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「ああ、息子よ!よく戻ってきた!」





ベッドで上半身を起こしたセドリックに、ディゴリー夫妻はワッと泣き付いた。
セドリックは困ったように笑っている。





「父さん、母さん。彼が助けてくれたんだよ。」



「ああ、そう。そうだったな。
ありがとう。えーと…」



「ナマエ。ナマエ・ミョウジだ。」



「ああ、ナマエ。本当にありがとう。」



「ありがとうございます、ナマエ。息子を助けてくださって、私達は本当に感謝しています。言葉に出来ないくらいに…」





うっと言葉を詰まらせて、ディゴリー夫人ははらはらと涙を零した。
夫のエイモス・ディゴリーは夫人の肩を抱き、こちらも涙を流している。





「さあディゴリーさん、面会は終わりです。彼らは治療が必要なんです。」



「マダム・ポンフリー、もう少し話をさせてくれないか。やっと我が子と会えたんだ。」



「ご家族のお気持ちはお察しします。ですから面会謝絶のところを特別に、少しだけならと許可しました。」



「もう少し、もう少しだけ…」



「父さん、これから僕達、体を動かす練習をしなくちゃいけないんだ。」



「セド、それなら私達家族も手助けするよ。」



「ディゴリーさん。私が責任を持って、しっかり見させていただきます。」





キビキビとした動作でマダム・ポンフリーはディゴリー夫妻の背中を押して、医務室の外へ押し出していく。





「うるさくしてごめんよ、二人とも心配性なんだ。」



『気にしないでください。仲が良い証です。』





ベッド三つ分は離れていたので、セドリックは少し大きな声でそう言った。
それに対して返事をした名前だったが、いかんせん小さい為、セドリックには聞こえていないようだった。困ったような笑みを浮かべている。

大きな声を出す元気が無い(大きな声を出した事も無いが)名前は、代わりとばかりに、ゆるりと頭を左右に振った。





「さて、二人とも。練習を始めますよ。
上半身を起こして座れるようになりましたね?
次はベッドサイドに立つ練習と、車椅子に乗り移る練習をしましょう。」





戻ってきたマダム・ポンフリーの手には、松葉杖や車椅子が抱えられていた。
名前とセドリックはそれらを受け取って、マダム・ポンフリーが監視する中、かくして体を動かす練習は始まったのだ。

壁やベッドの柵、松葉杖に頼りながら、徐々に体を動かしていく。
力の入らない体で、普段の何気ない動作を意識して行うのは難しく、集中力と根気を要するものだった。
自転車に初めて乗る子どものように、体はフラフラと彼方此方と揺れ動き、転ぶ事も少なくない。
介助としてマダム・ポンフリーがそばにいたとしても、必ずしも助けられるわけではない。
二人は痣や擦り傷を、体の彼方此方につくった。

しかし一度自転車の乗り方を覚えてしまえば、長い間乗らなくても、いざとなれば自由に乗りこなす。
体は早々忘れないものだ。
三日も経つと、松葉杖をつきながらも、ゆっくりだが歩けるようになった。





「クタクタだ…。」



『俺もです。でも、最初に比べたら、大分動くようになりました。』



「そうだね。このまま以前の調子に戻ろう。」



『はい。』



「それにしても、本当に疲れたな…。」



『はい。…』



「…」



『…』





ふあ、とアクビをする呼吸音が微かに聞こえた。
数分も経たないうちに寝息へ変わる。

昼間の練習のせいだろう。疲れ切った二人は夕方にもなるとウトウトとし始める。
それでも何とか夕飯を済まし、寝る前の準備を整えて、会話もそこそこに眠ってしまう。
(二人のベッドが離れている事も、理由の一つだろう)
朝になればマダム・ポンフリーが叩き起こすが、それまで二人は目を覚まさない。





「…」





消灯時間が過ぎた深夜。
とっくに日付が変わった頃、医務室にやって来る者がいた。
夜の闇に溶け込んでしまうような、全身黒色の格好だ。
黒いマントが後ろへなびく程の速度で、それも大股で歩いている。
眠っている者へ気遣っているのか、足音は極力立てないし、明かりも持っていない。




「…」





医務室へ入ったその人は、真っ直ぐセドリックのベッドへ向かった。
四方を囲む白いカーテンの隙間にそっと手を差し入れて、中を覗き込む。
そこには当然ぐっすりと眠るセドリックの姿が、月明かりにぼんやりと照らし出されている。
何かを確認するかのように、その人はセドリックの様子を見つめた。
そして数分も経つと、静かにカーテンを閉めた。

次に向かったのは名前のベッドで、こちらも同じように、カーテンの隙間に手を差し入れた。
中を覗き込み、また何かを確認するかのように、月明かりに照らし出された名前の姿を見つめる。

その人の目が留まり、すうっと細められた。
カーテンの隙間に体を滑り込ませ、中に入る。
静かに歩み寄り、背中を丸めて顔を近付けた。





「…」





すうすうと眠る名前の額には切り傷が出来ていた。
炎症を起こしているらしく、カサブタの周りが赤く熱を持っているように見える。その上、痣になっていた。
昼間の練習で転び、サイドテーブルの角にぶつけて負ったものだ。
懐から軟膏を取り出し、蓋を開けて、指先に乗せる。




「…」




そうっと、額の傷に塗り込む。
額の他に、かすり傷のように見えるが、こめかみや鼻の頭、頬にも。順に、丁寧に、慎重に軟膏を乗せていく。
ピタリ。突然動きを止めた。
軟膏をサイドテーブルに置いて、くるりと振り返る。
軟膏に触れた手とは反対の手で白いカーテンを掴み、勢い良く開く。





「や、やあ。
こんばんは、セブルス。」



「…」





微笑んだつもりか、顔を引き攣らせたクィレルが立っていた。
驚いたらしく若干仰け反っている。





「覗き見とは良い趣味ですな、クィレル。」



「わざとではない。来たら、たまたま君がいたんだ。」



「ならば堂々と入ってくればいい。君はミョウジのお目付け役なのだろう。」



「目付けだなんて、人聞きの悪い言い方はよしてくれ。私は彼を守りたいだけだよ。」



「ならば尚更のこと。近くにいたまえ。
目を離すといなくなるかもしれませんぞ。」



「分かっているとも。ただ、今は……
邪魔になるかと思ったんだ。」



「邪魔だと?何故かね。」



「…」



「出任せを。訳の分からない事を言って煙に巻こうとしても無駄だ、クィレル。」





フンと鼻で笑い、くるりと身を翻す。
サイドテーブルの軟膏を持ち上げて、再び名前の傷を手当てする。





「訳ならあるさ、セブルス。言いにくいだけで…。」



「何故話しにくいことがある。」



「君が怒るかもしれない。」



「聞かなければ分からん。」



「話してもいいのか?」



「君が話したいと言うのなら。」



「…」





口を閉ざし、クィレルはスネイプの背中を見つめた。
スネイプはクィレルを見ない。
名前の体に出来た、目視出来る傷を注意深く探していたからだ。
少なくともクィレルの目にはそう映った。





「セブルス、君が。」



「……」


「君が、…
…」





言い掛けてクィレルの言葉は詰まった。
相変わらずスネイプは背中を向けていたが、意識はクィレルに向かっている。
クィレルはそれを感じ取っていた。妙な威圧感があったのだ。
迷うように目が泳がせて、それからクィレルは、もう一度スネイプの背中を見つめた。





「君は、どうしてそこまで、その子どもの事を気にするんだ。」



「…
この子は生徒だ。生徒を気に掛けない教師がいるかね。」



「たった三日、四日の事だ。…
たった、それだけの日数だ。けれど君は毎夜ここへ来た。」



「当然だろう。我輩は傷を気にしているのだ。
傷のせいで昼間の練習に支障が出ては復帰に時間がかかる。大切な時期だ。」



「昼間に来ないのは何故だ。」



「我輩が教師という事をお忘れかね、クィレル。」



「それならマダム・ポンフリーにその薬を渡せばいいだろう。何も君が直接やらなくてもいいんだ。」





何か言葉を返そうとしたのだろう。
スネイプは静かに息を吸い込んだ。
だがクィレルの方が早かった。





「セブルス。」



「…」



「君がミョウジの手当てをしているところを、私は見ていた。
その時の君の顔は、一介の生徒に対する教師の顔ではなかったよ。」



「ほう。君の目には一体どんな顔に映ったのかね?」



「私は彼を慕っている。」



「…」



「憧れすら…抱いているかもしれない。」



「以前この子に手を掛けた者と同一人物とは思えない台詞ですな。」





嘲笑とたっぷりの皮肉を込めて、スネイプは名前の顔を見下ろしたままそう言った。

クィレルからすれば痛い所を突かれたのだ。
たとえ心を入れ替えた切っ掛けになった出来事だとしても。
言い淀んだが、再び口を開いた。





「セブルス。君も同じじゃないのか?」





そこでやっと、スネイプはクィレルを見た。
肩越しに振り返り、おかしなものを見るような目でクィレルを見つめたのだ。





「ミョウジを見る君の目や…雰囲気というか…
何となくだが……私は共感出来るのだ。」



「素晴らしい能力ですな。」





口許に冷たい笑みを浮かべた。





「人の目を見るだけで心を感じ取れるとは。君に敵う者はいないのでしょう。」



「セブルス。」





クィレルは少し咎めるように名前を呼んだ。
それからふと目を逸らし、自身の足下を見つめた。




「だが、少し違う。私がミョウジを見る目と、君がミョウジを見る目は、……
抱く思いは、…
違う。……
君は…」



「クィレル。」





抵抗を許さない強い声だ。
声に考えを遮られて、クィレルは顔を上げた。

いつの間にかスネイプは、体ごとクィレルに向いていた。
冷たい、黒い目がクィレルを見据えていた。
睨むような視線だった。





「君がどのように思おうが構わないが、それは君の勝手な憶測にすぎない。
我輩はあくまで教師として、生徒であるMr.ミョウジを心配している。
それ故の行動なのだ。」





言いながら軟膏の蓋をして、懐にしまう。
再び出てきた手には別の容器が握られていた。





「君の薬だ、クィレル。」




押し付けるように渡すと、スネイプはクィレルを押し退けるようにしてカーテンの外へ出ていった。
虚をつかれてしばし立ち尽くしていたが、慌ててカーテンを開く。

そこには既にスネイプの姿は無く、同時に医務室の扉は閉まった。

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