14.
授業の終わりを告げるベルが鳴った。
ハリーたちは移植ごてを放り投げ、教室を飛び出していく。
校庭を全速力で走っていく三人の姿を、名前はじっと見つめた。
『……(もう、孵る頃)』
問題集から顔を上げて、ぼんやりと青空を眺める。
日当たりの良い窓際で、名前はのんびりと宿題をこなしていた。
空気は乾燥し、頬を撫でる風は冷たいが、日差しだけは強くぽかぽかと暖かい。
名前は目を細める。
ハグリッドの小屋で、今日、ドラゴンの卵が孵る。
一緒に見に行こうと、ロンに激しく誘われてはいたが、名前は首を振って断った。
山のような宿題があったからだ。
それでもロンはしばらく食い下がった。
ハーマイオニーに言いくるめられ、渋々引き下がったが。
(「ナマエは勉強がしたいのよ!無理に誘っちゃ悪いわ!集中させてあげましょう!」「今日くらいいいじゃないか!ドラゴンの卵が孵るところなんて一生に何度も見られないよ!」と、争いは勃発したが)
(悪いことしたかなあ、と名前は思った)
『(………話を聞かれていた…)』
山積みになった宿題をぼんやりと見下ろす。
ドラゴンの卵が孵る。
ロンは授業をサボって見に行こうとしていた。
当然ハーマイオニーは止める。
"行く"、"行かない"の口論は、手紙が届いてから教室に行く間まで、ずーっと続いていた。
(結局、授業が終わった直後に教室を飛び出していったが。)
そのやり取りを、マルフォイが聞いていた。
確かではないが、立ち止まってじっとハリーたちの方を見ていたから、可能性は高い。
ハリーとマルフォイは仲が悪いようだし、この話がいさかいの種にならなければいいが、なんだか胸騒ぎがする。
名前は再び問題集に目を戻す。
参考のために借りてきた本を開き、目的の言葉を索引から調べる。
時計の針は淡々と時を刻んだ。
『……噛まれた』
「うん。ほら、見てよこれ。」
ロンが名前の顔の前に、ぐいっと手を差し出した。
ハンカチにくるんであるが、元の色がわからなくなるくらい真っ赤に染まっている。
絞れば滴り落ちそうなくらいだ。
『手当てはしたのか。』
「ううん。まだ。今餌やりから帰ってきたばっかりだもの。」
『………』
名前がすっと、手を差し出す。
「何?ナマエ。」
『手。』
「え?」
『手当て。俺がする。』
「………」
ぱちくりと瞬きを繰り返すロンの腕を、名前はそっと引っ張る。
そうして、自身のベッドに座らせた。
カバンの中から救急箱を取り出し、いくつかの道具を抜き取る。
血みどろのハンカチを開くと、これまた真っ赤に染まったロンの手が露になった。
名前は手当てを開始する。
時既に遅く、皆は寝静まっていた。
だからなるべく静かに、手早く。
消毒のとき、ロンは歯を食い縛って悶えた。
ガーゼを当て、傷口を圧迫する。
(うろ覚えの圧迫止血法だった。)
『………ハリーとハーマイオニーは。』
「談話室。なんか話してるみたいだよ。」
『………』
「………」
『………』
「………」
『…ノーバートは、チャーリーが引き取るのか。』
「え?」
唐突に名前が聞く。
ロンはすぐには反応ができず、少しの間ぽかんと口を開けていた。
「あ、うん…あれ?ナマエ、話したっけ?」
『談話室から話し声が聞こえた。…辺りは静かだ。』
少しバツが悪そうに見えた。
ぼそぼそと名前が答える。
答えながら、更にガーゼを重ね、圧迫した。
なかなか血が止まらない。
「そっかあ……ああ、そうなんだよ。まったく。やっと解放されるよ。ヒドイだろ?この手の傷!ノーバートが噛んだのに、ハグリッドは僕がノーバートを恐がらせたのが悪いって叱ってきてさ、僕の話なんかちっとも聞きやしないんだから。」
『…随分可愛がっているんだな。』
「可愛がってるなんてもんじゃないよ。狂ってるぜ。」
何重にもガーゼ重ねる。
丁寧に、几帳面に包帯をくるくると巻き付ける。
巻き終えると、必要のない部分をハサミで切った。
とれないように固定する。
真っ白い包帯を透かして、あてたばかりのガーゼが赤くなっていくのが見える。
『(………)』
「ありがとう、ナマエ。」
『ああ………ロン、』
「なに?」
『傷…医務室で治療してもらった方がいい。』
「なんで?」
『………酷い。』
「そりゃヒドイさ。ドラゴンに噛まれたんだもの。」
『…毒かも、しれない…』
「毒?!」
『しっ…』
「あっ…ごめんよ。…
…毒だって?」
『ドラゴンの牙には毒がある…記憶が正しければ。…
……本で読んだことがある。』
ロンの顔がサァッと青ざめた。
包帯が巻かれた手を見下ろす。
名前もつられてじっと見る。
ゴクリ、生唾を飲み込んで、ロンは口を開いた。
「毒、あったら…ヤバイよ。僕、解毒薬なんか作れない。」
『………』
「………医務室、行った方がいいのかなあ。」
『………』
頷く。
ロンは手から名前に目を移す。
「でもさ、でも…なんて説明したらいいんだろう?
"犬に噛まれました"って、言ったら……マダム・ポンフリーは信じてくれるかなあ。」
『…………』
名前は頷き返せなかった。
ロンは結局、医務室には行かなかった。
ドラゴンの存在が知られることを恐れ、行くのを渋ったのだ。
ベッドに横になり、真っ暗な部屋の中で、何度も寝返りをうつ音が聞こえたものだから、名前は気になって眠れない。
ロンのベッドまでやって来てみると、ロンは眉根を寄せて目を開いていた。
尋ねてみると、痛くて眠れないのだと言う。
名前はそっと包帯に覆われた手に触れてみた。
ひどく熱をもっている。
治るうちに治した方がいいのでは、と名前は言ってみたが、ロンは頑なだった。
翌朝になり、ロンの手は二倍くらいの大きさにまで腫れ上がった。
そして昼過ぎには、傷口が緑色になっていた。
ハーマイオニーが悲鳴を上げかけたほど、傷は酷くなっていたのだ。
―――バレるから。―――
未だに渋るロンを、三人で医務室に引っ張っていく。
そんなことを言っている場合ではない。
「じゃあ、僕たちロンのお見舞いに行ってくるからね。ナマエ。」
「ナマエはちゃんと寝てるのよ。」
『………』
ぱたりとドアがしまる。
誰もいない寮。
名前は一人ベッドに横たわっていた。
昨夜、眠れないロンに付き合って徹夜したのがいけなかったのか。
名前の眠気は、今日一日絶好調だった。
制服を前後反対に着る。
何もないところでこける。
杖を吹っ飛ばす。
机に頭を打ち付ける。
インクを溢す。
眠気が最高潮に達した魔法薬の授業では、名前は薬を作りながら、立ったまま眠ってしまった。
ふらりと体が傾いたことで目が覚めたが、あのまま倒れていたら、鍋に頭から突っ込んでいたことだろう。
幸い、スネイプには気付かれなかったようだが。
(怪訝そうな顔はしていた。)
(一番安心したのはハリーたちだろう。)
自然と瞼が下がり、いつの間にか目を閉じていたことに、その時ばかりは、名前自身とてもびっくりしたのだった。
そして、
"このままでは近い内に必ず何かを起こす"
と判断された名前は、授業が終わって間もなく、大人しく自室のベッドに横たわっている。
『…………』
名前はしばらく、ぼんやりと天井の木目を見つめていたが、
うつ伏せになって枕に顔を擦り付けると、そのまま寝息を立て始めた。
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