06.-1


兎に角名前はクィレルに言われた通り、まず足を洗う為に風呂場へ向かった。
風呂場の扉を開けて中へ入ると、後ろ手に扉を閉めて一応鍵を締める。
一呼吸置くと、静かな洗面所に、居間からの話し声が僅かに響いてきた。
寝室から一緒に出てきたクィレルは居間へ向かったようだが、バーベッジと何か話しているらしい。
耳を澄まして話し声に集中してみたが、くぐもっていて言葉が聞き取れない。
早々に諦めた名前は、洗面所のランドリーラックから未使用のタオルを取り出した。
取り出したタオルをタオルラックに掛けて、名前は上半身を折り、ジーンズの裾を捲る。
その時に自分の足が、擦り切れて傷だらけだった事と、土や埃で黒っぽく汚れている事に初めて気が付いた。
一体何でこんなに傷だらけになったのか分からないが、傷に土や埃が入り込んでいるので、消毒も必要そうだ。
ジーンズを膝まで捲って、ラックからタオルを取り、名前は風呂場へ入った。















脱走を遂げた日から数日の内に、名前は夢日記を複製し終えた。
一日のルーティンはのんびりしたもので、運動や家事や食事などの時間を除けば、名前は殆ど一人で寝室にこもって、勉学や調べ物にあてていた。
だからこっそり夢日記を書き直していても、誰かが「一人で何をしているのか?」と部屋を覗いて尋ねたりしなかったのだ。
週に一回以上は掃除と買い物に、一日の大部分を占める日もあるけれど。
けれど、長い夏休みを過ごしているような感覚だ。
努めていつも通りに振る舞いながら、名前は周囲の変化を探っていた。
特にシリウスだ。
シリウスは騎士団とのやり取りを任されていたから、頻繁とまではいかなくても、此処にいる誰よりも現状を把握している。
そのシリウスの表情や言動を注意深く見ていたが、何か特別な問題を抱えているようには感じなかった。
勿論、疲れや苛立ちはあったけれど。
でも、ハリー達が脈絡の無い事を言ったとか、無謀な事をやったとか、そういった類の話は出てこないし、態度にも出ていない。
どうやらハリー達は上手く動いているらしい。
心の底から安堵は出来ないが、名前は少しだけ肩の力が抜けた。





『……。』





普段通り、シリウスと連れ立って買い物から帰ったある日。
扉を開けた名前は瞬きも呼吸も忘れて、石像の如く固まった。
すぐ後から入ってきたシリウスも、リビングを視界に入れると、同じように固まった。
(奇跡的にも二人とも、買い物袋を落とさなかった。)

リビングに、ムーディとヘドウィグがいたからだ。
ムーディの探るような鋭い目付きは衰えを見せず、入って来た二人をジロリと見遣る。
ムーディが座る椅子の背もたれに止まるヘドウィグは、「ホー」と鳴いて首を回した。

名前の胸の内で喜びが湧いた。
だが、ムーディの隣に座るバーベッジと、向かいに座るクィレルの表情に気が付いて、一瞬の内に喜びは乾いてしまった。
此方を見る二人の顔は緊張で強張り、強い不安が見て取れたからだ。
一体どうして?
二人の顔から理由を探ろうと良く見ると、視線は名前にではなく、その背後に立つシリウスに向けられたものだと気が付いた。

名前はシリウスを見た。
シリウスは目を見開いて、瞬きも呼吸も忘れて、真っ直ぐムーディを見詰めていた。
数秒も経つとその目は段々と細められ、鼻筋に皺が寄るほど、表情が厳しいものへ変わる。
名前の胸へ、ドンと何かが当たった。
見ると、シリウスが買い物袋を差し出している。
意図が分からないまま受け取ると、その空いた手で、シリウスは杖を引き抜いた。





「その杖を誰に向けるつもりだ。」





唸るような低い声で、ムーディはそう言った。
シリウスは名前の前に立った。





「勿論、お前とクィレルだ。」



「何故そう思う。」



「何故だと?」
シリウスはギリギリと歯を食い縛って答えた。
「マッド-アイも、ヘドウィグも、殺されたからだ。お前か、お前達の仲間の誰かが、二人を殺した。
お前は偽物で、此処に引き入れたのは、かつて『例のあの人』の手下だったクィレルしかいない。」



「信じられんだろうが、わしもヘドウィグも本物だ。
偽物がわざわざ懐いたシロフクロウを従えて登場すると思うか?」



「ああ、するだろうな。死者は蘇りはしない。分かりきった事だ。」



「その『分かりきった事』をやる間抜けがいると思うか?」



「ああ、そうだとも!間抜けはお前だ!」





シリウスは杖を構えて息を吸い込む。
咄嗟に買い物袋を腕に下げて、名前はシリウスを羽交い締めにした。
シリウスの攻撃を防止した事で、矛先が名前自身に向くかもしれないとか、クィレル達を倒す為なら名前を振り払う事も厭わないかもしれないとか、羽交い締めにした後でそんな考えが過ぎったが、兎に角今はシリウスに落ち着いてもらうのが先決だ。
名前は余計な力を込めて傷付けないよう細心の注意を払い、シリウスを抑え付けた。

シリウスはお構いなしにもがいた。
何とか杖をムーディに向けようとするから、その度に名前が体を動かして無理矢理にでも照準を変えさせた。
「離せ」とか何とか何度も怒鳴られたが、抑え込むのに精一杯で、名前に話を聞く余裕があるはずもなく。
バーベッジも何か宥める声音でシリウスに話し掛けていたような気がするが、此方もやはり名前の耳を通り抜けていった。

数分───もしかしたら十分以上経過したかもしれない。
名前はシリウスよりも年齢が若いし、背も高いし、力もあるし、体力もある。
先にバテたのはシリウスだった。
体の重心が不安定になってきたかと思うと、段々と力が弱まってきて、やがて抵抗をやめた。
ハアハアと荒い息が聞こえてくる。





「シリウス。お前がわしらを疑う気持ちはよく分かる。わしがお前の立場であれば、真っ先に『真実薬』を飲ませていただろう。だが生憎ここに『薬』は無い。
それ以外の方法でわしらが本物である事を証明する他無いのだ。」



「証明だと?出来るはずが無い。お前は偽物だ。マッド-アイは死んだ。」



「その通り、わしは確かに死んだ。」





ムーディはシリウスから、その後ろにいる名前に視線を移した。





「そして蘇った。お前の後ろにいるミョウジのようにな。」





シリウスの荒い呼吸が消えた。
息を呑んだようだった。

途端に室内は静寂に満ちた。
この場にいる誰も声を発さず、物音も立てない。
ムーディ、バーベッジ、クィレル。
三人が黙って名前を見詰めている。
一人一人の表情には違いがあったけれど、名前を見て、何を考えているのかは分からなかった。

名前は一人一人の目を見詰め返して、それからシリウスのつむじを見下ろした。
もしもシリウスが対面に立っていたら、皆と同じように、名前をじっと見詰めていただろうか?
その時は、どんな表情を浮かべるのだろうか?





「大方「日刊予言者新聞」でも読んだんだろうが、「蘇った」のは誇張表現だ。かろうじて助かっただけに過ぎない。」





不意に耳へ飛び込んできたシリウスの声音は至って冷静で、嘲笑を含んでいた。
一瞬の動揺を見せてしまったが、それでも瞬時に名前を守る為に切り替えたのだ。





「いや。ミョウジは蘇った。先程お前はそう言ったな、クィレル。」



「……。」



「何故ミョウジやわしらが蘇ったのか、その理由は、シリウスとミョウジが帰って来てから話すと、そうとも言ったな。」



「……
はい。……」



「二人は帰ってきた。さあ、座れ。話すんだ。わしらは蘇る仕組みを知らなければならん。いずれ他の者の身にも同じ事が起きるかもしれん。」





数秒の間、ムーディとシリウスは睨み合った。
互いに敵意が無いか観察しているのだろう、訪れた静寂は張り詰めている。





「いいだろう。だが、お前とクィレルは私に杖をよこせ。」





意外にも静寂は数分も続かなかった。
二人は杖を出してテーブルの上へ滑らせる。





「ナマエ、手を離してくれ。」





ひとまず乱闘騒ぎにはならないようだと判断し、不安は残るが、名前は言われた通りにシリウスの拘束を解いた。
シリウスはムーディの方から少しも目を逸らさないまま乱暴に靴を脱ぎ捨て、上がり框に足を置き、素早くテーブルに近付くと、ひったくるように二本の杖を取り上げる。
それから足で椅子を引き寄せて、どっかりと腰を下ろした。





「ミョウジ、お前も座れ。」





ムーディの言葉に促されて名前は、短く返事をして靴を脱いだ。
上がり框に買い物袋を置いて膝をつき、自分の靴とシリウスの靴を揃えて隅に寄せる。
それから再び買い物袋を手に持って立ち上がり、皆が待つテーブルの方へ体を向けた。





『あの……、』



「どうした。」



『……
先に、買ってきたものをしまっても良いですか。常温では傷んでしまうものがあるので……。』



「……。」





皆、黙って名前を見た。
まず驚きに目を見開き、やがて呆れに変わり目を細める。
黙っていても表情は正直だ。
名前は居心地悪そうに買い物袋を持ち直した。

場にそぐわない発言だと、名前自身も良く分かっている。
だが言うしかなかった。
食べ物が傷めば買い直さなければならないし、傷んだ食べ物は捨てるしかない。
買い物、ごみ捨て。
どちらにせよ外出する事になる。
名前を護衛している大人達からすれば、外出する機会はなるべく無くしたい。
つまり……。





「分かった。ナマエ、なるべく急いでくれ。」





要求を聞き入れるしかない。
答えるシリウスの声は、少しだけ普段の───というか、気勢を削がれた、若干力の抜けた声だった。

名前は短く返事をして、慌ててキッチンへ向かった。
冷蔵庫にしまう食材を買い物袋の中から選んで取り出し、空っぽの冷蔵庫に詰め込んでいく。

テキパキと手を動かしながらも名前の頭の中は、これから居間で開催される説明会の事でいっぱいだ。
蘇りの方法について。
それと、ムーディとヘドウィグが本物である事を証明する。

名前自身とセドリックが蘇った仕組みは説明が出来る。
けれど今回ムーディとヘドウィグが蘇った理由は、分からないのだ。
二人が本物である事は間違いない。それは名前とクィレルが良く分かっている。
しかし今一番疑っているシリウスに、どう説明すれば納得してもらえるだろうか。
二人が蘇った理由も分からないのに。





『お待たせしました。』





居間のテーブルには椅子が四人分だけである事を思い出し、キッチンからステップチェアを持ち出して、ようやく名前は居間へ戻った。
すると待ちかねていたのか、テーブルを囲む四人が一斉に名前の方を見る。
視線が集中した事で名前は一瞬たじろいだが、皆の視線に苛立ちや蔑みなどのネガティブな感情は読み取れなかったので、ひとまずは安堵した。

さてどこにステップチェアを広げようかと、名前は視線を泳がせる。
そこでバチッと、シリウスと目が合った。
シリウスは前のめりになっていた上半身を起こして、自分の隣へ来るよう、片手で示して見せた。
立ち尽くしていたのはほんの数秒程度なのに、シリウスは悩む名前の思考を透視したかのようだ。

ステップチェアに腰掛けて、テーブルを囲む四人を見る。
誰から、どんな言葉が出てくるか。
自分はきちんと答えられるか。
不安で鼓動が速くなり、指先が冷えていく。
思考は絡まった毛糸玉のようにぐちゃぐちゃで、答えは出ないままだったからだ。





「ミョウジ。お前とセドリック・ディゴリー、わしとヘドウィグが蘇った仕組みについて、話してくれ。」



「いや、その前に。」





率直に話の核心を突くムーディを、シリウスが制した。
話を遮られたムーディはシリウスを見て、シリウスもムーディを見詰め返した。





「どうやってここに来たのか説明してくれ。」



「ム……」
ムーディは片方の眉を上げた。
「そうか。」



「何だ?勿体ぶらず言ったらどうだ。」



「いや。わしらがここにいる理由は、先にクィレルから聞いていたものでな。お前が知らない事を失念していた。」



「ああ、」
シリウスは一瞬クィレルを睨んだ。
「そうだ、私は聞いていない。是非教えてくれ。」



「わしらをここへ連れて来たのはミョウジとクィレルの二人だ。」



「まさか。何だと?」
再びクィレルを睨む。



「ミョウジの予知でわしらの死を知り、わしらをここへ連れて来た。死体の状態でな。」



「……。
ナマエ、本当なのか?」



『……。』





すぐに答えられず、名前はシリウスを見た。
シリウスも名前を見ていた。
整えられた眉が僅かに潜められ、懇願するように真っ直ぐ見詰めている。
ムーディの言葉が偽りであって欲しい、そう思っているようだ。

シリウスからすれば目の前にいるムーディが、本物である確信が無い。
だからその言葉が事実かどうか確かめる必要があった。
けれどシリウスの心境では、ただ確かめるだけでは済まないだろう。
もしも言葉のまま事実だとしたら、名前は「危険を避ける為になるべくコテージから出ない」という約束を破った事になるからだ。

普段の振る舞いから分かる通り、シリウスは名前を信用している。
その信用を裏切る事をした。約束を破ったのだ。
とても申し訳無い気持ちが込み上げてきて、つい口から謝罪が出て来てしまいそうだった。
けれどその言葉を呑み込んで、小さく頷く。
消えてしまいそうな声で短く肯定した。





『はい。』





その言葉を発した瞬間、シリウスの表情は奇妙なものに変わった。
寄せていた眉、への字に曲げられた口元、それらがサッと消え去った。
無表情になったのだ。
と言うよりも、努めて冷静を保とうとして無表情になっているようだった。

けれど此方を見詰める瞳は、シリウスの胸中を雄弁に物語っている。
怒り、失望、悲しみ。
しかし何故だか、どこか誇らしげで、そして嫉妬の熱も感じ取れる。

こうして名前がシリウスの表情を観察出来たのは、シリウスが言葉を発さなかったからだ。
たった数秒の出来事だったが、頭の回転が速いシリウスが、咄嗟に言葉が出てこないという状態は稀である。
考えに没頭してしまって、あるいは意図して黙り込んだのかもしれないが。





「シリウス、お説教は後にしろ。今は蘇生の仕組みを知る事が先だ。」





沈黙の中を物ともせず、ムーディが無造作に声を掛けた。
まあ、確かにもっともな言葉だろう。
シリウスと名前のゴタゴタを持ち込んでいては話がずれてしまう。
それにムーディとヘドウィグが本物であると確認が出来なければ、コテージの安全を証明する事が出来なくなる。
シリウスはチラリとムーディを見て、それから再び名前を見詰めた。





「ナマエ。どうやって蘇ったのか、話してくれ。」





此方を見詰めるシリウスの表情は未だ奇妙なものだ。
名前は無意識にその表情を読み取ろうとして黙りかけた。
しかし直後、自身の耳に入り込む静寂がそれをやめさせた。
今はそれをする時ではないと思い直し、少々落ち着かなかったが、急いで頭の中で言葉を探す。





『ええと、……先に申し上げたいのですが、俺は……
俺の時も、今回も、……蘇ろうとか、蘇らせようとか、考えていませんでした。』



「ふむ。つまり偶発的に、もしくはそれこそ奇跡的に起こった事だと?」



『そうですね……そう捉える事も出来ます。でも計画的だとも捉えられます。』



「他人事のような言い方だな。」



「まさか、誰かがナマエを蘇らせようと計画していたと言うのか?」



『はい。母です。もしかしたら、父も関係していたかもしれません。』





誰も相槌を打たず、一様に黙り込んだ。
皆の表情は揃って硬い。
我が子を守ろうと行動した親の計画が、たとえ愛情によるものでも、そうじゃないとしても、彼らは「死者が蘇る方法」に良いイメージを抱いていないからだろう。

死者が蘇る方法としてまず思い浮かぶのは、今多くの人々を苦しませている分霊箱だ。
それを本人ではなく他者の為に使用出来るのかは定かではないが、分霊箱の作り方を全て知らずとも、残忍な方法であるとうっすら分かる。
それに目の前にいるシリウスは、名前の父親が元死喰い人であり、母親に予知夢の能力があった事を知っている。

何も言わずとも少なからず、反射的に何かネガティブな想像が過っただろう。
張り詰めた空気の中、名前は口を開いた。





『どうして蘇ったのか、俺とセドリックさんの時は、両親から手紙が遺されていましたし、ダンブルドア校長先生が説明してくださいました。』



「どんな方法だ?」
聞いたのはムーディだ。



『母の形見である櫛が身代わりになったのです。ただどうしてか理由は分かりませんが、その作用が俺とセドリックさんの二人に起きてしまったのです。
だから俺とセドリックさんは仮死状態になって、しばらく目を覚ましませんでした。』



「だがお前達は目を覚ました。何か切っ掛けや理由があったはずだ。」



『……。』





名前は一旦喋るのを止めて、片手の指先を服の襟に突っ込んだ。
そしてネックレスのチェーンを引きずり出して、その先にぶら下がる鈴を摘み上げる。
皆の視線が鈴に集まった。

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