03.-1


「ナマエ、年々マイペースに磨きがかかってないか?」



『……』



「いや、うん……気にしないで。ミルク飲みなよ。」





サラダに入っていたクレソンを食べて、名前はその口を抑えていた。
予想外に辛かったようだ。

朝から辟易していたハリーが、腹立たしさも忘れて呆れてしまうくらい、名前はいつも通りだ。
その一挙一動を見られているというのに。













新学期初日は朝から生憎の大雨で、大広間の天窓をバチバチと叩き付けている。
その窓という窓から梟が飛び込んできて、鰯の魚影の如く頭上に梟が飛び交った。
全身に浴びた雨粒が滴り落ち、落下先にいた生徒の体と食事を濡らす。

ハーマイオニーがオレンジジュースを脇に避けた。
空いた所にメンフクロウが舞い降りる。
メンフクロウは湿っていた。
嘴に咥えられた「日刊予言者新聞」なんかはもうすっかり水を吸って、茹で過ぎたほうれん草のようにぐったりしている。





「何の為にまだ読んでるの?」





問うハリーの声は苛立ちが滲んでいた。
ぐったりした新聞を受け取って、ハーマイオニーは梟の脚に付いた革袋に一クヌートを入れる。
梟は飛び去って、入れ替わるようにネスが現れた。

名前の肩へ舞い降りて、ぶるりと体を揺らす。
雨粒が顔に飛び散った。





「僕はもう読まない……クズばっかりだ。」



「敵が何を言ってるのか、知っておいた方がいいわ。」





沈んだ声で言いながら、濡れた新聞を慎重に広げる。
ハーマイオニーが新聞に夢中だったので、名前はあれこれと食事の世話を焼かれずに済んだ。
ちょっと安堵したのは秘密である。





「何も無い。」





名前達の食事が終わったタイミングで、ハーマイオニーは新聞から顔を出した。
濡れた新聞を丸めて、自分の皿の脇に置く。





「あなたの事もダンブルドアの事も、ゼロ。
ナマエの事も、何も載ってなかったわ。」





むしろ記事に載った例があったと言うのか。
この口振り、周囲の反応。多分あったのだろう。
どんな記事だったのか、名前は首を傾げる。
想像もつかない。

マクゴナガルがテーブルを回っていた。
時間割を配布しているのだ。
向かいに見える他の寮のテーブルにも、それぞれの先生が回っている。





『……』





向かいの壁際にスネイプを見付けた。
黒いマントを翻しながら時間割を配布している。
視線に気が付いたのか、名前が逸らす間も無く、スネイプは此方を見た。

視線がかち合う。
確かに此方を見つめている。
名前の体は妙に緊張した。

ロンが呻き声を上げた。
名前の視線は、スネイプからロンに移った。





「見ろよ、今日のを!
『魔法史』、『魔法薬学』が二時限続き、『占い学』、二時限続きの『闇の魔術防衛』……
ビンズ、スネイプ、トレローニー、それにあのアンブリッジばばぁ。これ全部、一日でだぜ!
フレッドとジョージが急いで 『ずる休みスナックボックス』を完成してくれりゃなあ……。」



「我が耳は聞き違いしや?」





噂をすれば影がさす。
突然フレッドとジョージが現れて、ハリーの横へ割って入った。
この二人は本当に神出鬼没だ。





「ホグワーツの監督生が、よもやずる休みしたいなど思わないだろうな?」



「今日の予定を見ろよ。」





ロンはフレッドの目の前に時間割を突きつけた。
フレッドは顔をちょっと引いて、月曜の時間割を見た。





「こんな最悪の月曜日は初めてだ。」



「もっともだ、弟よ。
よかったら『鼻血ヌルヌル・ヌガー』を安くしとくぜ。」



「どうして安いんだ?」



「何故なればだ、体が萎びるまで鼻血が止まらない。
まだ解毒剤が無い。
ナマエ、鰊の燻製の皿、こっちに寄せてくれ。」



『……』
言われた通り、ジョージの方へ皿を寄せる。



「ありがとよ。」
溜め息混じりにそう言って、ロンは時間割をポケットにしまう。
「だけど、やっぱり授業に出る事にするよ。」



「ところで『ずる休みスナックボックス』の事だけど。
実験台求むの広告をグリフィンドールの掲示板に出す事は出来ないわよ。」





ハーマイオニーが切り込み、更に射抜くような眼差しを双子へ向ける。
鰊の燻製を口に運び掛けて、ジョージはその手を止めた。

昨晩の談話室でフレッドとジョージの二人を見掛けた時、掲示板に何やら貼り付けていたが、きっとその掲示物の話をしているのだろう。





「誰が言った?」



「私が言いました。
それに、ロンが。」



「僕は抜かして。」





身内という事を差し引いても、ロンの方はフレッドとジョージに対して、あまり否定的ではないらしい。
ハーマイオニーの方は許せないようでロンをギロリと睨んだ。

フレッドとジョージは余裕綽々である。
クランペットにバターを塗りながら、フレッドは口を開いた。




「君もそのうち調子が変わってくるぜ、ハーマイオニー。
五年目が始まる。間もなく君は、スナックボックスをくれと、僕たちに泣きつくであろう。」



「お伺いしますが、なぜ五年目が『ずる休みスナックボックス』なんでしょう?」



「五年目は『O・W・ L』、つまり『普通魔法使いレベル試験』の年である。」



「それで?」



「それで君達にはテストが控えているのである。先生達は君達の神経を擦り減らして赤剥けにする。」



「俺達の学年じゃ、OWLが近付くと、半数が軽い神経衰弱を起こしたぜ。
泣いたり癇癪を起こしたり……パトリシア・スティンプソンなんか、しょっちゅう気絶しかかったな……。」



「ケネス・タウラーは吹き出物だらけでさ。憶えてるか?」



「あれは、お前がやつのパジャマに球痘粉を仕掛けたからだぞ。」



「ああ、そうだ。
忘れてた……なかなか全部は憶えてられないもんだ。」



「兎に角だ、この一年は悪夢だぞ。五年生は。
テストの結果を気にするならばだがね。フレッドも俺もなぜかずっと元気だったけどな。」



「ああ……二人の点数は、確か、三科目合格で二人とも3OWLだっけ?」



「当たり。
しかし、俺達の将来は、学業成績とは違う世界にあるのだ。」



「七年目に学校に戻るべきかどうか、二人で真剣に討議したよ。
何しろ既に───」





不自然に言葉が切れたので、名前はジョージを見詰めた。
一瞬ではあったが、ジョージはハリーと何やらアイコンタクトを取っていた。





「何しろ既にOWLも終っちまったしな。
つまり、『めちゃめちゃ疲れる魔法テスト』の『N・E・W・T』なんかほんとに必要か? しかし、俺達が中途退学したら、お袋がきっと耐えられないだろうと思ってさ。パーシーのやつが世界一のバカをやった後だしな。」



「しかし、最後の年を、俺達は無駄にするつもりは無い。
少し市場調査をするのに使う。平均的ホグワーツ生は、悪戯専門店に何を求めるかを調査し、慎重に結果を分析し、需要に合った製品を作る。」



「だけど、悪戯専門店を始める資金はどこで手に入れるつもり?
材料が色々必要になるでしょうし───それに店舗だって必要だと思うけど……。」





フォークが床に落ちた。
それを拾う為にハリーは机の下へ消えた。





「ハーマイオニー、質問するなかれ、さすれば我々は嘘を吐かぬであろう。
来いよ、ジョージ。早く行けば、『薬草学』の前に『伸び耳』のニ、三個売れるかもしれないぜ。」





ナプキンを風呂敷のように広げて、その上にうず高くトーストを積んで包む。
それぞれ包みを抱えると、フレッドとジョージは去っていった。

ハリーが机の下から顔を出した時見たのは、大広間を出ていく二人の後ろ姿だった。





「何の事かしら?
『質問するなかれ』って……悪戯専門店を開く資金を、もう手に入れたって事?」



「あのさ、僕もその事考えてたんだ。
夏休みに僕に新しいドレス・ローブを買ってくれたんだけど、一体どこでガリオンを手に入れたか分かんなかった……。」





───ただ、おばさんにはどこから手に入れたか、内緒にして……───

二ヵ月前。
帰りの汽車のコンパートメント内で、ハリーはそう言っていた。
そして確か、こう続けたはずだ。

───ただ、一つだけお願いがあるんだけど、いいかな?ロンに新しいドレスローブを買ってあげて。君達からだと言って。───
フレッドとジョージは、ハリーのお願いをしっかり果たしたのだ。





『二人は随分脅していったね。』





ハリーは名前を見た。
兎に角この話題を避けたい様子だったので、名前の発言に表情を緩めた。

財源がハリーである事。
それを秘密にして欲しい事。
幸か不幸か名前は知っている。
セドリックも居合わせていたが、彼はハッフルパフだ。
今この場で力になれるのは名前だけである。





「今年はとってもキツいっていうのはホントかな?試験のせいで?」



「ああ、そうだな。
そのはずだろ?OWLって、どんな仕事に応募するかとか色々影響するから、とっても大事さ。
今学年の後半には進路指導もあるって、ビルが言ってた。相談して、来年どういう種類のNEWTを受けるかを選ぶんだ。」





話題逸らしは成功だ。その後は試験や進路の話になった。
ハリーがお礼代わりにニコッと笑い掛けたので、名前はコクリと頷き返した。

授業の時間が近付き、名前達四人は大広間を出る。
「魔法史」の教室へ向かう道すがら、ハリーが口を開いた。





「ホグワーツを出たら何をしたいか、決めてる?」



『ううん。まだ何も。』



「僕も、まだ。
ただ……うーん……。」



「なんだい?」



「うーん、闇祓いなんか、かっこいい。」



「うん、そうだよな。」



「だけど、あの人達って、ほら、エリートじゃないか。
うんと優秀じゃなきゃ。ハーマイオニー、君は?」



「分からない。
何か本当に価値のある事がしたいと思うの。」



「闇祓いは価値があるよ!」
ハリーの声に熱が入っている。



「ええ、そうね。でもそれだけが価値のあるものじゃない。
つまり、SPEWをもっと推進できたら……。」





SPEW───しもべ妖精福祉振興協会の事だ。
男子三人は表情を消し去った。
(まあ、名前は元から無表情だが)

「魔法史」の先生であるビンズは今日も絶好調である。
唸るような声は抑揚が無く切れ目も無い。
───名前も似たようなものだが、少なくともこんなに眠気を催したりはしない───
と、開始十分で音を上げたハリーとロンは考える。
二人は授業なんてそっちのけで、羊皮紙の隅にイタズラ書きをして遊んでいた。

度々ハーマイオニーは二人を睨んだ。
二人は構わずイタズラ書きを続けて、そのまま授業が終わった。





「こういうのはいかが?
今年はノートを貸してあげないっていうのは?」



「でもナマエは貸してくれるだろ?」



『……』



「勿論、駄目よ。」





名前の腕を引っ張って、ハーマイオニーはハリーとロンの前を歩いた。

度々課されるレポート、試験間近になって泣きを見るハリーとロンに、
ノートを写させているのはハーマイオニーと名前である。





「僕達、OWLに落ちるよ。
それでも君の良心が痛まないなら、ハーマイオニー……。」



「あら、いい気味よ。
聞こうと努力もしないでしょう。」



「してるよ。
僕達には君みたいな頭も、記憶力も、集中力も無いだけさ───
君は僕達より頭がいいんだ───
僕達に思い知らせて、さぞいい気分だろ?」



「まあ、バカな事言わないでちょうだい。」





ハーマイオニーの歩く速度がちょっと緩まった。

中庭へ抜けると、細かい霧雨のせいで視界が霞んでいた。
漂う空気は冷たく湿っている。
苗字達四人はローブの襟を立てて、少しも熱を逃さまいとした。

バルコニーの下、他の生徒がいない隅に固まる。
軒先から滴り落ちる雨の雫は激しく、地面に落ちて跳ね返り、ローブの裾やローファーを湿らせた。





「こんにちは、ハリー!」





霧の中から何者かが現れた。
ハッフルパフの女生徒───チョウ・チャンだ。





「やあ。」



「それじゃ、あれは取れたのね?」



「うん。」





何の話をしているのか名前には全く分からなかった。
しかし実は無関係でなかったりする。

ホグワーツ特急の中で───
ネビルがあの大事そうに抱えた、サボテンのような鉢植え。
ミンビュラス・ミンブルトニアの「びっくりするような防衛機能」を披露して見せたのだが、その結果、ミンビュラス・ミンブルトニアの「臭液」がコンパートメント内に降り注いだのだ。
ちょうどその時チョウ・チャンが現れ、バッチリ見られたと言うわけである。
当然名前にも「臭液」がかかったわけだが、熟睡していたので知る由もなかった。





「それじゃ、君は……えー……いい休みだった?」





言い終えてすぐハリーの顔は、失敗に気付いたように強張った。
チョウの笑顔も強張っていた。
けれどぎこちないながらも、「ええ、まあまあよ……。」との答えが返ってくる。

唐突にロンがチョウの胸元を指差した。





「それ、トルネードーズのバッジ?」





ロンが指差した先。
見ると、チョウのローブの胸にバッジが留めてあった。
金色の「T」が二つ並ぶ空色のバッジだ。





「ファンじゃないんだろ?」



「ファンよ。」



「ずっとファンだった? それとも選手権に勝つようになってから?」



「六歳の時からファンよ。
それじゃ またね、ハリー。」





冷淡な口調でそう言って、チョウは霧の中へ姿を消した。

ハーマイオニーがロンに向き直った。
眉が吊り上がっている。





「気の利かない人ね!」



「えっ?僕はただチョウに───」



「チョウがハリーと二人っきりで話したかったのが分からないの?」



「それがどうした? そうすりゃ良かったじゃないか。僕が止めたわけじゃ───」



「一体どうして、チョウのクィディッチ・チームを攻撃したりしたの?」



「攻撃? 僕、攻撃なんかしないよ。ただ───」



「チョウがトルネードーズを贔屓にしようがどうしようが勝手でしょ?」



「おい、おい、しっかりしろよ。あのバッジを着けてるやつらの半分は、この前のシーズン中にバッジを買ったんだぜ───」



「だけど、そんな事関係ないでしょう。」



「本当のファンじゃないって事さ。流行に乗ってるだけで───」



「授業開始のベルだよ。」





ハリーの言う通り、ベルの音が響いている。
次の授業は「魔法薬学」だ。それも二時限続きの。
遅刻なんてとんでもない。
ロンとハーマイオニーは移動を始めたが、口論は止めなかった。
口論する二人とは反対に、名前とハリーは静かなものだった。

口論する二人にうんざりしているというよりも、ハリーは何か別の事を考え込んでいる様子で黙っているし、
名前は元々寡黙だが、スネイプの授業が目前に迫ると、妙に体を緊張させて、殊更に静かだった。

「魔法薬学」の教室の前には、既に生徒の列が出来ていた。
その列の最後尾に名前達が並ぶ。
殆ど同時、教室の扉が軋みながら開かれた。
未だ口論するロンとハーマイオニーに続いて、ハリーと名前も教室に入る。
いつも通り四人で後ろの席に座った。




バタン。





扉が大きな音を立てて閉められた。
途端に生徒はお喋りを止めて、教室は静まり返る。





「静まれ。」





扉の横にスネイプが立っていた。
言う必要など無いくらいには、既に静かだった。

暗がりから現れたスネイプは、教壇に向けて机と机の間を通る。
通路側にいた為に、名前の横を通り過ぎる事となった。
足音が近付き、名前は緊張が増すのを体感していた。
テーブルの上に置いた掌が、拳を握ってしまうくらいには。

スネイプは通り過ぎていった。
一瞬の事だった。
通り過ぎる際に巻き上げられた少しの風が、名前の頬を撫でた。





「本日の授業を始める前に」





教壇に立つとクルリと身を翻し、スネイプは目だけで生徒を見渡した。

教壇に立って話すのを、見ないようにする事は出来ない。
名前は顔を上げて、真っ直ぐスネイプを見詰めた。





「忘れぬようはっきり言っておこう。来る六月、諸君は重要な試験に臨む。そこで魔法薬の成分、使用法につき諸君がどれほど学んだかが試される。
このクラスの何人かは確かに愚鈍であるが、我輩は諸君に精々OWL合格すれすれの「可」を期待する。
さもなくば我輩の……不興を被る。」





スネイプはネビルの方を睨み付けた。
ネビルが恐怖で思わず唾を飲み込んだ。





「言うまでもなく、来年から何人かは我輩の授業を去る事になろう。
我輩は、最も優秀なる者にしかNEWTレベルの『魔法薬』の受講を許さぬ。つまり、何人かは必ずや別れを告げるという事だ。」





スネイプの目がネビルから、隣のハリーへ向けられた。
口角を少し上げるだけの、皮肉っぽい冷たい笑みを浮かべている。





「しかしながら、幸福な別れの時までにまだ一年ある。
であるから、NEWTテストに挑戦するつもりか否かは別として、我輩が教える学生には、高いOWL合格率を期待する。その為に全員努力を傾注せよ。
今日は、普通魔法使いレベル試験にしばしば出てくる魔法薬の調合をする。
『安らぎの水薬』。不安を鎮め、動揺を和らげる。注意事項。成分が強すぎると、飲んだ者は深い眠りに落ち、時にはそのままとなる。
故に、調合には細心の注意を払いたまえ。」





昨年、偽ムーディから折々受け取っていた睡眠薬の存在が、名前の脳裏に過ぎった。

作用と注意事項が当て嵌まる。
貰っていたのはこの薬だったのかもしれない。





「成分と調合法は───
───黒板にある───」
スネイプが杖を振ると、黒板に文字が現れた。
「必要な材料は全て───
───薬棚にある───」
スネイプがもう一度杖を振ると、薬棚が開いた。
「───一時間半ある……
始めたまえ。」





作業に入ってしまえば妙な緊張感を忘れる事が出来た。
課題が難しくなって集中力を要したという理由もある。
ただ、スネイプが見回りの為に接近すると、その度に妙な緊張感が戻ってきた。
スネイプが近付くと名前は行程が頭から抜け落ちてしまい、度々ノートに書き写した作業行程を確認した。

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