22.-2
授業でハグリッドがセストラルを見せてくれたのは、禁じられた森の中を数十分ほど歩いた先の開けた地だ。
記憶を頼りに名前は歩くが、辺りは薄暗く自信を奪っていく。
けれど兎に角足を動かす。歩く度にありったけの生肉を押し込んだ鞄がゴンゴン腰を叩いた。
『……。』
森の中は驚く程静かだ。
小鳥の囀りも、ケンタウルスの蹄の音も、グロウプが木々を引き千切る音も、何も聞こえてこない。
聞こえるのは自身のローブの衣擦音、落ち葉を踏み砕く足音だけだ。
肩に掛けた鞄を掛け直し、名前は慎重に歩を進める。
『……。』
そうして少し開けた地に着いて、名前はそこで立ち止まった。確かここが授業で使われた地だ。
ここまでケンタウルスに出会う事なく安堵したのか、名前は小さく息を吐く。
それから鞄を下ろし、中から生肉を取り出した。
それを地面に置いて、名前はじっと待つ。
『……。』
夕暮れ時の暗さと静寂に包まれた周囲。
少なくとも周囲には何もいないと思われるが、それでも名前は耳に神経を集中させる。
セストラルはハグリッドに飼い馴らされているはずだ。
飼い主ではない名前が生肉で寄餌をしたよころで、近付いて来てくれるのか不安ではある。
『……。』
パキリ。
パキリ。
落ち葉を踏み砕く小さな音。
音の聞こえた方向をみると、木々の暗がりがあるばかりだった。
瞬きもせずに名前は暗がりを凝視する。
じっと見詰めた先、ぼんやり浮かび上がったのは、鈍く白い光が二つ。
それは少しずつ大きくなり、鮮明になり、やがてのそりと姿を現した。
ドラゴンのような顔と首。
鞣皮のような翼をピッタリ胴体にくっつけて、黒く長い尾をフリフリやって来る。
セストラルだ。
『……。』
セストラルはじっと名前を見詰めたかと思うと、頭を下げて肉を食い千切り始めた。
その後ろからもパキリ、パキリと足音が聞こえてくる。どうやらセストラルが集まってきているようだ。
名前は安堵の吐息を吐いた。
とりあえずは目的を達成したわけだ。
『……。』
その場にしゃがみ込み、肉を貪るセストラルを眺めながら、名前は首を傾け腕を組み、ぼんやりと考える。
次の問題をどう解決するか?どうやって彼らをこの場所に留めておくかだ。
まさかホグワーツ内にセストラルを連れて行くわけにはいかないので、勿論ハリー達を此処へ案内しなければならない。
その間セストラル達は待っていてくれるだろうか。
名前は首を捻り続けた。
ドドドドド…………───
『……』
地響きにも取れる足音が聞こえてきた。
それもそう遠くない。音の方向を見据える。
立ち上がり、ありったけの生肉をその場に置くと、名前は音の方向へ向けて歩き始めた。
何故向かおうと考えたのかは分からないが、もしかしたら単純に好奇心かもしれない。
『……。』
音の方向へ向けて歩くが、音が遠ざかる方が早かった。
途中で名前は立ち止まる。追いかけるべきではなかったのかもしれない。
名前は踵を返す。来た道を戻りかけて、すぐにまた立ち止まる。
耳をすませて周囲に目を巡らせた。
『……。』
何だか話し声のような、抑揚のある音が聞こえてくる。それも一人分じゃない。数人ぶんだ。
念の為に杖を構えて、足音を立てないように注意し、名前は音の聞こえる方向へ向かう。
身を屈めて茂みに隠れ、隙間から様子を窺った。
「それで?
何かいい考えはあるの。」
「どうやって逃げたんだ?」
「失神光線を二、三発と、武装解除術。ネビルは『妨害の呪い』のすごいやつを一発かましてくれたぜ。
だけど、何てったって一番はジニーだな。マルフォイをやっつけた───コウモリ鼻糞の呪い───最高だったね。やつの顔がものすごいビラビラでべったり覆われちゃつてさ。兎に角、君達が森に向かうのが窓から見えたから跡を追ったのさ。アンブリッジはどうしちゃったんだ?」
ロンとハリーだ。
ハリーのそばにはハーマイオニーが。ロンの後ろにはジニー、ネビル、ルーナがいる。
ハリーとハーマイオニーは血塗れで、ロン達は顔中傷だらけだ。
「連れていかれた。
ケンタウルスの群れに。」
「それで、ケンタウルスは、あなたたちを放っていっちゃつたの?」
ジニーが言った。
「ううん。ケンタウルスはグロウプに追われていったのさ。」
「グロウプって誰?」
ルーナが言った。
「ハグリッドの弟。
兎に角、今の、それは置いといて。ハリー、暖炉で何か分かったかい?『例のあの人』はシリウスを捕まえたのか?それとも───」
「そうなんだ。
だけど、シリウスがまだ生きてるのは確かだ。ただ、助けにいこうにも、どうやってあそこに行けるかが分からない。」
皆は問題の大きさに黙り、名前は一人ほっと安堵していた。
もしかしたら自身を傷付ける対象がそこにいたかもしれないのに、こんな暗い森の中で偶然にも仲間に出会えたのだから。
そうと分かれば隠れる必要性はない。
名前は茂みから姿を現した。
『……。』
予想していた範疇ではあるが、当然一斉に皆に杖を向けられた。
名前は両手を上げてその場に留まる。
名前だと分かると皆は杖を下ろした。
「驚かさないでくれ、ナマエ。」
ハリーが言った。
『ごめん。』
「でもどうしてここにいるの?」
ハーマイオニーはちょっと怪訝そうだ。
『さっき話してた事だけど、』
「さっき話してた事?」
ロンが繰り返す。
『そう、どうやって神秘部へ行くか。』
「何か案があるの?」
ハリーが聞いた。
『飛んでいく。』
「ナマエに賛成。まあ、全員飛んでいく他ないでしょう?」
ルーナが言った。
ハリーはキッと名前とルーナを睨む。
「オーケー。
まず言っとくけど、自分の事も含めて言ってるつもりなら、『全員』 が何かするわけじゃないんだ。第二に、トロールの警備がついていない箒は、ロンのだけだ。だから───」
『いや、』
「私も箒を持ってるわ!」
ジニーが叫んだ。
「ああ、でも、お前は来ないんだ。」
ロンが叱るように言った。
「お言葉ですけど、シリウスの事は、私もあなた達と同じくらい心配してるのよ!」
「君はまだ───」
『あの、』
「私、あなたが賢者の石の事で『例のあの人』と戦った歳より三歳も上よ。それに、マルフォイがアンブリッジの部屋で特大の空飛ぶ鼻糞に襲われて足止めになっているのは、私がやったからだわ───」
「それはそうだけど───」
『箒じゃ、』
「僕達DAは皆一緒だったよ。
何もかも、『例のあの人』と戦う為じゃなかったの?今度は、現実に何か出来る初めてのチャンスなんだ───それとも、全部ただのゲームだったの?」
「違うよ───勿論、違うさ。」
「それなら、僕達も行かなきゃ。
僕達も手伝いたい。」
「そうよ。」
ルーナが嬉しそうに笑った。
『……ちょっと、いいか。』
会話が途切れるのを待って、名前は改めてそう言った。
全員が名前に注目する。
『箒じゃない。』
「何だって?じゃあどうやって───」
ハリーは焦れったそうだ。
『セストラル。』
「セストラルって……。」
ロンは不安そうな顔付きだ。
「あのへんてこりんな馬の事?
誰かが死んだのを見た事がないと見えないってやつ?」
『うん。』
「ナマエと私って気が合うみたい。」
ルーナは満足そうに笑う。
「それはとっても良い案だね。だけど今からどうやってセストラルを見付けるんだ?」
ハリーは苛々言った。
『大丈夫、そこにいる。』
名前はハリーの背後を指差した。
ハリーがくるりと振り返る。
木立の合間から此方の様子を窺うように、白い眼が覗いていた。
驚きにハリーは目を見開きながらも、早足でセストラルに近付く。
「どうしてこんなところに?」
『誘き出した。』
「どうやって?」
『キッチンで生肉をもらった。』
言いながら、残っていた生肉をセストラルに与える。
「君って頭いいね。」
「ハリー、何頭いる?」
「二頭だけ。」
「でも、三頭必要ね。」
「四頭よ、ハーマイオニー。」
ジニーは眉を寄せた。
「ほんとは全部で六人いると思うよ。」
ルーナが数えながら平然と言った。
『大丈夫、さっきはもっと来ていた。きっと来る。』
「バカな事言うなよ。全員は行けない!
いいかい、君達───」
ネビル、ジニー、ルーナを指差す。
「君達には関係ないんだ。君達は───」
ハリーの言葉を遮って三人は抗議した。
皆一斉に話すのと、えらく早口なので、名前には聞き取れなかった。
「オーケー、いいよ。勝手にしてくれ。
だけど、セストラルがもっと見付からなきゃ、君達は行くことが出来───」
「あら、もっと来るわよ。」
ジニーは馬を見ているような気になっているらしい。
てんで違う所を見ているが。
「何故そう思うんだい?」
「だって、気が付いてないかもしれないけど、あなたもハーマイオニーも血だらけよ。
そして、ハグリッドが生肉でセストラルを誘き寄せるってことは分かってるわ。そもそもこの二頭だって、
多分、それで現れたのよ。」
ハリーに一番近いセストラルが、血で濡れたローブの袖を舐めていた。
もう一頭は生肉にがっついている。
「オーケー、それじゃ、
名前と僕がこの二頭に乗って先に行く。ハーマイオニーとロンは後の三人とここに残って、もっとセストラルを誘き寄せればいい。」
「私、残らないわよ!」
「僕だって待つつもりはないぞ。」
「そんな必要ないもン。
ほら、もっと来たよ……あんた達二人、きっとものすごく臭いんだ……。」
ハリーが振り向いた。つられて名前も振り向く。
木立の合間を慎重にすり抜けて、少なくとも六、七頭分の目が薄暗闇に光っている。
ハリーは苛々を込めた溜め息を吐いた。
「仕方がない。
じゃ、どれでも選んで、乗ってくれ。」
『その前に、ちょっといい。』
「勘弁してくれ、これ以上なんだって言うんだ?」
『ごめん。
これを持っていて。』
懐からお守りを取り出し、ハリーに手渡す。
不思議そうにそれを見るハリーを横に、名前は他の皆にもお守りを配った。
「これは何?」
ハリーが尋ねた。
『一応、お守り。』
「何から僕達を守ってくれるの?」
『……悪いものから。』
「悪いものね。」
言いながらロンはお守りを眺める。
『引き止めてごめん。行こう。』
「うん、行こう。」
側にやって来たセストラルの中で一番近いセストラルをハリーは選んだ。
鬣を手に巻きつけ、手近な切り株を踏み台に、鞣皮のような背中をよじ登る。
ルーナは慣れたように横座りに乗ってローブを調えていた。
手こずっているのはネビルで、セストラルの背に這い上がるのを名前は手伝っていた。
跨ったところで名前は背後を振り返る。
ロン、ハーマイオニー、ジニーの三人は口をポカンと開けて、その場から動かない。
動けないと言った方が正しいだろうか。見えないものに乗れるわけもない。
「どうしたんだ?」
「どうやって乗ればいいんだ?
乗るものが見えないっていうのに?」
「あら、簡単だよ。
こっちだよ……。」
『手伝うよ。』
名前とルーナで手分けして三人セストラルに乗せた。
それからルーナは自分の馬の背に戻り、名前残りのセストラルの背に飛び乗った。
「こんなの、無茶だよ。
無茶だ……見えたらいいんだけどな───。」
「見えないままの方がいいんだよ。
それじゃ、皆、準備はいいね?」
ハリーを見詰めて頷く。
鬣を握り、セストラルの体に膝をしっかりくっつけた。
出来る限り身を伏せ、自身の体とセストラルの胴体をピッタリつける。
「オーケー……。
それじゃ、ロンドン、魔法省、来訪者入口。
えーと、どこに行くか……分かったらだけど……。」
セストラル達は始め何の反応もしなかった。
しかし次の瞬間、両翼がさっと開く。
膝を折って屈み込み、地を蹴って急上昇した。
風が耳元でゴーッと唸る。
角度は殆ど直角だろう。滑り落ちそうな体をしっかりくっつける。
あっと言う間に木々を抜けて上空に出た。
地上では木々に囲まれ分からなかったが、上空に出ると見事な夕焼けが名前達を出迎えた。
そこからスピードは少し緩やかになった。
セストラルは翼を殆どはばたかせず滑空するように、ホグワーツを越えて、ホグズミードを越えて名も知らぬ山々を越えていく。
瞬く間に変化する風景と時間。
陽が暮れ始め、眼下の景色も見えづらくなってきた。
ポツポツと灯りが灯されて、それだけが村々の存在を主張している。
「気味が悪いよー!」
前方でロンが叫んだ。
目に見える支えが無いままこんなに高い所まで来たのだから、恐れるのも当たり前の話だ。
上空を進み続けて数時間。
闇が深まる毎に気温が下がっていく。
おまけに体はすっかり固まり、力が入っているのかいないのか分からない。
やがてすっかり陽は落ちた。
晴れた夜空に月と星が輝いている。
地上からマグルに見られない事を祈るばかりだ。
『……。』
痺れた体に衝撃が走る。
セストラルが急降下を始めたのだ。
他のセストラル降り始めたらしく、前方の彼方此方で悲鳴が上がった。
地上の灯りはみるみるうちに大きくなっていく。
地上の景色がくっきり見えてくる。
建物の屋根に窓からこぼれる明かり、車のヘッドライトの流れや、眩く光るネオンサイン。
ハリーのセストラルが歩道に舞い降りた。
あれだけのスピードとは裏腹に、着地は羽毛のようにふわりとしていた。
次に着地したのはロンのセストラルだ。
着地した途端にロンは歩道へ転げ落ちた。
「懲りごりだ。
二度と、絶対嫌だ……最悪だった───。」
ロンの両脇にハーマイオニーとジニーが着地する。
二人ともロンよりは少し優雅に滑り降りた。
次はネビルで、ネビルは飛び降り、その次のルーナはすっと下馬した。
最後は名前で、名前は長い足に苦労して降りていた。
- 255 -
[*前] | [次#]
ページ: