04.-3


『(このままじゃまずい)』





その夜。
レポートを終えて寝室に戻った名前は、ベッドの中で考えた。
自分では自覚の無い行動をハーマイオニーに指摘されたのだ。
この状態が続けば、ハリーやロンだけでなく、いずれスネイプ本人にも気付かれるだろう。





『……』





スネイプに問い詰められる未来でも想像したのだろう。
名前は胸を押さえて寝返りを打った。
思い浮かべるだけでも心臓に悪い。





『(でも、分からない)』





「何故気にするのか」と問われても、名前は答える事が出来ない。
原因として思い当たるのはクィレルの言葉くらいだが、それが何故視線や緊張に繋がるのか、自分の心理を説明出来るほど理解に至っていない。

そもそもクィレルの名前など口にしたら非難されるであろう事が目に見えている。
関係性を問い詰められるだろうし、そうなったら名前はもう芋づる式で全てを打ち明けてしまうだろう。
両親の事。
不思議な能力の事。
名前の身体の事。
全てだ。

そんな事態を避ける為にも、これは早く解決しなければならない問題だ。





『(スネイプ先生は、お父さんを尊敬していた……)』





何かと名前の事を気に掛けるのは、尊敬する父親に良く似た子どもだからだ。
瓜二つの子どもが、父親と同じような人物像であると期待して思い描くのは、まあ自然な事だろう。
けれど名前の容姿は魔法でそっくりそのまま反映させているだけであり、本当の姿ではない。

それをスネイプは知らない。
知らないまま気に掛けている。





『……』





ぎゅ、と。胸を押さえる手に力がこもる。
胸とも腹とも分からないが、妙な緊張が蘇り、ぐるぐると渦巻いた。

それに気が付いて、名前は自身の手を見詰めた。
胸の上で固く拳が握られている。





『……』





後ろめたい気持ち。
これが理由かもしれない。

知らないまま気に掛けてくれるスネイプに対して、名前は教えもしないし出来ない。
名前も知らないままでいたら、きっとこの緊張は生まれなかった。

スネイプが知ったらどう思うだろう。
名前に対して、どんな態度を取るだろう。
今までと変わらないだろうか。
尊敬する人物に偽っているのだ。
怒って見向きもしないようになるかもしれない。





『(嫌だ)』





嫌われたくない。嫌われるのが怖い。
ずっと今までのように接してほしい。
見向きもされないなんて、想像したくもない。
よせばいいのに、けれど想像してしまう。
悲しくて、怖い未来を。

誰かに嫌われるのが嫌なのだろうか。
しかし嫌われない人などいない。
それを名前は理解している。
頭で理解していても、実際は悲しい。
そうだとしても。
これはスネイプに対しては桁違いだ。

卒業するまでずっと、こんな思いを抱えて行くのだろうか。
それとも老いて死ぬまでか。
どこかでスネイプの訃報を受け取り、自分の偽りを教えなかった事を後悔し、それも死ぬまで抱えて生きていくのだろうか。





───いや、思春期は多くの場合、多感で、心理的動揺が激しい時期でもあります





ふとクィレルとの会話が蘇る。
負の感情が渦巻いていたが、その言葉を思い出すと、途端に落ち着いた。





───しかしその動揺に支配されると、もうコントロール出来ない





そう。動揺してはいけない。
動揺したら力の制御が難しくなる。
力は隠さなければならない。
呼吸だけに意識を向け、頭の中を空っぽにする。

これは落ち着いたというより、考えを放棄したといった方が近いかもしれない。
考え続ければ落ち着いてなどいられないからだ。

しかし名前のこの問題、そもそもクィレルの憶測なのだから、悩むのは無意味である。
今の名前はクィレルの憶測に振り回され、クィレルの言葉に落ち着きを取り戻した状態だ。
可哀想にすっかり翻弄されているが、生憎それを教えてやれる人は誰もいない。





『……』





そもそも優先すべき事は他に沢山ある。
自分の姿を隠す限り、スネイプへの後ろめたさはずっと消えないものだ。
解決しようが無い自分の気持ちどうこうより、すべき事があるのだ。





『(まずは……)』





あまり気に掛けてもらい続けるのも申し訳無いし、いい加減呆れられるかもしれない。
目先の目標は食事の改善だろう。
次は、毎年学期末になると医務室でお世話になるので、そうならない為に備えておくべきだ。
今年は何事も無く終業式を迎えられれば良いと願うが、ヴォルデモートが復活した今、それは難しいだろう。あまり悠長にしてもいられない。

しかしここホグワーツではアンブリッジが目を光らせている。
授業態度から鑑みるに、彼女は───きっと魔法省自体───生徒に杖を持たせたくないようだ。
ヴォルデモートに対しても否定的だし、頼みの綱である「闇の魔術に対する防衛術」が実戦的に学べないとなると、自主的に練習するしかない。
だがアンブリッジ、ひいては魔法省が、生徒に杖を持たせたくない。
彼女の目に一度でも止まれば、きっと酷い事になる。名前だけじゃなく、ホグワーツ全体───ダンブルドアにも迷惑がかかるかもしれない。

目立たなくて、目を掻い潜れるような。
それでいて身を守れるような手段が必要だ。













翌朝。
名前はいつも通りロードワークをこなし、シャワーを浴びてから、朝食を摂りに大広間へ向かった。
空席を探してグリフィンドールの長テーブルに沿って歩く。





『おはよう、ハーマイオニー。』



「おはよう、ナマエ。」





読んでいた「日刊予言者新聞」から顔を上げて、ハーマイオニーはニコリと微笑んだ。

隣に腰掛けて、ゴブレットにミルクを注ぐ。
ミルク瓶をテーブルに置いて、名前は周囲を見回した。





『ハリーとロンがいない。』



「談話室で宿題をやっているのよ。」





それだけ言うと、ハーマイオニーはまた新聞に戻った。
名前は随分遅くまで考えに耽っていたように感じていたが、ハリーとロンが寝室に戻ってきた記憶は無い。

名前はこっそりパンと南瓜ジュース持って、一時間目の「占い学」へ向かった。





『少ないけど、食べられる時に食べて。』


「ありがとう、ナマエ。」





ハリーとロンは空腹と寝不足でとてつもなく顔色が悪かった。
(名前も人の事をどうこう言える顔色ではないが。)
けれど休む暇など無い。そうでなければ溜まっていく一方だ。





『宿題、いざとなったら手伝う。』



「本当に?助かるよ。」



「有り難いけど、ナマエ、ハーマイオニーに怒られるんじゃない?」



『それは百も承知だ。』





二人は昼食も抜いて宿題に立ち向かったが、午後の授業には宿題が減るどころか何倍にも膨れ上がった。
逼迫した状況ではあったが、さすがに夕食は摂る事にしたらしい。
今晩また罰則の続きがあるらしく、ハリーは昨夜と同じように急いで食べなければならなかった。

しかしそこへアンジェリーナ・ジョンソンが、金曜のキーパー選抜が出られるかどうか確かめにやって来た。
アンブリッジに許可が取れなかったと分かると、彼女は選手たるもの訓練を優先させるべきだと頭ごなしに説教した。





「罰則を食らったんだ!
僕がクィディッチより、あのガマばばぁと同じ部屋で顔つき合わせていたいとでも思うのか?」





大股で歩き去るアンジェリーナの背中に向かって、ハリーはそう叫んだ。
彼女は振り向かなかった。





「ただの書き取り罰だもの。」





グリフィンドールの長テーブルにハリーが座ると、気の毒そうな顔をしてハーマイオニーはそう労った。
ハリーは俯いていた。
テーブルの上のステーキ・キドニーパイを見つめているようだったが、手を出そうとしない。





「恐ろしい罰則じゃないみたいだし、ね……。」





俯いていた顔を上げたハリーは、異を唱えたそうな表情だった。
実際言おうとしたのだろう。口を開きかけた。
けれどぐっと閉じて、こっくり頷き、そのまままた俯いてしまった。
何と言おうとしていたのかは分からないが、少なくとも否定的だったのは見て取れる。
ハリーにとって「ただの書き取り罰」が「恐ろしい罰則」だった。
それも深夜まで縛り付けるような罰だ。





「この宿題の量、信じられないよ。」



「ねえ、どうして昨夜何にもしなかったの?
一体どこにいたの?」



「僕……散歩がしたくなって。」





口に物が入っているわけでもないのに、ロンはモゴモゴと口籠った。
この言い方では隠し事をしていると容易くハリーとハーマイオニーに見破られるだろう。
大体金曜の選抜に出るのだから、気付かれるのだって時間の問題である。
ロンも名前と同じく、隠し事は苦手なのかもしれない。

翌朝。
ロードワークの為に起き出した名前は、カーテンも閉じず眼鏡も外さず、制服のままベッドに横たわるハリーを見付けて動きを止めた。
昨夜も遅くまで罰則を受け、その後宿題をやっていたのだろう。
朝食には現れたが口数が少なく、その日は一日表情も虚ろだった。

ロンも眠たそうにしていたが、ハリーのこれは重症だ。
今晩も罰則があるようだし、今日は寝ずにハリーの手伝いをした方が良いだろう。
夕食後は談話室で過ごし、ハリーの帰りを待った。
談話室から生徒が一人、また一人と寝室へ消えていく。
欠伸を称えてハーマイオニーが寝室へ消えて、ついに名前一人が残された。
ネスが一緒にいたので、本当に一人ではないが。





「ナマエ、まだ起きていたの?」





日を跨ぐ前にハリーは戻ってきた。
箒を携えたロンも一緒だ。
途中で鉢合わせたのだろう。
選抜の事を打ち明けたようで、もう隠す様子は無い。

読んでいた本を閉じて二人に向き直る。
涼しげな目元がハリーを捉えた。





『宿題を手伝おうかと思った。けど、疲れているなら朝でも……
手をどうした。』





眠たげに目を擦ったハリーの右手。
不自然に赤い部分がある。

ハリーは手を下ろして後ろに隠そうとしたが、その前にロンが腕を掴んだ。





「見てくれよ、ナマエ。酷いんだ。」





ロンはハリーの手首をガッシリ掴んだまま引っ張って、肘掛椅子に座る名前の前まで持ってきた。

ハリーは抵抗を見せたが途中で諦めたようで、今やされるがままである。
けれど自ら見せる気は無いらしく、手首からだらりと力が抜けている。

右手を握って持ち上げると、よく見えるようにして、名前は顔を寄せた。





I must not tell lies
───僕は嘘をついてはいけない……





多分、そのような意味合いの言葉だろう。
傷の周囲が炎症して腫れていたので、正確に文字を読み取る事は難しい。
けれど手の甲に出来た引っ掻き傷が文字だという事は、いくらなんでも分かる。





「あのアンブリッジ───鬼ばばぁがやったんだ。羽根ペンに呪いを掛けて───使ったやつは書いた文字が体に刻み込まれる。
書き取り罰だなんて言って───こんな事を連日何時間もかけてやらせてるんだ。」





話している内に怒りがこみ上げてきたらしい。
ロンの口調は言葉を発する度に熱がこもり、顔も赤く染まってきた。





「この事はマクゴナガルやダンブルドアに話すべきだ。
ナマエ、そう思うだろ?」



「悪いけど、ナマエに頼まれたって話すつもりはない。」



「こんな調子だもんな……。」



『でも、ハリー。痛むだろう。』



「平気さ。」



「嘘だよ、絶対に痛い。痛いに決まってる。」



「ボウトラックルよりマシだよ。」





そうは言ったものの、ハリーは宿題に手を付けず就寝を選んだ。
とても羽根ペンを握れる状態ではないのだろう。
ハリーがやらないのならとロンも就寝を選び、今夜は結局三人で真っ直ぐ寝室へ戻ってしまった。

今まで罰則と言って体罰をするような教師はいなかった。
まあ偽ムーディは攻撃的ではあったけれど。
それでも罰則と称して体罰をしたりはしなかった。
アンブリッジの場合、表面上を取り繕うから意地が悪い。

金曜日も朝から曇り空だった。
新学期が始まってから初めての週末だったが、大量の宿題やら罰則やら色んな事があって、もう何日も過ぎているような感覚にさせる。
兎に角明日は休日だからと少し気が抜けた様子で一日を過ごし、夕方五時が近付くと、ハリーはアンブリッジの部屋へ向かった。



夕食後。
人も疎らな談話室で、名前とハーマイオニーが二人───勿論、ネスとクルックシャンクスも一緒に───読書をしてゆったり過ごしている。
そこへドカドカと人が入り込んできて、静かな談話室はいっぺんに騒がしくなった。
何事かと顔を上げた二人の前に現れたのは、にっこり笑顔を浮かべるロンだった。





「ハーマイオニー、ナマエ。
僕、受かった!」



『おめでとう、ロン。』



「ありがとう、ナマエ。」



「受かった?何を……二人とも、一体何の話を───」





ロンと名前の顔を交互に見比べて、ハーマイオニーは怪訝そうに顔をしかめた。
けれど直後、驚きの表情へと変わる。





「まさか、ロン、あなた……」



「うん。選抜に出た。
僕、これからグリフィンドール・チームのキーパーだ。」



「まあ。そう。それで……最近夜にいなくなるのは、そういう事だったのね。」



「うん。練習してた。」



「すごいわ、ロン。おめでとう!私───私、とっても驚いたけど、嬉しいわ。」



「ありがとう、ハーマイオニー。」





新人歓迎会という名目で、談話室にいた皆にお菓子やらバタービールが配られた。
多くの生徒がちょっと心配になるくらいハイテンションで、談話室に談笑する声が響き渡っている。

そんなお祭り騒ぎ真っ只中ハリーが戻ってきた。
名前のいる場所からは見えなかったが。
ロンは人混みを掻き分けて、すぐに駆け寄った。
バタービールがなみなみと注がれたゴブレットを片手に、服に溢れかかるのもお構い無しに。





『……』





ロンの背中を目で追ったが、やがて人混みに紛れて見えなくなる。
名前は手元のゴブレットを見下ろし、ちょっと口に含んだ。
それから顔を上げて、向かいに座るハーマイオニーを見た。

ハーマイオニーは目を閉じて、うつらうつらと船を漕いでいる。
両手で包み込むようにしてゴブレットが握られていたが、ちょっとクビを伸ばして覗き込むとまだ中身が入っていた。
名前は慎重にゴブレットを抜き取り、テーブルの上へ置いた。

同じテーブルの上、ゴブレットの横。
名前の背後から腕が伸びてきて鞄を置いた。
ハリーだった。





『おかえり、ハリー。』



「ああ、うん……」



「ああ、 ハリー、あなたなの……ロンの事、良かったわね。
私、と───と───とっても疲れちゃった。」





目を覚ましたがハーマイオニーは今にもまた眠りそうな雰囲気だった。
手で隠し切れない大きな欠伸をもらしている。





「帽子を沢山作るのに、一時まで起きていたの。すごい勢いで無くなってるのよ!」



「いいね。」



『ハリー、何かあったの。』





見るからにハリーは挙動不審だった。
ちょっと辺りを見回して確認するような仕草はしたが、目が忙しなく揺れている。

ハリーは名前を見て、次にハーマイオニーを見た。
それから椅子に腰掛けて、二人の方へ顔を寄せた。
深刻な雰囲気を感じ取り、ハーマイオニーと名前も顔を寄せた。





「ねえ、ナマエ、ハーマイオニー。
今アンブリッジの部屋にいたんだ。それで、あいつが僕の腕に触った……。」





罰則の詳細には触れずハリーはただ、アンブリッジが腕に触れたとだけ言った。
そして、こう話を続けた。

腕に触れた瞬間、額の傷痕に激痛を感じた。
あまりの痛みに掴まれた腕を引き離し、椅子から立ち上がった。
アンブリッジは笑っていた。
───痛いでしょう?
そう言って笑っていた。
そして今夜がもうよろしいと帰された。





「『例のあの人』がクィレルをコントロールしたみたいに、アンブリッジをコントロールしてるんじゃないかって心配なの?」



「うーん、」





自分の名前が出て驚いたのだろう、ネスの体がビクッと跳ねた。
所詮動物のやる事だからと、ハリーとハーマイオニーは気にしなかったが。
けれど名前は正体を知っているし、掴まれた肩にしっかり振動を感じ取っていた。





「可能性はあるだろう?」



「あるかもね。」





肩を掴むネスの脚に力が込められていく。
羽毛の下で冷や汗をかいている事だろう。





「でも、『あの人』がクィレルと同じやり方でアンブリッジに『取り憑く』事は出来ないと思うわ。
つまり、『あの人』はもう生きてるんでしょう?自分の身体を持ってる。誰かの体は必要じゃない。
アンブリッジに『服従呪文』をかける事は可能だと思うけど……。」





ふとハリーは顔を逸らした。
視線の先にあるのはフレッド、ジョージ、リー・ジョーダンの三人だろうか。
三人は器用にもバタービールの空き瓶でジャグリングをしている。





「でも、去年、誰も触っていないのに傷痕が痛む事があったわね。ダンブルドアがこう言わなかった?
『例のあの人』がその時感じている事に関係している。つまり、もしかしたらアンブリッジとは全く関係が無いかもしれないわ。
偶々アンブリッジと一緒にいた時にそれが起こったのは、単なる偶然かもしれないじゃない?」



「あいつは邪悪なやつだ。
根性曲がりだ。」



「酷い人よ、確かに。でも……
ハリー、ダンブルドアに、傷痕の痛みの事を話さないといけないと思うわ。」



「この事でダンブルドアの邪魔はしない。今君が言ったように大した事じゃない。この夏中、しょっちゅう痛んでたし───
ただ、今夜はちょっと酷かった───
それだけさ───。」



「ハリー、ダンブルドアはきっとこの事で邪魔されたいと思うわ───。」



「うん。
ダンブルドアは僕のその部分だけしか気にしてないんだろ?僕の傷痕しか。」



「何を言い出すの。そんな事ないわ!」



「僕、シリウスに手紙を書いて、この事を教えるよ。シリウスがどう考えるか───」



「ハリー、そういう事は手紙に書いちゃダメ!
憶えていないの? ムーディが、手紙に書く事に気を付けろって言ったでしょう。今はもう、梟が途中で捕まらないという保証は無いのよ!」



「分かった、分かった。じゃ、シリウスには教えないよ!」





怒鳴るように言って立ち上がる。
テーブルに置いた鞄を引っ掴み、ハーマイオニーと名前を見下ろした。





「僕、寝る。ロンにそう言っといてくれる?」



「あら、駄目よ。
あなたが行くなら、私も行っても失礼にはならないって事だもの。私、もうくたくたなの。それに、明日はもっと帽子を作りたいし。
ねえ、あなた達も手伝わない? 面白いわよ。私、だんだん上手になってるの。
今は、模様編みもボンボンも、他にも色々出来るわ。」



「あー……ううん。遠慮しとく。えーと───
明日は駄目なんだ。僕、山程宿題やらなくちゃ……。」



『俺もやる事がある。
その後で良ければ教えてくれる。俺は作り方を知らない。』



「ええ、良いわよ。」





おやすみの挨拶を交わしてからハーマイオニーと別れ、ハリーと共に寝室へ引き上げる。

寝室には誰もいなかった。
皆、談話室で盛り上がっている最中のようだ。

各自自分のベッドへ向かい、寝間着に着替える。





『ハリー。』



「何?ナマエ。」



『額の傷痕、見せてくれる。』





パジャマのボタンを全部留めてから、ハリーは顔を上げて名前を見た。
涼しげな目元がじっとハリーを見詰め返す。
相変わらずの無表情だ。





「いいけど、何ともなってないと思うよ。」





ベッドに座り、ハリーは名前に向き直る。
名前は自分のベッドから離れてハリーの前に立った。

目の前に立つとちょっと身を屈めて、ハリーの額にかかる癖のある黒髪を、そっと指先で避けた。
その手付きが優しいのと、名前の顔の近さに、ハリーは視線をどこはやったらいいのか分からないというふうに、目をキョロキョロ泳がせた。

そして不意に、そういえば名前の顔を、こうして真正面から見た事が無いという事に気が付いた。
───ナマエ背が高いので、僕はいつも見上げている……。
気恥ずかしさが、物珍しさに変わった。





「……」



『……』





とはいえ近過ぎて目元くらいしか見えない。
夜に見る水溜りのような、潤いのある瞳。覗き込むのが怖い黒さだ。
白目は青白く見えるほど白い。

目にかかる一部の前髪が睫毛に触れて、名前が瞬く度、前髪がヒョコヒョコと上下した。
それがちょっとおかしくて、ハリーは笑った。
名前の黒目が傷痕からハリーに移動した。

たっぷり数秒見つめ、名前は口を開いた。





『変わりない。』



「でしょう?」



『でも痛い。』



「仕方ないよ。」



『痛いのはつらい。』



「これはどうしようもないんだ。」





名前に言って聞かせると言うよりは、自分自身に言い聞かせているようだ。
ハリーは名前を見詰めた。
分かるだろ?という無言の意思表示である。





『……』





名前は唇を真一文字に引き結び、黙ってハリーを見詰め返した。





「もういいかい?」



『まだ。』





視線と顔の近さ耐え兼ねてハリーが言ったが、名前は短く答えて、顔の近さも手も体勢も変えない。





「なんだって言うの?」



『ハリー、痛い時は』



「殆どしょっちゅうだよ。痛み止めでも飲めって言うんじゃないよね。」



『いや。痛い時は、』





名前はそこで初めて視線を動かした。
言うのを迷うように視線が彼方此方に泳いでいる。
目の前だから良く見える。





「痛い時は?」



『……
俺に、言って。』



「ナマエに?」





ハリーは目をパチパチさせた。
名前はまだ視線を泳がせている。





「どうしてだい?ナマエ。何か───
何か、言われてるの?誰かに?僕の傷痕が痛んだら、誰かに?」



『ううん。』





それまで視線を泳がせていた名前が、ハリーを見詰め、はっきり首を横に振って否定したので、これは嘘じゃないなとハリーは分かった。

だから余計に分からない。
名前はハリーの傷痕が痛んだから、だからどうしようというのだろう。





「理由を教えてくれなきゃ、僕、約束してあげられないな。」



『……』





名前は困ったような、迷うような、少しの間を置いた。
第三者には無表情にしか映らないが、ハリーにはこれまでの付き合いというものがある。





『痛い時は、……
……おまじないをするから。』



「……おまじない?」



名前はコクリと頷いた。
『気休めにしかならないかもしれないけど。』



「それは……えーと……魔法?」



『そんな感じ。』





名前がまたちょっと視線を泳がせた。
それは本当の事ではない───でも、嘘でもない。
と、ハリーは思った。





『子どもの頃……本当に小さい時……両親が教えてくれた。』



「へえ。それは期待できるね。
分かった。じゃあ、痛い時はナマエに言うよ。」



『おまじない、やるか。今。』



「今は平気さ。アンブリッジの所では痛かったけど。」



『額の方じゃない。手に。』




ハリーは途端に不機嫌になって、つっけんどんな物言いに変わった。





「平気だって言っただろ。」



『……分かった。おまじないはしない。
でも手当てはした方がいい。』



「治すつもりはない。」



『治すわけじゃない。消毒するだけ。
切り傷だって馬鹿には出来ない。感染症を引き起こす可能性がある。全身に症状が出るかもしれない。』



「分かった、分かったよ。明日やる。」



『今やるんだ。』



「僕、手当ての道具なんか持ってない。」



『俺が持っている。』





素早い身のこなしで自分のベッドに引っ込むと、どこからともなく救急箱を取り出して戻ってきた。
ハリーの手を掌に置いて、消毒液に浸した脱脂綿で慎重に傷へ触れる。
その手付きを見ている内にハリーは、胸を燻る苛々が静まっていくのを感じた。

以前聞いた話だ。名前はボクシングを習ってると言った。
ハリーは小学校の時からダドリーのサンドバッグ役で、叔父のバーノンが「高貴なスポーツ」と呼ぶものだから、ボクシングという言葉すら聞きたくなかったが───
名前に拳を向けられた事は無い。
それどころかこんなふうに、誰よりも優しく扱う。
まるで母親のように。

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