10.


そうして一ヶ月が経過して、何とかお札と提灯が形になるまで仕上げられた。
お札が四枚、提灯が一つ。それを二セットだ。
自身の胸中に湧き上がる不安と戦いながら仕上げたそれらは、見た目だけなら遜色ない出来栄えだ。
しかし重要なのは効果である。

今日は効果を確かめる為に、シリウスに同行を頼み、別の山まで足を運んだ。
一ヶ月間取り組んだ自身の行為が正しかったか無駄だったか、これでハッキリする。
知りたいような、知りたくないような、複雑な気持ちが名前の胸中に渦巻き、道中いくらシリウスに話し掛けられても言葉少なだった。





「ここだ。」





先頭を歩いていたシリウスが立ち止まり、此方に振り向いてそう言った。
名前も足を止めて周りを見渡す。

辿り着いたのは、小さな沼がある開けた平地だ。
効果を検証する為の目的地はあらかじめシリウスが探した場所で、安全かどうか確かめる為に何度か足も運んでいる。
シリウスは安全だと判断したのだろう。
下調べはバッチリのはずだ。





『お札を使うと霧が発生しますが、視界が不明瞭な時に水場は危険ではないですか。』



「ああ、それも含めて確かめたいんだ。」



『……何を確かめるのですか。』



「霧が発生した時に、この沼がどうなるかだ。」



『視認しにくくなる、という話ではないのですか。』



「それは勿論確認するさ。私が気になる事は、沼からも霧が発生するかどうかだ。
ナマエ、見たことないか?冬の初めの頃、川や湖沼で霧が発生しているところを。」





そう言われて記憶を遡ってみる。
殆ど毎日ホグワーツの周囲で走り込みをしていたので、情景を思い出すのは造作無かった。





『見たことがあります。』



「紅茶の上に湯気が立ち上るのと同じでな、あれは温かい水面に冷たい空気が流れ込んで発生する。
季節が進んで水温が低くなると発生しにくくなるんだが、今はまだ暖かい。」



『……』



「その札を使う時はどういうわけか、周囲の気温が下がるだろう。寒いってほどじゃないが……
だがもし水場に影響を与えて霧が発生するなら、更に濃い霧になる。ますます視界が悪くなるだろう。
身を隠す人々が水場に気が付かず事故が起きる可能性もある。だから確認したいんだ。」



『それは確かに、確認する必要がありますね。』



「ああ。それと念の為に、コテージ周辺の敷地内と同等の広さを選んだが……」





言いながらシリウスはグルリと辺りを見回した。
名前もつられて辺りを見回す。
コテージ周辺の敷地内の広さは、建造物が邪魔をして正確な広さはパッと見ても認識出来ない。
それでもシリウスは騎士団の任務に務めながら、その合間を縫って検証にもってこいの場所を見つけ出し、しかも安全確認の為に何度も足を運んでいるのだから、恐ろしい体力の持ち主である。





「ナマエ。どうだ?君が作った結界の効果は、コテージのものと同じ広さに有効か?」



『ええと…………
ごめんなさい。有効な範囲を想定していないので、分からないです。それにそもそも、効果があるかどうか……』



「自信を持て。きっと上手くいくさ。
さあ、まずはコテージの広さを想定して札を設置しよう。いや、拠点を定める事が先か。」



『そうですね。提灯が案内する先を決めないと、霧の中で迷い続ける事になるかもしれません。』



「ふむ。それが事実なら、敵を閉じ込める手段として使えるかもしれないな。まあそれはさておき、効果を確かめる事が先だ。」





コテージで使用されている案内用の提灯が、どのようにしてコテージを案内先に設定されているのかは、名前には分からない。
兎に角何でも試すしかないので、今いる大まかな住所を紙に書き出し、それを名前作の提灯のつるに括り付け、それで案内先を設定した事にする。

今いる平地は沼と膝丈ほどの草に覆われており、目的地としての目印が無いので、何かしら目印を用意した方が良いだろう。
地面に土の山を作り、丈夫そうな木の棒を差す。
そこに名前が羽織っていた薄手のパーカーを引っ掛けて、簡易的な目印とした。

それからシリウスの指導の元、コテージの敷地内を想定して当てはまる木に札を括り付けた。
一枚、二枚、三枚……。
最後の札を括り付け、シリウスと共に周囲を見回す。
変化が起こるかどうかを待った。





『……』





心臓が早鐘を打っていた。
膨れ上がる不安に意識が飲み込まれそうだ。
変化を見逃さないように周囲を見ていたいのに、フィルターがかかったように視界が霞んでくる。
集中するあまり瞬きを忘れてしまって、眼球が乾燥しているのだろうか?
名前はゴシゴシと目を擦った。





「やったぞ!」





すぐ隣から大きな声が聞こえて、名前は肩が跳ねた。
次いですぐに勢い良く背中を叩かれる。





「霧が出てきた。ナマエ、成功だ!」





弾んだ声でそう言われて、名前は目を擦るのを止めて周囲を見た。
確かに風景が霞んでいる。
ゆっくりとだが確実に霞は濃くなっていく。
名前の目がおかしいのではなく、霧が発生したのだ。
けれど名前の不安は拭い去れない。





『それでは、提灯の効果を確かめましょう。』



「あ、ああ。そうだな。よし、火を点けてみよう。」





シリウスは溢れ出る喜びを押し殺し、冷静に振る舞おうとしている。
だが、笑うのを我慢して口角はピクピクと動いているし、誇らしそうに胸を張っている。
喜びを隠しきれないシリウスの姿を見ていると、名前はますますプレッシャーを感じずにはいられなかった。

畳んでいた提灯に火を点す。
提灯は初めて起動した機械のように一瞬小刻みに震え、やがてゆっくりと回りだした。
その提灯を携え、濃霧の中を慎重に歩む。
そうして辿り着いた。
目印としたパーカーの元へ。





「大成功だ!ナマエ、よくやった!」





ついにシリウスは喜びを抑え切れず、名前に飛び付いた。
まるで愛犬にするように抱き締めて、自分より頭一つ分は高い名前の頭を、めちゃくちゃに撫で回した。
あまりの熱意と積極性に、名前はビックリして動けなかった。

兎に角。札と提灯は目的の効果を発し、アイテムとして使えると分かった。
水場に霧が発生するか、どれくらいの広さまで効果があるか、もう一つのお札と提灯の効果の検証。
時間が許すまで思い付く条件で効果を試し、その後、札と提灯はシリウスに預けられた。














『こんな事を聞いていいのか分からないのですが、』





札と提灯をシリウスに預けて数ヶ月が過ぎた。
あの後シリウスはすぐに、身を隠す人々の為に準備をしたらしい。
名前が札と提灯を作る一ヶ月間の内に、元々物資やテントなどは用意していたようなので、それらを設置して遺体があれば運ぶという作業をしていたのだろう。
遺体の安置や、蘇生した人々を隠す為に、動けるのはシリウス一人しかいない。
だからどうしても自分の身の回りの事は後回しになってしまうので、名前がシリウスの部屋を掃除したりしている。





『その……身を隠している方々は、お元気ですか。』



「シェルターにいる皆か?」



『……
はい。』



「そうだな……」





ベッドに身を横たえたまま、頭の後ろで手を組んで、シリウスはぼんやりと天井を見詰めた。
名前は少しだけその姿を眺めたが、シリウスは考えているようだったので、床の掃除を再開した。





「仮死状態にある者は元気と呼べないだろうな。」



『それは、……』



「だが、他の皆は元気だ。精神的には不安定だが……」



『……』



「君に札と提灯を多く渡された時は不思議に思ったよ。予備かと思った。
だが、違ったんだな。より多くの人を隠す為だった。」



『使ってくださったのですか。』



「ああ。危険な目に遭うと分かっていながら、見殺しには出来ない。」



『……
有り難うございます。』





名前はシリウスから目を逸らし、床を見詰めて静かに息を吐いた。
お札と提灯を多く渡したのは、身を隠す場所を増やす為だ。
一つは蘇生した人々が身を隠す場所。
もう一つは戦いから逃れた人々が身を隠す場所。
用途を使い分ければ、より多くの人々が助かるのではないかと考えたのだ。

お札と提灯を使う避難先に、出入り出来るのはシリウス一人しかいない。
避難先で生活物資を運ぶのはシリウス一人という事だ。
当然負担がかかるし、隠れ場所が増えれば敵の目にも留まりやすくなる。
限られた敷地内。内輪で諍いや裏切りがあれば一網打尽だ。

お札と提灯を使うかどうか、判断はシリウスに任せた。
ずるい考えだとは分かっている。
生死を分ける判断をシリウスにやらせて、名前は責任から逃れたのだから。
心の底から喜ぶ事が出来ない。





「セドリック・ディゴリー。」





床から目を上げてシリウスを見詰める。
今の話の流れとは全く関係が無い名前だ。
彼の身に何かあったのだろうか。
シリウスは先程と変わらず天井を見上げている。





『彼に何かあったのですか。』



「話す機会があってな、彼が君の事をとても気にしている。それで、護衛に付けないかと言ってきた。」



『……俺の、ですよね。』



「ああ、そうだ。セドリックは君のおかげで命拾いしたから、恩を感じているのだろう。
だが闇の陣営から見たら、ナマエとセドリックどちらの力で蘇ったかは分からない。だから私としては、二人が一緒にいるよりも離れていた方が都合が良い。敵を分散出来ると踏んだからだ。」



『……』



「しかし、セドリックが優秀な能力の持ち主なのは確かだ。それで、片方のシェルターを任せる事にした。」



『それは……』



「戦いから逃れた人々のケアを頼んだ。彼の両親も一緒にいるから、三人だな。」



『……鍵となる提灯は一つですが、』



「ああ、セドリック達はシェルターから出られない。承知の上だ。」





承知の上。誰の承知の上だろう。
シェルターに閉じ込められる、セドリック達の方?
騎士団に秘密のままシェルターを管理する、シリウスの方?
それとも双方?

考え込んでいると、ベッドがギシリと軋む音が聞こえた。
反射的にそちらを見る。
シリウスが体を起こして此方を見ていた。





「ナマエ。」





ただ名前を呼ばれただけなのに、シリウスの真剣な面持ちと強張った声音から、これから大事な話をするのだと名前は瞬時に理解した。
緊張で自然と体に力が入り、ゴクリと唾を飲み込んでしまう。





「私は騎士団の一員として、戦えない者を守らなければならない。だから戦う。
だが私の体は一つだ。全員を守る事は出来ない。すると、どうしても優先順位が出来てしまう。」



『……』



「一番は君なんだ、ナマエ。君が敵の手に渡れば、我々騎士団が勝利を収める事はとんでもなく難しくなるだろう。
いくら圧倒的な人数や技術、力や頭脳を持っていたとしてもだ。」





一番が名前。意外な言葉だ。
シリウスはハリーを一番優先すると思っていた。
とても大切そうに接してきたのを見てきたからだ。
騎士団としての責務や作戦、経験を重ねた大人としての振る舞いも、ハリーの為なら後回しになる。
それとも、それだけハリーの能力を信じているのだろうか。





「これまで君の予知は正確に現実となっている。最終決戦が近い事は、当然知っているな。それが現実に起こる。」



『……』



「ナマエ。
戦いの当日、ここに留まると約束は出来るか?」





頭の中を見透かすように、シリウスは目を細めて名前を見詰めた。
基本的には名前は従順だ。けれど衝動的に動いてしまう事が何度かあった。
コテージを出ないという約束を破った前列もある。
どんなに危険だと知っていても飛び込んでしまう可能性が捨て切れない事を、シリウスは良く分かっているのだろう。
シリウスは問い掛けながら、暗に釘を刺したのだ。
名前は言葉に詰まり、つい黙ってしまった。
左、右。目を泳がせて、やがて自身の足元を見てしまう。

どちらも声を発しない。
室内に時計の秒針の音が響いている。
時間が過ぎていくのが分かる。
急き立てるような時計の音に合わせて、心臓の鼓動が早くなっていく。





「約束が出来ないのなら、手荒な方法で君を閉じ込める事になる。」





驚いたのか、警戒したのか。
名前は顔を上げてシリウスを見た。
真剣な表情だ。本気だろう。





「だが出来るだけそれは避けたい。緊急時に君がすぐに動ける状態でいて欲しいからだ。」



『……』



「今は約束に応じて欲しい。もしも破ってしまうと思うのなら、少なくとも衝動的に動くのはやめてくれ。」



『約束を、破っても良いのですか。』



「仲間の危機に飛び出していきたくなる気持ちは分かるさ。私も何度約束を破ったか分からない。」



『……』



「だがナマエ、君は沢山の人々の命綱だ。私もシェルターに住まう人々の為に、戦いに自分の身をなげうつ真似はしない。
冷静に考えて対処して欲しい。約束は出来るか?」





恐らくだが。
これは騎士団の意向ではなく、シリウスの考えだ。
イギリスにいるルーピンも、コテージにいるムーディも知らないだろう。

敵に気付かれず戦地に潜入する事は容易ではないが、対処法があるならば参戦しても良い。
譲歩したようで実現は至難の業だ。

しかし名前は了承の返事をした。
確かな自信は無いけれど、計画を立てられるくらいには気持ちが落ち着いている。
人々の命綱であるという責任が、名前を冷静にさせたのだ。

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