23.






「えーっ、それホンマ?」

「一本間違うたんかな…」

「そこのお兄さん、ちょいと寄っていかんか。」





改札を抜けて階段を上がり、地上に出ると、日は既に落ちていた。

行き交う人々でごった返す通りを、名前は大袈裟なくらいの大荷物で、器用にもするするとすり抜ける。

たこ焼き、ラーメン、コロッケ…ライトアップされた看板の文字は、全て日本語だ。
夕飯時には誘惑の多い通りだが、名前は見向きもしなかった。





『………』





通りを抜けると、住宅街は閑散としていた。
ぽつぽつと街灯が照らす暗い道には、人っ子一人いない。
名前は一人、記憶の中の帰路を急ぐ。

自宅前に辿り着くと、換気扇が回っていた。
そこからは醤油や出汁の匂いが漂っていた。





『………』





名前は呼び鈴を鳴らそうと、インターホンに指を伸ばす。

すると、その前に荒々しくドアが開かれた。





「名前。」





インターホンに指を伸ばした姿のまま、名前はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

ドアを開けた中年の男性は、サンダルを突っ掛けるとピョコピョコと門まで歩み寄ってきた。





「おかえり、名前。」



『…ただいま。お父さん。』





父親のにっこりと笑んだ顔が、門灯に照らし出される。

対して名前の顔は相変わらずの無表情である。





「お母ちゃんがな、ご馳走作って待っててくれてるよ。荷物貸し。重たいやろ。」



『ありがとう。…お父さん。』



「うん?」



『どうして帰ってきたのがわかったんだ。』



「なんとなく。」





あっさりはっきり答えられ、さらに父親は「それがどうした」と言わんばかりに不思議そうな顔をする。

名前は目をぱちくりさせることしかできなかった。





「お帰りなさい、名前。」



『ただいま、お母さん。』



「長旅ご苦労様。さ、上がって。三人そろったことだし、ご飯にしましょう。名前、靴を脱いでね。」



『………』





靴を履いたまま上がろうとする名前を、母親が素早く指摘する。
名前は片足を上げたままのポーズで数秒間石像のように固まり、やがてのそのそと靴紐をほどいた。

父親と母親はクスクスと笑うが、名前は気付いていないようだった。





「いただきます。」



『いただきます。』





テーブルに並んだ肉じゃがや冷奴などの数々のおかずは作りたてなのか、どれも湯気が立っていた。

味噌汁をゆっくりと口にする名前を見て、父親がクスリと微笑む。





「どや。久々の和食は。」



『…美味しい。』



「そりゃよかった。」



『………』





穏やかな笑顔を浮かべられ、名前は忙しなく視線を泳がせる。

助け船を出すように、母親が口を開いた。





「そういえば名前、あっちのご飯はどうだった?口に合った?」



『美味しかった。』



「そう。よかった。でも、ちゃんと食べてたの?なんだか痩せたんじゃない?」





そう言いながら、母親は眉を顰める。

名前の方は目をぱちくりさせて、自身の体を見下ろした。





『…そうかな。』





首を傾げる。
ホグワーツでは体重も身長も測っていない。





「背も伸びたみたいやね。」



「髪も伸びたわね。切りに行かなきゃ。」



『…。』





名前は更に首を傾げる。
箸が止まり、考えに耽る。

しかし長くは続かず、食事を再開する。





「ね、名前。名前はどの寮になったの?」





母親がワクワクといった表情で聞く。





『グリフィンドール。』



「グリフィンドール!先生は?」



『マクゴナガル先生。』



「マクゴナガル先生ですって!懐かしいわ!」





きゃあきゃあと子どものようにはしゃぐ母親を、でれでれとした顔で見つめる父親。
名前はいつも通り無表情である。

二人と名前の間には、まるで壁でもあるかのように纏う雰囲気が違う。





「ねぇ、名前。学校の話をしてちょうだい。お友達のこととか、お勉強のこととか、先生のこととか、あと…そう、クィディッチとか!」



『…友達の一人に、クィディッチのシーカーに選ばれた子がいる。』



「まあ!すごい!一年生で!!」



『カメラで撮ってきた。』



「見せて見せてっ!!」





興奮した甲高い声は、食事の間中ずっと続いた。
それは食事を終えてもしばらく続いていたから、普段喋らない名前は慣れないことで少しやつれたようだった。
畳にうつ伏せに倒れる名前を見て、父親は思わず枝豆を吹き出すところだった。





「い、行き倒れかと思ったやん。」





『お母さんは。』



「あ、え、お…お風呂に行ったよ。」





答えを聞くなり、名前はまたばったり畳に倒れ込む。





「(マイペースなの変わらんなあ…)」





死体のように転がる名前を踏まないように跨ぎ、縁側に座って、お盆も置いた。
ビールのプルタブを引き、ごくごくと中身を飲む。





「良い風や。」





吊り下げられた風鈴が、チリーンと涼しげな音を立てた。





『………お父さん。』



「うん?」





振り返って名前を見る。

静かな空間で、いつもは聞き取りにくい小さな声が、はっきりと耳に届く。





『お母さん、学校好きなのかな。』



「そりゃあ、お父ちゃんと出会った学舎やもん。」





父親なりのボケをかましたつもりだったが、生憎名前からは何の返答もなかった。





「お父ちゃんがスリザリンでな、お母ちゃんはグリフィンドールだった。グリフィンドールとスリザリンって、なんやライバルみたいやん?お互いめっちゃ好きだったんやけど、周りがくどくどうるさくてな。駆け落ちしちゃったんやで。」





懲りずにまたツッコミを待ってみたが、名前は畳に突っ伏したまま微動だにしない。

居たたまれなくなった父親は、静かにビールを飲んだ。





『………お父さん、どうしてヴォルデモートを裏切ったんだ。』



「ブッ!!」





おかしな音に反応してか、名前は体を起こして父親を見る。

父親はゲホゲホとむせていた。





『大丈夫か。』



「…誰に聞いた?」





父親が振り向いて問う。
若干涙目だった。





『ヴォルデモート。』





父親は長い溜め息を吐いた。





「…そうや。でも、違う。」



『……違う、』



「うん。言い訳に聞こえるかもしれないけど、お父ちゃんは元々、ヴォルデモートに従うつもりは一切なかったよ。だから裏切ったった。」





メキ、と、音がした。
父親の持つ缶ビールからだった。
缶ビールは歪にへこんでいた。





『じゃあ、どうして、部下に。』



「魔法でな。」





沈黙が包む。

ジージーと蝉が鳴き始めた。
いつの間にか風が止んで、風鈴の音も止んでいる。

名前は寝そべったまま腕を伸ばし、扇風機を点けた。
生温い風が髪を吹き上げていく。





「ごめん。名前。」





言い放たれた言葉に首を傾げる。

だが言った本人は背を向けているので、いくら名前が不思議そうに瞬きを繰り返しても、分かるはずがないのだが。





「話は全部ダンブルドアから知らされてる。痛かったやろ。ごめんな。不甲斐ないなあ。」



『…』



「でも、約束するで。お父ちゃんが守ったる。絶対や。もう怪我なんかさせるかい。大事な子なんや。絶対、守ったる。」



『ありがとう。だけど、俺は大丈夫だ。』



「うん?…」





父親は振り向いて、怪訝そうな顔をした。
だが振り向いた先に名前はいない。

首を捻っていると、台所の方からラムネを持った名前が現れた。





『ヴォルデモートはまだ、きっと、生きている。』





縁側までやって来ると、名前は父親の隣に静かに座った。

空いた手で扇風機を側に引き寄せる。





『強くなる。だから、大丈夫。』





ポン、と音を立ててラムネの栓を開けた。
ビー玉が底に沈んでいく様を、名前の両目が追っていく。





「あれは簡単に倒せる相手と違う。」





低い、厳しい声音だった。

咎める目が名前を突き刺す。





『きっとまた戦うことになる。』



「せやから、お父ちゃんが守るって。」



『駄目だ。』



「何で?」



『お父さんだけじゃ駄目だ。』



「お父ちゃんが弱いって言うんかい。」





声は一層低くなった。
目付きが鋭くなり、視線で人を殺せそうなくらいだ。

名前は俯き、ラムネの瓶を握る。
そして、弱々しく何度も首を左右に振った。





『お父さんだけが大変なのは駄目だ。』





父親は驚いたように目を見開いた。





『何かをするためには、…誰かを守るためには、たくさんの知識や、経験とかが、必要だと思う。でも、…俺は知識も経験も力も、何もない。』



「………」



『今の俺じゃ駄目だっていうのは、分かる。だから、お父さん。俺がお父さんと一緒に戦うために、…そうすることができるように必要なことを、教えてほしい。』





父親はしばらく石像のように固まった。

やがて動き始めると、視線をあっちこっちに泳がせた。

空になった缶を手持ち無沙汰に触り、落ち着かなさそうな様子だ。

父親の一挙一動を、名前はじっと見つめている。





「一朝一夕で強くなれるわけやないんやで。」



『わかっている。それでも、俺には必要なことだ。』





素早い切り返しに、父親は閉口したようだった。





「わかった。教える。そのかわり、投げ出したらアカンで。お父ちゃんと約束、できるか?」





名前は力強く頷いた。
父親は枝豆を次々に口に放り込む。
まるでやけくそのようだ。





「早速、明日からでも始めようや。杖はある?」



『……魔法は禁止されてる。』



「バレなきゃ大丈夫。」





父親はニヤリとした笑みを名前に向けた。

それまでの不機嫌そうな顔は消え去り、それは悪巧みをする悪戯っ子のようだった。

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