03.-3


『……』





なんて事を考えていたのかもしれない。
名前はトレローニーを見ていた。
視線に気が付いたトレローニーが名前を見たので、名前は極めて自然な動作で本に顔を埋めたのだった。

お香の匂いが立ち込める仄暗い教室。
ただ黙々と序章を読み進める。
夢の解釈に移る時、授業時間は十分も残っていなかった。





「僕、夢なんか憶えてた事ないよ。」





三人で頭を寄せ合うなり、ロンはそう言った。

トレローニーは二人ペアになれと言ったが、このクラスは一人余る計算になる。
その為、名前とハリーとロンの三人で組んでいる。
トレローニーは何も言わない。その辺りは緩いのかもしれない。

三人のテーブルの隣では、ディーンがネビルと組んでいた。
ネビルが悪夢の詳細を長ったらしく説明しているのが聞こえてくる。





「ハリー、ナマエ。君達が言えよ。」



『……』



「一つぐらい憶えてるだろう。」





言われるまま素直に夢を思い出そうと試みる名前に対して、ハリーは刺々しく跳ね除けた。

あまり機嫌を損なうのはよろしくないと考えたようだ。
ロンは思い出そうと頭を捻った。





「えーと、この間、クィディッチをしてる夢を見た。
それって、どういう意味だと思う?」



「多分、巨大なマシュマロに食われるとか何とかだろ。」



『空を飛ぶ夢、スポーツの夢……どっちだろう。』





授業残り数分間。
ハリーとロンはいかにも退屈そうに本を捲り、名前は真面目に取り組んでいた。

終わりがけにトレローニーは宿題を出した。
一ヶ月間夢日記をつけるという宿題だ。

授業終了のベルが鳴る。
ハリーとロンはいの一番に立って梯子を下りた。
名前が少し遅れて二人の横へ並ぶと、ロンが不満を爆発させた。





「もうどれくらい宿題が出たと思う? ビンズは巨人の戦争で五十センチのレポート、スネイプは月長石の用途で三十センチ、その上今度はトレローニーの夢日記一ヶ月ときた。
フレッドとジョージはOWLの年について間違ってなかったよな? あのアンブリッジばばあが何にも宿題出さなきゃいいが……。」





次は二時限続きの「闇の魔術に対する防衛術」だ。
どんな先生か分からない。少なくとも昨晩の印象は良いとは言えない。
そんな先生の授業が二時限続きとなると、少々先行き不安である。

教室には既にアンブリッジが教壇に待機していた。
昨晩と同じくピンク色のカーディガンを身に着けている。
廊下では楽しげに談笑していた生徒も、教室に入ってアンブリッジに目を止めると、即座にお喋りをやめた。

生徒が黙って教室に入り、着席するのを、アンブリッジはニコニコ微笑みながら眺めている。





「さあ、こんにちは!」





全員が着席するのを見届けてから、アンブリッジは明るく挨拶した。
生徒は少々戸惑い気味で、すぐさま反応出来ない
しかし何人かが───名前もこの一人だったが───「こんにちは」と挨拶を返した。





「チッチッ。
それではいけませんねえ。皆さん、どうぞ、こんなふうに。『こんにちは、アンブリッジ先生』。
もう一度いきますよ、はい、こんにちは、みなさん!」



「こんにちは、アンブリッジ先生。」



「そう、そう。
難しくないでしょう?杖をしまって、羽根ペンを出してくださいね。」





どうやら座学中心の授業になるようだ。
初回限定。今回ばかりかもしれないが。

杖を鞄にしまい、代わりに羽根ペンとインク、羊皮紙を出して、机の上に並べる。
アンブリッジは生徒全員作業が終わったのを見届けて、自身のハンドバッグを開けた。
現れたのは異常に短い杖で、アンブリッジはこれで黒板を強く叩いた。
文字が滲み出てくる。

───闇の魔術に対する防衛術───
───基本に返れ───





「さて、皆さん、この学科のこれまでの授業は、かなり乱れてバラバラでしたね。そうでしょう?」





アンブリッジは正面を向いて、生徒を見回した。
両手を体の前できちんと組み、ニッコリ微笑んでいる。





「先生がしょっちゅう変わって、しかも、その先生方の多くが魔法省指導要領に従っていなかったようです。その不幸な結果として、皆さんは、魔法省がOWL学年に期待するレベルを遥かに下回っています。
しかし、ご安心なさい。こうした間題がこれからは是正されます。今年は、慎重に構築された理論中心の魔法省指導要領通りの防衛術を学んでまいります。これを書き写してください。」





アンブリッジはもう一度、杖で黒板を強く叩いた。
先程の文字が消えて、今度は「授業の目的」という文章が現れる。

1.防衛術の基礎となる原理を理解すること
2.防衛術が合法的に行使される状況認識を学習すること
3.防衛術の行使を、実践的な枠組みに当てはめること

羽根ペンを握り、黒板に現れた内容を羊皮紙に書き写す。
生徒全員が写し終えて羽根ペンを置くと、アンブリッジは口を開いた。





「皆さん、ウィルバート・スリンクハードの『防衛術の理論』を持っていますか?」





初めの挨拶と同じように何人かが答えた。
けれどやっぱりアンブリッジは気に入らなかったようだ。





「もう一度やりましょうね。
わたくしが質問したら、お答えはこうですよ。『はい、アンブリッジ先生』または、『いいえ、アンブリッジ先生』
では、皆さん、ウィルバート・スリンクハードの『防衛術の理論』を持っていますか?」



「はい、アンブリッジ先生。」



「よろしい。
では、五ページを開いてください。『第一章、初心者の基礎』。お喋りはしない事。」





そう言ってアンブリッジは、黒板から離れて教壇に戻った。
教壇の椅子に深く腰掛けると、尊大に構えて生徒を見回す。
もう話す事は無いと言わんばかりの態度だ。

教室の彼方此方で頁を捲る音が鳴った。
ところがこの本、どうにもつまらない。
もっと噛み砕いて表現すればいいものを、わざわざ気難しく言い回しているのが拍車を掛けている。
生徒の多くは数分と経たず集中力が切れていった。





『……』





名前もその一人───ではなかった。
読み終えて、ふと目を上げる。
視界の端に黒く長いものが映り込み、名前はそちらを見た。

左隣はハーマイオニーだ。
ハーマイオニーの右手が高々と挙手されている。
映り込んでいたのはハーマイオニーの腕だった。
机の上の『防衛術の理論』の教科書は閉じられている。

ハーマイオニーの顔を見ようとしたところ、その前にハリーと目が合った。
ハリーも異変に気が付いたのだ。
───ハーマイオニー、どうしたんだろう
そんなアイコンタクトを交わして、二人はハーマイオニーの顔を見た。





「……」





名前とハリーの「どうしたの」という視線を受け取ったが、ハーマイオニーは首を少し振るだけだった。
それから再び、じっとアンブリッジの方を見据える。
実際教壇に立つと分かるが、教壇というのは背中を向けない限り、教室全体を見回す事が出来る場所だ。
けれどアンブリッジはハーマイオニーを見なかった。
真っ直ぐ正面を向いているのにも拘わらずだ。

そのまま数分が経過した。
ちらほら他の生徒もハーマイオニーの行動に気が付き始めた。
つまらない教科書を読むよりよっぽど面白そうだったのだろう。
クラスの半数が注目するようになると、アンブリッジはようやくハーマイオニーを見た。





「この章について、何か聞きたかったの?」



「この章についてではありません。違います。」



「おやまあ、今は読む時間よ。
他の質問なら、クラスが終ってからにしましょうね。」



「授業の目的に質問があります。」





アンブリッジの細く整えられた眉が吊り上がる。
微笑みが微かに引き攣ったように見えた。





「あなたのお名前は?」



「ハーマイオニー・グレンジャーです。」



「さあ、Ms.グレンジャー。ちゃんと全部読めば、授業の目的ははっきりしていると思いますよ。」



「でも、分かりません。
防衛呪文を使う事に関しては何も書いてありません。」



「防衛呪文を使う?」





おかしそうに言葉を繰り返し、アンブリッジはフフッと笑った。





「まあ、まあ、Ms.グレンジャー。このクラスで、あなたが防衛呪文を使う必要があるような状況が起ころうとは、考えられませんけど?
まさか、授業中に襲われるなんて思ってはいないでしょう?」



「魔法を使わないの?」
驚いたロンが思わず声を上げた。



「わたくしのクラスで発言したい生徒は、手を挙げる事。Mr.───?」



「ウィーズリー。」
ロンは高々と手を挙げた。





アンブリッジはニッコリ微笑み、ロンから目を背けた。
すぐにハリーとハーマイオニーが手を挙げた。

アンブリッジの目はハリーに止まったように見えた。
けれどそれは一瞬で、隣のハーマイオニーに向けられた。





「はい、Ms.グレンジャー? 何か他に聞きたいの?」



「はい。
『闇の魔術に対する防衛術』の真の狙いは、間違いなく、防衛呪文の練習をする事ではありませんか?」



「Ms.グレンジャー、あなたは、魔法省の訓練を受けた教育専門家ですか?」



「いいえ、でも───」



「さあ、それなら、残念ながら、あなたには、授業の『真の狙い』を決める資格はありませんね。
あなたよりもっと年上の、もっと賢い魔法使いたちが、新しい指導要領を決めたのです。あなた方が防衛呪文について学ぶのは、安全で危険の無い方法で───」



「そんなの、何の役に立つ?
もし僕達が襲われるとしたら、そんな方法───」



「挙手、Mr.ポッター!」





ハリーはアッパーでもするように拳を上げた。
しかしアンブリッジは素早く余所を向いて、ハリーが視界に入らないようにした。

けれど、様子が変わってきていた。
ハーマイオニーの発言を皮切りに、別の生徒が何人か手を挙げ始めたのだ。





「あなたのお名前は?」



「ディーン・トーマス。」



「それで? Mr.トーマス?」



「ええと、ハリーの言う通りでしょう?
もし僕達が襲われるとしたら、危険の無い方法なんかじゃない。」



「もう一度言いましょう。
このクラスで襲われると思うのですか?」



「いいえ、でも───」



「この学校のやり方を批判したくはありませんが。
しかし、あなた方は、これまで、大変無責任な魔法使い達に曝されてきました。非常に無責任な───言うまでもなく。」





アンブリッジは生徒を見回し、フフッと笑った。
意地悪い、明らかな嘲笑だ。





「非常に危険な半獣もいました。」



「ルーピン先生の事を言ってるなら。」
ディーンの声は怒っている。
「今までで最高の先生だった───。」



「拳手、Mr.トーマス! 今言い掛けていたように───
皆さんは、年齢に相応しくない複雑で不適切な呪文を───
しかも命取りになりかねない呪文を───
教えられてきました。恐怖に駆られ、一日おきに闇の襲撃を受けるのではないかと信じ込むようになったのです───。」



「そんな事はありません。」
ハーマイオニーは即座に言った。
「私達はただ───」



「手が挙がっていません、Ms.グレンジャー!」





ハーマイオニーは高々と手を挙げた。
アンブリッジはまた余所見した。





「わたくしの前任者は違法な呪文を皆さんの前でやって見せたばかりか、実際皆さんに呪文をかけたと理解しています。」



「でも、あの先生は狂っていたと、後で分かったでしょう?
だけど、随分色々教えてくれた。」



「手が挙がっていません、Mr.トーマス!
さて、試験に合格する為には、理論的な知識で十分足りるというのが魔法者の見解です。結局学校というものは、試験に合格する為にあるのですから。
それで、あなたのお名前は?」



「パーバティ・パチルです。それじゃ、『闇の魔術に対する防衛術』OWLには、実技は無いんですか?実際に反対呪文とかやって見せなくてもいいんですか?」



「理論を十分に勉強すれば、試験という慎重に整えられた条件の下で、呪文がかけられないという事は有り得ません。」



「それまで一度も練習しなくても?
初めて呪文を使うのが試験場だと仰るんですか?」



「繰り返します。理論を十分に勉強すれば───」



「それで、理論は現実世界でどんな役に立つんですか?」





拳を突き上げると同時、ハリーは声を張り上げた。

パーバティからハリーに視線を移し、ハリーを捉えるまでの一瞬。
アンブリッジの目が怒りで吊り上がっているように見えた。
ハリーと向き直るとニッコリ微笑みが復活する。





「ここは学校です。Mr.ポッター。現実世界ではありません。」



「それじゃ、外の世界で待ち受けているものに対して準備しなくていいんですか?」



「外の世界で待ち受けているものは何もありません。Mr.ポッター。」



「へえ、そうですか?」



「あなた方のような子どもを、誰が襲うと思っているの?」



「うーむ、考えてみます……。
もしかしたら……ヴォルデモート卿?」





ロンは息を呑み、ラベンダー・ブラウンは短い悲鳴を上げて、ネビルは椅子から落っこちた。

けれどアンブリッジは動揺した様子など微塵も無い。
むしろ落ち着いた様子で、ますます嬉しそうに微笑んだ。





「グリフィンドール、十点減点です。Mr.ポッター。」





静かな教室にアンブリッジの甲高い声が響いた。





「さて、いくつかはっきりさせておきましょう。」





生徒を見回しながら、一言一言噛み締めるように、アンブリッジはゆっくり続けた。





「皆さんは、ある闇の魔法使いが戻ってきたという話を開かされてきました。死から蘇ったと───」



「あいつは死んでいなかった。」
ハリーが怒鳴った。
「だけど、ああ、蘇ったんだ!」



「Mr.ポッターあなたはもう自分の寮に十点失わせたのにこれ以上自分の立場しないよう。」
ハリーを見ずに一呼吸で言った。
「今言い掛けていたように、皆さんは、ある闇の魔法使いが再び野に放たれたという話を聞かされてきました。これは嘘です。」



「嘘じゃない!
僕は見た。僕はあいつと戦ったんだ!」



「罰則です。Mr.ポッター!
明日の夕方。五時。わたくしの部屋で。
もう一度言いましょう。これは嘘です。魔法省は、皆さんに闇の魔法使いの危険は無いと保証します。まだ心配なら、授業時間外に、遠慮無くわたくしに話をしにきてください。闇の魔法使い復活など、たわいの無い嘘で皆さんを脅かす者がいたら、わたくしに知らせてください。わたくしは皆さんを助ける為にいるのです。皆さんのお友達です。さて、ではどうぞ読み続けてください。五ページ、『初心者の基礎』。」





アンブリッジが椅子に腰掛けるのと入れ替わり、ハリーは立ち上がった。
生徒が皆、ハリーに注目している。

現在仲違いをしているシェーマスも注目していた。
恐怖と感心が入り交じった表情だ。





「ハリー、ダメよ!」





囁きながらハーマイオニーはハリーの袖を引いた。
ハリーはアンブリッジを睨み付けたまま、引っ張られる袖を引っ込めた。





「それでは、先生は、セドリック・ディゴリーが独りで勝手に瀕死の重傷を負ったと言うんですね?」





怒りか、悔しさか。はたまた恐怖か。
張り上げたハリーの声は震えていた。





「ナマエ・ミョウジが偶然同じ場所に居合わせて、独りで勝手に瀕死の重傷を負ったと言うんですね?」





生徒の視線はハリーとアンブリッジ、そして名前を、射抜くように捉える。
好奇心と、少しの恐怖心を滲ませて。

ハリーは墓場であった出来事を、ロンとハーマイオニー以外に話してはいなかった。
名前も話していない。話す暇が無かったし、正面きって尋ねる者もいなかった。
皆、遠巻きに見るだけだ。
セドリックは分からない。まだ見掛けていない。

アンブリッジは目を吊り上げてハリーを見据えた。
もう微笑んではいなかった。





「セドリック・ディゴリーの怪我は、悲しい事故です。」
静かで、押さえ付けるような声だ。
「本来ならば居合わせるはずがないナマエ・ミョウジの存在が事の真相をややこしくしているようですが、彼は夢を見ていたのです。ただの夢を。
子どもの内は夢と現実の区別がつかない時期でもあります。よくある事です、珍しくはありません。」



「襲われたんだ。」





声だけではない。今や体も震えている。
生徒は皆、固唾を呑んで見守っている。





「ヴォルデモートが二人を襲った。先生もそれを知っているはずだ。」





アンブリッジの顔から一切の感情が消え去っていた。
嵐の前の静けさというのだろうか。
この無表情が爆発の前触れで、今にもヒステリックに怒鳴るのではないかと思われた。
沸騰直前のシュンシュン音を立てるヤカンのように、ピーッと湯気と音を立てるのではないだろうか……。

しかし、アンブリッジは微笑みを繕った。
そしてやけに優しく甘ったるい、女の子のような甲高い声を出したのだ。





「Mr.ポッター、いい子だから、こっちへいらっしゃい。」





ハリーは椅子を脇に蹴飛ばした。
倒れこそしなかったが、椅子の足と床が擦れて嫌な音を立てた。
ロン、ハーマイオニー、名前の後ろを順に通り、大股で教壇へ向かう。

ハリーが目の前までやって来ると、アンブリッジはハンドバッグから小さなピンクの羊皮紙を一巻き取り出した。
それを机に広げて羽根ペンをインク瓶に浸すと、覆い被さるようにして何やら書き始める。
教室にはアンブリッジの立てる羽根ペンのペン先と羊皮紙が擦れ合うカリカリという音以外に、目立った物音は無い。
誰もが注目し、静かに成り行きを見ていた。

一分程経過した頃、アンブリッジは羊皮紙を丸めて、ようやく体を起こした。
丸めた羊皮紙を杖で叩き、継ぎ目なしの封をする。





「さあ、これをマクゴナガル先生のところへ持っていらっしゃいね。」






アンブリッジは手紙をハリーに差し出した。
ハリーは引ったくるように受け取った。
クルリと身を翻し、誰とも目を合わさないよう、真っ直ぐ教室の扉へ向かう。
大きな音を立てて扉は閉まった。

- 212 -


[*前] | [次#]
ページ:




×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -