06.-1
『魔法省、教育改革に乗り出す。
ドローレス・アンブリッジ、初代高等尋問官に任命。』
「アンブリッジ───『高等尋問官』?」
トーストに食い付き掛けて途中で止めると、ハリーはオウム返しに呟いた。
新聞一面がドローレス・アンブリッジの写真で埋め尽くされていた。
読者に向かってニッコリ笑い掛けている。
食べ掛けていたトーストが皿の上に落っこちた。
パーシーの手紙にあった記事とやらは、翌朝の「日刊予言者新聞」ですぐに見付かった。
折り畳まれた新聞を広げた先に、デカデカとアンブリッジの顔写真が現れたのだ。
驚き息を呑むハーマイオニーの隣から新聞を覗き込み、名前は大見出しを淡々と読み上げた。
ハリーはすっかり食欲が失せたようだ。
「一体どういう事なんだい?」
「魔法省は、昨夜突然新しい省令を制定し、ホグワーツ魔法魔術学校に対し、魔法省がこれまでにない強い統制力を持つようにした。
「大臣は現在のホグワーツの有り様に、ここ暫く不安を募らせていました。学校が承認しがたい方向に向かっているという父兄の憂慮の声に、大臣はいま応えようとしています。」
魔法大臣下級補佐官のパーシー・ウィーズリーはこう語った。
魔法大臣コーネリウス・ファッジはここ数週間来、魔法学校の改善を図る為の新法を制定しており、新省令は今回が初めてではない。
最近では八月三十日、教育令第二十二号が制定され、現校長が、空席の教授職に候補者を配する事が出来なかった場合は、魔法省が適切な人物を選ぶ事になった。
「そこでドローレス・アンブリッジがホグワーツの教師として任命されたわけです。」
ウィーズリー補佐官は昨夜このように語った。
「ダンブルドアが誰も見付けられなかったので、魔法大臣はアンブリッジを起用しました。勿論、女史はたちまち成功を収め、───」
「女史が何だって?」
「待って。続きがあるわ。
───たちまち成功を収め、『闇の魔術に対する防衛術』の授業を全面的に改革するとともに、魔法大臣に対し、ホグワーツの実態を現場から伝えています。」
魔法省は、この実態報告の任務を正式なものとする為、教育令第二十三号を制定し、今回ホグワーツ高等尋問官という新たな職位を設けた。
「これは、教育水準低下が叫ばれるホグワーツの問題と正面から取り組もうとする、魔法大臣の躍々たる計画の新局面です。」とウィーズリー補佐官は語った。
「高等尋問官は同僚の教育者を査察する権利を持ち、教師達が然るべき基準を満たしているかどうか確認します。アンブリッジ教授に、現在の教授職に加えてこの職位への就任を打診しましたところ、先生がお引き受けくださった事を、我々は嬉しく思っています。」
魔法省の新たな施策は、ホグワーツの父兄から熱狂的な支持を得た。
「ダンブルドアが公正かつ客観的な評価の下に置かれる事になりましたので、私としては大いに安らかな気持です。」
ルシウス・マルフォイ氏(41)は昨夜ウィルトシャー州の館でこう語った。
「子どもの為を切に願う父兄の多くは、この数年間ダンブルドアが常軌を逸した決定を下してきた事を懸念しておりました。魔法省がこうした状況を監視してくださる事になり、喜んでいます。」
常軌を逸した決定の一つとして、この新聞でも報道した事があるが、教員の任命が物議をかもした事は間違いない。
例として、狼人間リーマス・ルーピン、半巨人ルビウス・ハグリッド、妄想癖の元闇祓いマッド-アイ・ムーディなどがいる。
アルバス・ダンブルドアはかつて国際魔法使い連盟の上級大魔法使いであり、ウィゼンガモットの首席魔法戦士であったが、周知の通り、もはや名門ホグワーツの運営の任に耐えないという噂が巷に溢れている。
「高等尋問官の任命は、ホグワーツに我々全員が信頼出来る校長を迎える為の第一歩だと思いますね。」
魔法省内のある官僚は昨夜こう語った。
ウィゼンガモットの古参であるグリゼルダ・マーチバンクスとチベリウス・オグデンは、ホグワーツに高等尋問官職を導入した事に抗議し、辞任した。
「ホグワーツは学校です。コーネリウス・ファッジの出先機関ではありません。これは、アルバス・ダンブルドアの信用を失墜させようとする一連の汚らわしい手ロです。」
マダム・マーチバンクスは語った
(マダム・マーチバンクスと小鬼の破壊活動分子との繋がりの疑惑についての全容は、十七面に記載)。」
滑らかで躓きも無く聞き取りやすい、まるでニュースキャスターのような素晴らしい読み上げだった。
記事を読み終えて此方を見るハーマイオニーは、今から評論でも始めそうな雰囲気である。
「これで、何でアンブリッジなんかが来たのか分かったわ。ファッジが『教育令』を出して、あの人を学校に押し付けたのよ!
そして今度は、アンブリッジに他の先生を監視する権限を与えたんだわ!
信じられない! こんな事、許せない!」
「全くだ。」
怒りに燃え滾る二人に対し、名前はやはり無表情だ。
おまけにのんびりミルクを飲んでいる。
ロンはロンで、何故かニヤニヤ笑っていた。
怒りに燃え滾る二人の気に障ったらしい。
二人はロンを睨み、同時に口を開いた。
「なに?」
「ああ、マクゴナガルが査察されるのが待ち遠しいよ。
アンブリッジのやつ、痛い目に遭うぞ。」
確かにロンの言う通り、いくらアンブリッジに権限があろうとも、やり込められる教師ばかりでもないだろう。
始業式のスピーチ時から抵抗の気配が窺えた教師は、少なからず目に付いていた。
マクゴナガルもその中の一人である。
新聞を折り畳んで鞄にしまい込み、ヒョイと肩に掛ける。
準備万端でハーマイオニーが立ち上がった。
「さ、行きましょう。
早く行かなくちゃ。もしもビンズ先生のクラスを査察するようなら、遅刻するのはまずいわ……。」
名前達四人は急ぎ足で教室へ駆け込んだが、けれどアンブリッジの姿は無かった。
その次の「魔法薬学」も同じくである。
安心する反面、肩透かしを食らった気分だ。
地下牢教室に入って生徒が着席すると、スネイプはレポートを返却し始めた。
教壇に近い前の席から後ろの席へ向かって、徐々に近付いてくる。
スネイプの姿を目で追い掛けていたが、それがついに前列になると、名前は目を伏せて俯いた。
やはりまた、あの緊張が襲い掛かって来たのだ。
『……』
机の表面に出来た細かな傷をじっと見詰める。
足音と、マントが擦れ合う小さな音が、もうすぐそばに聞こえる。
ロン、ハリー、ハーマイオニー、最後に名前だ。
伏せた視界にレポートが入り込んだ。
スネイプは動かない。
名前が受け取るのを待っているのだ。
『……』
名前は顔を上げた。
無意識か反射的なものか、はたまた別の理由があったのか。
とにかく名前は顔を上げて、しっかりスネイプと目が合った。
その途端、名前の心臓はぎゅうと一度収縮し、直後大きく、早く動き始めた。
『有難うございます。』
受け取りながらも緊張のあまり、よく分からない言葉が飛び出した。
自分でもよく分からない事を言ってしまったと自覚したのだろう。
頬に熱を帯びている。
スネイプは微かに首を傾げる仕草をしたように見えたが、身を翻して名前から離れた。
「諸君のレポートが、OWLであればどのような点をもらうかに基づいて採点してある。」
大股で教壇に向かいながら、スネイプはそう言った。
スネイプが離れていくと名前の体の緊張はいくらか解けた。
「試験の結果がどうなるか、これで諸君も現実的に分かるはずだ。」
スネイプは教壇に立ち、クルリと前を向く。
目だけを動かして生徒達の顔を見回した。
「全般的に、今回のレポートの水準は惨憺たるものだ。これがOWLであれば、大多数が落第だろう。今週の宿題である『毒液の各種解毒剤』については、何倍もの努力を期待する。さもなくば、『D』を取るような劣等生には罰則を科さねばなるまい。」
「へー!『D』なんか取ったやつがいるのか?」
聞こえよがしのマルフォイの呟きに、スネイプは冷笑を浮かべた。
先程は確認する余裕も無かった。
手元のレポートを見直そうとしたが授業が始まってしまい、諦めて鞄へしまい込む。
今日の授業は「強化薬」の作成だ。
黒板の説明を書き写し、それから作業に取り掛かる。
前回と同じ経験はしまいと、提出の列に急いだ。
「まあね、先週ほど酷くはなかったわね?
それに、宿題もそれほど悪い点じゃなかったし。ね?」
『うん……。』
大広間への道すがら、ハーマイオニーはそう話を切り出した。
「強化薬」は澄んだトルコ石色に仕上げられたが、宿題に関しては点数を確認していないので同意も否定も出来ない。
触れて欲しくない話題らしく、ハリーとロンも黙っていた。
「つまり、まぁまぁの点よ。最高点は期待してなかったわ。OWL基準で採点したのだったらそれは無理よ。
でも、今の時点で合格点なら、かなり見込みがあると思わない?
勿論、これから試験までの間に色々な事があるでしょうし、成績を良くする時間は沢山あるわ。
でも、今の時点での成績は一種の基準線でしょ?
そこから積み上げていけるし……。
そりゃ、もし『O』を取ってたら、私、ぞくぞくしたでしょうけど……。」
「ハーマイオニー。」
ロンは刺々しい声を出した。
OWL採点の話も、授業の出来も、触れて欲しくない話題だ。
それをテーブルに着いても話し続けるので、もはや我慢がならない。
「僕達の点が知りたいんだったら、そう言えよ。」
「そんな───
そんなつもりじゃ───
でも、教えたいなら───」
「僕は『P』さ。
満足かい?」
「そりゃ、何にも恥じるこ事ないぜ。」
突然左右の肩口に同じ顔がにゅっと現れた。
ミルクを飲んでいた名前は激しく咳き込む。
フレッドとジョージ。リー・ジョーダンも一緒だ。
「おいおい、大丈夫か?」「ゆっくり飲めよ」なんて言いながら背中を叩き、ストンとハリーの右側へ並んで座った。
「『P』なら立派なもんだ。」
「でも、」
チラチラと名前を気にしつつ、ハーマイオニーは話を続けた。
「『P』って、確か……」
「『プア』、うん。」
リーが答えた。
「それでも『D』よりはいいよな?『ドレッドフル』よりは?」
今度はハリーが咳き込んだ。
手には食べ掛けのロールパンがある。
「じゃ、最高点は『O』で『アウトスタンディング』ね。
次は『A』で───」
「いや、『E』さ。
『E』は『イクシード・エクスペクテーション』。俺なんか、フレッドと俺は全科目で『E』をもらうべきだったと、ずっとそう思ってる。
だって、俺たちゃ、試験を受けた事自体『期待以上』だったものな。」
名前とハーマイオニー以外は笑った。
「じゃ、『E』の次が『A』で、『アクセプタブル』。それが最低合格点の『可』なのね?」
「そっ。」
言いながらフレッドはロールパンをスープに浸し、一口で飲み込む。
「その下に『良くない』の『P』が来て───」
ロンはお手上げのポーズを取った。
「そして『最低』の『D』が来る。」
「どっこい『T』を忘れるな。」
ジョージが付け加えた。
「『T』?
『D』より下があるの?一体何なの?『T』って?」
ハーマイオニーはおっかなびっくり聞いた。
「『トロール』。」
即座にジョージがそう答えたが、冗談なのか本当なのかは判断出来なかった。
居住いを正したフレッドが口を開く。
「君達はもう、授業査察を受けたか?」
「まだよ。受けたの?」
「たった今。昼食の前。
『呪文学』さ。」
「どうだった?」
殆ど同時にハリーとハーマイオニーが問い掛けた。
フレッドは肩を竦める。
「大した事は無かった。アンブリッジが隅の方でこそこそ、クリップボードにメモを取ってたな。
フリットウィックの事だから、あいつを客扱いして全然気にしてなかった。アンブリッジもあんまり何も言わなかったな。
アリシアに二、三質問して、授業はいつもどんなふうかと聞いた。アリシアはとってもいいと答えた。それだけだ。」
「フリットウィック爺さんが悪い点をもらうなんて考えられないよ。
生徒全員がちゃんと試験にパスするようにしてくれる先生だからな。」
「午後は誰の授業だ?」
フレッドがハリーに聞いた。
「トレローニー───。」
「そりゃ、紛れもない 『T』だな。」
「───それに、アンブリッジ自身もだ。」
「さあ、いい子にして、今日はアンブリッジに腹を立てるんじゃないぞ。
君がまたクィディッチの練習に出られないとなったら、アンジェリーナがぶっち切れるからな。
ナマエ、大丈夫かい?死体みたいに青白いぜ。」
『……』
返事代わりに名前は頷いた。
咳き込みが治まると、どっと疲れたらしい。
光源が限られた「占い学」の教室はいつも薄暗い。
どこに誰がいるのか程度は見て分かるので、グルリと見回しても、アンブリッジの姿が無いのは分かった。
一番後ろの席を名前達三人で陣取り、授業の用意をする。
するとロンが脇腹を突いた。彼方を見ろと顎をしゃくる。
見ると床の撥ね戸が持ち上がり、アンブリッジの上半身が覗いていた。
『……』
悪魔の襲来である。
皆一斉にお喋りを止めた。
突然静まり返ったのを不思議に思ったのだろう。
教科書を配っていたトレローニーは立ち止まり、原因を探して顔を動かす。
アンブリッジの微笑みが暖炉の炎に照らし出された。
「こんにちは。トレローニー先生。
わたくしのメモを受け取りましたわね?査察の日時をお知らせしましたけど?」
トレローニーは頷きだけを返し、教科書を配る作業へ戻った。
アンブリッジは肘掛椅子の背を掴み、トレローニーの椅子の隣まで引き摺っていく。
そこに腰掛けると花模様のバッグを開き、クリップボードを取り出した。
授業の始まりを待ち構えている。
教科書を配り終えるとトレローニーは、その場でショールを固く体に巻き付け直し、それから生徒達を見回した。
口を開き出てきた声は、微かに震えていた。
「今日は、予兆的な夢のお勉強を続けましょう。
二人ずつ組になってくださいましね。『夢のお告げ』を参考になさって、一番最近ご覧になった夜の夢幻を、お互いに解釈なさいな。」
話を終えてトレローニーは自分の椅子に向かった。
しかし至近距離に座るアンブリッジの姿を見るなり、直角に方向転換した。
明らかな拒絶反応である。
夢の話について語り始めると、にわかに教室は騒がしくなった。
今日も三人組の名前達は、一応「夢のお告げ」の本を開いていたが、ハリーもロンもアンブリッジの動きに夢中だ。
始めの数分間、アンブリッジはクリップボードに何か書いていた。
その後は席を立ち、トレローニーの後ろにくっついて歩き始めた。
先生と生徒の会話を聞いたり、生徒に質問したりしている。
「何か夢を考えて。早く。
あのガマガエルのやつがこっちに来るかもしれないから。」
「僕はこの前考えたじゃないか。
君達の番だよ。どっちでもいいから何か話してよ。」
「……」
『……』
ハリーと名前は互いの顔を見詰めた。
そして互いに首を捻った。
「うーん、えーと……」
『俺は……知らない道を歩く夢だ。』
「知らない道ねえ。インパクトに欠けるな。
何か特徴は覚えてないのかい?」
『薄暗い。』
「他には?」
『最後はいつも行き止まり。』
「いつもだって?その夢、よく見るのか?」
『まあまあ。』
「ナマエ、何か悩みでもあるの?」
『……』
「えーと、僕の見た夢は……
スネイプを僕の大鍋で溺れさせていた。うん、これでいこう……」
ロンは笑った。ハリーの夢が気に入ったらしい。「夢のお告げ」を捲る。
人知れず名前の心臓は跳ねていた。
名前を聞くだけでこの状態なのだから、相当重症である。
見掛けには全く表れないが。
「オッケー。夢を見た日付けに君の年齢を加えるんだ。 それと夢の主題の字数も……『溺れる』かな?それとも『大鍋』か『スネイプ』かな?」
「何でもいいよ。好きなの選んでくれ。」
「夢を見た日はいつだって言ったっけ?」
「さあ、昨日かな。君の好きな日でいいよ。」
「さてと。」
少女のような甲高い声が、思いの外近くから聞こえてきた。
振り向きたい衝動に駆られる。だがこの距離で注目するのは憚られる。
彼方側にも注目される可能性があるからだ。
ハリーとロンが作業を中断して黙り込み、本をじっと見下ろしながら、聞き耳を立てた。
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