20.
カチリ、
カチリ、
時を刻む音に反応したように、閉じられた瞼がピクリと動いた。
ゆるり、血の気のない瞼が持ち上がる。
光を吸い込む瞳はぼんやりと天井を見つめ、眩しそうにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
『………』
高い天井。
白いカーテン。
鼻にツンとする薬品の匂い。
名前は、ここが医務室だということをようやく理解する。
『………』
ベッドの中で身動ぐ。
重たい腕を引きずり出して、乾いた掌を眼前に持ってきた。
両手首には、取り換えられたばかりのような、真っ白い包帯が丁寧に巻かれていた。
名前はそれをじっと見つめる。
憂いている―――ようにも、第三者がいたら、そう見えたかもしれない。
名前は相変わらず無表情であったが。
そうしていると、サッとカーテンが開かれた。
開かれた隙間から、にゅっとダンブルドアの顔が現れる。
目をぱちくりさせている名前を見ると、ダンブルドアはにっこりと微笑んだ。
「目が覚めたようじゃの。」
『…』
「おはよう、ナマエ。」
『…おはようございます、ダンブルドア校長先生。』
体を起こし、ぺこりとお辞儀をする。
「うむ。座ってもいいかの?」
『はい。』
ダンブルドアは備え付けのチェストに立て掛けてあったパイプイスを組み立て、そこに座った。
「紅茶でも飲みながら話をしよう。先日良い茶葉が手に入ってのう。」
『、…。』
「今日の茶請けはクッキーじゃ。ほれ、遠慮しないで食べなさい。」
『あ…ありがとうございます。』
ダンブルドアが杖を一振りすると、ぱっと空中にカップやポットが現れた。
見上げた名前がはふ、とため息をもらす。
―――見慣れた光景ではあるけど、魔法ってやっぱりすごいなあ―――
と、思ったのかはわからないが、窓から射してくる光を受けた瞳は、いつもとは違いきらきらと輝いていた。
受け取った紅茶を一口飲むと、わずかに名前の顔が綻んだ。
ダンブルドアも紅茶を飲んで、にっこりと笑う。
「うむ。やっぱり美味しいのう。」
『………』
こくり、頷く。
ダンブルドアはクッキーを摘みつつ、
「君が眠っていた日数は三日じゃ。思っていたよりも元気そうで安心したわい。」
『………ダンブルドア校長先生、』
パクパククッキーを食べるダンブルドアを見つめる。
「ん?…ああ。大丈夫じゃ。心配せずとも。」
『………』
「君の分のクッキーは残しておくからの。」
『!…!?……』
ぶんぶん頭を左右に振る。
『先生、…』
「なに、冗談じゃ。いや、クッキーは残しておくがの。
ナマエよ、気になることがあるのじゃろう。」
『…はい。……』
「さて、何から話そうかの。」
ダンブルドアは長い髭を撫で、少し考えるように黙った。
『……ダンブルドア校長先生、…』
「何じゃ?」
『ハリーは…先生は、…
クィレル先生は、無事なんですか。』
「無事じゃよ。ハリーはまだ眠ってはいるが、順調に回復しておるよ。
クィレル先生は…」
そこで一旦言葉を切った。
黙り込んだダンブルドアを見つめ、名前は唇を一文字に結ぶ。
カップを包み込むように持った手は、真っ白に見えるくらい血の気が失せていた。
『…アズカバンに、行ってしまったんですか。』
「…そうじゃな。その可能性もある。」
『……』
「今は魔法省で裁判中じゃ。どうなるかはわからん。じゃがな、ナマエ。クィレル先生は償いたいと言っているそうじゃ。」
頭に重みがかかった。
見上げると、ダンブルドアが優しい笑みを浮かべて名前を見つめていた。
名前の頭に置かれた、ダンブルドアのシワだらけの大きな手が、ゆるり、ゆるりと、髪を撫でていく。
「驚いたかの?」
『……はい。』
「わしも、その話を聞いたときは驚いた。クィレル先生の心は、もう取り戻しようがないくらい闇に染まっておったからのう。
何故クィレル先生は、そう言ったと思う?」
『わかりません…』
「君はよくクィレル先生と個人授業をしていたじゃろ?」
『え、…は……はい。』
「君と触れ合っている内に、どうやらクィレル先生の中に迷いが生じらしい。」
『…迷い、…ですか。』
「そう。君を傷つけることが心苦しかったのじゃ。」
『………』
「ハリーが君と"石"を守ろうと、とても頑張った。わしが君達を見つけたときは、とても危ない状態じゃった。あのまま続けておったら、危うく死ぬところだったじゃろう。ハリーとクィレル先生、二人とも…。」
『…』
「…じゃが、君がそれを止めた。そして、助けた。それが決定的だったのじゃ。」
『…何を確実なものにしたのですか。』
名前は首を傾げる。
ダンブルドアはにっこりと笑う。
「クィレル先生の心に光を取り戻したのじゃよ。」
『……』
目をぱちくりとさせるだけの名前を放って、ダンブルドアは続ける。
「"石"も無事じゃ。もう壊してしまったがの。」
『……壊して良かったのですか。あれを壊してしまったら…』
「"石"の持ち主と相談して決めたことじゃ。快く了承してくれた。」
その言葉を聞き、少し名前の顔つきがやわらぐ。
見た目はいつもと変わらず無表情であったが、ダンブルドアはその些細な変化に気付き、にっこりと笑って、また頭を撫でた。
「ふむ、食べとらんな。甘いものは嫌いかの?」
『、…いいえ。いただきます。』
「うむ。たんとお食べ。」
数種類のクッキーが乗った大皿を持ち上げ、ダンブルドアは首を傾げた。
その様子が少し悲し気に見えたのか、名前は言葉に詰まりながら慌てたように頭を振り、そろりと手を伸ばした。
とたんに、ダンブルドアの顔はしわくちゃになる。
さくり。
さくり。
名前は味わうように、ゆっくりとクッキーを食べた。
『…ヴォルデモートは、』
ぽつり、小さな声。
ダンブルドアは名前を見た。
『きっとまだ生きている。…
また目の前に現れる気がします。俺は…見たんです。クィレル先生の体から、人の顔をした黒い煙が出ていくのを、…
見たんです。』
人に冷たい印象を与える瞳は、摘んだクッキーを見据えている。
「今のヴォルデモートの体は霞のようなものじゃ。だが、侮ってはならん。
そうじゃの。君の思うた通り、今頃、乗り移る体を探していることじゃろう。」
『また現れたとき…そのときは、』
「人によっては、逃げる選択もあるかもしれんの。
じゃが、戦うことになるじゃろう。」
『………』
「ナマエ、今は休みなさい。
今は、忘れるのじゃ。」
『……はい。』
こくり、頷いて、名前は紅茶を飲み干した。
『ダンブルドア校長先生。紅茶とクッキー、ごちそうさまでした。ありがとうございました。』
「うむ。口に合ったかのう?」
『はい。美味しかったです。』
「そうか。」
ダンブルドアは本当に嬉しそうに、にっこりと笑った。
「そうじゃ。ナマエ。普段も暇があればわしの部屋に来ると良い。またお茶をしよう。校長といっても寂しいものでのう。いつもひとりぼっちじゃ。生徒と話がしたくてのう。どうじゃ?」
『はい。俺も、話がしたいです。』
真っ直ぐダンブルドアを見る名前の瞳は、時折強く光を反射した。
きらきらと輝いた切れ長の目は、いつもよりずっと目付きを鋭く見せた。
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