29.


それから数日。一度柳岡のマンションに戻った後、名前は宿泊する準備をして、再度、あのコテージに向かった。
幸い電気もガスも水道も通っている。
暮らしていくには申し分無い住まいだ。
ただ食料を得るには、一度山を下りて町に行かなくてはいけないが……。















「このコテージで何をして過ごすつもりですか。」





町で買い込んだ食料を冷蔵庫に詰め込む名前に、クィレルは尋ねた。
長らく使われていない冷蔵庫はぷんと匂う。
薬局で買った消臭剤も入れた。





『お守りを作ったり、……です。まずはこのコテージの掃除からですね。』



「そうですか。」





含みのある言い方にクィレルはちょっと考える顔をしたが、結局何も追及しなかった。
全ての窓を開けて、カーテンを外して洗濯機に放り込み、布団を干してから、名前は掃除を開始する。
掃除道具は一式コテージにあったし、必要なものは薬局で手に入れた。
天井の埃を落とす名前を、クィレルは珍しそうに眺める。
(包帯や傷痕が汚れるといけないのでと、クィレルは掃除に参加しないよう名前に言い付けられていたのだ)
マグル流の掃除が物珍しいのだろう。
電球の埃も落とし、キャビネットの上の埃も落とし。
雑巾をかけたり箒で掃いたり、名前はテキパキ掃除をこなしていく。





『……。』





そうして、寝室の本棚を掃除している時だった。
名前は本棚と本の隙間に、奇妙な物を見付けたのだ。
いや奇妙というよりかは、置いてある場所がそぐわないとでも言えば良いだろうか。
それは携帯出来るよう持ち手部分がある提灯だった。提灯が蛇腹状に折り畳まれて、本と本棚の隙間に入り込んでいたのだ。
名前は掃除の手を止めて、提灯を取り除き、開いて見た。
お盆になると飾られる、回転行灯のような模様が描いてある。





『……。』





ここに何故こんなものがあるのか分からない。
しかしきっと必要なものなのだろう。
名前はもう一度提灯を折り畳み、棚の上に置いた。
ちょうどよい時間だったので、掃除途中ではあるがお昼休憩を挟み、それから掃除を再開する。
室内の掃除が全て終わったのはすっかり暗くなった頃だった。
慌てて干しっぱなしのカーテンと布団を取り込み、少し遅い夕食を摂った。





「今日一日、よく働いていましたね。まさか一日で掃除が終わるとは思いませんでした。」



『終わって良かったです。明日は草むしりに専念したかったので。』



「……熱中症で倒れないでくださいね。」





クィレルもすっかりマグルに溶け込んできている。
二人は交代でお風呂に入って、両親のベッドで休んだ。
そして翌日、名前は宣言した通り、朝早くから草むしりを始めた。
まずはコテージの前からだ。鎌を使って黙々と草むしりをする。





『……。』





膝丈程の雑草が敷地内の目安だ。
藪蚊やら虫やらと戦いながら、名前は敷地内四隅の一角までやって来た。
昨日はここでコテージを見付けたのだ。
立ち上がって腰を伸ばす。バキバキと音が鳴った。
すっかり日が昇り炎天下の中、蝉が絶好調である。





『……。』





名前の視線は、自然と木に括り付けられた御札のようなものに向けられた。
ここからだとよく見えるし、変色したとはいえ白い紙はそれなりに目立つものだ。
このコテージに避難所という意味があるのだとしら、あの御札のようなものにも意味があるのではないか。
そう名前は考えてみたが、何も手掛かりが無いのだから分かるはずもない。
諦めて草むしりを再開した。





『……。』





数時間が経過し、そうしてまた一角までやって来た。
木々の中に白いものが見える。
目を凝らして見ると、御札だ。
また御札のようなものが見付かったのだ。
これはいよいよ意味があるのかもしれない。
そう思ったのか名前は、草むしりの手を止めて、もう一角まで直接歩いていった。
やはりここにもある。
ならばきっともう一角にもあるはずだ。
しかし、そこには何も見当たらなかった。





『……。』





そんなはずは無かろうと、名前は腰まで伸びる雑草の中に踏み込み、期待を込めて辺りを散策する。
そうすると一本の木に、何かを括り付けていた形跡があった。針金のような細い紐だけがあったのだ。
名前はその木の根本を見た。
御札のようなものが落ちていた。
それを拾い上げて、細い紐の下に潜らせる。
干しているような見た目になったが、まあいいだろう。
それから名前は再び草むしりをやった。
日がかげり始め、少しだけ涼しくなった。





「ミョウジ?」





遠くから呼ぶ声が聞こえた。
名前は顔を上げる。
すると辺りに霧が出ている事に、そこで初めて気が付いた。
芝生程の長さになった雑草を踏み付け、クィレルが此方に近付いてくる。





「一度コテージに戻って休憩したらいかがですか……。」





クィレルは辺りを見回した。
警戒しているようだった。





「もうお昼過ぎですからね。」



『もう……。』



「君、そこの茂みで何かしましたか?」





先程名前が落ちていた御札を戻した辺りを、クィレルは指差した。
名前は頷いて答えた。





「コテージから見ていましたが、君が茂みに入って少し経ってから、急激に霧が出始めたのです。」



『あの、御札のようなものの効果でしょうか。』



「うーん、もしかしたら……。」





クィレルは自信無さそうに頷いた。
それから杖を取り出した。





「少し辺りを調べます。」



『俺も行きます。』



「分かりました、決して離れないでください。」



『はい。』





言われた通り名前はクィレルの側を離れないようにして、二人でコテージの周りを見て回った。
霧はコテージの側を離れると異様に濃くなり、近くに戻ると、数メートル先は見通せるくらいに薄くなる。
そうして暫く見て回った後、クィレルは首を傾げた。





『どうかしましたか。』



「いやね、コテージの近くを離れようとしても、どうしても戻ってきてしまうのですよ。」





不思議そうにクィレルはそう言った。
名前はあの御札のようなものが怪しいと睨んで、クィレルを引き連れて一角まで歩いていき、御札のようなものをもう一度木から取り除いてみた。
暫くその場でじっとしていると、少しずつだが、霧が薄らいでいくのが見て分かる。





「これにはコテージの持ち主を側から離さない効力があるのでしょうか。」



『分かりません……。』





よそ者を入れないようにする効力ならば兎に角、閉じ込めるような効力をどうしてわざわざ用いたのか。
分からないが名前はひとまず、御札のようなものをあるべき場所に戻した。
それが正しい事かは分からないが。
それから二人はコテージに戻って、少し遅い昼食を摂った。
昼食の後は草むしりに戻り、夕刻になる頃に、その日は草むしりを終えた。
コテージに戻った名前はシャワーを浴びて、いそいそと寝室へ向かう。





「どうしました。」





それを見ていたクィレルがひょっこり顔を覗かせた。
名前は棚の上の提灯を持ち上げて見せた。





「それは?」



『提灯です。中に蝋燭を入れて、明かりにするものです。』



「ふむ。」





それがどういう用途で使われるのかは分かったが、それを何故今持ち出してきたのかは分からない様子だ。
名前は提灯を持ってリビングキッチンに行き、キッチンにそれを置いた。
クィレルはじっと名前の行動を見守っている。





『……。』





冷蔵庫から名前が取り出したのは、昼食に使ったツナ缶だ。とはいえ中身は油だけだが。
それにティッシュのこよりを入れて、こよりの先端まで油が浸透するのを待ち、ガスレンジで慎重に火をつける。
小さな火が点いたそれを、これまた慎重に、提灯の中へ入れた。
蛇腹状に折り畳まれた提灯を広げる。
するとたちまち、提灯が回転を始めたのだ。





「本来こういうものではありませんよね?」



『はい。』





何か仕掛けでも無い限り、提灯はひとりでに回転するものではない。
しかし機械でもないのに提灯は回転している。
と言う事は別に仕掛けが施されているのだ。
名前が考えていると、こよりが燃え尽きたのか缶に当たったのか、ふっと火は消えた。
それと同時に回転も止まったのだった。
次の日名前は御札のようなものを一度剥がし、町に下りてきちんとした蝋燭とライターを買った。
戻ってきた名前は提灯を携え外に出ると、御札のようなものを元に戻し、霧が立ち込めたところで蝋燭に火をつけた。





「一体どうするのですか?」



『提灯を持って少し辺りを見て回ります。』



「それならば私も付いていきます。」





蛇腹状に折り畳まれた提灯を広げる。
提灯は一度くるりと回転をして、その後は動かない。
持ち手を掴み、名前はクィレルと共に雑草の中へ入っていく。
霧が立ち込めた山の中は不気味だ。
不思議な事に蝉の鳴き声が聞こえず、わずらわしい藪蚊も出てこない。





「ミョウジ、コテージが見えなくなりましたよ。」





クィレルの言う通り、どんなに離れてもうっすらと見えていたコテージが、完全に霧に飲まれて見えなくなっていた。
名前は提灯を目の前に掲げた。





『……。』





提灯は小さくぶらぶら揺れていたかと思うと、くるりと回転した。
霊前灯のような花の模様が此方に向いている。
名前がそれを左右にずらすと、またくるりと回転し、花の模様が此方を向く。





『……。』





名前は今度は立ち位置を変えてみた。
提灯はくるりと回転し、花の模様は正面を向く。
花の模様は恐らく、コテージのある方向を向いている。





『クィレルさん、これがどう使われていたのか分かったかもしれません。』



「本当ですか。」



『はい。この提灯は、コテージに行く為に必要なのです。そして鍵でもある。』





つまりこの提灯はコテージを指すコンパスであり、コテージを出入りする為の鍵なのだ。
それがあの御札のようなものと一緒である事で成立している。
御札が無ければ霧が出ず、提灯を使う必要は無く、誰でもコテージに着いてしまう。
御札があると霧が出て、コテージの側からは離れられず、誰かがコテージを目指しても辿り着けない。
そういう仕掛けなのだろう。





『けれどどうしてコテージに閉じ込めるようにしたのでしょう。』



「この霧ですから山に入って、誰かが迷子にならないようにしたのかもしれませんね。」





散策をそこそこにして二人はコテージの方に戻った。
やはりこの提灯があるとコテージから離れられるらしく、少し歩いてからコテージに辿り着いた。





『これはどうします。』





御札のようなものが括り付けられた木の側まで戻って来て、名前はクィレルに尋ねた。
誰かが間違ってここへ辿り着いてもまずいので、御札のようなものは括り付けたままにしようと結論付けられた。
コテージに着くと提灯クルクルと回転を始める。
恐らくここがゴール地点だと教えているのだろう。





「この提灯はどこまで有効だと思います。」



『どこまで……』



「例えばこの山に入る時は有効だと思います。では別の山から行こうとしたら、コテージまで辿り着けると思いますか。」



『試してみないと分かりません……。』



「それもそうですね……。」





それから名前は昨日済ませられなかった草むしりを再開した。
霧が出ている間は辺りは高原のように肌寒いので、炎天下の中よりかは作業が捗る。
草むしりを終えれば次はヒュッテの掃除が待っている。
中々お守り作成まで手が付けられないが、これは名前にとって必要な事だった。
このコテージの用途と仕掛けは分かった。
後はどう利用するかだ。

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