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「ジムに入るとき、言ってたやろ。」



『………』



「忘れんなや!」





首を傾げたら、犬歯を剥き出しにして怒鳴られてしまった。

大きな声とものすごい剣幕に、名前は大きな体を縮こませる。





『すみません。』



「で、何で強くなりたいねん。」





話が元に戻された。

怒鳴ったおかげですっきりしたのか、千堂は落ち着いている。

千堂はストレスとは無縁かもしれない。





「イジメか?好きな子の気でも引きたいんか?」



『いや、…』



「プロを目指してるわけやないんやろ。」



『はい。』



「なら、なんやねん。」



『どうして、理由を知りたいんですか。』



「質問を質問で返すなや。初めに聞いたのはワイやぞ。」



『すみません。』





口では謝るが、見る限りすまなさそうには見えない。

名前は無表情のまま千堂を見つめている。
相手が猫だったら威嚇されていると感じるかもしれない。





「まあ、なんちゅーか………貪欲に見えん。」



『………』



「練習の初めの方、ゲロは吐くわ倒れるわで、しんどかったんやないか。」



『はい。…』



「でも、なんやかんや今も続いてるやん。貪欲やないけど、…そや、執着心はある、ってわけや。」





話をしながら、千堂の表情はくるくると変わった。
眉間に皴を寄せたり、笑ったり、唇を尖らせたり、表情で感情が直に感じ取れるようだ。

隣の名前は、表情筋が活動を止めていると言われた方が納得できるくらい無表情である。





「だけどキサマは、プロになりたいわけではなく、体を鍛えたいわけでもなく、イジメとか好きな子の気をひきたいってわけでもない。
なら、強くなりたい理由ってなんやねん。
ゲロ吐いて、倒れてまで執着するような理由ってなんやねん。」



『……』



「ワイは強いヤツと戦いたい。だから強くなりたい。名前、お前は誰と戦いたいんや?」





問い掛けられ、答えを求められている。
だけど名前は無言でいる。

千堂は名前が無言でいることを予想していた。
滅多に発言しないことを知っていたからだ。
だからこそ、すぐに答えることを期待していた。

しかし予想通り黙っている。
千堂も黙っている。

待つことにした。
長くはもたないが。





「だんまりかい。」





睨んでみるが表情は変わらない。

千堂は空になった缶コーヒーをゴミ箱に投げ捨てる。
入るのを見てから、立ち上がった。





「帰るわ。」





歩こうとすると、手首を掴まれ引き止められた。
千堂は掴まれた手首を見て、それから名前を見る。

名前は目を見開いて、自分が掴んだ手を凝視していた。
いつもの無表情が崩れていることに驚いて、千堂の目も見開かれる。





「なんやねん。」



『……』





口を開いては閉じてを繰り返す。

煮え切らないその態度に、千堂の苛立ちが募る。





『あの……』



「なんや。」



『…俺、…』



「なんやねん。」



『自分が弱いことがわかって、…弱いままじゃいけないことがわかって、強くならなきゃいけないと思って…』



「…」



『それで、父に相談しました。そうしたら、柳岡さんのところに行けばいいと言われて…』



「………」



『強くなりたいと思っただけで、理由はあんまり、…考えたこと、ありませんでした。』





掴んでいた手を離し、膝の上に置く。

黙って見下ろしてくる千堂から目を逸らし、名前は頭を下げた。




『すみません。千堂先輩。ボクシングに、真剣に向き合っている方がいるのに、俺は…なるつもりは、初めからないままで、…』





目の前に立った千堂が、腕組みをして見下ろしている。





「つまり名前は、自分と戦いたいっちゅーことか。」





聞こえてきた声はいつも通りの声だった。
顔を上げて見てみると、表情もいつも通りの表情だ。
眉間の皴も消えている。





「キサマがあんまりにも必死こいてやるから、ちょお気になったんや。
まあ、必死には見えんかったけど。」



『…』



「お前、無表情やねん。どうにかしろや。」



『すみません。』



「いや、謝るとこちゃうやろ。」



『…すみません。』



「キサマはオウムか。」



『……』



「無口もどうにかせなアカンようやな。」





呆れた顔から一変、満面に笑みを浮かべる。





「まあ、せいぜい頑張り。」





言って、片手を持ち上げると、名前の頭に乗せた。
撫でるというには荒々しい動作で、かき混ぜるかのように撫で回す。

こうして名前の頭に鳥の巣が出来上がった。





『頑張ります。』





伏し目がちに返事をする。

千堂はその様子に満足したようだった。





「あ、イギリスから帰ってきたとき、弛んでたらしばくで。」





元々血の気のない名前の顔は、途端に一層青白くなったようだった。

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