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『……………』





早朝のロードワークを終えた名前は、ポストから朝刊を抜いて家に戻った。

居間のいた父親に朝刊を手渡すと、引き換えに二通の封筒を渡された。

宛名はハーマイオニーとロン。



待ちに待った返事だった。















ジムに向かった名前は、いつも通り練習をこなす。

ロードワークを終えた名前が、まさに今ドアを開けようとするタイミングで千堂が出てきた。

どうやら、これからロードワークに行くようだ。





「………」



『………』



「………」



『………』





だが、千堂は出入口に突っ立ったまま動かない。
じっと名前を見つめている。
三白眼のせいか、見つめる、というよりも、睨んでいるという表現の方がしっくりくる。

一方見つめられている(睨まれている?)名前はといえば、相変わらず涼しい顔だ。
汗だくではあるが。





『……あの、』



「頑張ってるみたいやな。」





への字に曲がった口からボソッとした声。

名前はカクンと首を傾げた。





『あの、…今、なんて…』





名前が確認する前に、千堂は走り出してしまった。
瞬く間に小さくなっていく逞しい背中を見送る。

名前はぱちくりと瞬きを繰り返し、往来が激しい道の真ん中で棒立ちになった。



呆れた様子の柳岡が声をかけるまで、名前は太陽と通行人に睨まれていた。





「イギリスに?」



『はい。』





部屋に調子外れな声が響いた。
眼鏡の奥にある目は見開かれている。

部屋には二人しかいない。

名前が初めてジムに来たとき、柳岡に案内された、トロフィーなどが置いてある部屋だ。





「それはまた、急な話やな。」





練習をこなした後、柳岡に相談を持ち掛けた。
イギリスへ行っている間、練習をどうするかの話だ。

既に多くの練習生が帰宅している時間だった。名前も例外ではない。
だが、すぐにでも話さなければならなかった。
近いうちにイギリスへ発つことになったからだ。





『…すみません。』





謝りながら頭を下げる。

柳岡は手を振って、何でもないかのような表情だった。





「いや、謝らんでもええんや。
ナマエくんがイギリスの学校に通っとることは、ミョウジから聞いてるわ。寮やったっけ?」



『はい。』



「なら、そこでできる練習を考えよか。」





穏やかな笑顔を向けられた。
目尻に烏の足跡ができている。

名前はこっくりと頷いた。














「遅い!」



『………ごめんなさい。』





シャワー室から出た途端響いた怒号。

指差し付きだったそれは、名前以外いないシャワー室から出てきた、名前に宛てたものだろう。





「二時間や!」



『………』



「時計見てみい。」



『…十一時です。』



「せや!十一時や!キサマがシャワー室に入ったのは九時!どんだけシャワー浴びれば気が済むんや!ふやけるわ!!」



『…すみません。…』





確かに、練習を終えてから柳岡と話をしていたので、いつもよりずっと遅い時間だ。

しかし、遅いだのなんだのいくら文句を言われようとも、千堂と何も約束した覚えのない名前は首を傾げてしまう。





「帰るで。」



『……』





くるりと背を向けて、千堂はスタスタ歩き始める。
だがすぐに歩みを止めた。





「…早く来んかい!」





振り返った顔は犬歯剥き出しの般若だった。

名前は訳もわからないまま、荷物をまとめると、急いで千堂の後を追った。





「まったく、トロいヤツやな。」



『………ごめんなさい。』



「ホンマにな。足は遅いし体力はないし覚えは悪いし。言い出したらキリがないわ。」



『…』



「…」



『……』



「……」



『……』



「…だあーっ!!なんやこの空気は!」



『…』



「名前っ!!」



『はい。…』



「面貸せや。」





返事をする前に、胸座を掴まれ、人気の全く無い公園の中へと引きずり込まれた。

名前はいよいよ焼きを入れられるのかと(思ったのかはわからないが)身を固くしたようだった。

だが、千堂は名前をベンチに座らせると、一人自販機に向かい、缶コーヒーを二本持って戻ってきた。





「ほれ。」



『…』



「飲め。」





片方を突き出され、名前はじっと目の前にある缶コーヒーを見つめる。

無理矢理手に押し込まれ、受け取るしかなかった。

千堂は、名前の隣にどっかりと腰を据える。





『いくらでしたか。』



「いらん。」





切られるように返されて、名前は小さく礼を言った後、黙り込んだ。

渡された缶コーヒーは開けないまま手の中だ。

千堂は構わず缶コーヒーを開けて飲んでいる。





「……」



『……』





夜も遅いためか、元々この公園が人気のない場所に作られているからか、車道を走る車はほとんど無い。

眠らない蝉の鳴き声と、街灯の電球に群がりぶつかる虫の羽音だけが夜気に響いている。





『千堂先輩。』





昼間の喧騒の中では聞こえないような、小さな声で千堂を呼ぶ。
幸い今は夜で静かだし、蝉の鳴き声も控え目なものだ。
隣に座っていれば、しっかりと耳に届く。

しかし千堂は、何故か慌てたような、驚いたような様子で、勢いよく名前の方を見た。





『…』





名前も千堂を見ていた。
いつもと何も変わらない表情を浮かべている。

千堂はこの表情以外の表情を見たことがない。





「なんやねん。」





なかなか切り出さない名前に、痺れを切らした千堂が苛々とした口調で聞いた。





『どうして今日は、帰ろうと言って下さったんですか。』



「ワイとは一緒に帰りたくないって言いたいんかい。」



『いいえ、そうではないです。
だけど今まで、あまり話したことがなかったので、理由がわからなくて。』



「イギリス行くらしいやんけ。」



『……』





不思議そうに凝視してくる名前をちらりと見て、千堂はぶっきらぼうに言った。





「あの部屋のドアは薄いんや。
だだ漏れやで。」



『…』



「…オイ」



『はい。』



「キサマは何で強くなりたいねん。」





低い声だった。
少なくとも名前にとっては、これまで聞いたことない声だった。

その上、至極真面目な顔をしている。





『………』





真っ直ぐ見詰めてくる三白眼は迫力があった。
名前はその目を、まるで観察するかのように見つめ返す。

熱をもち、呼吸をしているのかを疑いたくなるくらい、名前は無反応だった。

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