06.-2
「あなたはこの職に就いてから、正確にどのぐらいになりますか?」
すぐには返事をしなかった。
暫くして答えたトレローニーの声は、いつもの神秘的なか細いものではなく、ハッキリ不愉快そうだった。
「かれこれ十六年ですわ。」
「相当な期間ね。
で、ダンブルドア先生があなたを任命なさったのかしら?」
「そうですわ。」
「それで、あなたはあの有名な『予見者』カッサンドラ・トレローニーの曾々孫ですね?」
「ええ。」
「でも───
間違っていたらごめんあそばせ───
あなたは、同じ家系で、カッサンドラ以来初めての『第二の眼』の持ち主だとか?」
「こういうものは、よく隔世しますの───
そう───
三世代飛ばして。」
「そうですわね。
さあ、それではわたくしの為に、何か予言してみてくださる?」
「仰る事が分かりませんわ。」
「わたくしの為に、予言を一つしていただきたいの。」
今やもう誰も夢の話などしていない。
皆が二人のやり取りに注目していた。
「『内なる眼』は命令で『予見』したりいたしませんわ!」
「結構。」
「あたくし───
でも───でも……
お待ちになって!」
立ち去ろうとするアンブリッジを、トレローニーは引き止めた。
声が震えていた。
神秘的なものではなく、怒りによるものだ。
「あたくし……あたくしには何か見えますわ……
何かあなたに関するものが……なんという事でしょう。何か感じますわ……
何か暗いもの……何か恐ろしい危機が……。
お気の毒に……まあ、あなたは恐ろしい危機に陥っていますわ!」
アンブリッジはじっと、自分を指差すトレローニーを見詰めた。
やがてニッコリ微笑み返す。
「そう。
まあ、それが精一杯という事でしたら……。」
クリップボードに書き付けた後、アンブリッジは椅子へ戻って腰掛けた。
静まり返った教室に、トレローニーの荒い呼吸がよく聞こえる。
「さて?」
トレローニーはクルリと此方へ振り返り、名前達の前で指を鳴らした。
「それでは、あなたの夢日記の書き出しを拝見しましょう。」
トレローニーはハリーの夢を取り上げて、解釈を加えて説明した。
その全てが恐ろしい死の予言に繋がっており、最初は同情的に見えたハリーもロンも、すぐに呆れた様子に変わった。
アンブリッジは授業が終わるまでクリップボードにメモを取り続けた。
終業ベルが鳴ると真っ先に撥ね戸を持ち上げ、そこへ身を潜らせて姿を消した。
次の授業である「闇の魔術に対する防衛術」の教室へ生徒が移動すると、アンブリッジの鼻歌が皆を出迎えた。
不気味な程にご機嫌で、独り笑いまでしている。
事の真相を知らないハーマイオニーでも、アンブリッジの上機嫌に何かあった事を察したようだ。
両脇の名前とハリー、その向こうのロンへ目配せする。
『『占い学』へ査察に来た。』
「防衛術の理論」の教科書を取り出しながら、名前が小さな声で言った。
そしてハリーとロンが「占い学」での出来事を事細かに説明した。
始業のベルが鳴る。
鳴り終わると同時にアンブリッジが「静粛に」と言い、教室は静まり返った。
「杖をしまってね。」
アンブリッジは微笑みそう言った。
杖を出していた一部の生徒がしょんぼりと鞄へしまう。
「前回の授業で第一章は終りましたから、今日は十九ページを開いて、『第二章、防衛一般理論と派生理論』を始めましょう。お喋りは要りませんよ。」
殊更に笑みを深め、アンブリッジは自分の席に座った。
教室に頁を捲る音が響く。
捲りながらも大勢の生徒が溜め息をもらした。
ハーマイオニーが手を挙げた。
アンブリッジはすぐに気が付いた。
席を立ち上がり此方へ向かってくる。
ハーマイオニーの前にやって来ると背中を丸め、コソコソ話でもするように顔を近付けた。
「Ms.グレンジャー、今度は何ですか?」
「第二章はもう読んでしまいました。」
「さあ、それなら、第三章に進みなさい。」
「そこも読みました。この本は全部読んでしまいました。」
アンブリッジは虚を衝かれたようだった。
少しの間を置き、喋る為に再び息を吸い込む。
「さあ、それでは、スリンクハードが第十五章で逆呪いについて何と書いているか言えるでしょうね。」
「著者は、逆呪いという名前は正確ではないと述べています。
著者は、 逆呪いというのは、自分自身がかけた呪いを受け入れやすくする為にそう呼んでいるだけだと書いています。」
即座にハーマイオニーが答えた為に、アンブリッジはまたもや虚を衝かれたようだった。
「でも、私はそう思いません。」
「そう思わないの?」
アンブリッジの声が冷淡になった。
「思いません。
スリンクハード先生は呪いそのものが嫌いなのではありませんか?
でも、私は、防衛の為に使えば、呪いはとても役に立つ可能性があると思います。」
「おーや、あなたはそう思うわけ?」
アンブリッジは丸めていた背中を伸ばし、ハーマイオニーを見下ろした。
「さて、残念ながら、この授業で大切なのは、Ms.グレンジャー、あなたの意見ではなく、スリンクハード先生のご意見です。」
「でも───」
「もう結構。」
感情が高ぶって元から甲高い声が更に高くなっている。
踵を踏み鳴らしてアンブリッジは教壇へ戻り、生徒の方へ向き直った。
二人のやり取りに生徒が皆、注目していた。
「Ms.グレンジャー、グリフィンドール寮から五点減点いたしましょう。」
非難囂々である。
沢山の生徒が一斉に喋ったので何を言ったのかは聞き取れないが、声音から文句だという事は伝わった。
そんな中一際大きな声を出したのがハリーだった。
「理由は?」
「関わっちゃ駄目!」
ハーマイオニーがハリーに囁いた。
「埒もない事でわたくしの授業を中断し、乱したからです。
わたくしは魔法省のお墨つきを得た指導要領で皆さんに教える為に来ています。
生徒達に、殆ど分かりもしない事に関して自分の意見を述べさせる事は、要領に入っていません。
これまでこの学科を教えた先生方は、皆さんにもっと好き勝手をさせたかもしれませんが、誰一人として───
クィレル先生は例外かもしれません。少なくとも、年齢に相応しい教材だけを教えようと自己規制していたようですからね───
魔法省の査察をパスした先生はいなかったでしょう。」
「ああ、クィレルは素晴らしい先生でしたとも。
ただ、ちょっとだけ欠点があって、ヴォルデモート卿が後頭部から飛び出していたけど。」
この場にクィレルが居合わせていたら居た堪れなさに冷や汗をかいていた事だろう。
名前が授業を受けている間クィレルが何をして過ごしているのかは不明だが、幸か不幸か少なくともこの教室以外のどこかだ。
アンブリッジはじっとハリーを見詰めた。
瞬きもせず、口元には微笑みを浮かべている。
「あなたには、もう一週間罰則を科したほうが良さそうね、Mr.ポッター。」
その日の夕方五時から再びハリーは罰則に赴く事となった。
二日足らずで手の甲の傷が癒えるはずも無い。
ハンカチを真っ赤に染めて、深夜にハリーは談話室に戻ってきた。
名前とネスの他に誰もいない。
むしろ誰かがまだ起きているのにハリーは驚いていた。
『手当てをさせて。』
「うん、頼むよ。」
手当てと言えど、名前が魔法で傷をどうこうしないと分かったせいか、ハリーは素直に手を差し出した。
真っ赤に染まったハンカチをどけて消毒をするが、次から次へと血が流れ出す。
止血の為に傷口へ清潔なガーゼを重ね、その上に手を置いて慎重に圧迫した。
翌朝。
大広間へ入った途端、名前の耳に届いたのは、アンジェリーナの怒鳴り声だった。
見ると、彼女はハリーに詰め寄っている。
名前がテーブルに辿り着くのと、教職員テーブルからマクゴナガルがやって来るのと、殆ど同時の出来事だった。
「Ms.ジョンソン、大広間でこんな大騒ぎをするとは一体何事です!グリフィンドールから五点減点!」
「でも先生───
ポッターは性懲りもなく、また罰則を食らったんです───」
「ポッター、どうしたというのです?
罰則?どの先生ですか?」
「アンブリッジ先生です。」
「という事は、
先週の月曜に私が警告したのにも拘らず、またアンブリッジ先生の授業中に癇癪を起こしたという事ですか?」
「はい。」
「ポッター、自分を抑えないといけません!とんでもない罰を受ける事になりますよ!
グリフィンドールからもう五点減点!」
「でも───えっ!?先生、そんな!
僕はあの先生に罰則を受けているのに、どうしてマクゴナガル先生まで減点なさるんですか?」
「あなたには罰則が全く効いていないようだからです!
いいえ、ポッター、これ以上文句は許しません!
それに、あなた、Ms.ジョンソン、怒鳴り合いは、今後、クィディッチ・ピッチだけに止めておきなさい。
さもないとチームのキャプテンの座を失う事になります!」
不満そうに床を見詰める二人のつむじに向かって厳しくそう言い付けると、マクゴナガルは教職員テーブルに戻っていった。
アンジェリーナは横目にハリーを睨み付けて、大広間から出ていった。
残されたのは立ち竦むハリーと、来たばかりの名前である。
「あら、おはよう。ナマエ。」
『おはよう、ハーマイオニー。』
ハーマイオニーは「日刊予言者新聞」を広げながらそう言った。
目の前の出来事を見聞きしていたはずなのに、何事も無かったかのように普段通りだ。
ハーマイオニーの隣に名前が腰掛けると、ハリーもロンの隣に勢い良く腰を下ろした。
「マクゴナガルがグリフィンドールから減点するなんて!
それも、僕の手が毎晩切られるからなんだぜ!
どこが公平なんだ?どこが?」
「分かるぜ、おい。
マクゴナガルはめっちゃくちゃさ。」
ロンは言いながらベーコンをハリーの皿に装う。
見ると、ハリーの手は再び出血していた。
ハリーの境遇を不憫に思ってか、手の傷が痛むだろうからと気遣ったのか。
はたまた別に理由があるのかどうか分からないが、珍しい行動である。
ハーマイオニーは「日刊予言者新聞」を読み続けていた。
ハリーは新聞を通してハーマイオニーを睨む。
「君はマクゴナガルが正しいと思ってるんだろ?」
「あなたの事で減点したのは残念だわ。
でも、アンブリッジに対して癇癪を起こしちゃいけないって忠告なさったのは正しいと思う。」
ハリーはすっかり臍を曲げてしまい、名前とロンには仏頂面ながらも言葉を交わしたが、ハーマイオニーとは目も合わせなかった。
しかしその状態も長くは続かなかった。
「変身術」の教室へ行った矢先、隅の方に座るアンブリッジの姿を見付けたのだ。
「いいぞ。
アンブリッジがやっつけられるのを見てやろう。」
席に着くなり囁くロンに、ハリーが頷いた。
始業ベルが鳴るとマクゴナガルが登場し、真っ直ぐ教壇に立つ。
生徒はまだお喋りをしていたが、マクゴナガルが「静かに。」と言うと、一斉にピタリと止んだ。
「Mr.フィネガン、こちらに来て、宿題を皆に返してください───
Ms.ブラウン、ネズミの箱を取りにきてください───
バカなまねはおよしなさい。噛みついたりしません───
一人に一匹ずつ配って───」
「ェヘン、ェヘン。」
意味ありげなアンブリッジの咳払いが聞こえた。
マクゴナガルは気に止めず、シェーマスへ宿題を、ラベンダーへ鼠の入った箱をそれぞれ託した。
二人がそれぞれ託された物を配布し終えるのを見届けて、マクゴナガルは生徒達の顔を見回す。
「さて、それでは、よく聞いてください───
ディーン・トーマス、ネズミに二度とそんな事をしたら、罰則ですよ───
カタツムリを『消失』させるのは、殆どの皆さんが出来るようになりましたし、まだ殻の一部が残ったままの生徒も、呪文の要領は呑み込めたようです。今日の授業では───」
「ェヘン、ェヘン。」
「何か?」
ついにマクゴナガルが顔を向けた。
左右の眉がくっつき合う程のしかめっ面だ。
「先生、わたくしのメモが届いているかどうかと思いまして。先生の査察の日時を───」
「当然受け取っております。さもなければ、私の授業に何の用があるかとお尋ねしていたはずです。」
マクゴナガルは生徒達に視線を戻した。
生徒の多くが互いに喜びを分かち合い、目を見交わしているところだった。
「先程言い掛けていたように、今日はそれよりずっと難しい、ネズミを『消失』させる練習をします。さて、『消失呪文』は……」
「ェヘン、ェヘン。」
「一体、
そのように中断ばかりなさって、私の通常の教授法がどんなものか、お分かりになるのですか?いいですか。私は通常、自分が話している時に私語は許しません。」
ショックを受けたようにアンブリッジは目を見開いた。
そしてクリップボードを構え、素早く書き込み始めた。
査察の場面に立ち会うのは今回で二度目だが、トレローニーの時とは様子が違う。
こんなに素早く長々と何かを書き付けてはいなかったし、余裕綽々の微笑みも浮かべていない。
しかしマクゴナガルは気にせず、再び生徒達に向き直った。
「先程言い掛けましたように、『消失呪文』は、『消失」』させる動物が複雑なほど難しくなります。カタツムリは無脊椎動物で、それほど大きな課題ではありませんが、ネズミは哺乳類で、ずっと難しくなります。
ですから、この課題は、夕食の事を考えながらかけられるような魔法ではありません。さあ───
唱え方は知っているはずです。どのぐらいできるか、拝見しましょう……。」
「アンブリッジに癇癪を起こすな、なんて、よく僕に説教できるな!」
囁く声ハリーの顔は笑っていた。
マクゴナガルに対する怒りは帳消しになったようだ。
授業が始まって暫くしても、アンブリッジは座ったままだった。
トレローニーの時のようにくっついて回る事も、生徒に質問もしなかった。
座ったまま、ずっとメモを取っていた。
おかげで授業に集中出来たのだが、嵐の前の静けさと思えてならない。
授業の終わりが近付くとマクゴナガルは片付けるように指示を出し、ラベンダーが鼠を回収する箱を持って回った。
「まあ、差し当たり、こんな出来でいいか。」
尻尾のみとなった鼠をロンが回収箱に落とすのを見届けて、名前達四人は教室から出ていく生徒の列へ加わる。
列が進むのを待っていると、名前の脇腹をハーマイオニーが突いた。
ハーマイオニーは名前を見詰めたまま、顎をしゃくって視線を誘導させる。
見ると、アンブリッジがマクゴナガルの机に歩み寄っていく所だった。
「ホグワーツで教えて何年になりますか?」
「この十二月で三十九年です。」
鞄を閉めながら答えた。
「結構です。」
クリップボードにメモを取る。
「査察の結果は十日後に受け取る事になります。」
「待ちきれませんわ。
早く出なさい、そこの四人。」
マクゴナガルは教室のドアに向かい、名前達四人を追い立てた。
教室を出る一瞬、ハリーは振り向いてマクゴナガルへ笑い掛けた。
多分、笑い返したのだろう。マクゴナガルの厳格な容貌が少し和らいだように見えた。
「魔法生物飼育学」の授業にもアンブリッジは現れた。
坂を下りた先で既に待ち構えていたのだ。
お馴染みのクリップボードを携え、グラブリー-プランクの隣に立っている。
緑の芝生と背後の森の風景に、ピンク色の衣服が際立っていた。
「いつもはあなたがこのクラスの受け持ちではない。そうですね?」
生徒が架台の前へ到着したタイミング、アンブリッジは質問を始めた。
「その通り。
わたしゃハグリッド先生の代用教員でね。」
「ふむむ。」
ハリーが不安そうに此方を見た。
それからロン、ハーマイオニーとも目配せする。
「ところで───
校長先生は、おかしな事に、この件に関しての情報を中々くださらないのですよ───
あなたは教えてくださるかしら?ハグリッド先生が長々と休暇を取っているのは、何が原因なのでしょう?」
「そりゃ、出来ませんね。
この件は、あなたがご存知の事以上には知らんです。ダンブルドアから梟が来て、数週間教える仕事はどうかって言われて受けた、それだけですわ。さて……
それじゃ、始めようかね?」
「どうぞ、そうしてください。」
グラブリー-プランクからハグリッドについて有益な情報は引き出せない。
そう察したらしく授業中、アンブリッジはグラブリー-プランクから離れて、生徒に魔法生物についての質問をした。
そこから危険性が見付かれば万々歳だ。
それを理由にしてアンブリッジはハグリッドを追い出す事が出来る。
シリウスによればアンブリッジは半人間を毛嫌いしているらしい。
水中人を撲滅するキャンペーンを行ったり、授業中前任を務めたルーピンを貶める発言もあった。
半巨人のハグリッドを排除しようと画策しているのだろう。
けれど少なくとも名前が聞き取れる会話の範囲では、ハグリッドの授業について批判や文句は無く、むしろ好ましい意見が多く出たので、アンブリッジは質問を切り上げた。
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