23.-1






ベッドに入ってしばらく。
同室の誰かが寝息をたて始めて、イビキが響くようになってなお、名前は起きていた。

相変わらず眠りの浅い日々が続いていたが、今夜は特に眠れないようだ。
目を閉じたり開けたり、何度か寝返りを打ってみたり、眠る努力はしている。
しかし、そうしているうちに窓の外が明るみ始めた。

七月目前のこの時期になると、四時過ぎには空が明るみ始め、小鳥が囀ずりだす。





『…』





布団から手を出し、手探りで、枕元に置いてある時計を掴んだ。

空が明るみ始めたとはいえ、室内は仄暗い。ものの輪郭がぼんやりと見える程度の暗さだ。
掴んだ時計を、鼻がくっつきそうなくらい近くでじっと見詰めると、時間を確認出来たらしい。
おもむろに起き上がると、枕元に畳んでおいたトレーニングスーツに着替え始めた。

着替え終わり、ベッドの下に揃えた運動靴を履く。
立ち上がると、ベッド横のキャビネットにいたネスが「待ってました」と言わんばかりに肩へと移ってきた。
日課であるロードワークに、ネスは度々付いてくる。





『…』





外に出れば、ネスは肩から飛んでいく。
名前の頭上を旋回しながら、後を付いてくるのだ。

紺青の空を白い鷹が飛んでいる。
その光景は大変目立つものだった。

普段ならば気にも留めない事だが、今日は違う。





『…』





いつものコースを、いつもの速度で走りながら、名前は時折ネスの姿を気にした。
それと、周囲に人気が無いかどうか、目だけを動かして確認していた。

そうしながら、走る速度を徐々に緩める。
少しして走るのをやめた名前は、左右上下前後と、異様に注意深く辺りを見回した。

時間を決めて、コースも決めて、毎日走っていると、大体の行動パターンが分かってくる。
どの先生は何時頃どこを通るだとか、その時に声をかけてくるだとか。





『…』





この時間、この辺りで、誰かに会った事は無い。
今も人気は全く無い。
しかし例外というものは勿論ある。

今、名前が実行しようとしている事は、見付かったら非常にまずいものだった。
つまり「やってはいけない事」。
それを理解しているのにも関わらずやろうとしている。
だから異様に人目を気にしているのだ。





『…』





周囲には誰もいない。
頭上を旋回するネスの存在はネックだったが、
息を吐き、名前は目の前のドアに向き直った。

ドアノブを握り、回してみる。
いとも簡単にドアは開いた。鍵はかかっていなかった。





『…』





こうもあっさり物事が進むとは思わなかったのか、名前はドアノブを掴んだまま、しばし固まった。
禁じられた森の方向だろう。小鳥がピヨピヨと囀ずるのを聞いて、慌てた様子で再度辺りを見回す。
誰もいない。
素早く中に足を踏み入れ、体を滑り込ませると、ドアを閉める。

仄暗い室内。進もうと足を踏み出すと、何かに腰の辺りを打ち付けた。硬い感触だった。
ぶつけた場所を手で押さえ悶絶する。そうしていると段々と目が慣れてきたのか、ぶつかったものが何なのか、知ることが出来た。
箒を立て掛けておく為の木の枠だった。
端の角にぶつけたらしい。痛くて当然だ。





『…』





打ち付けた腰を擦りつつ、ぐるりと室内を見回す。
使い古された何本もの箒が整列されていた。

そのうちの一本に手を伸ばす。
しかし、迷うように手は空をかいた。

唇を真一文字に引き結ぶ。
箒の柄をしっかりと掴んだ。





『…』





ドアに戻り、少し開けて、そこから周囲を見回す。
人はいない。
外に出ると植え込みに駆け寄り、素早く箒を隠した。

もし見つかってしまえば、名前が持ち出したとは気付かれないだろうが、片付け忘れたのだと思われ箒置き場に戻される可能性がある。

見付からない事を祈るしかない。
そそくさと名前はその場を離れ、ロードワークを再開した。





『…』





六月二十四日。
第三の課題が行われる日。期末試験最終日でもある。
「占い学」で見た夢が確かならば、事が行われるのは今夜だ。

ロードワークを終えて寮に戻った名前は、シャワーを浴びて制服に着替える。
朝食の時間の為、寝室には同室の誰もいなかった。
ベッド横に備え付けられたキャビネットが定位置となったのか、剥製のように動かないネスはいたが。





『…今日はきっと、部屋に戻らない。』





キャビネットの上に伏せてあった鏡を起こして、それを見ながらネクタイを結ぶ。
数ヵ月前には女の子の姿を見た鏡だ。母親の遺品の一つでもある。

鏡の横で名前をじっと見つめて、ネスは「どうして」と問い掛けるように、首を傾げる仕草をした。





『でも…
…だから、心配しないで。』





棚から櫛を取り出して、髪の毛を整える。
それから手の中にある櫛を見つめて、ポケットに入れた。

胸に手を当てる。
制服の上越しに鈴の感触がしっかりとあった。





『朝ごはん、食べに行こう。』





その一言で、ネスはキャビネットから名前の肩へと移動した。





「ナマエ!」



『…』



「ナマエ!おーい、ナマエ!」



『…』



「オイ!ナマエ、ナマエってば!ここ!」



『…おはよう、ロン。』



「ああ、おはよう。ナマエ、寝惚けてる?」





クンとローブの袖を引っ張られる感覚で、名前は漸く足を止めた。
ロンが座ったままの体勢で少し体を捻り、名前の方を向いて肩をすぼめる。

大広間はいつもより賑わっていた。
先に座っていたハリー達が場所を取っていてくれたが、探すのも一苦労だ。
声を掛けられても生徒の談笑する声に掻き消されてしまい、名前の耳には届かない。

ローブの袖を引っ張られるまで気付かなかった。
危うく通りすぎるところだった。





『目は覚めてる。おはよう。ハリー、ハーマイオニー。』



「おはよう。ナマエ。」



「おはよう、ここ空いてるわよ。」



『ありがとう、ハーマイオニー。』





ハーマイオニーは向かいの席で名前を呼んだ。
とはいえ長テーブルなので、回り込まなければ座れない。

生徒を避けつつぐるりと長テーブルを沿って歩き、漸くハーマイオニーの元へとやって来た。

腰を落ち着けると、向かいの席にいるハリーが目に入る。
手に折り畳んだ羊皮紙を持っており、何やらご機嫌な様子だ。





『…それは、』



「ん?」



『手紙か。』



「ああ、パッドフットからだよ。頑張れ、って。」





ハリーは嬉しそうに笑って、羊皮紙を名前に見せた。
小さな紙に犬の足跡が押してあるだけで、他には何も記されていない。
けれどもハリーはそれで十分嬉しそうだった。

頭上に梟が飛び交い始める。配達の時間だ。
一羽のコノハズクが「日刊予言者新聞」の朝刊を持って、ハーマイオニーの前にヒラリと舞い降りる。
新聞を受け取るとコノハズクはさっさと飛び立ち、ハーマイオニーは南瓜ジュースを口に運びながら早速新聞を広げた。

途端、ハーマイオニーは南瓜ジュースを噴き出した。





『…』



「…」



「…」





普段そんな冗談みたいな事をするハーマイオニーではないので、居合わせた男子三人は食事の手を止めて呆然とハーマイオニーを見た。

ゴッホゴホと噎せるハーマイオニーを見て我に返ったのか、名前はハーマイオニーの背中を撫でた。





『大丈夫か。』



「どうしたの?」



「ありがとう、ナマエ。大丈夫。
何でもないわ。」





ハリーとロンが同時に聞くと、ハーマイオニーは素っ気なくそう答えて、素早く新聞を畳んだ。

それを向かいの席から、ロンが取り上げるように奪う。
新聞を広げて、ロンの目が見出しに向けられた。





「なんてこった。よりによって今日かよ。あの婆ぁ。」



「何だい?またリータ・スキーター?」



「いいや。」





ロンは何でもないように言ったつもりだろうが、それがかえってわざとらしい。
新聞を畳む手が焦っていて、新聞におかしな皺が出来ていた。





「僕の事なんだね?」



「違うよ。」





この場にいる誰の目から見ても、ロンが嘘を吐いているのは明らかだった。

尚も食い下がろうとするハリーが口を開きかけた時、それを遮るようにして大きな声がハリーを呼んだ。
この喧騒の中、ハッフルパフとレイブンクローのテーブルを挟み届いたのだから、中々のボリュームだ。





「おーい、ポッター!ポッター!
頭は大丈夫か?気分は悪くないか?まさか暴れだして僕達を襲ったりしないだろうね?」





ドラコ・マルフォイだ。
見せ付けるかのように「日刊予言者新聞」を掲げている。

マルフォイの大声は周囲を引き付けるのに十分だった。
特にスリザリンのテーブルは、皆口元に意地悪な笑みを浮かべている。
チラチラとこちらを見て、ハリーの反応を窺っているようだった。





「見せてよ。
貸して。」





先程よりも強い口調でハッキリそう言うと、気が進まないのを露にしながらロンは新聞を渡す。
直ぐ様、新聞を開く。

新聞の文字を追うハリーの顔色を窺い、ロンとハーマイオニーが落ち着かなさそうにしていた。
二人がここまで動揺しているのだから、余程ろくでもない記事なのかもしれない。

新聞を読んでいない名前には、何が書いてあるのかは分からない。
サラダを装う手を止めて、名前もハリーの様子を窺った。




「僕にちょっと愛想が尽きたみたいだね。」





一通り目を通したのか、ハリーは新聞を畳んだ。
読む前よりも軽い声音だ。表情も思い詰めたものではない。
ロンとハーマイオニーは、少し安堵した様子だった。
三人の雰囲気が落ち着いたところで、名前はサラダを装う手を動かし始めた。

スリザリンのテーブルからはクスクス笑いが止まなかったし、ハリーを指差して変顔したり、蛇の真似か舌をチロチロ動かしたりしていたが、ハリーは全く意に介さない。





「あの女、『占い学』で傷痕が痛んだ事、どうして知ってたのかなあ?
どうやったって、あそこにはいたはずないし、絶対あいつに聞こえたはずないよ―――」





新聞の内容には、どうやら「占い学」でハリーの傷痕が痛んだ事が書かれていたらしい。
マルフォイ、クラッブ、ゴイルの三人が蛇の真似をしたところを見ると、ハリーが蛇語を話す事も触れていたのかもしれない。





「窓が開いてた。
息がつけなかったから、開けたんだ。」



「あなた、北塔の天辺にいたのよ!
あなたの声がずーっと下の校庭に届くはずないわ!」



「まあね。魔法で盗聴する方法は、君が見付けるはずだったよ!
あいつがどうやったか、君が教えてくれよ!」



「ずっと調べてるわ!

でも私……でもね……」





言い合いをしていたかと思えば、興奮した声が一気に静まる。
眉を吊り上げていたハーマイオニーの顔が、急にぼんやりとしたものへ変わった。
手を髪に寄せて、撫でるように指を通す。

変化の激しさに対してか、夢見心地なハーマイオニーの態度に対してか。抱いたのは心配か、怪訝か。
分からないが、ロンが顔を顰めた。





「大丈夫か?」



「ええ。」





返事はあったが、心ここに在らずという状態だ。
また、髪に指を通す。
そしてその手を、おもむろに口元へ持っていく。

どうかしちゃったんじゃないの、とでも言いたげに、ハリーとロンが互いの顔を見た。





「もしかしたら」





独り言のようにハーマイオニーが呟いた。
実際、独り言だったのかもしれない。ハーマイオニーの目は大広間の天井に向けられていた。

名前もハリーもロンも、揃ってハーマイオニーを見た。
けれどハーマイオニーは突き刺さる視線に気付きもしない。





「多分そうだわ……それだったら誰にも見えないし……ムーディだって見えない……それに、窓の桟にだって乗れる……でもあの女は許されてない……絶対に許可されていない……間違いない。
あの女を追い詰めたわよ!ちょっと図書館に行かせて―――
確かめるわ!」



「おい!」





言いながら鞄を引っ掴み、椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。
(その勢いに驚いたのか、名前とネスの体がビクリと揺れた)

ロンはハーマイオニーの姿を目で追いながら声を掛けたが、
しかしハーマイオニーはお構い無しに駆け出して、あっという間に大広間から出ていった。





「あと十分で『魔法史』の試験だぞ!
おったまげー。」





その声も、もう聞こえてはいないだろう。混雑した大広間を風のようにすり抜けて行ったのだから。
ハーマイオニーは時々、普段は見せないパワフルさを発揮する事がある。

大広間のドアへ向けていた顔を戻して、名前達は互いの顔を見合わせる。





「試験に遅れるかもしれないのに、それでも行くなんて、よっぽどスキーターのやつを嫌ってるんだな。」



『確かめておかないと、試験に集中できないのかもしれない。』



「そういうものか?ああでも、そんなに嫌ってるんなら、ハーマイオニー、そうなるかもな…僕は試験でいっぱいいっぱいだけど。
君、ビンズのクラスでどうやって時間を潰すつもりだ?―――また本を読むか?」



「だろうな。」




代表選手は課題をこなす代わりに、期末試験を免除される。

試験の時間になると、ハリーは生徒の皆に混じって教室に入る。
そして一番後ろの席に座り、第三の課題に向けて新しい呪文を探す事で、試験時間を過ごしていた。





『マクゴナガル先生。』



「えっ?」



「どうしたんだろう。」





グリフィンドールの長テーブルに沿って、マクゴナガルがツカツカと近寄ってきた。
大広間で食事中、教員が生徒のテーブルに来ることはあまり無い。
なので、ロンとハリーは不思議そうにマクゴナガルを見た。

だんだん近寄ってくるマクゴナガルの視線の先に、ハリーがいるようで、張本人であるハリーは何事かとますます不思議そうにマクゴナガルを見つめる。

マクゴナガルはハリーのすぐそばでピタリと足を止めた。





「ポッター、代表選手は朝食後に大広間の脇の小部屋に集合です。」





マクゴナガルを見つめていた目が見開かれる。
次いで腕時計を見る仕草をして、もう一度マクゴナガルを見た。

その一連の動作で、ハリーは今まさに食べようとしていた炒り卵をローブに溢した。





「でも、競技は今夜です!」



「それは分かっています。ポッター。
いいですか、代表選手の家族が招待されて最終課題の観戦に来ています。皆さんにご挨拶する機会だというだけです。 」





落ち着いた声でそれだけ言うと、動揺するハリーを尻目に、マクゴナガルは大広間から出ていく。

その後ろ姿を見詰めながらハリーはポカンと口を開けて、我を忘れたように固まっていた。





「まさか、マクゴナガル先生、ダーズリー達が来ると思っているんじゃないだろうな?」



「さあ。」



『…』





錆びた機械のようなぎこちない動作で、ハリーはロンと名前を見た。

ハリーの話では、ダーズリー一家は魔法というものを嫌悪しているようだし、誘われたからといって来るとは考えられないが。

名前は首を傾げて「分からない」という意思表示をするそばで、ロンは炒り卵を掻き込んでいた。





「ハリー、僕、急がなくちゃ。ビンズのに遅れちゃう。あとでな。
行こう、ナマエ。」



『わかった。
ハリー、またあとで。』



「うん…。またあとでね。」





不安そうなハリーを一人にするのは、名前は心配なようで、大広間を出るまで何度も振り返った。
それを呆れた顔でロンは見ていたが、名前の性分であると理解していた為かそれには触れない。

教室に入るまでの道のりを、とりとめのない話をしながら進んだ。

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