11.-3
「やあ、お疲れ様。」
『セドリックさんもお疲れ様でした。お体の方は大丈夫ですか。』
「以前より調子がいいくらいさ。」
チラリ。セドリックはハリーの方を見た。
ハリーはチョウの後ろ姿を見詰めている。
同じようにハリーを見詰める者がいた。
ロンとハーマイオニーだ。
「ハリー。
じゃあ、また後でね。」
「……
あっ、ああ。うん……。」
ハリーが一瞬振り向いて返事をしたが、生返事だった。
すぐにまたチョウを見詰める。
しかし直後、勢い良くセドリックの方を見た。
この時のハリーの表情をどう受け止めるべきか。
驚いたように目を見開き、顔を彼方此方に向ける。
取り乱したようにも、何かを否定する時に頭を振るあの動作にも見えた。
「さあ、早くここから出ないとね。ナマエ、行こうか。」
『はい。……』
答えつつハリーを見る。
ハリーはセドリックを目で追っていた。
セドリックは名前を誘導して歩く。
扉も前まで来るとセドリックはやっとハリーを見て、困ったように微笑み返した。
ハリーはセドリックを見詰め返し、それからチョウを見て、もう一度セドリックを見た。
セドリックは笑顔を浮かべたまま微かに頭を左右に振った。
名前は二人の顔を見比べたが、思考を読み取る事など出来るわけが無い。
『あの……』
「ん?」
『聞いてもよろしいでしょうか。さっきの……』
「ハリーの事かな。」
『はい。』
頷いてセドリックを見詰める。
セドリックは真っ直ぐ前を向いて歩いている。
白い吐息が浮かぶ。
夜になると廊下は殊更に冷え込む。
「うーん……。何て言えばいいのかな……。」
『話しにくい内容ですか。』
「……まあ…………
……そうだね。」
『それでしたら結構です。』
きっぱり言って前を見る。
今度はセドリックが名前を見た。
「ありがとう。でもきっと、すぐに分かるよ。」
『……そうでしょうか。』
「ああ。隠しているわけじゃないからね。誰かが気が付くと思う。
それで、ホグワーツって噂が早く回るだろう?だから、気が付いた誰かが誰かに話したら、あっという間に伝わる。ナマエの耳にもいずれ入るよ。」
まるでもう既に話が伝わっているような口振りだ。
ハリーとセドリック。そしておそらくチョウが関係する噂。
名前に聞き覚えは無い。
しかし知らなかったからとはいえ、本人が進んで話したがらない内容を聞き出そうとしたのだ。
あまりに無神経である。
名前は顔に陰を落として謝った。
セドリックは気にしていないと微笑んだ。
寮の分かれ道で「メリー・クリスマス、ナマエ。」『セドリックさんも、良いクリスマスを。』と挨拶を交わし、それぞれ談話室に入る。
談話室に人気は無く、暖炉近くの席にロンとハーマイオニーがいるだけだった。
暖炉に近寄り、ネスのいる肘掛椅子へ座る。
「ナマエか。」
チラリとロンが見上げた。
「一人にしては随分ゆっくり戻ってきたな。何かあったのかい?」
『いや。セドリックさんと一緒だった。』
ネスの首筋を撫でながら答える。
「ああ、成る程ね。同じ羽の鳥は集まるってやつ?」
首を傾げる。
『俺とセドリックさん、似てないと思う。』
「似てるよ。無口で大人しい。」
「そうね。それにとっても優秀ね。」
「君はハンサムが好きなだけだろ。」
「私は見た目で好き嫌いしないわ。」
背後で床が軋んだ。振り返る。
ハリーが立っていた。
会話の雲行きが怪しくなっていたので、ハリーの登場はグッドタイミングだ。
ハリーは暖炉近くに集まる三人の顔を見回し、ゆっくりと近付いて来た。
ハーマイオニーの隣の肘掛椅子に腰を沈める。
「何で遅くなったんだい?」
暖炉マットに寝そべったままロンが聞いた。
ハリーはロンを見たが、何も答えなかった。
心ここに在らずといった感じだ。
「大丈夫?ハリー?」
手紙を書く手を止めて、ハーマイオニーは心配そうにハリーを見た。
ハリーは肩を竦めるだけだった。
肘をついて上半身を起こし、ロンは机の上にひょっこり顔を覗かせる。
「どうした?何があった?」
机の上に半分だけ顔を覗かせるロン。
羽根ペン越しに見据えるハーマイオニー。
向かい側からじっと見詰める名前。
三人の顔を見回し、ハリーは言い渋る。
話したいのか、話したくないのか、その気持ちも判断出来ないようだった。
「チョウなの?」
核心を突いたらしい。
ハリーは驚いた様子でハーマイオニーを見た。
「会合の後で、迫られたの?」
驚いて放心状態のままハリーは頷く。
ロンがからかうように笑った。
ハーマイオニーが睨み付けると、すぐに真面目な顔に切り替えた。
「それで……えー……
彼女、何を迫ったんだい?」
「チョウは、」
けれどロンの口元は笑いたそうに震えていたし、声音も所々引っくり返り、妙に棒読みだった。
対して性根が尽き果てた面持ちのハリーは、出てくる声もすっかり嗄れている。
咳払いをして、再び口を開いた。
「チョウは……あー……」
「キスしたの?」
これまたズバッとハーマイオニーが聞いた。
ついにロンが起き上がり、膝立ちになってハリーを見詰めた。
起き上がった衝撃でインク壺が倒れた。
黒いインクがマットに染み込んでいく。
「んー?」
自分の足下にインクの池が広がっているのに、お構い無しに先を促している。
ハリーはまた三人の顔を見回し、ゆっくりと頷く。
「ひゃっほう!」
ロンは両の拳を空に突き上げ、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
インク塗れになるのにも拘らず暖炉マットの上で笑い転ける。
ハーマイオニーは冷たく一瞥し、手紙の続きを書き出した。
放心状態を脱したのか、ハリーの顔に照れ笑いが浮かぶ。
「それで?どうだった?」
ロンは興味津々だ。
名前は視線を逸らし、マットを見詰めている。
自分は手当ての為に平然とハリーへキスしたのに、恋愛のキスとなると恥ずかしいらしい。
「濡れてた。だって、泣いてたんだ。」
「へえ。君、そんなにキスが下手くそなのか?」
「さあ。多分そうなんだ。」
「そんな事ないわよ、勿論。」
「どうして分かるんだ?」
手紙を書きながらハーマイオニーが言うと、ロンは不思議そうに聞いた。
「だって、チョウったらこの頃半分は泣いてばっかり。
食事の時とか、トイレとか、あっちこっちでよ。」
「ちょっとキスしてやったら元気になるんじゃないのかい?」
「ロン。あなたって、私がお目にかかる光栄に浴した鈍感な方達の中でも、とびきり最高だわ。」
「それはどういう意味でございましょう?」
ロンが怒って聞いたが、ハーマイオニーは答えない。
諦めてロンはハリーに視線を戻した。
「キスされながら泣くなんて、どういうやつなんだ?」
「全くだ。泣く人なんているかい?」
二人は本当に不思議そうで、ハリーの声音はほとほと弱り果てていた。
手紙から顔を上げたハーマイオニーは、哀れむような、呆れたような表情で二人を見た。
「チョウが今どんな気持なのか、あなた達には分からないの?」
「分かんない。」
二人が同時に答えた。
ハーマイオニーは溜め息を吐く。そして名前を見た。
名前は相変わらず無表情だったが、頬が僅かに赤い。
もう一度溜め息を吐いて、羽根ペンをスタンドへ置いた。
「あのね、チョウは当然、とっても悲しんでる。セドリックが怪我を負って、今も体が不自由だもの。
でも、混乱してると思うわね。だって、チョウはセドリックが好きだったけど、今はハリーが好きなのよ。それで、どっちが本当に好きなのか分からないんだわ。
それに、そもそもハリーにキスするなんて、セドリックの思い出に対する冒涜だと思って、自分を責めてるわね。
それと、もしハリーと付き合いはじめたら、皆がどう思うだろうって心配して。
その上、そもそもハリーに対する気持が何なのか、多分分からないのよ。だって、ハリーはセドリックが負傷した時にそばにいた人間ですもの。だから、何もかもごっちゃになって、辛いのよ。
ああ、それに、この頃酷い飛び方だから、レイブンクローのクィディッチ・チームから放り出されるんじゃないかって恐れてるみたい。」
───でもきっと、すぐに分かるよ。───
セドリックの言葉の意味はこの事なのだろう。
チョウはセドリックが好きで、だが怪我をきっかけに気持ちが揺らいでいる。
以前は出来ていた動作が不自由になり、愛しているが故寄り添うが、それを見る度に不安になるのだろう。
また怪我を負うかもしれない。
もしかしたら死んでしまうかもしれない。
生きていても、口もきけないかもしれない。
ただ怪我だけが原因ではなく、彼女を取り巻く周囲の環境が寄り集まり、それも不安定にさせている理由だ。
だから少しでも心の拠り所を求めて、それがハリーだったのだろう。
「そんなに色々一度に感じてたら、その人、爆発しちゃうぜ。」
「誰かさんの感情が、茶匙一杯分しかないからといって、皆がそうとは限りませんわ。」
嫌味たっぷりに話し終えて羽根ペンを握る。
ロンはムッと口をへの字に曲げたが、それでも口を開いた。
「あのさ、チョウはセドリックと付き合ってるんだろ?別れたって事?」
「知らないわ。」
「彼女の方が仕掛けてきたんだ。
僕なら出来なかった。チョウが何だか僕の方に近付いてきて……
それで、その次は僕にしがみついて泣いてた……
僕、どうしていいか分からなかった。」
「そりゃそうだろう、なあ、おい。」
「ただ優しくしてあげればよかったのよ。そうしてあげたんでしょ?」
「うーん。僕、なんていうか……
ちょっと背中をポンポンて叩いてあげた。」
一年生の時に名前がハーマイオニーを慰める際にした行為と全く一緒だ。
ただ同じ異性といえどハリーの場合は恋情で、名前の場合は友情だったが。
「まあね、それでもまだましだったかもね。
また彼女に会うの?」
「会わなきゃならないだろ?
だって、DAの会合があるだろ?」
「そうじゃないでしょ。」
ハーマイオニーはもどかしそうにハリーを見据えた。
ハリーは何も言わなかったが、どこか痛むように顔を顰めた。
「まあいいでしょう。
彼女を誘うチャンスは沢山あるわよ。」
「ハリーが誘いたくなかったらどうする?」
「バカなこと言わないで。
ハリーはずっと前からチョウが好きだったのよ。そうでしょ? ハリー?」
それは全く初耳だ。
名前はじっとハリーを見詰めた。
ハーマイオニーにはスネイプの件を秘密にしようと言われている。
しかし恋愛としての「好き」がどういうものかハリーにご享受できれば、少しでも答えに近付けるかもしれない。
けれどハリーは目を伏せて黙っている。
ロンが唐突にハーマイオニーへ聞いた。
「ところで、その小説、誰に書いてるんだ?」
「ビクトール。」
「クラム?」
「他に何人ビクトールがいるって言うの?」
ロンは不満気に顔を顰めてから、黙って「変身術」のレポートへ戻った。
何だかロンは苛々しているし、ハーマイオニーは手紙に夢中、ハリーは上の空で暖炉の火を見詰めている。
恋愛どうこうと質問出来る雰囲気ではなかった。
名前は数十分ネスの首筋を撫で続けた。
暖炉の炎は小さくなり、薪が灰になった頃。
ロンとハーマイオニーが作業を終え、談話室には四人だけだった。
「じゃあ、おやすみ。」
『おやすみ。』
女子寮と男子寮。
それぞれ分かれ、階段を上る。
「一体クラムのどこがいいんだろう?」
腑に落ちないようだ。
ロンはハリーと名前を見比べた。
『俺は親しくないから分からない。ハリーはどう。』
「そうだな。
クラムは年上だし……クィディッチ国際チームの選手だし……」
「うん、だけどそれ以外には。
つまり、あいつは気難しい嫌なやつだろ?」
「少し気難しいな、うん。」
ハリーはまだ上の空だった。
寝室の扉の前に立ち、ドアノブを捻る。
室内は暗い。同室の者は既に眠っているようだ。
肩に乗っていたネスがスーッと飛び立ち、名前のベッドに降り立った。
三人は静かにパジャマへ着替えてベッドに潜り込んだ。
「おやすみ。」
「おやすみ。」
『おやすみなさい。』
恋愛の話は聞けずじまいだった。
見詰める理由。緊張する理由。
それは「好き」だという意味だ。
その「好き」がどういう「好き」か、名前は答えなければならない。
ハーマイオニーは名前の答えを待っている。
だが名前は答えを出せていない。
とうに「後ろめたさ」という答えを出しているが、これはとても口に出来ない。
それ以外の答えを出さなければいけない。
けれどハーマイオニーの言う通りやろうとすると、言い知れぬ羞恥心が名前を襲う。
「好き」というものがどういうものか少しでも理解すれば、答えに近付けて、否定も出来ただろうに。
『……』
瞼を閉じる。
意識が遠ざかり、浮上して、また遠ざかる。
───………………
遠ざかり、ついに眠りに落ちた。
だがそれは一瞬の事で、また意識が浮上する。
違和感を覚えた。
いやに床が固い。
はっきり意識が浮上した。
瞼を開く。しかし視界は暗いままだ。
しかも体が自由に動かせない。
───………………
夢を見ているのだろうか。
そのままじっとする。
閉ざされた視界。
代わりに研ぎ澄まされた聴覚は、微かな音さえ敏感に感じ取る。
───リン
───リン……
鈴の音だ。母親から受け取った、あの鈴の音。
音は急激に近付いて、目覚まし時計のように喧しく鳴り響いた。
意思に反して体が動き、視界が明るくなった。
───………………
いつものあの薄暗い、黒い廊下が広がる。
ただ、いつもと違う部分がある。
体が勝手に動いた事。
そして、目の前に大蛇が這っている事だ。
───………………
手が勝手にべルトへ伸びる。
差し込んだ杖を引き抜いた。
大蛇の方が速かった。
真っ直ぐ脇腹に噛み付いた。
限界まで開かれた顎が脇腹を覆う。
痛みに視界が明滅した。
振り解く力も入らない。
大蛇は三回、念入りに噛み付いた。
───………………
苦痛の声がもれた。
自分の声では無かった。
だが聞いた事のある声だ。
視界が再び暗くなる。
一瞬の浮遊感の後、体に衝撃を感じた。
仰向けに倒れたのだ。
体はまた動かなくなった。
鈴の音が喧しく鳴り響く。
体から何かが抜けていく。
痛くて、寒い。
……リー…………
ハ……
誰かが叫んでいる。
けれど遠くて不明瞭だ。
まるで水の中にいるようだった。
意識を集中させる。
だんだん声が近付いてくる。
「ハリー!ハリー!」
ロンの声だ。
理解した途端、名前の瞼は開いた。
月明かりがベッドの天蓋を映している。
「ハリー!」
狼狽した声だ。ハリーに異変が起きているのだろう。
衣擦れの後、水っぽい音が聞こえた。
おそらく嘔吐したのだ。
「ほんとに病気だよ。誰か呼ぼうか?」
「ハリー!ハリー!」
体を起こす。その瞬間、息を呑む。
激痛が走ったのだ。
夢の中で感じた痛みがそっくり蘇ったようだった。
上半身を起こした状態で動きを止める。
脇腹に鋭い痛みが残っている。
「君のパパが……
君のパパが……襲われた……。」
「え?」
「君のパパだよ! 噛まれたんだ。重態だ。どこもかしこも血だらけだった……。」
「誰か助けを呼んでくるよ。」
夢の声の主はアーサー・ウィーズリーだ。
聞き覚えがあるはずだ。
ハリーも同じ夢を見ていたというのだろうか。
いや。
そもそも夢なのだろうか。
痛む部分をゆっくり触れる。
確かに痛い。
ネスが前に回り込み、膝の上から名前の顔を覗き込んだ。
「おい、ハリー。君……
君は夢を見てただけなんだ……。」
「そうじゃない!
夢なんかじゃない……普通の夢じゃない……僕がそこにいたんだ。僕は見たんだ……僕がやったんだ……。」
「ハリー、君は具合が悪いんだ。
ネビルが人を呼びに行ったよ。」
「僕は病気じゃない!
僕はどこも悪くない。心配しなきゃならないのは君のパパの方なんだ……どこにいるのか探さないと……
酷く出血してる……僕は……
やったのは巨大な蛇だった。」
あの大蛇はハリーで、アーサーは名前だった。
同じ夢───現実だろうか───
どちらにせよ、二人は同じ場所にいたのだ。
視点は違えども。
痛む脇腹を押さえ、目を動かす。
月明かりでシルエットしか分からないが、ベッドの上でハリーが座り込んでいる。
その横に立っているのはロンだろう。
少し離れて、ディーンとシェーマスが囁き合っている。
寝室の外の通路から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「先生、こっちです。」
ネビルの声がくぐもって聞こえてきたかと思うと、寝室の扉が開いた。
先に入ってきたのはマクゴナガルのようだ。
背の高い人影が真っ直ぐハリーのベッドへ近付いて行く。
「ポッター、どうしましたか? どこが痛むのですか?」
「ロンのパパなんです。
蛇に襲われて、重態です。僕はそれを見てたんです。」
「見ていたとは、どういう事ですか。」
「分かりません……僕は眠っていた。そしたらそこにいて……」
「夢に見たという事ですか?」
「違う!
僕は最初まったく違う夢を見ていました。バカバカしい夢を……
そしたら、それが夢に割り込んできたんです。現実の事です。想像したんじゃありません。
ウィーズリーおじさんが床で寝ていて、そしたら巨大な蛇に襲われたんです。血の海でした。おじさんが倒れて。誰か、おじさんの居所を探さないと……。
僕、嘘なんかついていない!狂ってない!
本当です。僕はそれを見たんです!」
「信じますよ。ポッター。
ガウンを着なさい。校長先生にお目にかかります。」
言って、マクゴナガルは体勢を変えた。
シルエットでしか分からないが、此方を見ているようだった。
「ミョウジ、あなたもです。」
皆の視線が一気に名前へ集まる。
名前は脇腹から手を離し、その手でカーディガンを引き寄せた。
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