01.
例によって、名前はロンの家の近くを走って、朝のロードワークを済ませた。
その頃に、やっと空が白み始める。
首にかけたタオルで伝い落ちる汗を拭っていると、遥かにそびえる山々の天辺あたりから、朝日が顔を出してきた。
青々と茂る背の高い雑草についた朝露に朝日が反射し、きらきらと光っている。
『…』
藍色だった空が赤く染まると、それを背景に、黒い点が現れた。
名前は目を細めて、じっと見る。
黒い点だったそれは、だんだんと近付くにつれ、姿をはっきりさせた。
車だった。
どうやら、ロン達が帰ってきたようだ。
フラッシュが焚かれ、続いてシャッター音がした。
一瞬真っ白になった視界に、名前は目をぱちぱちさせながら、音がした方向を見た。
「「おはよう、ナマエ!」」
いかにも嬉しそうに笑っているフレッドとジョージがいた。
片手は名前に向けて振っている。
もう片方の手にはカメラが握られていた。
『………
おはようございます。』
名前はカメラと二人の顔を交互に見つめて、挨拶を返した。
ちなみに、ここは脱衣場だ。
名前はズボンを履いたのみの格好である。
「旦那、いい体してるねえ。」
「これは言い値で売れるぞ。」
『…売れる、』
「ママからナマエはシャワー浴びてるって聞いてさ。」
「これはシャッターチャンスだと思ってね。」
『どうする気ですか。』
「そりゃ、売るんだよ。」
「君、知らないの?ファンいるんだぜ。」
『………』
追い掛けっこが始まった。
朝っぱらから迷惑なことである。
しかも体格のそう変わらない(むしろ名前の方が大きいかもしれない)男子三人が、そう広くない部屋を行ったり来たりと鬱陶しいことこの上ない。
その上名前はお世話になっている人の家で、上半身裸のままという破廉恥極まりない格好である。
「フレッド、パス!」
「よしきた、ジョージ!」
名前は必死だった。
だけどフレッドとジョージは、絶妙なコンビネーションで名前の手にカメラがいかないようにした。
相手が悪かった。
二人いることはもちろん、双方とても悪戯好きなのだ。
けれど、その追い掛けっこは案外早く終わった。
ウィーズリー夫人が現れたからだ。
双子も母親には勝てないらしい。
きちんと服を着て台所へ向かうと、人数分並べられた椅子の端に誰かが座っているのが見えた。
ウィーズリー家じゃない。
くしゃくしゃの黒髪だった。
『ハリー』
小さな声で名前を呼ぶと、勢いよく振り向いた。
ハリーだった。
ハリーは名前を見ると、嬉しそうに笑った。
「ナマエ!」
『おはよう、ハリー。ロン。』
「おはよう、ナマエ。」
「おはよう…。」
『出迎えられなくて、ごめん。
無事に着いたみたいで、安心した。』
「いいよ。君も、なんだか大変だったみたいだね。」
「ごめん、うちの兄貴が…。」
『…』
照れ臭そうな笑顔から、同情めいた目付きになる。
名前はそっと目を逸らした。
先に席に着いていたフレッド、ジョージらが意味ありげな笑いを浮かべた。
夫人は台所とテーブルを忙しなく行き来している。
時折、双子とロンにあれやこれやと文句を言いながら。
車のことがバレたらしい。
「あなたのことは責めていませんよ。」
夫人はハリーに向けて優しい笑顔を見せた。
言いながら、ハリーと名前のお皿に溢れそうなくらいソーセージを盛る。
名前は山盛りになったソーセージをじっと見つめた。
「アーサーと二人であなたのことを心配していたの。昨夜も、金曜日までにあなたからロンへの返事が来なかったら、わたしたちがあなたを迎えに行こうって話をしていたぐらいよ。でもねえ、
不正使用の車で国中の空の半分も飛んでくるなんて―――誰かに見られてもおかしくないでしょう。」
「ママ、曇り空だったよ!」
「物を食べてるときはおしゃべりしないこと!」
「ママ、連中はハリーを餓死させるとこだったんだよ!」
「おまえもお黙り!」
フレッドとジョージに大声で叱りつけると、パンを切ってバターを塗り始めた。
それはハリーに渡され、次いで名前に渡された。
皿の上にはソーセージ、目玉焼き、手にはパンがある。
名前はそれらを見下ろして動かない。
「キャッ」
小さな悲鳴がした。
名前は一拍遅れてそちらを見るが、既に誰もいない。
「ジニー」
ロンが耳に口を寄せて言う。
「妹だ。夏休み中ずっと、ハリーのことばっかり話してたよ。」
「ああ、ハリー、君のサインを欲しがるぜ。」
フレッドが気味の悪い笑みを浮かべた。夫人と目が合うと俯いて食事を再開する。
「なんだか疲れたぜ。」
ナイフとフォークを置くと、フレッドは大きな欠伸をした。
これで、食べているのは名前だけだ。
「僕、ベッドに行って……」
「行きませんよ。
夜中起きていたのは自分が悪いんです。
庭に出て庭小人を駆除しなさい。また手に負えないぐらい増えています。」
「ママ、そんな―――」
「おまえたち二人もです。」
夫人に睨み付けられたフレッドとロンの顔には、不平不満がありありと浮かんでいる。
決して口に出しはしないが。
「ハリー。ナマエ。あなたたちは上に行って、お休みなさいな。
あのしょうもない車を飛ばせてくれって、あなたが頼んだわけじゃないんですもの。」
「僕、ロンの手伝いをします。庭小人駆除って見たことがありませんし―――」
「まあ、やさしい子ね。でも、つまらない仕事なのよ。
さて、ロックハートがどんなことを書いているか見てみましょう。」
「ママ、僕たち、庭小人の駆除ねやり方ぐらい知ってるよ。」
ジョージが渋い顔をして呻くように言ったが、聞こえたのか聞こえていないのか、夫人は分厚い本を引っ張り出すと表紙を眺めている。
「ああ、彼ってすばらしいわ。
家庭の害虫についてほんとによくご存知。この本、とてもいい本だわ……」
「ママったら、彼にお熱なんだよ。」
内緒話でもするかのように、フレッドはハリーと名前に向けてこっそりと言った。
そのわりに声は大きい。
「フレッド、バカなことを言うんじゃないわよ。
いいでしょう。ロックハートよりよく知っていると言うのなら、庭に出て、お手並みを見せていただきましょうか。あとでわたしが点検に行ったときに、庭小人が一匹でも残ってたら、そのとき後悔しても知りませんよ。
」
四人が庭に向かう。
少し遅れて、やっとこさ食べ終わった名前が後を追った。
『手伝う。』
「ナマエも?」
四人の目が一斉に名前に向けられた。
「…」
「…」
「…」
「…」
『…』
「そりゃ、人手があった方が助かるけど、…」
ロンがもごもごと言う。
「ナマエは…ヘドウィグを見ててよ。ロンの部屋にいるらしいんだ。」
ハリーも歯切れが悪い。
『…』
「そうしろよ、ナマエ。」
「君、いかにも体調が悪いんですって顔をしてるぜ。」
双子さえも狼狽えているようだった。
名前の顔色は戸惑うぐらい血の気がない。
ぐったりしているように見えないこともなかった。
四人は何か言いたげな目で名前を見つめる。
名前はゆらゆら揺れながら家に引き返した。
「ナマエって少食?」
最中をスナック菓子のごとく口に入れている。
名前が持ってきたものだった。
ロンの口は、それこそリスのように膨らんだ。
『…』
首を傾げる。
「僕も同じぐらい食べたけど、なんともないよ。
少食ってことじゃない?」
カキツバタの練り切りをしげしげと見ていたハリーが、名前に代わって答えた。
三人の前には最中や饅頭などの和菓子がある。
名前は和菓子をいろいろ作って持ってきていた。
作った当事者は全く手を付けていないが。
「そうだ。ナマエ、ハリーのことなんだけど。」
最中をモグモグさせながら言う。
『…』
「ほら、手紙の返事がなかっただろ?そのことなんだけどさ…」
饅頭の包み紙を取りながら、ロンはハリーを見る。
つられるように、名前もそちらを見る。
少し考えるように黙ってから、ハリーは口を開いた。
「ロンには、もう話したんだけど…
僕の部屋にドビーっていう屋敷しもべ妖精が現れたんだ。」
「そのドビーってのが、いろいろ悪さしてたみたいなんだよ。」
「そうなんだ。」
「僕に、ホグワーツに戻るなって言うんだ。
僕に学校に戻りたくないと思わせようとしていたみたいで…手紙をストップさせて。
おばさんにデザートを被せていなくなっちゃった。」
「おかげでハリーは監禁生活だよ。
窓に鉄格子がはめられてたんだ。」
『…酷いな。』
そう言うわりに、名前の表情に変化はない。
『その屋敷しもべ妖精は、ハリーの家に仕えているのか。』
「まさか!初めて会ったよ。彼、どこかの魔法使いに仕えてるみたい。それも、あんまり待遇の良くない家。
フレッドは、誰かの悪い冗談だって言ってたけど…。」
『…今回だけなら、まだいい。
だけど、今回みたいなことが、もうないとは言い切れない。
気を付けた方がいい。』
ぽつりぽつりと話す名前からは、危機感を煽り立てている様子はない。
いつものことだが、ハリーは少し驚いたように目を見開いた。
「ナマエは、冗談だとは思ってないの?」
『質が悪い。冗談では済まされない。』
「…なんだか、ナマエって真面目だよね。」
「ところで、お菓子はもうないの?」
出し抜けの質問に、静かになる二人。
ロンだけが不思議そうにしている。
『…これだけ。』
「そっかあ…。」
ロンは残念そうだった。
ハリーも残念そうだった。
「美味しかったよ、ナマエ。ごちそうさま。」
「また作ってくれよ?」
『いつになるかわからない。』
「うーん…そうだ。学校に調理場あるだろ。それなら、そこ借りてさ…暇な時にでも作ってくれる?」
『…』
きらきらした目で見つめられた。
期待しているのは明らかだった。
名前の視線は蝶々を追っているかのごとく空をさ迷っている。
『…材料があれば。』
「小麦粉と砂糖とバターじゃできないの?」
『作るものによる。白玉粉とか、道明寺粉は、あるのか。』
「………」
二人はそろって眉を集める。
ちんぷんかんぷんといった様子だ。
顔を見合わせてから、名前に向かって改めてよくわからないという顔をした。
「ねえ、それじゃあ、ナマエはクッキーとかケーキは作れるのかい?」
『…作り方が分かれば。』
「なら、それでもいいよ。また作ってくれる?」
『…』
頷く。
「「やった!」」
二人はハイタッチでもしそうな勢いで喜んだ。
虜にしてしまったようだ。
- 45 -
[*前] | [次#]
ページ: