12.


「禁じられた森」の中へ降り立つと、名前はすぐさま周囲の気配に神経を集中させた。
多分クィレルもそうしただろう。
名前は悪意を察知して警告する「鈴」を所持していたし、暗闇でも生気を認識出来る「目」も持っていたから、より確かな安全を確認出来る。
だからまずは身の安全を確保して、クィレルを安心させようとした。
クィレルは自身の身を守りながら、名前も守るという重責を負っていたから、その不安を少しでも和らげたかったのだ。

鈴の警告音は聞こえなかったが、辺りには彼方此方に生気の痕跡が散らばっていた。
動物か、人間か、もっと大きな生き物か。
大小様々な痕跡だ。
森の中は夜空よりも濃い黒色に染まっていて、傍目には足の踏み場が分からない。
しかしこの生気の痕跡が道筋となり、名前の目にはハッキリと見えていたのだ。

風も無いのに、ザワザワと木々の葉が擦れ合う。
その擦れ合う音に混じり、微かに破裂音が聞こえる。
校庭方向から戦いの音が響いているのだろう。
警告音は聞こえない。
どうやら周囲に敵はいないようだ。





『近くに敵はいないみたいです。慎重に先へ進みましょう。』



「明かりは点けないのですか?」



『見つかりやすくなってしまいますから、なるべく点けない方が良いと思います。道は分かりますから、俺に付いてきてください。
……はぐれるかもしれませんし、手を繋ぎますか。』



「うーん……君の手が塞がるのは良くないですから、服の裾を掴ませてもらっても?」



『いいですよ。』





暗闇の中で伸ばした手を彷徨わせ、クィレルは名前の服を掴むのに苦労していた。
名前はその手を難なく捉えると、自身の服の裾に誘導する。
服の裾をしっかり掴んだところで、二人はようやく歩き始めた。

早くハリー達の元へ駆け付けたい焦りはあったが、認識出来るとは言え足場の悪い森の中を走る事は中々に危険だ。
認識出来る名前は兎も角として、認識出来ないクィレルは更に危険である。
それに無闇に音を立てるのも良くない。
焦る気持ちを押さえ付けて、慎重に歩くしかないのだ。
二人は黙って歩みを進めた。

長年降り積もり重なった落ち葉は湿っており、苔むした地面も相まって、油断をすれば足を取られて滑りそうだった。
幸いと言うべきか、湿っているせいか派手な音は立てないけれど。
小枝は乾いてはいなかったが、それでも踏みしめるとパキパキと特有の音を立てた。

ざわめく木々の葉。
風は吹かない。
歩く二人の衣擦れの音と、小枝を踏む音。
次第に近付いてくる戦闘の音。
やがてそれらの音に、別の気配が加わった。
五月初旬の夜気より冷たい、痛い程に肌を刺す冷気だ。





『……』





吸魂鬼だ。瞬時に察知した。
杖を固く握り締め、構えたまま足を速めた。
悲鳴のような女性の声が聞こえる。
何か叫んでいる。





「ハリー、早く!」





ハーマイオニーの声だ。
進む足を止めずにそう認識しながら、名前は呪文を唱えていた。
杖の先から銀色の閃光が飛び出す。
閃光は空中で瞬く間に形を変えて、四足の獣のような姿になり、名前の前へ前へ、闇の中を駆けて行く。

杖を構えたまま歩を進めると、前方に複数の人の姿が見えた。
その瞬間、銀色の野ウサギ、猪、狐が、名前の守護霊と同時に、前方の人の頭上を飛び越えた。

守護霊の光に照らされて、人々の姿が顕になる。
ハリー、ロン、ハーマイオニー。
そして守護霊を作り出した、ルーナ、アーニー、シェーマスだ。





「それでいいんだよ。」





守護霊で吸魂鬼を追い返しながら、ルーナがハリーにそう言った。
銀色の光に照らされたハリーの顔色は、光の色のせいか、紙のように白く見えた。





「それでいいんだもン。さあ、ハリー……ほら、何か幸せな事を考えて……。」



「幸せな事を?」
ハリーの声は掠れて、微かに震えていた。



「あたし達、まだ皆ここにいるよ。あたし達、まだ戦ってるもン。さあ……。」





ハリーは今にも倒れてしまいそうな顔色で、それでも杖を構えた。
そしてとても幸せな事を考えているとは思えない表情で、何とか守護霊を作り出した。
ハリーの杖先から銀色の牡鹿が飛び出して、名前達の守護霊と共に吸魂鬼の群れを蹴散らしていく。
瞬く間に吸魂鬼は煙のように掻き消えて、それとともに冷気も去り、五月初旬の夜気が元通り辺りに戻った。
まだ周囲に戦いの音は響いていて、ちっとも安心出来る状況ではない。
けれど少しだけ安堵した様子で、ロンが此方を見た。





「助かった。君達のおかげだ。
もう駄目かと───」





名前の耳に鈴の警告音が響いた。
周囲に素早く視線を走らせると、禁じられた森の闇の中に、巨大な生気のシルエットが見えた。
確認するとほぼ同時に、低く大きな咆哮が、名前の身体全身をビリビリと振動させた。
まるで自身が太鼓にでもなったかのようだった。





「逃げろ!」





現れた巨人の咆哮に負けないぐらい、大きな声でハリーが叫んだ。
言われる前に全員動き出していたけれど。
地面を蹴ってその場を離れた数秒後、大地が一瞬グラリと揺れた。
走りながら振り向くと、今までいた場所に、巨人の足が踏み下ろされていた。





「届かないところまで離れろ!」





ロンの叫び声は巨人の咆哮に掻き消されそうだった。
まるで巨人は我を忘れたように、見境なく棍棒を振り回している。





「暴れ柳だ。行くぞ!」





ハリーの指示に従って、名前、ロン、ハーマイオニーの三人が後に続いた。
名前は周囲に目を走らせる。
ルーナ達の姿は無い。戦いへ戻ったのだ。
鮮やかな赤と緑の閃光が飛び交う、一見すると美しい戦地へ向かったのだ。

では、クィレルは?
クィレルの姿が見えない。
いつの間にか姿を消している。
予知夢の内容を知っているから、対策は立てているはずだ。
傷付いて倒れているとは思えない。と言うよりも、名前がそう思いたくなかった。
一体クィレルはどこへ行ったのか?
不安が身体に纏わりついて、駆ける足を重くする。

それでも名前は走った。
ハリー達と共に闇に紛れ、全力で走った。
闇の中では距離感が掴みにくい。
冷静な精神状態ではない事も拍車をかけていた。
長い間走ったようにも思えるし、あっという間だったようにも感じる。

だが何はともあれ、「暴れ柳」には辿り着けた。
名前の後に到着したハリーが、肩で息をしながら、真っ直ぐ「暴れ柳」を見据えて、名前の隣に立った。
その後バラバラと、ロンとハーマイオニーが追い付いた。





「どう───どうやって入るつもりだ?」





必死に細かく呼吸を繰り返しながら、ロンは声を絞り出した。
「暴れ柳」の根元のトンネルへ潜り込むには、「暴れ柳」を落ち着かせる必要がある。
落ち着かせる為には「暴れ柳」の根元の瘤に接触する必要があるのだが、今のように枝を振り回すままでは、とても近付けない。





「その場所は───見えるけど───クルックシャンクスさえ───いてくれれば───」



「クルックシャンクス?」
苦しそうに胸を押さえながら、ハーマイオニーが言った。
「あなたそれでも魔法使いなの!」



「あ───そうか───うん───」





その一言で何をすべきか思い付いたらしい。
ロンは素早く周囲を見回し、地面に落ちている小枝に杖を向けた。





「ウィンガーディアム レビオーサ!」





小枝は意思を持ったかのように地面から飛び上がると、風車の如くクルクルと回転した。
そして鞭のようにしなる暴れ柳の枝を次々と掻い潜り、暴れ柳の幹を目指して矢のように一直線に向かった。
小枝は見事狙いの瘤を一突きし、暴れ柳は忽ち暴れるのを止めた。
今はまるでただの樹のように静かだ。





「完璧よ!」



「待ってくれ。」





少しだけ回復したハーマイオニーが力一杯賛辞を贈ったが、ハリーは硬い声で皆を止めた。
見ると、ハリーも此方を見ていた。

無表情に近い強張った顔で、それでも瞳は雄弁だ。
何かとても沢山の言いたい事があるのだろう。
不安そうで縋るような、疑念を抱いているような。
願いと迷い、期待と恐怖を滲ませて、名前をじっと見詰めている。

それは数秒にも満たなかったけれど、ハリーは多くの言葉を飲み込んだ。
そして口を開いた。





「ナマエ、僕は正しい事が出来ているのかな?」





目の前に立つ名前は、本当に名前本人なのか。
どうして危険な戦場の真っ只中にいるのか。
未来はどうなるのか。
何をしたらこの戦いを終わらせられるのか。
自分の導き出した考えが、行動が、正しい事なのか。

多分ハリーは、こういった事が聞きたかったのだろう。
けれどそんな時間は無いから、最小限の事を聞いたのだ。

名前は少しだけ考えた。
最小限の言葉で、どうしたらハリーの力になれるか。
それからコクリと頷いた。





『自分を信じて。正しい道を進めているよ。』





生憎名前は口下手で多弁でもない。
しかしそこに胡座をかいているわけではなく、自分なりに言葉を選んで、そう返事をした。
名前が本人であると証明出来ていない以上、今の言葉でハリーの背中を押せるかどうかは分からない。
名前本人だと信じてくれていても、この言葉だけで十分かどうかも分からない。





「行こう。時間が無い。
ハリー、僕達も行く。兎に角入れ!」





ロンがハリーの背中を押して、樹の根元のトンネルに押し込んだ。
続けて名前が、ハーマイオニーに押されてトンネルを潜った。

中へ入ると、ハリーが杖に灯りを点けていた。
トンネルの道はとても狭くて、這うしかない。
息が詰まる空間だ。
名前達四人は黙ってトンネルを進んだ。
話していたら全ての酸素が無くなるような気がした。

やがてトンネルが上り坂になった。
地面に触れる掌が傾斜を認識していた。
ハリーの肩越しに、細長い明かりが見える。
すると、後ろから踵を引っ張られた。





「ナマエ、『コレ』をハリーに!」





ハーマイオニーの囁き声だ。
方向転換は難しいし、名前は後ろに手を向けた。
その手にすぐさまサラサラと手触りの良い布が押し付けられる。
その布を握り締めて腕を前に引き抜くと、そのままハリーの足を叩く。





『ハリー、『マント』を着て。』





ハリーは名前に叩かれた辺りを後ろ手に手探りした。
その手にマントを掴ませる。
ハリーは腕を前に引き抜いて、丸められたマントを広げると、四苦八苦してそれを被った。
途端にハリーの姿は見えなくなる。
ハリーが杖の灯りを消す呪文が、微かに名前の耳に届いた。

目の前には誰もいないように見えるけれど、地面を擦る足音が聞こえる。
ぶつかる不安はあったが、だからといってゆっくり進むわけにもいかない。
先程のスピードで、先程よりも慎重に、四人はトンネルを進んだ。

しばらくして、トンネルの中に抑揚のある音が聞こえてきた。
耳を澄ます。
話し声だ。
名前は心臓の音が早くなるのを感じた。
その話し声が誰のものか分かっていたからだ。

微かに地面を擦る足音が聞こえてきた。
ハリーは前進を止めなかった。
名前も慎重に、しかしギリギリまで、トンネルの出口に身を寄せた。





「……我が君、抵抗勢力は崩れつつあります───」



「───しかも、お前の助け無しでもそうなっている。」





声は明瞭に耳へ届く。
低い声と冷淡な掠れた声。
そこにいるのが事前に誰か分かっていたのに、その声をハッキリと耳にした途端、名前の鼓動は更に激しくなった。
目眩がする。
心臓に直接耳を当てているかのように鼓動の音が聞こえる。
自身の首筋に走る太い血管が脈打つのが、手で触れずとも分かるほどだ。





「熟達の魔法使いではあるが、セブルス、今となってはお前の存在も、大した意味が無い。我々はもう間もなくやり遂げる……間もなくだ。」



「小僧を探すようにお命じください。私めがポッターを
連れて参りましょう。我が君、私なら彼奴を見付けられます。どうか。」





気が付くと胎児のように体を丸めていた。
押し寄せる恐怖と不安から身を守る為に、知らず識らずの内にそうしてしまったのだろう。
縮こまっている場合ではない。
強張る体を無理矢理伸ばす。
再びトンネルの出口を見据えた。
いつでも飛び出せるように、前のめりで地面に手を突く。
何かに触れていなければ、勝手に手が震えてしまう。





「問題があるのだ、セブルス。」



「我が君?」



「セブルス、この杖は何故、俺様の思い通りにならぬのだ?」





何て事ない、至って落ち着いた声音だ。
しかしそこには明確な怒りと苛立ちが含まれていた。
その感情に、この場に居合わせた全員が気付いた事だろう。
ヴォルデモートの感情と共鳴してしまうハリーは勿論。
その言葉を向けられた当人であるスネイプは、特に感じたはずだ。

自身に敵意が向けられている事。
適切な言葉と行動とタイミングがどれも噛み合わなければ、ここで殺されかれない事を。

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