31.






『おかえりなさい、クィレルさん。』



「ミョウジ、ただいま。」





九月を目前にしても、秋の気配は全く無い。
蒸し暑い夜で、相変わらず蝉の鳴き声が喧しかった。






「今夜くらいゆっくり休んだらいかがです?ミョウジ、明日には出発するんですよ。」



『飛行機の中で眠ります。』



「まあ、君が起きて待っているだろうとは思っていましたがね。
お話したい事があります。ちょっと長くなりますが、よろしいですか?」





いつも通り夜中に姿を消して三十分足らずで戻ってきたクィレルは、ベランダの段差に座る名前の隣にやってきて、同じように腰掛けた。
大の男が二人並んで座るにはベランダの窓枠は狭くて、互いの体の右側と左側がくっつき合う。





「君は随分体温が低いですね?」



『そうですか。』
首を傾げた。
『クィレルさんは熱いですね。』



「普通ですよ。いや、うーん……そうか。東洋人は体温が低かったか。」





以前ロンと似たような会話をした覚えが、名前の記憶にある。
くっついた部分が数秒でじっとりと熱くなってきた。





「ホグワーツに戻る前に、いくつか君に知っておいてほしい事があります。」





チラリ。名前は首を捻って寝室を覗き見た。

柳岡はぐっすり眠っている。
首を元に戻して、クィレルを見つめた。





「まず、君の能力について、ダンブルドアからの伝言です。誰にも話してはいけないし、無闇矢鱈に使ってもいけない。
杖も呪文も必要としない君の能力は強みだ。けれど相手が最悪です。
タイミングを間違えれば君は敵の手中に収められるか、殺される。必ずどちらかの目的を持って、必ず行動するでしょう。」



『……』



「手元に置けば確実な戦力になり、放って置くと脅威になる。だから若く経験の無い内に芽を摘む。強大で稀少な能力は諸刃の剣なのです。
ここぞと言う場面で、ギリギリで使ってください。相手に悟られないように。言わば切り札ですから。」




『……分かりました。
でも、つい使ってしまったら。』



「その時は出来る限りフォローしますが、私は『動物もどき』で正体を隠しているし、ダンブルドアも、いつも口添え出来るわけではない。
すぐに思い浮かばないと心配ならば、そうなった時の事の為、君も言い訳を考えておくといい。何にせよ注意するのが一番ですがね。」



『……』



「気を付ける事と言えば、ミョウジ、君は対抗試合の結末やその後の説明を知っていますか?」





ホグワーツ特急の中で出会したハリーが、セドリックに対抗試合の賞金を渡そうと躍起になっていた。
それはつまり、ハリーが優勝した事を意味している。
(賞金はウィーズリーの双子の手に、結局は渡ったが)
けれど名前が知っているのはそれくらいだ。

対抗試合の結末、の前───
つまり、墓場での騒ぎの直後───
セドリックと名前は遺体となって、ハリーの手により持ち帰られた。
ホグワーツのどこに持ち帰られたのか、そこまでは知らない。

「いいえ」と答えながら、名前は首を横に振った。





「君とディゴリーは死体となってポッターに連れて帰られた。
移動キーで、競技場のど真ん中に現れたんです。」



『人は』



「勿論。学校中の者が見ていました。」





それは阿鼻叫喚の地獄絵図だったことだろう。





「私は君が行動する事を予測していたし、その事はダンブルドアに伝えてありました。
でも死ぬだなんて、思わなかった。何が起こったのかまでは分からない。
それで私はグリフィンドール寮の寝室に行って、君の持ち物を調べようと思ったんです。君の行動の理由が、何か形になって残ってあればと……
そこで私は、君の鏡が割れて、中から手紙がはみ出している事に気が付いた。」



『両親の手紙ですね。』



「ええ。」
頷いた。
「私は宛名を見て、すぐにダンブルドアに届けました。
君の死と手紙の出現が偶然ではなく、何らかの関係があると思ったからです。」



『……』



「それでダンブルドアは、君とディゴリーの遺体を、地下の空部屋に安置した。蘇ると分かったから。
君達は蘇ったし、体にダメージは残っていたが、無事だった。
ダンブルドアは終業式の日、ヴォルデモート卿が復活したと皆に伝えました。」



『……』



「これは君の母親の特異な能力に関係する恐れがあるので、君とディゴリーが一度死んで蘇った事実は伏せられたままです。
そうでなくても、対抗試合のダメージだとか、ヴォルデモート卿の攻撃を受けて辛くも生き残っただとか、それらしい説明は出来ますから。
しかしそれがポッターとディゴリー、二人だけならば。」



『……』



「問題はミョウジ、君の存在だ。
何故、対抗試合の中に君が現れたのか?目撃者は皆、不思議がるわけです。
終業式にダンブルドアは、皆の前で、そのままお伝えしました。」



『何て説明されたのです。』



「そのまま。ありのままです。
つまり、君が墓場での騒ぎを夢によって予測していたと。」



『それは、多分……母から受け継いだ能力ですが、話しても良かったのですか。』



「魔法界に予言者は存在します。稀ではありますがね。つまり言い訳ですが。ですので、君の特異な能力と結び付ける事は出来ない。
終業式でしたので、私が『動物もどき』で学校を飛び回って、生徒の話を聞くまでには時間がありませんでしたから、君が予言者だと思う者が何人いるかは分かりません。」



『予言者どころか、頭がおかしいのだと思われそうです。』



「……そうかもしれませんね。
……」



『……。』




「……ミョウジ?」





何気なく名前は立ち上がった。
二度見、三度見。クィレルは驚いて、名前の顔を何度も見上げる。
困惑したクィレルをそのままに、名前は寝室に向かい、トランクを開けていた。
目当ての物を持って窓枠に戻ると、クィレルはまだ困惑していた。





「それは?」





ノートほどの大きさ。薄さ。長方形の物体。
困惑したクィレルの隣に、先程までと同じように座ってから、名前はそれをクィレルに手渡した。

戸惑いつつもクィレルは受け取り、月明かりに照らして見た。
木製のそれは月明かりに照らされると、滑らかに艶めいた。

金文字でアルファベットと数字、Yes、No、Hello、Goodbye、Maybeという文字が刻まれている。





『文字盤です。
これならクィレルさんが『動物もどき』の状態でも、意思の疎通がはかれます。』





同じく木製の、ハート型の道具を摘んで、名前はそれを文字盤の上へ置いた。
これで文字を指し示すのだ。

文字盤と表現したが、見た目は英語版のコックリさんのようなものである。
そして名前がやろうとしている事はクィレルとの意思疎通だが、事情を知らない者からすれば突飛な行動だ。
およそ意思の疎通がはかれない相手と、会話をする為の道具なのだから。

周囲の人々が名前を予言者だと信じようが、変わり者と思おうが、そのどちらでも無かろうが、どの状況でも逆手に取れる。
これは何だと問われた時、降霊術の道具だと答えられる。
その際名前が、果たして平静でいられるか、分からないが。
会話はメモなどの形となって残らない。
ただ、名前の独り言に聞こえる話し声を聞かれる心配はあるが。





「いつの間に……」



『どうでしょう。』



「いい考えだと思いますよ。ですが、ミョウジ。君の立場が危うくなりませんか?」



『なるべく隠します。』



「そうしてください。
会話を誰かに聞かれたり、見られたりしてはいけませんよ。」



『はい。』





頷いて返事をする名前をクィレルは見つめて、それからふと目を逸らした。
そのままおもむろに、ローブの内側に手を突っ込み、引き抜いた時、その手には封筒が摘まれていた。

封筒と文字盤を一緒に、名前の手に渡す。
手紙の傍受を恐れて、近頃は手紙など来なかった。





『クィレルさん、いつもありがとうございます。』





不自然に目を逸らしたまま、クィレルは返事の代わりに、コクリと頷いた。

文字盤の上に置かれた白い封筒に手を伸ばし、滑らせるようにして持ち上げる。
音沙汰無しのハリーからだった。





───僕はさっき吸魂鬼に襲われた。
それに、ホグワーツを退学させられるかもしれない。
何が起こっているのか、いったい僕はいつここから出られるのか知りたい。───





走り書きのような荒々しい文字だ。

短い文を、じっと見つめる名前を、クィレルは横目でチラリと見た。





『クィレルさん。
ハリーが吸魂鬼に襲われたって、ご存知ですか。』



「ええ。」





手紙からクィレルに視線を移す。
クィレルは膝の上に置いた自分の手を見つめていた。





『ハリーは無事ですか。』



「無事です。」



『退学させられるかもしれないと書いてあります。
ハリーは、吸魂鬼に襲われて……多分、守護霊か何か、……学校外で魔法を使ったからですか。』



「その通りです。」



『……退学させられてしまうのですか。』



「いいえ。」



『一体どうして、吸魂鬼に襲われたのです。
ハリーは一人だったのですか。』





クィレルはちょっと、その事については話したくない、知られたくないというような顔をした。
それでも説明をする為に、クィレルは仕方なさそうに口を開いた。





「八月二日の夜九時半頃。彼はマグノリア・クレセント通りで従兄弟と一緒にいたところを、吸魂鬼に襲われました。
この手紙は八月二日の夜、騒ぎのすぐ後に、ホグワーツに宛てて届けられたものでした。」



『……』



「ミョウジ、君宛の手紙は、一旦ホグワーツに送られ、私がダンブルドアの元へ報告するついでに持ち帰っているのです。」



名前は振り返って、固定電話の上の壁に留めてあるカレンダーを見た。
『……』
日付は、もう九月に入ろうとしている。



「事が落ち着くまで時間がかかったんです。」
名前の言わんとしている事を先読みして、クィレルが言った。
「ハリー・ポッターの尋問が魔法省で執り行われ、ダンブルドアはその為に動いていました。
ポッターは今、安全な場所にいます。」



『今までは安全じゃなかったのですか。』



「いや、彼には護衛が付いています。しかし、この護衛が、ちょっと……そばを離れまして。」





尻窄まりにそう言って、クィレルは膝の上に置いた自身の手を、神経質に撫でていた。
この件でクィレルを責め立てるのはお門違いだと名前には分かっている。
だってクィレルは、名前の護衛に付きっきりだ。
しかしクィレルは、まるで自分が失敗したかのように申し訳無さそうで、落ち込んでいた。





『クィレルさん。
吸魂鬼はアズカバンの看守……で、合っていますか。』



「ええ。」




自身の手を撫でるのを止めて、クィレルは名前を見た。
返事をしつつも、何故そんな話をするのか分からないというような、ちょっと戸惑った声だ。




『魔法省が管理している状態にある。』



「そうです。」



『どうしてハリーを襲ったのでしょう。
魔法省が吸魂鬼を扱いきれなくなったのか、それとも、誰かがそうさせた……。』



「可能性はありますね。コーネリウス・ファッジはヴォルデモート卿の復活を否定していますし、魔法省に勤めているのはグレーな魔法使いもいます。
それに当然対策も、周囲の人間を洗い出す事もしていない。」



『もし魔法省が吸魂鬼を扱いきれなくなっているのだとしたら、アズカバンの看守はいなくなるかもしれません。』



「そうしたら囚人は脱獄し放題ですね。」





この口振りからすると、そんな事態に陥ってはいないようだ。
しかしそれも時間の問題だろう。
吸魂鬼がハリーを襲ったのは、きっと偶然の出来事ではない。
誰かが指令したのであろうが、魔法省が扱いきれなくなっていようが、ヴォルデモートが復活した今、遅かれ早かれ行動に出るだろう。





「そうだ。
君に話しておかなければならない事がもう一つありました。」



『何ですか。』



「私の正体を知っている人物についてです。」



『隠さなければならないという事ですか。』



「そうですとも。」





きっぱりと返ってきた。
嘘や演技は、名前の苦手分野だ。

第三者が名前から見受けられる印象と言えば、何があっても無表情で無口で、ちっとも動じない冷静沈着な人物に見える。
しかしそれは名前を知らない、またはそれほど親しくない人物の視点だ。

名前を知る者は、名前が嘘を苦手とする事や、あまり突っつかれたくない事にぶち当たると、目に見えて挙動不審になると熟知している。





「私の正体を知っているのは、ダンブルドアとセブルス・スネイプです。」



『シリウス……ブラックさんに、お会いしたのではなかったですか。』



「ああ、顔を合わせました。しかし彼はホグワーツにいない。とにかく君に気を付けてほしいのは、校内での事です。
私の事は、その二人以外には話さないでほしいのです。ですから、君の私に対する振る舞いも、今のままではいけませんよ。」





動物に向かって堅苦しい話し方をするのは、見る者に違和感を抱かせるかもしれない。
けれどネスがクィレルだと分かっているので、以前のようにフランクに接する事が出来るか、名前には自信が無い。





「私の方はそんなところです。ミョウジ、君はどうです?
ホグワーツに戻る前に、何か私に話しておきたい事がありますか。」



『……』





クィレルから視線を外し、自身の足の甲を、名前は目を伏せて、黙って見つめた。
逡巡しているようにも、物思いに耽っているようにも見える。

瞬きを繰り返す横顔をクィレルは見つめて、急かす事なく静かに待った。
やがてゆっくりと、伏せた目を上げると、名前は再びクィレルに目を遣った。




『それでしたら、やりたい事があります。』



「やりたい事?」
不思議そうに繰り返した。
「何でしょう。」



『あの……手をお借りしてもよろしいですか。』



「……
ええ、どうぞ。」





数秒、クィレルは迷うように目をさ迷わせた。
けれどすぐに、ピタリと決然たる眼差しで見つめ返して、名前の側にあった左手を、その前に差し出した。





『有難うございます。……』





差し出された左手を、両手で包み込むように掴む。
そしてその手に巻かれた包帯を、慎重な手付きで解き始めた。
薬を塗布したガーゼも捲れば、月明かりの下、ついに皮膚が現れた。

現れた手は所々白く抜けていて、まだらな肌色だ。
皺がなくビニールのようにつるりとしていて、薬のせいだけではない、異様に月明かりを反射している。

現れた手を直接触れると、スベスベしていて、異常な熱が伝わってくる。
この夏季休暇中名前は、薬を塗るのと包帯を巻くのを手伝ってきた。
汗が出ず、体に熱がこもる。
怪我の後遺症で汗腺が塞がれているという話を、その際に聞いた。





『(意識次第だ)』





左手を包み込む。

二人の視線は、名前の骨張った手と、クィレルの指先に向けられていた。

しばらく───
それもものの数秒程度だが、経過すると、クィレルは何やら異変に気が付いたらしい。
名前の手に覆われて、指先しか見えない自身の手を、じっと見つめた。





「……」





へこんだり、曲がっていたり。
歪な爪の形だ。
歪な形だった。

それが見る見るうちに、アイロンでも掛けたかのように、真っ直ぐになり、滑らかに変化していく。

その光景を見た途端、クィレルは、名前の手を振り払った。





「……」



『……』





振り払った手を掲げたまま、クィレルは目を見開いて名前を見つめた。

振り払われたままの体勢で、名前はクィレルを見つめた。





『痛かったですか。』



「いいえ。」





そう答えた声は僅かに震えていた。
名前の顔から掲げた自身の手へ、クィレルは視線を移す。
その変化は指先から手首にかけて起こっていた。

ビニールのような質感の、まだら模様の肌が、今は滑らかな健康な肌に変化している。
掌にはしっかり皺が刻まれ、指先を擦り合わせてみれば、しっとりと手汗が感じられる。

手から名前の顔へ、クィレルは再び視線を移した。





「でも、私の傷痕を治してはいけません。」



『どうしてです。』



「ミョウジ。現在もそうですが、
ホグワーツに戻ったら、私の傷痕に塗る薬を作るのは、セブルス・スネイプです。」



『……』



「君の力を知っているのは、私とダンブルドアだけだ。セブルスは知らない。
その彼が、突然キレイさっぱり元の肌を取り戻した私の体を見たら、当然不審に思います。」



『俺の能力について、スネイプ先生にお伝えすることは、』



「出来ません。君の力が他者に知られる可能性を作りたくはない。」
きっぱり言った。
「包帯で体を隠して、薬だけ受け取る事も出来ません。彼はいつも傷痕の具合を見て、薬の調合をしていますから。
だから、私の傷痕を治してはいけません。」



『……分かりました。』



「すみません、ミョウジ。」





およそ四年前、ハリーによって負った傷は、クィレルの体に深い傷痕となって残っている。
特に、ハリーに触れた手。
そして、ハリーに触れられた顔だ。

ハリーにしてみれば殺されかけたのだし、正当防衛である。自業自得だ。
もしハリーが───多分ロンもハーマイオニーも───そのクィレルの傷痕を治そうとしたと知れば、名前を非難するかもしれない。
だって、名前だって、殺されかけ、傷付けられたのだから。

それなのにどうして名前は、治療しようなどと思い至ったのだろう。





「治してくれようとしたのでしょう?」



『はい。……でも、余計な事でした。
……ごめんなさい。』



「謝る必要は無い。君は私の事を思って努力してくれた。
その気持ちは嬉しいし、大切にすべきものです。
それに、まあ、左手くらいなら隠せますよ。多分……。」





……多分、名前は複雑に考えていない。
過去の出来事を忘れたわけでも、その時のハリー達の気持ちを無視したわけでも、自分の能力の成果を試してやろうと思ったわけでも無い。おそらく違う。

単純に、傷痕の治療が長い付き合いになりそうで、それが大変そうに見えたのだろう。
それで治せるものなら治った方が良かろうと、だから行動に移った。

しかし、だから、考えが足りなかった。
スネイプが「魔法薬学」の先生で、クィレルと面識があるのだ。
薬を作って渡すだろうという事は、ちょっと思い止まって考えてみれば、容易に想像がつく。





「ミョウジ。そろそろ眠った方がいいようです。」



『……すみません。クィレルさん、疲れていらっしゃるのに、引き止めてしまいました。』



「いや、そうではなく。
彼が目を覚ましそうなのでね。」





振り返って見ると、柳岡が寝返りを打ったところだった。

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