27.-2
「さあ起きて。朝ですよ。」
『…おはようございます。マダム・ポンフリー。』
「おはようございます、ミョウジ。
はい、これで顔を拭いてください。」
『ありがとうございます。…』
朝になるとマダム・ポンフリーは名前を叩き起こし、手に濡れタオルを持たせた。
ひんやりした感触に刺激を受けて多少なりとも目が覚めるので、名前はベッドから起き上がる事が出来る。
『…おはようございます。』
ベッドの柵にはシロオオタカの姿があり、名前が挨拶をすると、「クー」だか「キー」だか返事をする。
シロオオタカーーーネスの正体がクィレルだと知ってから、名前は丁寧に話し掛けるようになった。
動物に対して敬語で話し掛けるなんて、端から見ればおかしな光景だが、名前はやめる事は出来なかった。
『…』
渡された濡れタオルで顔を拭く。洗顔代わりだ。
前日に出来た怪我を気にしてか、おそるおそるである。
しかし全く痛みが無い事に気が付き、指先で怪我を負った部分を確かめた。
『…』
何度確かめてみても、指先が触れるのはカサブタも腫れも無い、健康な皮膚だけだ。
体を動かす練習を始めてから生傷が絶えないが、翌朝になるとキレイさっぱり治っている。
「どうかしましたか?」
お盆に朝食を乗せて戻ってきたマダム・ポンフリーは、不思議そうに名前を見た。
『怪我が治っているのです。
毎日です。』
「ああ、スネイプ先生特製の元気になる薬を飲んでいますからね。」
『スネイプ先生ですか。』
「そうです。さあ、朝ごはんですよ。
しっかり食べてくださいね。」
『ありがとうございます。』
言いながら、名前はマダム・ポンフリーからお盆を受け取った。
『いただきます。』
最初はゴブレットに口を付ける。
ゴブレットの中身はミルクだ。
初めはオレンジジュースやカボチャジュースだったが、名前の好みを知ってミルクが定着した。
クランペットにメープルシロップを掛けて、ナイフで一口大に切る。
それからフォークに刺して、口へ運ぶ。
時間はかかるが出来るようになってきた。
昨日は唇の端に怪我を負い、食事が思い遣られたものだが、気にせず食べられる。
「これはスネイプ先生に感謝しなければならないな」と名前が思ったかどうかは分からないが、普段よりもゆっくりと味わって食べているようだ。
「ミョウジ、食事が終わったらこれを忘れず飲むのですよ。」
カーテンの隙間からひょっこり顔を出したマダム・ポンフリーは、サイドテーブルにゴブレットを置いて、スッと引っ込んだ。
ピタリ。
食事の手を止めて、名前はチラリとゴブレットを見る。
『…』
中を覗き込む必要も無い。ゴブレットからは湯気のように、緑色のモヤが立ち上っていた。
その上、ゴボゴボと不吉な音が聞こえてくる。
禍々しいオーラを感じ取って、名前は固まっていた。
匂いも味も色も、薬は毎日変化する。
おそらく個人の体調や体質などを考慮して、微妙に調整しているのだろう。
大抵、どれも良いとは言えない。
百味ビーンズを食べた方がマシなくらいだ。
スネイプにはとても言えないが。
『お礼をしたいのですが、お話する機会はあるのでしょうか。』
とは言え、お世話になっている事に変わりはない。
日が落ちてセドリックが眠り、マダム・ポンフリーが医務室から出ていったタイミングを見計らい、名前はクィレルに相談した。
この時間だけは、クィレルはシロオオタカの姿から人間の姿に戻れるのだ。
会話をしていても大抵、名前は寝落ちしてしまっているが。
「お礼とは、セブルス…スネイプ先生にですか?」
『はい。考えてみると、俺は一年生の頃からスネイプ先生にお世話になっているのです。
でも、しっかりお礼をした事は無いのです。』
「なるほど、それで改めてお礼をしたいのですね。」
『はい。』
「うーん…君が医務室から出られるようになるのは、おそらく学期最後の日でしょうからね。それも汽車に乗る直前でしょうし。
難しいかもしれません。」
『そうですか…。』
「でも彼は気にしないと思いますけどね。
それに直接伝える事は出来なくても、手紙なら私が届けますよ。」
『受け取っていただけるのでしょうか。』
「面識がありますから。」
『確かに、動物の姿の時は、いつもそばにいてくださいましたね。それなら覚えているかもしれません。』
「ん?ああ、いや…」
クィレルは頭を左右に振った。
「今後の事を考えて、私とセブルスは顔合わせをしたのです。人間の姿で、ダンブルドアを仲介にして。
あのシリウス・ブラックともです。」
『彼がここへいらっしゃったのですか。』
「ええ。今はリーマス・ルーピンの元に潜伏しています。
彼は随分、ミョウジ。君の事を心配していましたよ。どうやら私は信用されていないようです。」
『俺は信じています。』
自身の知らないところでどんどん話が進んでいるのには、きっと名前は驚いたことだろう。
しかしそれよりも、クィレルがあまりに悲しそうにするものだから、話を追求するより、名前ははっきりとそう言った。
「ありがとう。ミョウジ。
私も…」
クィレルは泣き笑いのような表情を浮かべた。
もちろん包帯に覆われているので、目元や口元の変化で、そう感じただけだが。
しかし言い掛けて、クィレルは考え込むように目を伏せると、不自然に黙った。
「私もミョウジ、君を信じている。
尊敬もしている。…
きっと、憧れもある。」
唐突に打ち明けられても、名前は返す言葉が見つからなかった。
言われた事がないし、何故言われたのかも分からないからだ。
それにクィレルの言葉には危うさがあった。
神仏の信仰に似ていたからだ。
じっとクィレルの顔を見つめれば、クィレルは名前の方を見つめ返した。
微かに眉根を寄せて、どこか息苦しそうに。
「セブルス…セブルス・スネイプも、私と同じような目をしている。」
『………同じ、とは、何がですか。』
「違和感を覚えたことはありませんか?」
『…』
「セブルスが君に接する時の態度…
セブルスはスリザリンを贔屓している。君はグリフィンドールだ。
なのに、大袈裟なくらいに心配される事が多いのではないですか。」
『…』
思い返せば、怪我をしたとき、体調が悪いとき…スネイプが積極的に治療に当たっていたように思える。
「セブルスは君の父親に憧れているんです。
私が君を憧れるように。」
『…スネイプ先生が父に憧れるなんて、想像出来ないです。』
「セブルスだけではない。憧れる人間は沢山います。
君の父親は、そう簡単には出来ない事をやってのけたし、何より不思議な魅力がある人でしたから。」
父親にはボクシングでチャンピオンにまで上り詰めた過去がある。
友人である柳岡が言うには、ボクシング界に旋風を巻き起こした存在だったらしい。
すぐに現役を引退して和菓子屋を経営するようになったが、繁盛した。
短期間チャンピオンでマイナーな存在ではあったがメディアにも出ていたし、多くのファンがいた。
父親を支える沢山の人がいた。
クィレルの言う通り、父親にはカリスマ性というか、魅力があったのだろう。
父親が火災でただ一人の犠牲者となった時、悲しむ人は大勢いた。
自分だけを犠牲にして、客と家族を救ったヒーローとして称えられた。
悲劇は美談として、まことしやかに語られたのだ。
『でも、クィレルさん。
父を憧れているのと、俺と、何の関係があるのです。』
「それは君が、君の父親とよく似ているからです。
声も姿も瓜二つ…君を通して、君の父親を見ているのかもしれない。
…セブルス…彼にしては随分、心を砕いていたようだから。」
『………
スネイプ先生は、父と俺が似ているから、気に掛けてくださっているという事ですか。』
「おそらくは。」
『…』
スネイプは父親を尊敬している。
クィレルの所感に過ぎないが、それが真実ならばすごい事だ。
自分の父親は人から、それもスネイプのような警戒心の強そうな人から、尊敬されていたというのだから。
ハリーの父親と因縁があり、父親似のハリーを目の敵にするぐらいなのだ。
クィレルの考えている通りスネイプは、尊敬していた名前の父親そっくりの名前に、父親をなぞらえて、あれこれと世話をするのも不自然ではない。
だが名前の姿は、魔法で似せているに過ぎない。
(本人の姿を写しているのだから、似せているという表現は正確ではなく、本人そのものなのだが)
しかしそれが真実ならば、名前の姿が偽りだと知った時、スネイプの気持ちをどんなに傷付けるだろう。
『俺の姿が魔法だって知られたら、きっと怒りますよね。』
「どうしてです。」
『騙しているようなものです。』
「むしろ怒るべきは君ですよ、ミョウジ。姿形がどうであろうと、君は君だ。
誰かの代わりではない。」
クィレルは自分の事のように苛立った声でそう言った。
自分の信頼する人が誰かの代わりに扱われる事が許せないようだった。
けれど名前は怒らなかったし、それどころか感情を読み取る事が難しい、相変わらずの無表情を浮かべていた。
誰かの為に怒る事はあるが、自分の事になると、とんと鈍いのだ。
その証拠に翌朝になると名前は早速覚束ない手付きでお礼の手紙を書いてネス(クィレル)に頼んだ。
手紙は無事に受け取られて、読むところまで見ていたようだが、とうとう返事は来なかった。
けれどクィレルの話では、スネイプは夜な夜なやって来ては手当てをしてくれているらしい。
歩行の練習や日常生活のありふれた動作と、医務室の中に限るが動き回る事が増えたので、怪我が耐えないのだ。
それは学期最後の日まで続いた。
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