17.-1


「他に誰かいるのか?」



「わしの方こそ聞きたい。君一人の行動かね?」



「違う。
援軍がある。今夜この学校には『死喰い人』がいるんだ。」



「ほう、ほう。」





ダンブルドアの側には、先程まで乗っていた二本の箒が立て掛けられていた。
訝しんだマルフォイを、しかしダンブルドア一人と思わせたという事は、ハリーは「透明マント」の下で屋上のどこかにいるはずだ。
扉にはマルフォイと入れ違いになれる隙間もない。





「中々のものじゃ。君が連中を導き入れる方法を見付けたのかね?」



「そうだ。
校長の目と鼻の先なのに、気が付かなかったろう!」



「良い思い付きじゃ。
しかし……失礼ながら……その連中は今どこにいるのかね?君の援軍とやらは、いないようだが。」



「そっちの護衛に出会したんだ。下で戦ってる。追っつけ来るだろう……僕は先に来たんだ。僕には───僕にはやるべき事がある。」



「おう、それなら、疾くそれに取り掛からねばなるまいのう。」






白昼夢の中では、マルフォイがダンブルドアを殺すよう命令されていた。
マルフォイの「やるべき事」とはその事だろうと、名前は見当をつけた。

しかしマルフォイは黙っていた。
長い間、黙っていた。
そしてダンブルドアが微笑みかけた。





「ドラコ、ドラコ、君には人は殺せぬ。」



「分かるもんか!
僕に何が出来るかなど、校長に分かるものか。
これまで僕がしてきた事だって知らないだろう!」



「いや、いや、知っておる。
君はケイティ・ベルとロナルド・ウィーズリーを危うく殺すところじゃった。この一年間、君はわしを殺そうとして、だんだん自暴自棄になっていた。失礼じゃが、ドラコ、全部中途半端な試みじゃったのう……あまりに生半可なので、正直言うて君が本気なのかどうか、わしは疑うた……。」



「本気だった!
この一年、僕はずっと準備してきた。そして今夜───」




城の下の方から叫び声が聞こえてきた。
敵か味方か、声からは分からない。
だがその声に反応してか、マルフォイは言葉を途切れさせた。





「誰かが善戦しているようじゃの。
しかし、君が言いかけておったのは……おう、そうじゃ、『死喰い人』を、この学校に首尾よく案内してきたという事じゃのう。それは、さすがにわしも不可能じゃと思うておったのじゃが……どうやったのかね?」





マルフォイは答えなかった。
言葉に詰まっているのか、他の事に気を取られているのか、表情を窺えないので分からない。





「君一人で、やるべき事をやらねばならぬかもしれんのう。
わしの護衛が、君の援軍を挫いてしまったとしたらどうなるかの?多分気付いておろうが、今夜ここには、『不死鳥の騎士団』の者達も来ておる。それに、いずれにせよ、君には援護など必要ない……わしは今、杖を持たぬ……自衛出来んのじゃ。」





マルフォイは黙っていた。
無言呪文を使ったのではと、名前は瞬きも忘れてダンブルドアをじっと見詰める。
ダンブルドアは微笑んだままマルフォイを見詰め続けていた。





「成る程。
皆が来るまで、怖くて行動出来ないのじゃな。」



「怖くない!
そっちこそ怖いはずだ!」



「何故かね?ドラコ、君がわしを殺すとは思わぬ。無垢な者にとって、人を殺す事は、思いの外難しいものじゃ……それでは、君の友達が来るまで、聞かせておくれ……どうやって連中を潜入させたのじゃね?準備が整うまで、随分と時間がかかったようじゃが。」





また沈黙が流れた。
いや、もしかしたら何か話しているのかもしれないが。
塔の屋上という場所のせいか、風の音がやけにうるさくて、もし話していても小さな声では聞き取れない。

名前は耳をそばだてた。
それからすぐに、こんな事をしている場合だろうか、と思い直してダンブルドアを見る。

ダンブルドアは微笑んでいた。
誰に向けてかは分からない微笑みは、名前をその場に留める牽制にも感じ取れる。





「壊れて、何年も使われていなかった『姿をくらますキャビネット棚』を直さなければならなかったんだ。去年、モンタギューがその中で行方不明になったキャビネットだ。」



「ああぁぁー、」
薄暗がりの中、ダンブルドアが目を閉じるのが見えた。
「賢い事じゃ……確か、対になっておったのう?」



「もう片方は、ボージン・アンド・バークスの店だ。
二つの間に通路のようなものが出来るんだ。モンタギューが、ホグワーツにあったキャビネット棚に押し込まれた時、どっちつかずに引っ掛かっていたけど、時々学校で起こっている事が聞こえたし、時々店の出来事も聞こえたと話してくれた。まるで棚が二箇所の間を往ったり来たりしているみたいに。しかし自分の声は誰にも届かなかったって……結局あいつは、試験にはパスしていなかったけど、無理矢理『姿現し』したんだ。お陰で死にかけた。皆は、面白いでっち上げ話だと思っていたけど、僕だけはその意味が分かった───
ボージンでさえ知らなかった───
壊れたキャビネット棚を修理すれば、それを通ってホグワーツに入る方法があるだろうと気付いたのは、この僕だ。」



「見事じゃ。
それで、『死喰い人』達は、君の応援に、ボージン・アンド・バークスからホグワーツに入り込む事が出来たのじゃな……賢い計画じゃ、実に賢い……それに、君も言うたように、わしの目と鼻の先じゃ……。」



「そうだ。
そうなんだ!」



「しかし、時には───
キャビネット棚を修理出来ないのではないかと思った事もあったのじゃろうな?そこで、粗雑で軽率な方法を使おうとしたのう。どう考えても他の者の手に渡ってしまうのに、呪われたネックレスをわしに送ってみたり……わしが飲む可能性は殆ど無いのに、蜂蜜酒に毒を入れてみたり……」



「そうだ。だけど、それでも誰が仕組んだのか、分からなかったろう?」





壁に凭れていたダンブルドアの体が、少しだけずり落ちた。
きっと立っているのもやっとの事なのだろう。

名前の体が反射的に動いた。
だがダンブルドアはまた微かに首を左右に振った。
マルフォイを見ているのに、名前の事も見ているようだ。
名前は壁に体を押し付けるようにして、杖を握る手を、反対の手で抑えた。

杖を握り締めた手は、じっとりと汗ばんでいるのに、握り締め過ぎているのか、それとも緊張のせいか、はたまた風に晒されているせいか、感覚を失うほど冷たくなっている。





「実は分かっておった。
君に間違いないと思っておった。」



「じゃ、何故止めなかった?」



「そうしようとしたのじゃよ、ドラコ。スネイプ先生が、わしの命を受けて、君を見張っておった───」



「あいつは校長の命令で動いていたんじゃない。僕の母上に約束して───」



「勿論、ドラコ、スネイプ先生は、君にはそう言うじゃろう。しかし───」



「あいつは二重スパイだ。あんたも老いぼれたものだ。あいつは校長の為に働いていたんじゃない。あんたがそう思い込んでいただけだ!」



「その点は、意見が違うと認め合わなければならんのう、ドラコ。わしは、スネイプ先生を信じておるのじゃ───」



「それじゃ、あんたには事態が分かってないって事だ!

あいつは僕を助けたいと散々持ち掛けてきた───全部自分の手柄にしたかったんだ───一枚加わりたかったんだ───『何をしておるのかね?君がネックレスを仕掛けたのか?あれは愚かしい事だ。全部台無しにしてしまったかもしれん───。』だけど僕は、『必要の部屋』で何をしているのか、あいつには教えなかった。明日、あいつが目を覚ました時には全部終わっていて、もうあいつは、闇の帝王のお気に入りじゃなくなるんだ。僕に比べればあいつは何者でもなくなる。ゼロだ!」



「満足じゃろうな。
誰でも、一所懸命にやった事を褒めて欲しいものじゃ、勿論のう……しかし、それにしても君には共犯者がいたはずじゃ……ホグズミードの誰かが。ケイティにこっそりあれを手渡す───
あっ───
あぁぁー……」
ダンブルドアは目を閉じて一人頷いた。
「……勿論……ロスメルタじゃ。いつから『服従の呪文』にかかっておるのじゃ?」



「やっと分かったようだな。」





階下から再び叫び声が響いてきた。
その声に気を取られたのか、一瞬会話が途切れる。
だが、すぐにダンブルドアが口を開いた。





「それでは、哀れなロスメルタが、店のトイレで待ち伏せして、一人でトイレにやって来たホグワーツの学生の誰かにネックレスを渡すよう、命令されたというわけじゃな?それに毒入り蜂蜜酒……ふむ、当然ロスメルタなら、わしへのクリスマスプレゼントだと信じて、スラグホーンにボトルを送る前に、君に代わって毒を盛る事も出来た……実に鮮やかじゃ……実に……哀れむべきフィルチさんは、ロスメルタのボトルを調べようなどとは思うまい……
どうやってロスメルタと連絡を取っていたか、話してくれるかの?学校に出入りする通信手段は、全て監視されていたはずじゃが。」



「コインに呪文をかけた。
僕が一枚、あっちがもう一枚だ。それで僕が命令を送る事が出来た───」



「『ダンブルドア軍団』というグループが先学期に使った、秘密の伝達手段と同じものではないかな?」





声音はとても穏やかで気軽なものだった。
しかしダンブルドアの体は、凭れかかった防壁からまた少しずり落ちる。
立つのもままならない状態で、殺されそうな状況で、何故こうも落ち着いて接する事が出来るのだろう。

名前は今にも飛び出して行って、ドラコを背後から羽交い締めにしそうだった。
何か行動しなければならないという不安に駆られていたからだ。
幸い、首に掛けている鈴の音は聞こえてこない。自分には悪意というものが向けられていない。名前の存在がドラコに気付かれていない証拠だ。

だが、そう出来ないのは、目敏く気が付くダンブルドアが、その度に牽制するからだ。
ダンブルドアには何か考えがあるのかもしれない。
その考えが良い方向へ向かうと信じたいが、名前の頭の中には、先程見た最悪の未来が過る。
本当にこのままで良いのだろうか。
名前は二の足を踏んでいる。





「ああ、あいつからヒントを得たんだ。
蜂蜜酒に毒を入れるヒントも、『穢れた血』のグレンジャーからもらった。図書室であいつが、フィルチは毒物を見付けられないと話しているのを聞いたんだ。」



「わしの前で、そのような侮蔑的な言葉は使わないで欲しいものじゃ。」



マルフォイは冷たく笑った。
「今にも僕に殺されるというのに、この僕が、『穢れた血』と言うのが気になるのか?」



「気になるのじゃよ。
しかし、今にもわしを殺すという事については、ドラコよ、既に数分という長い時間が経ったし、ここには二人しかおらぬ。わしは今丸腰で、君が夢にも思わなかった程無防備じゃ。にみ関わらず、君はまだ行動を起こさぬ……。」





獲物を弄ぶような残忍な言葉を返すかと思いきや、マルフォイは何も言い返さなかった。
ならばこの長い会話は何の意味を持つのだろう?
まるで問題を先延ばしにしているかのようだ。





「さて、今夜の事じゃが。
どのように事が起こったのか、わしには少し分からぬ所がある……君はわしが学校を出た事を知っていたのかね?いや、成る程。

ロスメルタが、わしが出掛けるところを見て、君の考えた素晴らしいコインを使って、君に知らせたのじゃ。そうに違いない……。」



「その通りだ。
だけど、ロスメルタは校長が一杯飲みに出掛けただけで、すぐ戻ってくると言った……。」



「成る程、確かにわしは飲み物を飲んだのう……そして、戻ってきた……辛うじてじゃが。

それで君は、わしを罠に掛けようとしたわけじゃの?」



「僕達は、『闇の印』を塔の上に出して、誰が殺されたのかを調べに、校長が急いでここに戻るようにしようと決めたんだ。
そして、うまくいった!」



「ふむ……そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ……。

それでは、殺された者はおらぬと考えていいのじゃな?」



「誰かが死んだ。」





マルフォイの声は少し高くなった。
名前の心臓はドキリと脈打つ。
次いで、鼓動が速まる。





「そっちの誰かだ……誰か分からなかった。暗くて……僕が死体を跨いだ……僕は校長が戻った時に、ここで待ち構えているはずだった。ただ、『不死鳥』の奴らが邪魔して……。」



「左様。そういう癖があるでのう。」





階下から響く叫び声が、先程よりも近くで聞こえた。
この屋上へ繋がる、螺旋階段に声の主はいるようだ。





「いずれにせよ時間が無い。
君の選択肢を話し合おうぞ、ドラコ。」



「僕の選択肢!」
マルフォイは突然大声を出した。
「僕は杖を持ってここに立っている───校長を殺そうとしている───」



「ドラコよ、もう虚仮威しはおしまいにしようぞ。わしを殺すつもりなら、最初にわしを『武装解除』した時にそうしていたじゃろう。方法論をあれこれと楽しくお喋りして、時間を費やす事は無かったじゃろう。」



「僕には選択肢なんか無い!
僕はやらなければならないんだ!あの人が僕を殺す!僕の家族を皆殺しにする!」





はっきりと分かった。
マルフォイは殺害を望んではいない。
そして恐らく、ヴォルデモートを崇拝してもいない。
恐怖に支配されているのだ。
だからダンブルドアはマルフォイを恐れてはいない。





「君の難しい立場はよく分かる。
わしが今まで君に対抗しなかった理由が、それ以外にあると思うかね?わしが君を疑っていると、ヴォルデモート卿に気付かれてしまえば、君は殺されてしまうと、わしには分かっていたのじゃ。
君に与えられた任務の事は知っておったが、それについて君と話をする事が出来なんだ。あの者が君に対して『開心術』を使うかもしれぬからのう。

しかし今やっと、お互いに率直な話が出来る……何も被害は無かった。君は誰も傷付けてはいない。もっとも予期せぬ犠牲者達が死ななかったのは、君にとって非常に幸運な事ではあったのじゃが……
ドラコ、わしが助けてしんぜよう。」



「出来っこない。
誰にも出来ない。あの人が僕にやれと命じた。やらなければ殺される。僕には他に道が無い。」



「ドラコ、我々の側に来るのじゃ。我々は、君の想像もつかぬ程完璧に、君を匿う事が出来るのじゃ。その上、わしが今夜『騎士団』の者を母上の元に遣わして、母上をも匿う事が出来る。父上の方は、今の所アズカバンにいて安全じゃ……時がくれば、父上も我々が保護しよう……正しい方に付くのじゃ、ドラコ……君は殺人者ではない……。」



「だけど、僕はここまでやり遂げたじゃないか。
僕が途中で死ぬだろうと、皆がそう思っていた。だけど、僕はここにいる……そして校長は僕の手中にある……杖を持っているのは僕だ……あんたは僕のお情けで……」



「いや、ドラコ。
今大切なのは、君の情けではなく、わしの情けなのじゃ。」





沈黙が流れた。
頬を夜風が撫でる。
長い沈黙だった。

マルフォイは悩んでいるのではないだろうか?
ここからでは様子が窺えない為分からないが、長い沈黙は名前に僅かな希望を抱かせた。
マルフォイが思い止まってくれるのではないかと。
自身の見た最悪の未来が変わるのではないかと。

不安と期待が交錯して、目眩がする程だった。
いや、実際に目眩がした。
そう自覚した時には、目の前に砂嵐がかかっていた。





『……。』





最悪の未来を見た時と同じ状態だ。
予兆である耳の異常に気が付かなかったのが不思議なくらいだ。
白黒の砂嵐に目を奪われて、倒れかけた姿勢を、しかし名前はぐっと堪えた。
床につきそうになった手で目を擦り、頬を抓る。

まだマルフォイの答えを聞いてはいない。
いざとなったら自分が動かなければいけない。
それなのにこんなにも大事な時に、未来が知らされようとしている。
今ばかりは未来を見たくなかった。
出来る限りの抵抗だった。

しかし無情にも砂嵐は形を変え、色付き、風景を映し出す。





『……。』





そこは薄暗かった。
初めは目を瞑っているから暗いのだと思ったが、どうやらそれは関係無いらしい。
ただそこが薄暗かっただけで、瞼の開閉には関係無く、徐々に目が慣れてきたらしく、どうやら室内にいる事が分かった。

そして自分は随分と高い位置から室内を見下ろしているらしい。
設置された暖炉の火だけが光源で、高級感溢れる長テーブルを照らしている。
長テーブルを囲む椅子には俯いた人々が座り、皆口を噤んでいる。
それだけでも異様な光景なのに、長テーブルの上には、まるでオブジェのように、逆様になって浮かんでいる人間がいた。

この人物は一体誰だろう。
何故浮かんでいるのだろう。
名前が浮かんでいる人物に近付こうとすると、下方から声が聞こえてきた。





───ヤックスリー、スネイプ。───





この冷たい声には覚えがあった。
そして、その声が呼ぶ名前にも。





───遅い。遅刻すれすれだ。───





声の発生源を探して、名前は目を走らせた。
薄暗くてよく見えないが、暖炉の前に座る人物が、恐らくヴォルデモートだろう。





───セブルス、ここへ。───
───ヤックスリー、ドロホフの隣へ。───





暗がりの中で足音が響き、動く人影が二つある。
一人───スネイプはヴォルデモートの右手の席に座り、もう一人はドロホフという名の者らしい人物の隣へ座る。
二人が席に着いたのを見届けてから、ヴォルデモートは、僅かにスネイプの方へ顔を向けた。





───それで?───



───我が君、不死鳥の騎士団は、ハリー・ポッターを現在の安全な居所から、来る土曜日の日暮れに移動させるつもりです。───





マルフォイはスネイプを二重スパイだと言っていた。
たとえ二重スパイだとしても、スネイプは此方の味方だと名前は根拠も無く思っていた。
願っていた、と言うのが正確かもしれない。
だがこうしてスネイプがヴォルデモートに仕えている姿を見ると、マルフォイの言葉はまざまざと突き付けられる。





───土曜日……日暮れ。───





少なからず名前はショックを受けたし、動揺せずにはいられなかった。
本当は一体どちらの味方なのだろう。
考えずとも、ダンブルドアを殺害するという未来が現実のものとなれば、真実は火を見るよりも明らかだ。

ダンブルドア───

名前は現実に起こっている事を思い出した。
未来に何が起ころうとしているのか気にはなるが、今は現実に起こっている事の方が大切だ。
再び名前は頬を抓った。
けれどまるで感覚が無い。
手を上げているのか、頬に触れているのかも分からない。

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