11.


夢を見た。目前に迫った最終決戦の夢だ。
何度も繰り返し見てきた夢は、見る回数が増える度に、少しずつ先の展開が明かされて進んでいく。
どのような結末を迎えるのか。
正直なところ、名前は今の今まで知らなかったのだ。
そして先程、結末を見た。




『……』





夢から覚めると、目の前は暗かった。
恐怖に圧倒された脳がパニックを起こしているらしく、名前は一瞬ここがどこだか分からなかった。
心臓が早鐘を打ち、鼓動が耳の中で響いている。
周囲の景色も音も分からない。
混乱した頭を必死に動かして、直前の自身の行動を思い出す。

自分は眠った。そして夢を見た。今は目が覚めていて、だからベッドに横たわっているはずだ。
答え合わせをする為に、名前は周囲の情報を取り入れようと、目と耳を凝らした。
瞬きを堪えてじっと目を開け続ける。
耳の中ではうるさく鼓動が響いていて、音の情報を得るのは難しい。
兎に角闇を見据えた。

すると次第に闇に慣れた目が、やがて天井の木目模様を捉えた。
眠りに落ちてからどれくらいの時間が過ぎたのかは分からないが、未だ部屋には夜の帳が下りている。
耳を澄ますとクィレルの規則的な寝息が聞こえてきた。
ここは確かに寝室だ。





『……』





無意識に止めていた息を吐いた。
思ったより長い間止めていたらしい。
まるで水中から上がったかのように、夜の空気は新鮮に肺を満たす。
空気を吸い込み、自身の身体はぎこちなく膨らんだ。
上手く呼吸が出来ない。
体中の筋肉が縮こまり、固く締まっているようだ。

恐ろしい夢を見たせいで、体に力を入れてしまったのだろう。
緊張を解したくて手を動かそうと試みるが、油の切れた機械のように動きが悪い。
まるで金縛りにあっているかのように動かない。
動かそうとすればするほど、焦りが生じて鼓動が大きくなる。
早々に諦めて深呼吸に徹した。
それしか自身を落ち着かせる方法が無かった。

カーテンレールの隙間から差し込む仄かな光が、暗い部屋を照らしている。
黒のグラデーション。
じっと眺めていると、家具のシルエットが僅かに浮かび上がる。
微かに見える壁の模様が、蚊柱のように蠢いて見える。
闇と影の重なりが、頭の中でありもしない存在を形作る。
どれも錯覚だ。
恐怖でモンスターを作ってしまっているのだ。





『……』





瞼を閉じると、夢の光景が浮かび上がる。
瞼を開ければ、いもしない怪物が見える。
どれも現実ではない事は分かっている。
夢の内容が予知夢だとしても、まだ現実には起きていない。
スネイプの死は───今起きた事ではない。
最終決戦の最中の出来事のはずだ。

予知夢を見ている時、それがどんな光景であれ。
目を瞑る事も、耳を塞ぐ事も、途中で目覚める事も出来ない。夢から逃れる術は無い。
人が死ぬ夢を見るのは初めての事ではない。
名前にとって思い入れのある人物が死ぬ夢を見る、これも初めての事ではない。
それでも、これ程までに感情を揺さぶられてしまう。

最後の戦いの中で、多くの人が死ぬ事は予知していた。
ラベンダー・ブラウン、コリン・クリービー、トンクス、ルーピン、フレッド、ドビー……。
彼らは特に名前にとって親しい人々だ。
彼らの死を予知する度に複雑な感情を募らせた。
悲しみ、恐怖、絶望、後悔、罪悪感……。
様々な感情が泡のように膨れ上がり、纏わり付いて離れない。

それでもどうにか前を向いて未来に臨めるのは、ムーディとヘドウィグの存在が希望としてあったからだ。
詳しい仕組みは解明していないが彼らは、名前の渡した鈴によって蘇生した。
鈴によって蘇生するのなら、鈴を手渡したラベンダー達は蘇生が出来るはずだ。
だがスネイプは違う。
スネイプには鈴を渡していない。





『……』





名前は自身の見通しの甘さに失望した。
ダンブルドアと同じ事を繰り返そうとしている。
名前はダンブルドアの力を信じて疑わなかった。
自分よりもずっと物知りで、強くて、経験豊富で、どんなにピンチでもそれを切り抜ける事が出来ると思っていたからだ。
自身の「保険」のようなアイテムなんて必要ない強さを備えている。
むしろそうした「アイテム」は、相手に侮辱と受け取られかねない。
そう思っていた。

しかしダンブルドアは死んでしまった。
名前が無理にでも動けば死は防げたかもしれない。
この暗い現実もダンブルドアがいれば、少しは変わっただろう。
名前にとっても、皆にとっても。
けれどダンブルドアはいない。
そしてスネイプの死も決まったようなものだ。

吐き気が込み上げる。
目眩がする。
固く瞼を閉じて、シーツを握り締めた。





『……』





先程見た夢はまだ現実に起きてはいない。
最後の戦いまで少しだけれど時間はある。
何が起こるか分かっているのなら、対策が出来るはずだ。
スネイプを助ける為に、何か出来る事があるはずだ。

助けたい。生きていて欲しい。
その思い一心で、名前の行動は、自己中心的で、自分勝手だと非難されるかもしれない。
そもそもスネイプは生き延びる事を望んではいないかもしれない。
分かっていても行動せずにはいられない。
何もせずに終わりを迎えたら、名前は後悔に覆い尽くされて、きっと自分を保てなくなる。















最終決戦の当日でも、普段と何も変わらない。
シリウスは戦地であるホグワーツに向かう為に、いつものように早くにベッドへ入って、早くに起きて準備をしている。
コテージにいる全員が起きて行動を共にしていたけれど、それも普段と変わらない。
普段と違うのは、皆を纏う空気が、少しだけピリピリしている事。それだけだ。

夜が明けて辺りが白んできた頃、シリウスは一人イギリスへ向かった。
時差の影響で日本は八時間ほど進んでいるから、向こうはこれから夜中を迎えるだろう。
シリウスを見送った名前は寝室に戻り、計画に向けて準備を始めた。

ここ数日間、名前がコソコソと動き回っている事は、おそらく誰かしらにはバレているだはずだ。
筆頭はムーディ。それか全員かもしれない。
しかし誰も何も言わなかった。
バレていない?そんなはずはない。
きっと名前を止めるタイミングを見計らっているだけだろう。





『……』





息を潜めて入念に準備をする。
きっと激しく動き回るだろうから、動きやすい服装に着替えた。
伸びた髪をどうするか悩んだ末、結局一纏めにして高く括った。
荷物は最低限だ。
杖に……解毒剤に……血液補充薬に……。

あの予知夢で見た限り、スネイプの死因は失血死と考えられる。
ヴォルデモートの蛇が持つ毒は、傷口を塞がらないようにする効果があったはずだから、死因は毒とも言えるが。
しかし蛇に噛み付かれた場所が悪い。
名前は医者ではないから詳細は分からないが、それでも首筋に走る血管が傷付けられれば、大量の血が流れ出る事は予想出来る。
毒が無くても数分で失血死に至るのではないだろうか。

対策を考えていると嫌でもスネイプの姿が思い浮かぶ。
とめどなく血を流し、瞬く間に色を失っていく肌。
死にゆく姿が脳裏に焼き付いている。
現実にはしたくない。





『……。』





寝室のドアをじっと見る。
まるで透視でもするかのように、ドアを隔てた向こう側の気配を探る。
誰かの話し声が微かに聞こえてくる。
今こそタイミングかもしれない。

名前はスニーカーを持って、忍び足で窓へ向かった。
静かに鍵を開けて、次は慎重に窓を開ける。
音を立てないように窓を乗り越えて、片足ずつ地面に降り立つ。
開いた窓を出来る限り閉めながら、チラリと寝室のドアを見た。
開く気配は無い。
急いでスニーカーを履いて、提灯に火を点す。

早く麓へ下りなければいけない。
しかしコテージ周辺を離れるまでは足音を立てるべきではない。
焦る気持ちを押さえ込んで歩を進めていくと、霧の中にぼんやりと人影が現れた。

名前は立ち止まった。
向こうも名前の存在に気が付いているはずだ。
人影が近付いてくる。
名前は懐の杖を握り締めた。





「どこへ行くつもりですか。」





クィレルだった。
名前は一瞬杖を持つ手を緩めたが、再び握り締めた。
細められた金泥色の瞳が、包帯の隙間から、じっと此方を見据えていたからだ。

名前は答えなかった。言葉に詰まっていた。
素直に答えて通してくれるとは思えなかったからだ。
今回はムーディやヘドウィグの時とは違う。
戦場の真っ只中へ潜り込むのだ。

名前は予知能力を備えている。
たとえ戦いの最中でも、名前の予知が戦況を一変させる要因になる。
だから皆で名前を戦いから遠ざけてきたのだ。
もしも名前が敵方に捕らわれでもしたら、今までの積み重ねは全て無駄になってしまう。
ここを通してくれるはずがない。





「すみません、意地悪な質問をしてしまいましたね。
ホグワーツで戦っている誰かを、助けに行きたいのでしょう?」



『……』



「セブルス・スネイプを助けたいのでしょう?」





名前はクィレルの瞳を見詰めた。
その視線の意味を、クィレルがどう受け取ったのかは分からない。
けれどクィレルの瞳は、責めるような鋭さは無くなり、沈んだような暗さに変わった。

コテージにいる者は、戦いの結末を知っている。
予知夢を見て、スネイプの事は話さざるを得なかった。
ダンブルドアの殺害やハリーとの因縁。
おそらく騎士団の誰にとってもスネイプは注視しておきたい存在だろうから。
そして名前がスネイプに特別な感情を抱いている事は、クィレルだけが知っている。
こうなる事は予想していたのだろう。

クィレルはシリウスに杖を取り上げられているはずだから、何か魔法を放つ事は出来ない。
本当に対話で名前を引き留めるつもりだ。
しかしもし今ここでクィレルが大声を出せば、コテージにいるムーディとバーベッジが飛んでくるだろう。
ムーディもシリウスに杖を取り上げられているはずだが、バーベッジは携帯している。
杖を持たない男性二人、杖を所持する女性一人。
傷付けずに切り抜けられるだろうか?





「ミョウジ、君は大勢の人の未来を背負っている。今君がしようとしている事で全てが無駄になるかもしれない。分かっていますね?」



『……はい。』



「分かっているなら、何故たった一人を───それも敵対している人物を助ける為に、大勢の人の命を危険に曝すのですか?
もしかしたらその一人を救えないどころか、全員が死んでしまうかもしれない。
せっかく勝利を約束されているのに、どうして壊すような事をするのですか。」



『分かっています。分かってはいますが、……大勢が助かっても、その人がいないのなら、俺はずっと後悔して……死んだように生きる気がするのです。』





クィレルは言葉を失くして、ショックを受けたように目を見開いた。
そして泣くのを堪えるかのように目を細めた。





「君は一人じゃない……。」



『そうですね、有り難い事に……
でも、誰かと一緒にいても元通りにはならないのです。』



「……」



『ダンブルドア校長先生が亡くなった時、俺はすごく後悔しました。今もです。
……
ダンブルドア校長先生は強い人だから、俺が見た予知夢を伝えれば、きっと覆ると思っていました。でも変わらなかったのです。』



「……」



『俺が動かなかったばっかりに、ダンブルドア校長先生は死んでしまったのです。
俺は知っていたのに。』



「……」



『同じ事を繰り返したくはないのです。だから、』



「もう結構です。」





クィレルは片手を力無く振って、名前の言葉を遮った。
そして懐から杖を抜いた。
てっきりシリウスが預かっていると思っていた名前は、その杖を見て身を強張らせた。





「ブラックが私に持たせたのです。君の助けになるようにとね。」



『……』



「時間がありません。早くホグワーツへ向かいましょう。」



『…………』





話が飲み込めない。
名前はクィレルを見詰めた。





『いいのですか。
クィレルさんまで……』



「良くはないですよ。しかし君の選択を、誰かが決められるものではない。君の人生に関わるのなら尚更に。」



『……』



「私はね、ミョウジ。君と共にいると決めたのです。そして君の選択が上手くいくように支えとなり、補助をする。
それが大人としての役目でしょう。」



『……俺も大人ですよ。』



「一応はね。つい数ヶ月前までは未成年だったじゃないですか。それを差し置いても……私の方が年長者である事は変わりありません。」





それはそうだと名前は頷いた。
改めてクィレルを見詰める。





『ありがとうございます、クィレルさん。』



「お礼を言うのが早いですよ。
さあ、本当に時間がありません。ホグワーツへ向かいましょう。」



『はい。』





よく見ればクィレルの格好は、普段よりも少しだけ動きやすそうな服装だ。
元々名前に付いていくつもりだったのかもしれない。
名前の胸中に感謝と罪悪感が湧き上がった。
口を開いたら感謝と謝罪の言葉が出て来そうになり、名前は唇を真一文字に引き結んだ。

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