13.-2







ドンッ



「あ…み、Mr.ミョウジ?」



『………』





突如壁にぶつかり、一瞬視界が真っ暗になった。

慌てて離れてみると、壁だと思ったのはクィレルの背中だった。

驚いた顔をして、名前を見ている。





『ごめんなさい……』


「いえ、私は、だ、大丈夫ですので。
ど、どうしたのですか?ずいぶん、い、いそ、急いでいる、ようでしたが。」



『…………』





素直に話すわけにもいかず、名前は黙り込む。

俯いて爪先辺りを見つめ、ゆるりと首を左右に振った。





「特に理由は…な、ないと。」



『………』
頷く。



「そうですか。…」





明らかに納得していない様子だ。
顔には微笑みを浮かべているが。

じっとクィレルの顔を見つめる。
それこそ、観察でもするように。
クィレルは落ち着かなさそうに目をそらしたり、体をもぞもぞさせた。

しばらくして、クィレルの口が何か言いたそうに開きかけた頃、名前は言った。





『…先生は、本を…』



「あ…え、ええ。」





戸惑いがちに答えるクィレルに、名前は涼しげな表情で続ける。





『…先生も、図書館を利用するんですね。』



「そ、そうですね…教師という立場ですが、す、すべてを知っているわけではありませんから、…
調べたいときもありますし、度忘れする、な、なんてことも、ありますからね。…」





クィレルは笑みを深くさせた。
無理矢理笑顔を作ったかのようで、頬がぴくぴくと痙攣している。
名前は生真面目に頷き返した。





「前々から、お、思っていたことがあるのですが…きいてもよろしいでしょうか?」



『………』





こてん、と名前は首を傾げる。

それから、ゆるゆると頷く。





「何故ミョウジ君は、私の名前は呼ばないのでしょうか?」



『………呼んでいませんか。』



「はい。い、一度も。」



『………』





名前は首をまっすぐにして、黙り込んだ。

目は遠くを見ている。





『…滑舌が、悪くて。』





やがてぽつりと返された言葉に、クィレルはぱちくりと瞬きを繰り返した。

沈黙。

持っていた本を抱え直し、クィレルは聞き返す。





「か…滑舌?」



『………』
コクリ、頷く。



「ど、どの辺りが悪いのですか?今聞いている範囲では…も、問題無いようですが。」



『先生の、名前です。』



「名前………クィレル、ですか?」



『……クレル…になってしまうんです。』





名前は頷き、俯きがちにぼそぼそと言った。

合点がいったように、クィレルは何度か深く頷いた。





「そ、そうでしたか…
わた、私の名前だけ呼ばれたことが、な、ないので…てっきり、き、嫌われているものだと。」



『そんなことはないです。』



「その言葉を聞いて、あ、安心しましたよ…はは、は。」



『……』



「き、君は、そつがなくて、な、なんでもこなせる生徒だと思っていたので、正直、い、意外です。
し、しかし…滑舌がわ、悪いというのは、少し問題ですね。じ、呪文はしっかり唱える事も、だ、だ、大事ですから…。」



『………』





クィレルはちらりと時計を見る。
それから名前に目を戻すと、微かに笑みを浮かべた。
口許がひくひくと痙攣している。
神経質そうな微笑みだった。





「ミョウジ君。ご、午後は授業の予定はありますか?」



『…いえ……』



「わ、私も、午後は授業がないんです。よかったら…れん、練習、しませんか?」



『………滑舌の、』



「そうです。ほ、他に予定が、あ、あるのなら、無理にとは言いませんが…。」



『……』





名前はじっと床の木目を見つめる。

少ししてから、クィレルを見た。
そしてゆっくり頷いた。





「そ、そうですか…では、私の教室に行きましょう。
ここで、や、やるわけには、いきませんからね。」



『……』





図書館を出て、二人並んで廊下を歩く。

意外な取り合わせなのか、何人かの生徒は物珍しそうな目で二人を見てきた。

廊下を歩く間もクィレルはおどおどしている。

一体何に怯えているのだろう。

名前は首を傾げる。

まさか、ヴォルデモート?

先ほどの考えが戻ってきて、名前はまた犬のように頭をぶるぶると振った。

不思議そうな顔でクィレルが見てきたが。

我に返った名前は、少し恥ずかしかった。





「ミョウジ君、そこに腰掛けて結構ですよ。」



『………』





連れてこられたのは、いつもの教室…

を、通り過ぎた奥の部屋。

ぽかぽかと日当たりが良く、明るい教室とは違い、この部屋は薄暗い。

ベッドや机、私服がかけられたクローゼットがあるあたり、ここはクィレルの私室なのだろう。

足の低い大きなテーブルと、それを取り囲むように配置されたソファー。
両方高価そうに見える。

名前は棒立ちだった。
動いたら絶対何か傷付けると思った。





「ミョウジ君。ど、どうしたのですか?さ、さあ。ここに座ってください。今お茶を出しますから。
あ、甘いものはお好きですか?」



『………』





名前は右を見たり左を見たり、手を意味もなくわたわたさせたりして落ち着きがなく、挙動不審だ。
「自分なんかにお茶出さなくていいのに!」という心境らしい。
口に出していないので、伝わるわけがないのだが。

クィレルもどうしたらいいのかわからないようである。

杖を一振り。
紅茶とクッキーを出すと、諦めたのか、しずしずと近寄ってきた。
高価そうなソファーに、そっと座る。
(思いの外沈み込んで、名前は危うく引っくり返りそうになった。)

湯気が立つ紅茶を一口飲む。
ほっと息を吐いた。

クッキーを一、二枚食べて、紅茶の湯気が薄くなった頃、クィレルは口を開いた。





「そ…それでは、そろそろ、は、始めましょうか。ええと…
では、私の名前で練習してみましょうか。言ってみてもらえますか?」





名前は紅茶のカップを、そっとソーサーに置く。

カップもソーサーも高価そうだった。





『…く、……クレル』



「………クィレル、ですよ。」



『クイレル…』



「クイレルになってますが…」



『クイ…く、…キィ…く、キュレル…』



「(もはや別のものに…)
…クィディッチは言えますか?」



『クディッチ……』



「…………」



『…くい……く……きでぃっち……』



「…………」



『………きゅでぃっち…』



「…………
…練習が必要なようですね。」



『…………』





クィレルによる滑舌講座は、とっぷり日が暮れて、晩御飯にありつくまで続いた。

(大広間に行く間も練習が続いたのだ。)

練習をしながら二人で大広間に入ったとき、ハリー達からは生暖かい眼差しで見つめられ、教員席に座っていたスネイプからは、これまでにない鋭い目で睨まれた。

名前は視線で殺されると思った。

なるべく来賓席の方を見ないようにして席に着く。

興味津々の様子のロンが、顔を寄せてきた。





「ねえねえ、どうしてクィレルと来たんだい?君、何かやったの?」



『………』





名前は首をゆるりと左右に振る。

ミルクをゴブレットに注ぎ、ゴトリと机に置いた。
それから手を合わせて、いただきます、と小さく呟く。





「じゃあ、なに?」





焦れたようにハリーが言った。
ハーマイオニーも気になるようで、パンをちぎりながらちらちらと名前を見る。
皿の上のパンはもう粉々だった。
名前はレタスをパリパリと咀嚼する。
中々話さそうとしない。
フォークに一粒ずつグリーンピースを刺しながら、やっと口を開いた。





『滑舌の練習。』



「………はあ?」



『く…くぃれる先生、スパルタ。……』





ちゃんと発音できてる?と首を傾げながら聞く名前を、三人はぽかーんとした顔で見つめた。

その後、ぼそぼそと理由を話してみると、皆盛大に吹き出すのだった。





「ねえ、ナマエ。クィディッチって言ってみてよ。」



『…いやだ。』



「クィレルは?」



『やだ。』





含み笑いをするロンとハリーから目をそらし、名前はそっぽを向いた。



笑い声は大きくなるばかりだった。

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