15.-1


『……。』





翌朝。大広間に足を踏み入れた名前はまず、真っ直ぐ正面にある教職員テーブルに目がいった。
これまで無意識にスネイプの方へ視線が向かってしまうのもあったのだが、今朝の教職員テーブルは様子が違っていたのだ。

普段の柔和な微笑みは消え、代わりに深刻な表情を浮かべるダンブルドアと、厳しい表情を更に厳しくさせるマクゴナガルの二人が、何やら真剣に話し込んでいるのが窺える。
ケチャップの瓶に立て掛けてあるのは「日刊予言者新聞」だろうか。持ち上げたスプーンをそのままに、スプラウトが記事に釘付けになっている。
テーブル端のアンブリッジはひたすらオートミールを口に運んで、普段ならば生徒の方を見張るような目付きで見渡しているのに、今朝は話し込むダンブルドアとマクゴナガルの方を窺っていた。

そこまで確認して名前は、グリフィンドールの長テーブルに沿って、長い足を駆使し大股で歩く。
見慣れたハリー達三人を見付けるのは容易だ。
三人はテーブル中央に置かれた「日刊予言者新聞」を、頭を寄せ合い覗き込んでいた。
三つ並んだつむじをちょっと見詰め、それからハーマイオニーの隣へ腰を下ろす。





『おはよう。』



「ナマエ、これを見て!」





挨拶もそこそこにハーマイオニーはバンとテーブルを叩く。
ミルクの入った瓶に手を伸ばした体勢で固まり、それから名前はチラリと叩かれた箇所を見た。
そこには「日刊予言者新聞」が広げられていた。
ハリーとロンに向けられていた記事を、ハーマイオニーがクルリと翻して名前に見えるようにする。

一面に顔写真が十枚。魔法使いが九人と、残る一人は魔女だ。
この魔女の名前には聞き覚えがある。ベラトリックス・レストレンジ───フランクならびにアリス・ロングボトムを拷問し、廃人にした罪と説明文が載せられている。
そして写真の下の大見出しには、
「アズカバンから集団脱獄
魔法省の危惧───かつての死喰い人、ブラックを旗頭に結集か?」と綴られていた。
更に読み進める。

───昨夜遅く魔法省が発表したところによれば、アズカバンから集団脱獄があった。
魔法大臣コーネリウス・ファッジは、大臣室で記者団に対し、特別監視下にある十人の囚人が昨夕脱獄した事を確認し、既にマグルの首相に対し、これら十人が危険人物である事を通告したと語った。
「まことに残念ながら、我々は、二年半前、殺人犯のシリウス・ブラックが脱獄した時と同じ状況に置かれている」ファッジは昨夜このように語った。
「しかも、この二つの脱獄が無関係だとは考えていない。このように大規模な脱獄は、外からの手引きがあった事を示唆しており、歴史上初めてアズカバンを脱獄したブラックこそ、他の囚人がその跡に続く手助けをするにはもってこいの立場にある事を、我々は思い出さなければならない。我々は、ブラックの従姉であるベラトリックス・レストレンジを含むこれらの脱獄囚が、ブラックを指導者として集結したのではないかと考えている。しかし、我々は、罪人を一網打尽にすべく全力を尽くしているので、魔法界の諸君が警戒と用心をおさおさ怠らぬよう切にお願いする。どのような事があっても、決してこれらの罪人達には近付かぬよう」───





「おい、これだよ、ハリー。
昨日の夜、『あの人』が喜んでたのは、これだったんだ。」



「こんなの、とんでもないよ。
ファッジのやつ、脱獄はシリウスのせいだって?」



「他に何と言える?とても言えないわよ。
『皆さん、すみません。ダンブルドアがこういう事態を私に警告していたのですが、アズカバンの看守がヴォルデモート卿一味に加担し』なんて───
ロン、そんな哀れっぽい声をあげないでよ───
『いまや、ヴォルデモートを支持する最悪の者達も脱獄してしまいました』なんて言えないでしょ。
だって、ファッジは、優に六ヵ月以上、皆に向かって、あなたやダンブルドアを嘘吐き呼ばわりしてきたじゃない?」





記事を読み終えて名前が顔を上げると、ハーマイオニーは新聞を引ったくって捲り、中の記事を読み進めた。

名前はミルクの瓶を手に取りゴブレットに注ぐ。
こんな恐ろしい記事を目にしても、やはり表情一つ変わらない。
テーブルの上の料理を見渡し、のんびりサラダを装っている。





「まあ、なんて───」



「まだあるのか?」



「これって……酷いわ。」





ハーマイオニーが新聞をハリーに手渡した。
それを隣からロンが覗き込んでいる。
名前はその様子をチラリと見たが、席が離れている為、大人しくサラダをつついていた。





『何の記事だったの。』





代わりに隣のハーマイオニーへ答えを仰いだ。
ハーマイオニーははたと名前を見た。
それから深く息を吸い込み、目を伏せ、再び名前を見据える。





「病院の……聖マンゴ病院の事故の記事よ。
昨日ナマエが話してくれた事が、現実に起こったのよ。」



『……。』



「大丈夫。あなたが見た男の人は、生きているわ。ただ、あんまり良い状態とは言えないみたいだけど……。」



『……。どういう状態なんだ。』



「ナマエが見た鉢植え植物、あれは『悪魔の罠』だったのよ。男の人───ブロデリック・ボードって言うんだけれど───ボードは『悪魔の罠』に首を絞められた直後、駆け付けた癒者達に蘇生措置を施されて、何とか一命を取り留めたみたい。でも蘇生に時間がかかって、入院直後の状態に戻ってしまった。」



『入院直後、……』



「文面からすると多分、言語能力とか運動能力を失ったのでしょうね。」



『……。』





恐ろしい夢は名前を動かし、夢の内容をマクゴナガルへ伝えさせたが、思った通り予知夢だったようだ。
夢の結末を迎える事は防げたらしい。しかし伝えるのが今一歩遅かったのかもしれない。
あの顔色の悪い男───ボードは一命を取り留めたが、ハーマイオニーの話からすると、あまり幸福な状態とは言い難いようだ。

名前がもっと緊急性高く伝えていれば完全に防げたかもしれない。
だが無表情な上に口下手な名前に、それは土台無理な話だ。





「ボード……ボードか。聞いた事があるな……。」



「私達、この人に会ってるわ。聖マンゴで。覚えてる? ロックハートの反対側のベッドで、横になったままで天井を見詰めていたわ。それに、『悪魔の罠』が着いた時、私達目撃してる。あの魔女が───あの癒者の───クリスマス・プレゼントだって言ってたわ。」



「僕達、どうして『悪魔の罠』だって気付かなかったんだろう? 前に一度見てるのに……こんな事件、僕達が防げたかもしれないのに。」



「『悪魔の罠』が鉢植えになりすまして、病院に現れるなんて、誰が予想出来る?
僕達の責任じゃない。誰だか知らないけど、送ってきたやつが悪いんだ!自分が何を買ったのかよく確かめもしないなんて、全く、バカじゃないか?」



「まあ、ロン、しっかりしてよ!
『悪魔の罠』を鉢植えにしておいて、触れるものを誰彼構わず絞め殺すとは思わなかった、なんて言う人がいると思う?
これは───殺人よ……しかも巧妙な手口の……鉢植えの贈り主が匿名だったら、誰が殺ったかなんて、絶対分かりっこないでしょう?」



「僕、ボードに会ってる。
君のパパと一緒に、魔法省でボードを見たよ。」



ロンがハッと息を吸い込んだ。
「僕、パパが家でボードの事を話すのを聞いた事がある。『無言者』だって───
『神秘部』に勤めてたんだ!」





ハリーと名前が見ている夢は「神秘部」へ続く廊下。
ヴォルデモートは「神秘部」の中にある何かを求めている、と言うのがハリーの見解だ。
そしてボードは「神秘部」に勤めていた。

四人は顔を見合わせる。いよいよきな臭くなってきた。

ハーマイオニーは新聞を引き寄せて、死喰い人達の写真を睨み付けた。それからすぐ勢い良く立ち上がった。
予備動作の無い勢いにロンが驚き若干仰け反っている。





「どこに行く気だ?」



ハーマイオニーは肩に鞄を掛けながらロンを見た。
「手紙を出しに。
これって……うーん、どうか分からないけど……でも、やってみる価値はあるわね。
……それに、私にしか出来ない事だわ。」





颯爽と歩き去るハーマイオニーを横目に、ハリーとロンが立ち上がった。名前も鞄を持ち上げて後を追う。
二人はゆっくり歩いていたし、名前の歩幅は広いので、あっという間に追い付く。
大広間を出ていくハーマイオニーの後ろ姿を見詰めながら、ロンは不機嫌そうだった。





「まーたこれだ、嫌な感じ。
一体何をやるつもりなのか、一度ぐらい教えてくれたっていいじゃないか? 大した手間じゃなし。十秒もかからないのにさ。
───やあ、ハグリッド!」





大広間の大きな扉を通り過ぎる際、脇にハグリッドの姿を見付けた。
どうやらレイブンクローの集団が通り過ぎるのを待っているらしい。

ロンの声に反応してハグリッドは辺りを見回す。
ホグワーツの中ではハグリッドの次に長身の名前の姿もあり、生徒の群れの中から声の主を見付け出すのは容易い。
名前達の姿を捉え、笑って見せようとしたその顔は相変わらず生傷が刻まれており、笑顔と言うよりも痛みで顔を顰めたように見えた。





「三人共、元気か?」



「ハグリッド、大丈夫かい?」



「大丈夫だ、だいじょぶだ。」





ハリーの心配する様子を感じ取ってかハグリッドは、努めて普段通りに振る舞った。
答えながら振った片手は通りがかったベクトルの頭を掠め、突然の襲撃に亀のように首を引っ込めていた。





「ほれ、ちょいと忙しくてな。いつものやつだ───授業の準備───火トカゲが数匹、鱗が腐ってな───
それと、 停職になった。」



「停職だって?」





巨体を縮こまらせてモゴモゴ告げたハグリッドに対して、反対にロンは驚き飛び上がって大きな声を出した。
周囲の視線を集めるには十分な声量だ。
身長に差がある為どうしても声を張る必要はある。
周囲の視線が散った時を見計らい、ロンは出来るだけ声を落とした。





「ごめん───いや、あの───
停職だって?」



「ああ。ほんと言うと、こんな事になるんじゃねえかと思っちょった。お前さん達にゃ分からんかったかもしれんが、あの査察は、ほれ、あんまりうまくいかんかった……まあ、兎に角。

火トカゲに、もうちいと粉トウガラシを摺り込んでやらねえと、こん次は尻尾がちょん切れっちまう。そんじゃな、ハリー……ロン……ナマエ……。」





根拠が無かろうが誰かの秘密であろうが、風のように噂が広まるのがホグワーツである。
ハグリッドが停職になった事は三日も経つと生徒全員が把握していたようだが、話題はもっぱらアズカバンの集団脱獄、そして脱獄翌日にしかれた真新しい教育令の事だった。

アズカバン関連の話では、ホグズミードで脱獄囚数人の姿が目撃されたとか、「叫びの屋敷」に潜伏しているらしいとか、以前シリウスやったように脱獄囚達が学校に侵入してくるとか、根も葉もない噂や憶測が飛び交っていたし、
死喰い人と死闘を繰り広げ結果犠牲となった身内がいる生徒は、ハリーが入学したての頃に浴びた英雄を見るような有り難迷惑な視線を、その生徒も浴びる事となった。
そして注目はハリー、名前、セドリックにも集まっていた。
「日刊予言者新聞」の内容では物足りないと言う生徒が続出し、ついにハリーとダンブルドアが先学期から述べ続けている説明に目が向けられ始めたのだ。

一方、新しい教育令の話。この教育令の影響は生徒よりも教師に打撃を与えたようだった。
満足に職員室で話す事も出来ないらしい。そこはかとない悲壮感を漂わせながら先生同士が廊下で額を寄せ合う姿を、名前は何度も目にしている。
生徒の間ではむしろジョーク扱いされていた。
「───教師は、自分が給与の支払いを受けている科目に厳密に関係する事以外は、生徒に対し、一切の情報と与える事を、ここに禁ず。───」
といった内容で、言い換えてしまえば、授業の事以外で生徒のやる事に口出し出来ない───
つまりたとえ授業中に生徒がゴブストーンで遊ぼうが注意する事は出来ないと言う事だ。
実際にフレッドとジョージが教室の後ろで「爆発スナップ」カードゲームをやっていた際、リー・ジョーダンが真っ向から指摘した。
まあ当然アンブリッジ相手に通用するはずもなく、ハリーと同じように手の甲に傷を作っていた。





『大丈夫かな。』



「リーの傷?」





ハリーにマートラップのエキスがいいと聞いたリーが早速去っていく。
その背中を見送りながら呟いた名前を見上げ、ハリーは少し首を傾げた。
仲良し四人組。
最近こういうちょっとした所作で名前の影響を受けていると感じられる時がある。





「痛みには良く効いたよ。」



『うん、良いことだ。だけど、アンブリッジ先生も。』



「アンブリッジが何だって?」



『いつか自分の首を絞める事になるんじゃないか。』



「どうしてそう思うのさ?あいつは王様気取りでふんぞり返ってるじゃないか。」



『何でもかんでも制限したら、一番忙しくなるのはアンブリッジ先生本人。だって自分の手でしか行う事が出来ないから。』



「それなら願ったりだ。今のところそんな気配は無いけどね。
アズカバンからの脱走で少しはへこむと思ってたのにな……。」





アズカバン集団脱獄という出来事がアンブリッジの中でどのように消化されたかは分からない。
ただ少なくとも彼女の支配欲を掻き立てたらしい事は見受けられた。
「占い学」と「魔法生物飼育学」の授業に必ず現れるようになったのだ。
どうやらトレローニーとハグリッド、どちらを先に御祓箱にするか、見極めようとしているらしかった。

その見極め方と言えば、話の途中で質問したり、全く関係無い難問を出して答えてみせろと迫ったり、技術や知識を披露せよと注文したりと、授業そのものが中断される事もしばしばだ。
そして相変わらずクリップボードを片手に携え、その評価を書き出している。

この方法はトレローニーにもハグリッドにも多大な影響を与えた。
そもそもトレローニーは「占い学」の教室に籠っているので食事時くらいにしか見掛けないのだが、近頃はアンブリッジの様子を窺っているので視線も食事も忙しなく、たまたま廊下で擦れ違えば料理用のシェリー酒の匂いを漂わせている。
今回ばかりはハグリッドもハーマイオニーの忠告に従い、教科書通りの大人しい授業内容となり、更にハグリッド自身も大きな体を縮こまらせて声も小さく、アンブリッジの様子をしょっちゅう窺った。
生徒に対して他人行儀な態度を取るようになった。これには名前達四人も含まれている。





「お前さん達があの女に捕まってみろ。俺達全員のクビが危ねえ。」





そうしてついに、暗くなってから小屋を訪ねる事を禁止した。
ハグリッドの変化は心配だったが解雇への心配も勿論あった為、四人は素直に聞き入れた。

代わりに打ち込んだのはDAの集会だ。
こればかりは今更やめようが無いし、アズカバンの集団脱獄というニュースがメンバー達に、今まで以上に遣る気を出させていた。
中でもネビルの熱意と上達ぶりには、メンバー全員が驚かされた程だった。





「全然ダメだ。むしろ下手になっている気がする。
それに最近はしょっちゅう傷痕が痛むんだ……。」





「閉心術」の授業後のハリーに、DAで見せる熱意に溢れた姿は無い。
毎回青白い顔色で眉を寄せ、額を擦りながらどっかり椅子に座り込む。
このように精も根も尽き果てているハリーへ、ロンやハーマイオニーのようにアドバイスしたり慰めたり元気付けたりする口を、残念ながら名前は持ち合わせていない。
出来る事といえば話を聞き、震える手を擦ったり、痛むであろう額を撫でたり、人目が無ければ「おまじない」をするという、ひたすら寄り添う手段のみである。





「多分病気の場合とおんなじじゃないかしら。
熱が出たりなんかするじゃない。病気は一旦悪くなってから良くなるのよ。」



「スネイプとの練習のせいで酷くなってるんだ。
傷痕の痛みはもう沢山だ。毎晩あの廊下を歩くのは、もううんざりしてきた。」





言いながらハリーは額に置かれた名前の手の上に自身の手を重ねた。
ぎゅっと押し当てると多少は楽になるらしい。





「あの扉が開いてくれたらなあ。扉を見付めて立っているのはもう嫌だ。」



「冗談じゃないわ。
ダンブルドアは、あなたに廊下の夢なんか見ないで欲しいのよ。そうじゃなきゃ、スネイプに『閉心術』を教えるように頼んだりしないわ。あなた、もう少し一所懸命練習しなきゃ。」



「ちゃんとやってるよ!
君も一度やってみろよ───スネイプが頭の中に入り込もうとするんだ───
楽しくてしょうがないってわけにはいかないだろ!」



「もしかしたら……」



「もしかしたら何なの?」



「ハリーが心を閉じられないのは、ハリーのせいじゃないかもしれない。」



「どういう意味?」



「うーん。スネイプが、もしかしたら、本気でハリーを助けようとしていないんじゃないかって……。
もしかしたら、
ほんとは、あいつ、ハリーの心をもう少し開こうとしてるんじゃないかな……その方が好都合だもの、『例のあの───』」



「やめてよ、ロン。
何度スネイプを疑えば気が済むの? それが一度でも正しかった事がある? ダンブルドアはスネイプを信じていらっしゃるし、スネイプは騎士団の為に働いている。それで十分なはずよ。」



「あいつ、死喰い人だったんだぜ。
それに、本当にこっちの味方になったっていう証拠を見た事が無いじゃないか。」



「ダンブルドアが信用しています。
それに、ダンブルドアを信じられないなら、私達、誰も信じられないわ。」





言ってハーマイオニーは、横目で名前を見た。
話を聞いているのかいないのか、分からないが、名前はハリーのつむじを見詰めている。
けれどきっと、スネイプの名前には反応しているはずだ。

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