11.
分厚い本を何冊も抱えた名前が図書館から出ていく。
長い足は軽やかに床を蹴っていく。
と、急にピタリと足を止めた。
ゆるりと辺りを見回す。
ぼそぼそと、曲がり角の方から話し声が聞こえてきた。
「お、お願いだから、やめてよ…」
「ちょうどいい。この呪文、誰かに試してみたかったんだ。
そこを動くなよ…。」
本を脇に抱え、走る。
極力足音は立てない。
角を曲がる。
『何をしているんだ。』
曲がり角の先は行き止まりだった。
そこには、壁に追い詰められた者と、杖を持ち追い詰めた者がいた。
二人は驚いた表情をしている。
『…内輪揉めならまだしも、
異なる寮の生徒が揉め事を起こすのは、…
君にとって厄介なことになるんじゃないのか。』
「こいつにそんな勇気はない。」
『………』
目を離し、ちらりと視線を奥へやる。
小刻みに震えるネビルが、今にも大粒の涙を溢しそうなほど潤んだ瞳で名前を見ていた。
『…ネビル』
声を掛けられたネビルは、思い出したかのように名前の隣を駆け抜けた。
プラチナブロンドの少年が忌々しげに舌打ちをする。
名前は少年を目を据えてじっと見て、少年は面を膨らませて名前を見た。
「勝手なことをしてほしくないんだけどね。ナマエ・ミョウジ…」
『…俺を知っているのか。』
少年はふんと鼻を鳴らす。
「もちろん。君のことはよおく知っているさ。マーカス・フリントは同じ寮の生徒だからね。
まさか忘れたわけじゃないだろう?」
名を耳にした途端、名前はピキンと固まった。
そしてそっと少年のネクタイに目をやる。
グリーンと銀色。
スリザリンカラーだ。
「ミョウジ、話は前から聞いているよ。ずっとずっと前からね。でも、まさかソッチの気があるとは思わなかった。
マーカス・フリントをたぶらかしてどうする気だ?どうせグリフィンドールが勝つために仕組んだんだろう。」
『………違う。』
「違うものか。マーカス・フリントはクィディッチのキャプテンだ。お前が妖しげな術をかけたから、未だにマーカス・フリントは上の空なんだぞ。だからスリザリンは負けたんだ。」
そうでなければ、ポッターなんかに。
少年は悔しげに言った。
『……』
少年は、名前をきっと睨み付ける。
しかし名前はどれだけ睨み付けられようとも、相変わらずの無表情だった。
前髪の奥で見え隠れする黒目は、冷ややかにじっと少年を見ている。
『…事故だった。薬の効果だ。いずれ切れる。』
「事故?事故で薬を飲むというのか?」
名前はゆるりと首を横に振り、
『マーカス・フリントが持っていた惚れ薬…ぶつかったのは事故。』
ぼそぼそと呟くように話した。
「惚れ薬…マーカス・フリントが?」
『………』
コクリ、頷く。
「………いずれ切れるって、いつだ。」
『………わからない。』
「ずっとこのままだったらどうするんだ!」
『いずれ切れると言っていた。』
「それはいつだと聞いているんだ。たかが惚れ薬だぞ。こんなに長期的に効くもんか。
やっぱりお前、何か妖しげな術をかけたんじゃないのか?え?ミョウジ。」
『………』
名前は目をぱちぱちさせた。
次いで、口を一文字に引いた。
じっと少年を見つめる。
少年は腕を組む。
柳眉を逆立て、また舌打ちをする。
「ふん。やっぱり蛙の子は蛙だな。」
『………』
首を傾げる。
「裏切り者だということだ。」
『裏切り者…』
「なんだ、知らないのか?」
『……』
名前はコクリと頷く。
少年はさもおかしそうにニヤリと笑った。
「傑作だね。自分のことなのに知らないんだ。」
『………』
「父上に聞いた話だ。知りたいかい?君の家族は…」
「Mr.マルフォイ、Mr.ミョウジ」
ピタリと、少年の言葉が止む。
マルフォイと呼ばれた少年と名前は、二人揃って突如声のした方へ目を向けた。
「マクゴナガル先生…」
「そんなところで一体何をしているのです。間もなく就寝時間ですよ。早く寮に戻りなさい。」
「………はい。先生。」
マルフォイは名前の隣をすり抜けながら、きっと名前を睨む。
名前は少年の顔をぼんやりと見返す。
マルフォイはさらに気分を害したようだった。
肩を怒らせた後ろ姿は、やがて角を曲がって見えなくなった。
辺りが急にシンとする。
「Mr.ミョウジ、あなたも早く戻りなさい。」
『………』
名前はくるりと振り向く。
そして、マクゴナガルをじっと見つめる。
何を話すわけでもない。
不可思議な名前の様子に、マクゴナガルは困ったように眉間の皺を深くさせた。
そうして、二人共黙り込んで見つめ合った。
そのまま、しばらく経ってから、やっと名前は何かしらの動きを見せた。
脇に抱えた本を抱え直したり、俯いてみたり、また見つめてみたりと、なんだか落ち着かない。
ほどなくして、意を決したように口を僅かに開くと、スッと息を吸った。
『……マクゴナガル先生、…』
「………何か、質問でも?」
『…………』
「Mr.ミョウジ、はっきりなさい。」
また黙り込む名前に向かって、強い口調でマクゴナガルが言う。
すると、また僅かに口を開く。
今度はすぐには言葉は出ない。
何度か呼吸を繰り返す。
『…………さっき、…』
「………」
『裏切者だと、…俺の家族は』
俯いていた顔を上げる。
能面のような顔に蝋燭の影が映り、ゆらゆらと揺れている。
マクゴナガルの両目をじっと見つめながら、名前は呟くようにそう言った。
そしてまた何度か呼吸を繰り返し、続ける。
『父はスリザリン…母はグリフィンドール。だからでしょうか。』
「………」
『…他に理由があるとしたら、先生は知っていますか。』
「………」
物静かな廊下には、蝋燭が燃える小さな音しかしない。
時折強く吹いた風が火を小さくする。
マクゴナガルは、名前の質問にすぐに答えを出すことはしなかった。
口を一文字に引く。
厳格な雰囲気がより一層強くなったように感じさせる。
しかし瞳は濡れているように光っている。
蝋燭の光が風に揺れる、そのせいなのかはわからない。
しばらくしてやっと口を開いたらマクゴナガルは、すっと深く息を吸い込む。
「私が答えられるものではありません。それは本人に………
あなたのご両親から直接聞いた方が良いでしょう。」
『………』
「さあ、もうお行きなさい。Mr.ミョウジ。すぐに就寝時間です。時間外に出歩くことがいけないことは、あなたならよくわかっていますね。早く寮に戻って休むといいでしょう。」
促すように押された背に、ゆっくりと名前は歩き始める。
マクゴナガルはホッと息を吐く。
安堵したようだった。
その吐息を背後に、名前は俯きながら歩く。
そうして角までやって来たとき、名前はくるりと振り返った。
黒い冷ややかな瞳が見つめる。
『先生、父は…母は、』
「…」
『何をしたのですか。』
言って、眠気に耐えきれなくなったかのように、かくんと俯く。
見つめていた目は見えなくなった。
風がピュウピュウと吹く。
蝋燭の火が一本消えた。
蝋燭の火がまた一本消えた。
暗闇に飲み込まれていくように、順々に消えていく。
名前は俯いている。
風に舞い上がる前髪。
しかし瞳は下ばかり見つめている。
「あなたのご両親は素晴らしい生徒でした。それは間違いありません。」
『………』
「その事を、よく覚えておきなさい。」
風が止む。
諭すようにでもなく、あやすようにでもなく、淡々とした口調でマクゴナガルは言った。
名前は顔を上げる。
窓から差し込む月明かりに照らされたマクゴナガルの瞳は、先程のように濡れてはいない。
観察するように、じっと見つめる。
やがて、ゆっくり頷く。
―――就寝時間になってしまったようですね―――
消えた蝋燭の火を見て、急にやわらかい声でマクゴナガルが言った。
つられて名前も、明かり一つない真っ暗になった辺りを見渡した。
―――送りましょう―――
真っ直ぐ前を見て歩くマクゴナガル。
斜め後ろを少し離れて、俯きながら歩く名前。
明かりといえば月明かりしかない廊下だが、本が読めてしまいそうなほどに明るい。
廊下にきれいに敷き詰められた石畳を見つめる。
石畳に伸びた黒い影を見つめる。
影を辿って、マクゴナガルの背中を見つめる。
名前はじっと見つめる。
そして、一瞬だけ固く目を閉じる。
すぐに目を開ける。
いつもと変わらない涼しげな目元がある。
名前はくいと少しだけ顎を引いて、真っ直ぐ前を見る。
そうして、マクゴナガルの隣に走った。
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