19.-1
『……。』
くあ、と。声にならない欠伸をしつつ、肩にはネスを乗せて、名前はグリフィンドールの談話室へ戻るところだった。
今日はイースター休暇の初日で、朝の訓練も些かのんびりだ。
涙の滲む目を擦りながら、グリフィンドールの談話室へ足を踏み入れた名前は、目の前に人がいる事に気が付かなかった。
「やあ、おはよう。ナマエ。」
『……、おはよう、ハリー。』
訓練後とはいえ早朝に、それも休暇中の早朝にだ。
ハリーが談話室のソファーに座っている。
まだ寝巻き姿のままだ。
『今日は早いね。』
「ああ、まあね。多分、一昨日の興奮がまだ冷めてないんだよ。」
『確かに凄い騒ぎだった。』
「うん、凄かったよね。」
その場ですぐに会話を止めるのもどうかとでも思ったのか、名前はハリーの向かい側へ腰掛けた。
頬を汗が伝う。
タオルで拭った。
「ねえ、ナマエ。」
『何。』
「あのさ、僕……」
『うん。』
「……。」
話しながらハリーは、目を彼方此方に泳がせた。
指をもじもじさせて気を紛らわしているらしい。
まるで会話の切り口を探しているようだった。
ネスがぶるると体を震わせる。
その様子に目を留めて、ハリーはやっと口を開く。
「僕……僕、終わったんだ。あの、スネイプとの訓練。」
『……。』
目を瞬かせる。
「うん、終わったんだ。もう基本は出来てるから、独りで大丈夫だって。それで、あの、少し……ほら……少し気が楽になった。うん。」
そう言うハリーの顔色は決して嬉しそうではない。
あんなに嫌がっていた厳しい訓練が終わったのに、何なら始める前より思い詰めた顔をしている。
肩の上でネスが身じろぎをした。
『ハリー、嫌な事があったの。』
「嫌な事なんて無いよ。」
『でも、嬉しそうな顔していないよ。』
「ああ……うーん……そうかな?」
腕組をしてハリーは考える。
演技のような仕草だ。
「そうだな……そう……うん。嫌な夢を見たんだ。」
『どんな夢。』
「僕の父さんの夢。」
『……。』
「他にシリウスとリーマスもいて……学生時代の夢だった。それが、すごく嫌なやつでさ。スネイプをイジメてた……。」
『……。』
「それで…………。ねえ、あの……、」
『……。』
「あの……あのさ、ナマエ。こんな事を聞くのは良くないとは分かっているんだけど、……」
『何。』
「お父さんが死喰い人だったって聞いた時、どう思った?」
質問の意図が分からず、名前はハリーの顔を見詰めたまま、黙ってパチパチと瞬きを繰り返した。
ハリーはそんな名前を思い詰めた顔で見詰め返し、じっと返事を待っている。
意図は分からないものの、ハリーが抱えた考えの根本に関わる質問のようだ。
名前は黙ったまま視線を右斜め上へ遣って、暫く思考を巡らせた。
『驚いた。』
「そうだよね。」
『それで、暫く動揺した。悲しくて、怒れて、……色んな感情が混ざってて、複雑な気持ちだった。一言では言い表せない。』
「……そうだよね。」
『……。
ハリー。』
「……。」
『ハリー。』
「え?」
『大丈夫。』
「僕?」
『うん。』
「何が?」
『ぼーっとしている。』
「ナマエ程じゃないさ。」
『……。』
「あのさ、」
『……。』
「僕もう、『閉心術』の訓練をやらなくていいんだ。だからこれからは、少しゆっくり出来るよ。」
『……そう。』
「うん。……。」
瞬きも忘れて遠くを見詰め、何かに悩んでいるようだった。
その辺りを名前は勇気を持って突っついてみたが、ハリーは触れられたくない話題らしい。何だかゴニョゴニョと誤魔化さてしまった。
なので名前は引っ込んだ。
口下手ではなく話上手ならば、悩みを聞き出して力になれたかもしれないのに。
しかし自分にだって触れられたくない話題はある。
「目覚まし薬が必要ですって?」
マダム・ポンフリーは名前を診てそう言った。
「まあ、あなたに必要なのは睡眠ですよ。」
『睡眠はとっています。』
「質の良い睡眠です!」
一喝されて名前は、何やら苦くて甘い薬を飲まされ、医務室のベッドへ叩き込まれた。
イースター休暇初日を医務室のベッドで過ごす事になろうとは、名前は思いもしなかっただろう。
おそらく、夢日記を書き始めてからだろうか。
昼夜問わずぼーっとする事が増えていた。
浅い眠りを繰り返すせいか。それとも。夢を記憶しようと気を張るせいか。
昨年は眠れない日が続いていたが、今度は寝過ぎる日が続いている。
困った事に授業中や食事中、友人との談笑中にも船を漕ぐ。まあ、名前は元からぼーっとしているし、少食だし、寡黙だから、特別誰の気にも留められていないのだが。
試験まであと六週間だというのに、このままでは支障をきたしてしまう。
試験中に居眠りなどしたら目も当てられない。
「今頃の時期は皆、神経質になるのです……。」
試験へのヒステリー患者でいっぱいの医務室で、名前は午前中を過ごす事になった。
メソメソしくしく、彼方此方で呻き声としゃくり声が生まれては消えていく。
そんな中アッサリ眠りに落ちられるものだから、名前は案外神経が図太いのかもしれない。
まあ単純に、薬のせいで眠たかったのだろう……。
───……。
マクゴナガルが倒れる夢。
橋が崩れ落ちる夢。
暗い廊下の夢。
同じ夢の繰り返しだ。
何度も見ているのに名前の心臓は嫌に脈打ち、勝手に体が強張る。
悲鳴。轟音。身を刺すような静けさ。
繰り返していくうちに、色も音も景色も、輪郭を鮮明にさせている。
「さあ、ミョウジ。お昼ごはんの時間ですよ。気分は良くなりましたか?」
『……はい。……。』
正直眠気が勝っていた為に気分の良し悪しなど分からなかったが、殆ど反射的にそう返事をした。
起き上がって腕時計を見る。医務室に来てから三時間経っていた。
ローファーを履いてローブを整えると、寝ぼけ眼のままベッドから追い出される。
追い出されるままに医務室を出たが、耐え難い眠気が続いていた。
『……。』
薬のせいだろうか、とでも思ったのかもしれない。
一人首を傾げて、大広間とは反対方向に、フラフラ歩を進める。
大階段の横を通り過ぎ、向かった先は中庭だ。
四月とはいえ外はまだまだ肌寒い。その空気に触れる事で目を覚まそうとでも考えたのだろう。
中央の噴水に腰掛けた。
石造り噴水はヒンヤリとしていて、それだけでも目が冴える。
そのまま渡り廊下をぼーっと眺めた。
昼食の時間だからか、中庭には名前だけだった。
『……。』
冷たい風が頬を撫でる。
そうしていると目覚めるはずが、カクリと一瞬。
意識が飛んでしまう。
眠気を感じる前に寝てしまうのだった。
───……。
ポタリ。
ポタリ。
水滴が飛んでくる。
───いや、真上から落ちてきている。
真っ暗だ。───目を閉じているから?
いや、これは夢だ。周りを見る。
真っ暗だがこれは、夜の暗さではない。
建物か何かの内部のようだ。湿った冷たい空気に満ちている。
足元は磨かれた床ではない。ゴツゴツとした岩肌のようだ。
───ここは、あの廊下じゃない。……
いつも見る、黒い扉に続く仄暗い廊下の夢ではないらしい。
キョロキョロと辺りを見回しながら、そう判断する。
見回していると遠くに二つ、白っぽい光が現れる。
光は徐々に此方ヘ近付いて来て、ようやく人が二人、杖先に明かりを灯している事が分かった。
ダンブルドアとハリーだ。
舟に乗っているようだ。二人の周囲は水で囲まれている。
───どうやらここは洞窟の中に出来た湖らしい。
湖面に杖先の明かりが反射していた。
ダンブルドアとハリー。たった二人で、一体何をしにここへ来たのだろうか?
誰かを探しに?あるいは、何かを探しに?
小舟の行き先を目で辿る。そこには、
緑がかった光があった。
オーロラのような神秘的な光……。
「おはよう、Mr.ミョウジ。」
『……。』
視界いっぱいに真っ黒いマントが映っていた。
自身を呼び掛けるこの低い声、名前はよく知っている。
「随分と深い眠りに入っていたようですな。目覚めの気分は如何かね?」
顔を横へ向けると、そこには予想通り。
スネイプが見下ろしていた。
眠気などとうに吹き飛んでいたが、名前は噴水に横たわったまま、微動だに出来なかった。
「居眠りする暇があるとはさすが、さすが首席は余裕がありますな。」
『……。違います……』
「何が違うと言うのかね。」
『寝たくて寝ていたわけでは無いのです。』
「居眠りしていた者の言葉は信じられん。」
『……。』
まさにその通り。
名前は言葉に詰まり黙った。
スネイプは鷲鼻をツンと上げた。
「昼食へ行きたまえ。少しは目が冴えるだろう。」
そう言って、スネイプは中庭から去っていった。
名前は目覚まし薬を自作して飲むべきだったのだ。
それからだ。ハーマイオニーが作ってくれた学習予定表に従いながら、空いた時間を図書館に費やしたのだ。
目的は勿論「居眠り」、もしくは「目覚まし」で、何か対策が見付かればと考え、時間が許す限り入り浸った。
とはいえ。
そんな状態でまともに読書など出来るわけも無かったのだが。
しばしば机に額をぶつけるはめになった。
しかし読書ばかりもしていられない。
試験に向けて勉強もしなければならない。
───ナマエ……
ナマエ…………
「ナマエ、」
声が鮮明に聞こえた。
パチリ、目を開く。
またうたた寝していたらしい。目の前にはテーブルが広がっていた。
上半身を起こして声の発生源を確認する。
それはすぐに見付かった。隣の椅子にセドリックが座っていた。
「呼んでも揺すっても中々起きなかったから不安になったよ。根を詰めてるんじゃないのか。」
『大丈夫です。』
「そうかな、それならいいけど……。」
チラリ、名前が読んでいた本を横目にして、セドリックは益々心配そうな顔になった。
開いてあるのは「寝過ぎるあなたに効く薬」の頁だ。
「試験もそうだけど、その前に進路指導があるだろう。ナマエは何にしたんだ?」
隣の椅子を引き、セドリックは腰掛けた。
名前は左右に頭を振る。
『まだ決めてないです。』
「うーん、そうか。職業紹介資料には目を通したかい。」
『はい。』
「僕がこう言うのはお節介だろうけど、良かったら相談に乗るよ。
参考になるかどうか分からないけれど……。」
『有り難うございます。』
「何と何で迷っているとか、ないかな?」
『……。』
薄緑色の瞳が名前を覗き込む。
名前はじっと、その瞳を見詰め返した。
『マグルとして職に就くか、魔法使いとして職に就くか、迷っています。』
「マグルとして?」
予想外の言葉だったようだ。
セドリックはパッと目を見開いた。
「何かなりたいマグルの職業があるのかい?」
『……
はい、あの……今お世話になっている人の仕事を手伝いたいのです。』
「成る程。気持ちは分かるよ。
僕の父が『魔法生物規制管理部』に勤めていてね、いつも忙しそうにしている。手伝いたい気持ちは分かる……。
どの仕事も大変なんだろうけれど、親しい人がいると、ついね。」
『……。』
「それで、魔法使いとしてはどうなんだ?」
『まだ決めてないです。』
「そもそもマグルとしてか、魔法使いとしてか、悩んでいるんだね。」
『はい。』
「どちらも決して悪い選択じゃないよ。ただ君は折角魔法使いとして学んできたわけだし、良い成績を納めているだろう。それをふいにするのは勿体無いと思うな。」
『……はい。』
「僕個人の意見だけどね。でも、そうか、大切な時期だからね。じっくり考えるといい。」
『セドリックさんは何になるのですか。』
「僕かい?」
「『闇祓い』を目指している。」
『とても厳しくて困難だと聞きます。』
「そうだ。いくらホグワーツで優秀な成績を納めていても、なれるかどうかも分からないし、それに三年間訓練が必要なんだ。それでも必要な職業だから、僕は目指している。」
魔法界では十七歳で大人として認めれる。
それに伴い職に全うしなければならない年でもある。
日本では高校生で、早ければ職に就く者もいるだろうが、まだまだ子ども扱いされる年頃である。
早過ぎる選択だと感じても仕方無いだろう。
(実際に名前がそう感じているのかは分からないが)
「まあね、癒術はやりたくないな。」
聖マンゴのパンフレットを読みながら、ロンはそう言った。
イースター休暇最後の夜だった。
「こんな事が書いてあるよ。NEWT試験で、『魔法薬学』、『薬草学』、『変身術』、『呪文学』、『闇の魔術に対する防衛術』で、少なくとも『E・期待以上』を取る必要があるってさ。これって……おっどろき……期待度が低くていらっしゃるよな?」
「でも、それって、とっても責任のある仕事じゃない?」
ハーマイオニーも小冊子を読んでいる。
表題を見る限り、マグル関係のようだ。
「マグルと連携していくには、あんまり色んな資格は必要無いみたい。要求されているのは、マグル学のOWLだけよ。『より大切なのは、あなたの熱意、忍耐、そして遊び心です!』だって!」
「僕の叔父さんと関わるには、遊び心だけでは足りないよ。むしろ、いつ身を躱すかの心だな。」
ハリーは魔法銀行の小冊子を読んでいた。
「これ聞いて。『やりがいのある職業を求めますか? 旅行、冒険、危険が伴う宝探しと、相当額の宝のボーナスはいかが?それなら、グリンゴッツ魔法銀行への就職を考えましょう。現在、『呪い破り』を募集中。海外でのぞくぞくするようなチャンスがあります……』でも、『数占い』が必要だ。ハーマイオニー、君なら出来るよ!」
「私、銀行にはあんまり興味ないわ。
ナマエはどうなの?」
『……。』
魔法生物関係の小冊子を読んでいた名前は顔を上げた。
皆各々、小冊子に顔を埋めていた。
「そうだ、ナマエからはなーんにも聞いてないや。君なら何にでもなれそうだけどね。」
「ナマエは何を希望してるんだい?」
『まだ、』
「決まってないの?何も?」
『うん。』
「えーっ。……まあ僕達も同じだけど、君と僕じゃ条件が違うし……」
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