27.




早朝。

太陽が昇り始めて、空が明るみはじめた時間帯。

昨日の暑さがまだ辺りに残りつつある道路に、熱を孕む風を切りながら、リズミカルに走る名前の姿があった。

郵便受けを開けて朝刊を取り出す。
名前の役割の一つだ。
昨晩の内に入れられたのか、回覧板もある。

だが、今日はそれだけではないらしい。





『………』





真っ白いそれを摘んで目の前に持ってくる。

一通の手紙。

封筒に書かれた文字は、綺麗な英文字だった。















朝刊と回覧板を居間の机に置いて、名前は洗面所に向かう。





「あ、名前。おかえりなさい。」



『ただいま、お母さん。』





台所で朝御飯を作る母親に、挨拶を忘れずに。





「おかえり、名前。」



『ただいま、お父さん。』





洗面所には先客がいた。
父親が顔を泡だらけにしながら髭を剃っている。

タオルを脇に置いて、名前は汗だくの服を脱ぎ始めた。





「その手紙、何?」





服を脱ぐ手を止めて振り返る。

タオルの上に置かれた白い封筒に、父親の目は釘付けだ。





『ハーマイオニー。』



「ハーマイオニーって子は、確か名前の…」



『友達。』



「ふううぅうん…。」





鏡越しに、父親が下卑た笑いを浮かべているのが名前の目に映った。





『どうして笑うんだ。』



「うん?いや…友達って思ってるのは名前だけやないかなー。なんて思ってね。」



『………
俺だけ…。』



「そう。」





尚もニヤニヤと笑い続ける父親に、名前は黙った。

しばらく黙ってから、口を開いた名前は、少し迷ったように、何度か口を閉じたり開いたりした。





『ハーマイオニーは、俺のことを嫌っている、ということか。』



「なんでそーなるのっ!!」



『違うのか。』



「あのね、普通仲良い女の子が手紙くれたらラブレターかなあと思わない?」



『………いや。』



「普通はそうなの。」



『…そうか。』



「そう。お父ちゃんが若い頃なんてモッテモテでなあ、毎日ラブレターもろたもんや。でも、お父ちゃんは一途やろ?お母ちゃん一筋やし、断るのが心苦しかったわあ〜。」





顔を泡だらけにした父親が自慢たらしく話すので、名前は服を脱いで洗濯機に入れると、早々に風呂場へ入っていった。





「それで、手紙は読んだの?」





シャワーを浴びた名前が居間に戻ると、食卓には次々に朝御飯が並べられた。

味噌汁をすする名前に向かって、話を聞いたらしい母親が興味深そうに尋ねてくる。

名前は口をもぐもぐさせながら、頭を左右に振った。
ゴクリと飲み込む。





『何かあったのかもしれない。』





イサキの塩焼きを箸でほぐしながら、相変わらずの無表情で言う。

さも深刻そうな台詞を事も無げに言い放つので、父親と母親は目をぱちくりとさせた。

そうして、ほぼ同じタイミングで首を傾げた。





「何でそう思うの?」



「友達なら手紙くらい書くやろ。」



『手紙は書かなくていいと伝えてある。』





実際、そう伝えたのはロンのみだが。

ハリーとハーマイオニーもその場にいたので、話は聞いてはいるだろう。





「…それはまた、何で?」





ぱくり、塩焼きを口に放り込む。





『………お金がかかる。』



「…………ああ。」





納得したように父親と母親は頷いた。





「まあ、とにかく開けてみたら?」



「急ぎの用事やったら悪いしな。」



『………』





二人に急かされて、名前は箸を置いて手紙を手に取った。
ペーパーナイフで封筒を切る。
中の紙を取り出して広げた。

内容を読む名前を、朝御飯を口に運びながら二人が見守っている。





『………』





珍しいことに、だんだんと、名前の眉間に皺が寄っていく。

これに驚いた二人は、箸を止めた。





「名前、どうしたの?」



「眉間に皺が寄ってるで。」



『………』





二人に問い掛けられた名前の眉間は、いつも通りの平らに戻った。





『…ハーマイオニーとロンが、ハリーに向けて手紙を書いたそうだけど、……
返事がないらしい。』



「ハリーって、あのハリー・ポッターくんだよね。…筆不精なのかな?」



名前は首を左右に振りつつ、
『…手紙を書ける環境じゃないのかもしれない。』





互いに顔を見合せる両親。

名前は手紙に視線を落としたままだ。





『…魔法使いに、厳しい。』



「……ああ、…」



「マグルの家庭なら、そんなこともあるやろなあ。」



「でも、心配ね。名前に聞いた話じゃあ、ずいぶんひどいみたいじゃない。」



「そうらしいなあ。でも、まあ、本当に…書けない環境にあるだけならいいけどなあ。」





母親は目を吊り上げて父親を睨んだ。





「そうね。全然、よくないけどね。わたし、あなたの言い方だと…
ハリーくんが虐げられる生活を強いられてるっていう環境そのものは、許容範囲だって聞こえるな…。」



「い、いや…お母ちゃん、今のは言葉の綾というかなんというかね、…
別に僕はハリーくんが虐げられてることを良いと思ってるわけでなくてね、それはいけないことだと思ってるよ?ウン。
…ただ、その、何か事件に巻き込まれてるというか…拉致監禁、とか、ね?…」



「今の生活だって変わらないでしょう。」



「あっ。……」



「も〜〜〜っ…あなたは〜っ…
言葉の綾でもね、言い方ってものがあるでしょ!」



「お、お母ちゃん、カワイイお顔にシワが跡になってまうよ?」



「余計な、お世話!!」



「ご、ご、ごめんなさい!でも、お母ちゃんは神経質やて!いちいち言葉の端々取り上げてたら人生おもろくないで?そんな気にせんといて…なあ!?名前!?」



「名前を巻き込まない!話をそらさない!わたしは神経質じゃあない!あなたが無神経なんでしょ!」



「的確なツッコミ!」



「だから!話をそらさない!!漫才やってるんじゃあないのよ!」



『………ごちそうさまでした。』




箸を置いて、両手を合わせる。

両親と朝御飯のどちらに対して挨拶をしたのかは不明である。

止まない(半ば一方的な)言い合いを放置して、食器を台所に置くと、名前は自室に向かった。



自室に戻ると、名前は机や箪笥の引き出しを開けては中を探り始めた。

やがて目当ての物が見つかると取り出して、机に向かう。





『………』




ペンを片手に動かない。

何度か書く素振りを見せるが、なかなか文字にはならない。

白紙のままの便箋だ。

名前は顔を天井にやって、視線だけをうろうろさせる。





『…………』





そのまましばらくして、名前はやっとペンを動かした。
さらさらと英文字を書く。

それはあまり長い文章ではなかったが、何度か読み直すと、丁寧に畳んで、宛先の書かれた封筒にしまった。

立ち上がるのと同時にドアが開く。





『………何か用か。』



「用っていうか……」





振り返ってみると、父親がいた。

いつもと同じ、笑顔を浮かべている。





「さっきのことは気にせんといてや。」



『………』
首を傾げる。



「お父ちゃん不器用っていうか…ハリーくんのこと、ないがしろにしているわけじゃあないからね。」



『………ハリー』
首を傾げたまま呟く。



『どうしてハリーの話になる。』



「へっ?」



『……』



「えっ………」



『………』



「聞いてたよね?」



『何をだ。』



「お母ちゃんとの漫才。」



『………』
目をぱちくりさせている。



「…聞いてないのね。」





父親はガックリ肩を落とした。
そのまま倒れ込んで動かなくなってしまいそうなくらい脱力している。

名前が先ほどの夫婦喧嘩を漫才として認識しているかはともかくの話だが、聞いていなかったようだ。





『お父さん。どうしたら届けられる。』



「…ウン?」




脱力感を纏う父親に話を切り出すと、ずいと手紙を差し出した。

父親はゆっくり身を起こして、差し出された手紙を見つめる。





「ああ…お返事出すのね。」



『…どうしたら、届けられる。…郵便局。』





首を傾げている。

困った様子の名前に見つめられて、父親は直ぐ様姿勢を正した。





「よし。お父ちゃんに着いておいで。」





にっこり笑った父親は、どこかに向かって元気よく歩き始めた。
名前は手紙片手に着いていく。

どうやら、父親の自室に向かっているらしい。





「じゃーん。」



『………』



「…」





父親は明るい声で差し出すが、対して名前は相変わらずの無表情だった。





「(名前は表情に乏しいだけなんや…決して無視しているんやない…表情に乏しいだけなんや)」





内心己に叱咤しつつ、にっこり笑顔は崩さないことなど、名前は知る由もない。

父親はめげずに説明を始めた。
効果音とともに差し出したものは、古めかしい赤いポストだった。
受け口と、もうひとつ口がある。




「これには魔法がかけてあってね。郵便物を入れると、宛名に転送されて、相手から返事があったら、うちの住所が認識されて、ここから出てくるってわけや。」



『……』



「どや?すごいやろ。便利やろ。まあ、お金はかかるけど…。
でも、時間はかからないんやで。料金の設定も、日本で届けるのと変わらんし。
クリスマスプレゼントのときも、これを使って届けたんや。」



『………』



「あ、セキュリティはばっちりやで!安心して使いなさい!」





反応の無い名前に焦れたように、父親は手紙を受け口に入れるよう促す。

名前はゆっくり、手紙を投函した。





「これで、あとはお返事を待つだけ。」



『……』



「ところで名前、そろそろジムに行く時間やないの?」



『………』





言われて見た時計の針が示す時間に、名前はバタバタと走り出した。

その後を父親がのんびりと追う。

向かった先の玄関では、器用にもまとめられた荷物を背負いながら靴を履く名前がいた。





『いってきます。』



「おー、いってらっしゃい。」



『………』



「今日も暑くなるから、水分と塩分を摂ってね。あと、車に気を付けなさい。左右確認忘れずにー!」
走り去る細い背中に叫ぶ。



「………(あれ、聞こえてるのかな…)」





アスファルトの道路から沸き立つ陽炎が揺らめいている。

名前の姿は、やがてその中に掻き消えていった。

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