01.


『はい……はい……、
よろしくお願いします。』





ガチャリ、受話器を置く。
公衆電話ボックス内は、真夏の日射しに照らされて、サウナのような蒸し暑さだ。
外には黒い犬───もとい、シリウスを待たせていたし、通話は早々に終えてボックスを出た。

真っ昼間。頭上から降り注ぐ真夏の日射しが直接肌を突き刺し、生暖かい風が舐めるように髪を揺らす。
夕方とか早朝とか、時間を選べば少しは過ごしやすいのだが、シリウスら大人達が、人が賑わう時間にしか出掛ける事を許さなかった。
柵に結んだリードを外して、名前は黒い犬と共に、コテージのある山へ向かって歩き出した。

なるべく街路樹や建物の影を選びながら。















『ここまで来れば、元の姿に戻っても大丈夫だと思います。』





山の中へ足を踏み入れ、少し奥へ進んでから、リードと首輪を外して、名前はそう言った。
一拍置いて、黒い犬は人の姿へと変わる。
人の姿に戻ったシリウスは軽く伸びをして、煩わしそうに髪を払った。





「日本の夏がこんなにも暑いだなんて思わなかったよ。毎年こうなのか?日陰にいても汗が出る。」



『そうですね、例年と変わりないと思います。』



「君は涼しそうな顔をしているな。」



『俺も暑いですよ。』





言いながら背負っていたリュックから提灯を取り出して、広げてライターで火を点ける。
提灯はクルクルと回転を始め、木々の隙間を縫って霧が漂ってくる。
次第に辺りは濃い霧に包まれた。
濃霧に阻まれ、真夏の日射しも蝉の声も届かない。

回転していた提灯がピタリと止まる。
提灯の絵柄を正面に向けて、名前はシリウスとはぐれないよう、ゆっくりと歩き出す。
進む度に提灯は回転して向きを変え、名前は注意深く絵柄を見なければならなかった。





『あの……、シリウスさん。』





絵柄に意識を集中せねばならなかったが、名前は口を開いた。
隣を歩いていたシリウスが、此方を見る気配がした。





『付いてきていただいてすみませんでした。首輪まで着けて……。』



「気にするな、犬の散歩には必要なものだろう?」





そうは言うが、シリウスはプライドが高い人物だ。
きっと不愉快だったに違いない。
それにこの炎天下だ。
日射しは厳しいし、アスファルトの地面は熱を孕んで、火傷したっておかしくはない。

だがシリウスは、付いていくと言い張った。
ヴォルデモートの動きが活発になり、名前は命を狙われている身。
身を案じているのだと感じ取れたが、名前は内心不思議だった。
今一番狙われているのはハリーだろうに、何故ハリーの名付け親であるシリウスが、ハリーでなく名前を守ろうとするのか。

名前が出掛ける時は、今まで一人だった。
それでも何も起きなかった。
自身の事を軽んじているわけでも、事態を軽んじているわけでもないが、ヴォルデモートから見ればハリーの方が優先されるはずだ。
裏切り者の子どもの始末なんて、いつでも出来るだろう。





「ヤナオカという人物は、君の家族なんだろう。
伝えたい事はちゃんと話せたのか?電話をしたのは短い時間だったように思うが……。」



『……伝えられたと思います。』





並んで歩きながら、名前は柳岡への電話内容を思い返した。

暫く家に帰れない事。
法事を代理で頼んだ事。
これからは電話が出来ないが、元気だから心配しなくていいという事。
伝えた事は少なかったが、十分だろう。





「それならいいんだ。
暫く会えなくなるからな。伝えたい事を話せたなら、それでいいんだ。」



『シリウスさんは、ハリーと話せていますか。』



「何だ、急に。」



『俺がホグワーツから日本に帰ってきてから、シリウスさん、殆どの時間を俺と一緒に過ごされています。
たまにクィレルさんと魔法界に戻っているのは知っていますが、ハリーに会えていますか。』



「いや。会いたいのは山々だが、ハリーは今、安全な場所にいる。必要以上に足を運ぶ事は出来ない。
それにナマエ、私が君と一緒にいるのは、君を守る為だ。」



『……
クィレルさんも、俺を守ってくださっています。』



「だから私は必要ないと?」



『そういうわけではありません。シリウスさんが側にいてくださる事は、とても心強いです。
でも、ただ……俺よりもハリーの為に時間をかけられるようになると思ったのです。』



「ハリーの護衛は勿論いるとも。その役割が私ではないだけだ。信頼出来る仲間は多くはないが、少なからずいる。彼らに任せたんだよ。
けれど君は違う。唯一君の側にいるクィレルはかつて『例のあの人』の手下だっただろう。」



『例のあの人、』



「ん?……ああ、」





クィレルの事については色々言いたい事があったが、何故ヴォルデモートと名前で呼ばないのかと、名前はそっちが不思議でその言葉を繰り返した。
シリウスは足元に注意しながら、少しだけ名前を見た。





「マッド-アイの案で、我々は奴を『例のあの人』と呼ぶ事に決めたんだ。連中は名前に魔法をかけて、名前を呼んだ者の居場所が分かるようにしているかもしれない。誰かが名前を呼べば、その場にいる者を一網打尽に出来るからな。
可能性の一つだが、注意するに越した事はないだろう。油断大敵───実にマッド-アイらしい考えじゃないか?
これまでと同じように、うっかり名前を呼ばないようにするんだ。」



『分かりました。』



「それで、クィレルの事だが。奴は心を入れ替えたそうだが、信用は出来ない。
いつ裏切るか分からないんだ。スネイプのようにな。」



『裏切るとは言い切れません。』



「信頼出来るとも言い切れない。」



『……。』



「君の護衛は騎士団の中で決まった事だが、これにはクィレルを監視する役目も含まれている。
私が名乗り出たんだ。命令されているわけでも、いやいやながらでもない。
もし君が、自分がいるせいで私がハリーと会えないのだと思っているのなら、それは違うと言っておこう。
君は何も負い目を感じる必要はない。」



『でも……何故ハリーの護衛を選ばなかったのですか。』



「やけにハリーの事を気にするな。
心配する気持ちは分かるが、どうしてだ?」



『シリウスさんはハリーの家族ですから、心配する気持ちが、きっと他の人より強いと思うのです。
ハリーはもうすぐ十七歳になります。十七歳になったら、今ハリーがいる家にかかっている守りの呪文は効果が無くなります。
ハリーは安全な場所に移動しなくてはいけなくて、その時には───』



「移動中のハリーを『例のあの人』や死喰い人が狙う。
分かっている。
その時は私もハリーの護衛任務につく予定だ。予定日は君とクィレルを二人っきりにしてしまうから、気を付けてくれ。」



『……分かりました。』





名前はクィレルを信用していたので、シリウスの言葉は素直に飲み込めなかった。
けれど、シリウスが名前を心配する気持ちは確かだったので、多少考える間はあったが頷いた。
クィレルの事は信用していたが、シリウスの気持ちを無視出来なかったのだ。

それから少しの間、二人は黙々と歩いた。
歩きながら名前は頭の中で、ハリーの護衛任務はいつになるのだろうかと考えた。
次にシリウスの言葉を思い返して、僅かな疑問が浮上した。
シリウスは、予定日にクィレルと二人っきりになると言っていた。
コテージにはバーベッジもいるので、正確には三人になるはずだ。





『ハリーが移動する日は、バーベッジ先生も向かわれるのですか。』



「ん?……
ああ……、」





シリウスはチラリと名前を見て、すぐに前方に視線を戻した。
その一連の動作が妙に感じたのか、名前はシリウスの横顔をじっと見詰める。
シリウスは眉を寄せて難しい顔をして、霧で真っ白になった前方を見据えている。
此方の視線に気が付いているのに、目を合わさないようにしているようだ。

普段なら即座に此方を向いて、「何だ」「どうした」と言ってくるであろう場面である。
ハッキリ物事を決める質であるシリウスが、こんな態度でいるのは珍しい。





『何か問題があるのですか。』



「いや、何もないさ。」



『だけど、何だか……
何故、俺の方を見ないのですか。』





その言葉に抗うように、シリウスは名前を見た。
その顔には相変わらず何か考えているような、思い悩んでいるような難しい表情を浮かべていて、シリウスは否定したが、何か問題を抱えているように見えて仕方なかった。

名前はシリウスを見詰めた。
負けじとシリウスも名前を見詰め返した。
しかし、先に目を逸らしたのはシリウスだった。
視線を足元に落として、深い溜め息を吐く。





「君に見詰められると、何でも見透かされている気分になるな。」



『そんな能力は無いです。』



「だが、君には予知能力があるだろう。
私達の計画を、いずれ知ってしまう。」



『計画に、何か問題があるのですか。』



「その事はコテージで話そう。
さあ、もうすぐそこだ。」





シリウスは前方に向き直った。
促されるように名前も向き直る。
見てみるとそこには、霧に隠れてはいるが、確かにコテージがあった。
いつの間にか辿り着いたらしい。

コテージの扉は鍵を持っている名前が開けた。
魔法でも開く事は出来るが、マグル生活の長い名前の習慣は、そう簡単に抜け切らない。
そしてこの行動が結果的には、中で待っているクィレルとバーベッジの信用を得る事となった。

扉を開けた先には杖を構えたクィレルとバーベッジが待ち受けていた。
いくら此処コテージが魔法で守られ、出入り出来る人間が限られているとしても、油断するわけにはいかないのだろう。
クィレルとバーベッジはまず入ってきた二人の顔に素早く目を走らせた。
そして扉を開けた名前の手に鍵が握られているのを確認すると、少し警戒を解いた。
もし名前の姿をした死喰い人であれば、きっと使い慣れた魔法で扉を開けると判断したのだろう。





『ただいま戻りました。』



「おかえりなさい。」



「私達が出ている間に何かあったか?」



「いいえ、何もないわ。静かなものよ。」



「そうか。」





確かに静かなものだ。
周囲を取り巻く濃い霧の影響か、蝉の声は聞こえてこないし、蚊一匹飛んでいない。
雪の降る真冬のような静けさだ。

シリウスは扉から離れてテーブルに向かった。
その僅かな歩みでさえ、床を踏み締める軋んだ音が、妙に室内に反響した。
席に着いたシリウスは、まだ扉の側で佇んでいる名前を見て、空いた席に座るよう促す。





「ナマエ、座ってくれ。」



『はい。』



「どうしたのです?」





漂う異変を敏感に感じ取ったクィレルが素早く聞いた。
シリウスはクィレルをチラリと見て、それからバーベッジの方も見て、二人も座るよう促した。

二人は訳が分からない様子だったが、促されるまま席に座る。
四人掛けのテーブルが満席になった。
名前の正面に座るシリウスは、名前を見て、その隣のクィレルを見て、最後にバーベッジを見て、口を開いた。





「騎士団においてのナマエの待遇について話す。」



「それは、ミョウジが何か予知したという事ですか。」



「いや。だが恐らく時間の問題だろう。
予知をして突発的に動かれるより、事前に我々の口から伝えて指示しておいた方がいい。」





空気がピンと張り詰めて、重々しい雰囲気が伸し掛かる。
真剣な様子のシリウスに真っ直ぐ見据えられ、名前は居住まいを正した。
どんな重要な話が飛び出してきても大丈夫なように身構えたのだ。
シリウスは一息吸って、それから口を開いた。





「まず、ナマエ。君の護衛には此処にいる私達三人がつく。
だが君の予知によれば、バーベッジも命を狙われているという話だ。だから正確には私とクィレルが主立って動く事になるだろう。」



『……。』



「次に君の動きについてだが、基本的にはこのコテージを離れないでいてもらいたい。
何か予知をしたら私達に伝えてくれ。私達はそれを騎士団に伝え、どう動くか判断する。
だからナマエには、何を見たとしても、ここに留まっていて欲しい。」



『……戦いには、』



「ああ、参加するなという事だ。」



『何故ですか。』





名前が食い下がる事は分かっていたように、シリウスは静かに深い溜め息を吐いた。
まるで駄々をこねる子どもを前にしたように、あるいは同情するように。
この状況でクィレルもバーベッジも何も言わないところを見ると、二人とも騎士団の方針に従う考えなのだろう。
だが名前は納得するわけにはいかなかった。
この場に留まり続ければダンブルドアとの約束を果たせないし、それにハリーには準備出来ているなどと大口を叩いたばかりだ。
もし約束が無くとも、誰かに危険が迫っていると知ったら、きっと動かずにはいられないだろう。





「ナマエ、何故私達が君の護衛をするか分かるか?」



『……命を狙われているからですか。』



「それも理由の一つではある。だが一番の理由は、君の能力だ。」



『予知の能力ですか。』



「ああ。君の能力はホグワーツにいる全員に知れ渡っているし、以前に「日刊予言者新聞」でも言及されている。
君と交流が無い者にとっては勿論真偽の程は分からないし、与太話だと受け取る人間が殆どだ。
だが君が、いざこざが起こる行く先々で現れたら、そしてその度に君がいざこざを未然に防いだとしたら、『例のあの人』はどう思う?」



『……。』



「連中は君の能力の真偽を問いに来るだろう。そして能力が本物だと知れば、命を奪うよりも、君を捕えて能力を利用する方が有利だと考えるだろう。
君が戦いに参加すれば連中はハリーを殺す事より、君を捕える事を優先するはずだ。
もし君が連中に捕われてしまえば、どんな手を使ってでも予知させられるだろう。
そうすれば我々の計画は筒抜けになる。勝てる戦いにも勝てなくなる。
だからナマエ、君の命を守る為にも、我々の命を守る為にも、戦いには参加させられない。」



『……。』



「そもそも君は裏切り者の子どもとして目をつけられていた。それに加えてその能力、そして三校対抗試合での事もある。君はあの夜、墓場でセドリック・ディゴリーと共に『例のあの人』の手によって殺された。
自らの手によって間違いなく殺したんだ。君とセドリックが生きている事を、奴が気に留めないはずがない。必ず理由を突き止めようとするだろう。
何せ死んだ者が蘇ったんだ。『例のあの人』のようにな。」



『俺は分霊箱を作ったりはしていません。』



「分かっている。ただの例え話だ。
君とセドリックが蘇った方法は、我々も連中も知らない。連中にしてみれば、二人のどちらがその術を持っていたのかも分からない。
だがナマエ、これ以上君が狙われる理由を作りたくはないんだ。」



『……
セドリックさんも狙われているという事ですか。』



「……そうだな。そう考えている。」



『……。』



「予知に関しても伝えなければいけない事がある。君が予知した内容は騎士団で取り扱うが、それで必ずしも作戦が変わるわけじゃないんだ。我々が君の能力に頼るのは、本当に勝負に出る時だけに限る。
君の予知に合わせて作戦を変えていたら、ことごとく連中の予想に反した動きを取る事になる。そうすれば連中は君を捕える事を最優先するだろう。
だから作戦はなるべく変更無しだ。予定通り行う。その結果、誰かが死んでもだ。」



『俺は誰にも死んでほしくないから予知した事をお伝えしているのです。
そうならないように、出来る限り動いてきました。』



「知っている。だがな、ナマエ。全ての人間を救う事は出来ないんだ。
それに皆、承知の上で覚悟をしている。」





静かな声でシリウスはそう言って、言い聞かせるように名前を見詰めた。
どんな重要な話が飛び出してきても受け入れるつもりでいたが、いざとなってみれば名前の頭は混乱状態で、何も答える事が出来ず思わず目を逸らした。

目を落として膝の上に置かれた自身の手を見詰める。
ふと気付けば自身の手は冷たくなっていて、触れている膝の方から温もりを感じた。
名前にとってシリウスの話はショッキングな内容だったのだ。

シリウスは裏切り者には冷酷な態度を取るが、仲間に対しては情の厚い男だ。
だから名前は誰かを助ける事になれば、きっと協力してくれると思い込んでいた。
むしろ背中を押してくれて、死の運命に抗おうとするだろうと。

だがシリウスは───騎士団の考えかもしれないが───名前がコテージに留まる事を指示し、予知の対策を練るとは言い切らず、その結果誰かが死ぬ事になっても覚悟の上だと言う。
死ぬと分かっている筋書きに従う事を選んだのだ。
名前が誰かを助ける為にやってきた事が、結果的に名前自らの首を絞める事となり、そして皆にその選択を迫ってしまった。





『それでも俺は、皆に生きていて欲しいのです。』





呟くようにそう言った。
昔も今も変わらない望みだった。
聞こえているはずなのに、誰も何も言わなかった。

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