった。
「いつ来るんか、いつ来るんかと待っとったぞ―――さあ入った、入った―――実はロックハート先生がまーた来たかと思ったんでな。」
ハグリッドに促されながら小屋に入る。
ロンを椅子に座らせて、名前たちはここに来た理由を簡単に話した。
「出てこんよりは出た方がええ。
ロン、みんな吐いっちまえ。」
「止まるのを待つほか手がないと思うわ。
あの呪いって、ただでさえ難しいのよ。まして杖が折れてたら……」
ハーマイオニーは心配そうだった。
ロンの死人のように青白い顔を見つめながら、眉を寄せている。
ハグリッドはそんなに心配している様子はない。
調子外れの鼻歌を歌いながらお茶の用意をしている。
ハグリッドがそんな様子だから、三人は何となく落ち着いたようだった。
ハリーなんかはハグリッドの飼い犬のファングとじゃれている。
ロンは大きな銅の洗面器(バケツにしか見えない)に顔を突っ込みゲーゲー吐いている。
とてもお茶を飲めるような様子じゃない。
「ねぇ、ハグリッド、ロックハートは何の用だったの?」
「井戸の中から水魔を追っ払う方法を俺に教えようとしてな。
まるで俺が知らんとでもいうようにな。その上、自分が泣き妖怪とかなんとかを追っ払った話を、さんざぶち上げとった。
やっこさんの言っとることが一つでもほんとだったら、俺はへそで茶を沸かしてみせるわい。」
「それって、少し偏見じゃないかしら。ダンブルドア先生は、あの先生が一番適任だとお考えになったわけだし―――」
「ほかにはだーれもおらんかったんだ。」
お茶と糖蜜ヌガーがテーブルに置かれた。
ロンは一人ゲーゲー吐いている。
名前はロンの隣でそっと背中を撫でた。
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