21.-1
『おはよう。』
「ナマエ。君、今まで一体どこに行ってたんだい?」
いつも通り朝の挨拶をしてみれば、友人から返ってきたのは若干怒気を帯びた声だった。
「ムーディのベッドで寝てた!?」
「ロン!声を小さくして!」
「あっ…」
ロンはパッと口を掌で押さえて、キョロキョロと辺りを見回した。
朝食で賑わう大広間は、朝から生徒らの元気な声で溢れていて、幸いロンの大声に気付いた者はいない。
安心したのかロンは押さえていた手を下ろして、深く息を吐いた。
それから、目を吊り上げたハーマイオニーに向き直る。
「ごめん。でも、仕方ないだろ。だってそんな…普通驚くぜ。
ハーマイオニー、君は驚かなかったのか?」
「それは、私だって驚いたわよ。」
「僕も驚いたよ。でもどうして…寝ちゃったの?寮に戻れば良かったのに。」
誰のベッドと名前を出すのは憚られたのだろう。ハリーは敢えて名前を伏せたようだ。
六つの瞳が理由を話せと促すように名前に集まる。
朝食の手を止めて注視する三人に、気付いているのかいないのか。
名前はいつも通り、ゴブレットにミルクを注いだ。
『近ごろ睡眠不足だから、相談した。そうしたら、』
「そこで眠る事になったのかい?」
『……ああ。』
ミルクを飲む名前から視線を逸らし、三人は顔を見合わせた。
不可解だと言いた気に、一様に眉を寄せている。
ロンはフォークを握り直した。
皿に装ったベイクドビーンズをつつきつつ、口を開く。
「フツーさ、睡眠不足の生徒を、だからって自分のベッドで寝かせるか?それも教師が。
有り得ないよ。あのムーディだぞ?」
「ムーディは普通の教師とは違う気がするけど。」
グリルのトマトをつまみながら、ハリーが言った。
「ナマエはどうしてムーディ先生に相談したの?
そういうことって、マダム・ポンフリーの方が適任じゃないかしら。」
『睡眠不足は俺の心の問題らしい。だから誰に相談しても、やることは変わらないそうだ。』
三人はますます眉を寄せた。
それが次第に戸惑いの表情に変わっていく。
両親をなくし、命を狙われている身だ。
普段無表情の名前だが、感情は勿論ある。
心的外傷は、あって当然だ。
「でも…でもさ、どうしてムーディに相談したんだよ。
そりゃ、僕達は、教師と比べたら頼りないかもしれないけどさ……」
落ち込むロンを見て、名前は素早く口を開いた。
『ロンの事は頼りにしている。ハリーも、ハーマイオニーも同じだ。
ただ、初めて話す相手が、たまたまムーディ先生だった。』
「でも僕達は、君が睡眠不足だなんて知らなかった。」
見るからにロンは拗ねている。
じろりと恨めしげに見つめられ、名前は危うくフォークを取り落とすところだった。
そこでハーマイオニーは素早くパンやらサラダやらを装って、それを名前の目の前に置いた。
「ナマエが先生に相談した後で、先生がマダム・ポンフリーにそれを伝えることは、勿論出来たはずよ。
マダム・ポンフリーなら、良いアドバイスをしてくれるでしょうし。
でもそうしなかったってことは、先生に何か考えがあるんじゃないかしら。」
「何かって、何だい?」
「先生にしか解決出来ないことよ。」
「ナマエはさっき、心の問題だって言った。
それがムーディに解決出来るって言うのか?」
「そういう可能性もあるってこと。マダム・ポンフリーや私達じゃ手に負えないようなことならね。
例えば魔法。誰かが、眠っているナマエに呪いをかけるとか。
もし呪いだったら、ムーディ先生が適任でしょう。」
「そんなこと出来るはず無い。
だってそれなら、同じ寝室で寝てる僕らが気付くはずだよ。」
「そうかしら。シリウス・ブラックやリータ・スキーターは学校に忍び込んでいるのに、誰も気付かなかったじゃない。
昨晩だって…」
意味深に言葉を切り、ハーマイオニーはチラリと名前を見た。
「昨晩大変な事が起きたの。
ナマエ、ムーディ先生にはお会いした?」
『ああ。』
バーティ・クラウチの話だと理解して、名前は頷いた後その名前を言った。
「ムーディ、何か言ってた?」
「バーティ・クラウチは見つかった?」
ハリーとロンは揃って口を開き、矢継ぎ早にそう言うものだから、名前は聞き取れずにパチパチと瞬きをした。
ついさっきまで拗ねていたのに、今はバーティ・クラウチの事に興味津々だ。
身を乗り出しかねない二人をたしなめつつ、ハーマイオニーは名前を見て、少し微笑んでみせた。
有り難いことに話の流れを変えてくれたらしい。
『見付からなかったそうだ。
ダンブルドア校長先生が魔法省に知らせたから、直に捜索が始まるらしい。』
「ムーディにも見付けられなかったのか…」
「ますます分からない。
あんなに弱っていたのに、どうやって消えたんだろう。」
「方法については、何か聞いてる?ナマエ。」
『いや。…』
方法も可能性も沢山あるから絞り込めない、本人を探し出す以外に答えはない。
そう聞いたと話す為に口を開けば、それが言葉になる前に、
不意に感じた肩への違和感へ、意識がそちらにいった。
『ネス』
金色にも見える黄色の瞳が名前の目を覗き込む。
嘴がつんと頬に当たった。
「昨晩は君が戻ってこないから、随分落ち着きが無かったよ。君を探してあちこち飛び回ってた。」
「しばらくしたら落ち着いたけどね。
ネスって、本当にナマエによく懐いてるよね。」
『そうだったのか。』
「ごめんね」と呟き、首元を掻いてやる。
するとネスは気持ち良さそうに目を細めた。
方法も可能性も沢山あるから絞り込めない、本人を探し出す以外に答えはない。
伝え忘れていた言葉をようやく声にしたのは、終業ベルが鳴り、
「闇の魔術」の教室に向かう名前についてこようとする、急いた三人の様子を見てからだった。
「でも、今まで時間があったんだし、何か分かったかもしれない。
僕らはやっぱりムーディに会いにいかなきゃ。」
それでも三人に撤回する意思は無いようだ。
名前は頷いて了承の意を示す。断る理由も無い。
そうと決まれば、名前はハリー達を連れて「闇の魔術」の教室に向かった。
終業ベルが鳴ったばかりなので、廊下は教室から出てきた生徒でごった返している。
「そういえば、元々はナマエの訓練なのに、僕らがついていっていいのかな?」
『大丈夫だと思う。』
生徒の群れの中、先頭で歩くのは名前だ。
そうすると生徒の群れは自然と、道を作るように割れる。
長身と無表情。それに加えて、近頃では「ムーディとつるむ生徒」として、周囲の生徒にインプットされているからだろう。
得体の知れない不気味なヤツに見えるのだ。
『…』
好奇、奇異、畏怖。様々な視線が突き刺さる。
それらから逃れたいが為にか、名前の足取りは速くなった。
「ムーディ先生?」
「おお、ポッター。」
そんな調子だったから、「闇の魔術」の教室に辿り着くのに時間はかからなかった。
ちょうど教室を出る所だったらしく、ドアの前で鉢合わせた。
こちらを見るムーディの顔色はお世辞にも良いとは言えない。
元から良くもないが、今は一層疲れた顔をしている。
『ごめんなさい、ムーディ先生。
ハリー達が、ムーディ先生に聞きたい事があるようなので、……連れてきてもよろしかったのでしょうか。』
「ああ、わしも話したい事がある。」
疲れた顔を見て悪いと思ったのか、名前がそう話せば、予想外の言葉が返ってきた。
名前達は顔を見合わせる。
クラウチの事か。
ハリーの事か。
それ意外か。
思い当たる節は多い。
互いを見ていた目を、一斉にムーディへと向ける。
ムーディは通り過ぎていく一年生らしき生徒を目で追っていた。
「こっちへ来い。」
見届けてから、ムーディは口を開いた。
廊下には誰もいない。
教室に入るよう促された。
「見付けたのですか?」
教室に入るや否や、開口一番、ハリーはそう聞いた。
バタン。
ドアを閉めてから、ムーディはハリーを見た。
「魔法の目」がグルリと回る。
「クラウチさんを?」
「いや。」
唸るように低い声で答えてから、おもむろに歩き始めた。
生徒用の机をいくつも通り過ぎ、真っ直ぐ教卓へ向かう。
片足が義足、それに杖を突いている。
歩みは遅かったが、ハリーもロンもハーマイオニーも、黙ってムーディの背中を追い掛けた。
教卓の椅子に腰掛けると、痛むのか顔を顰め、小さく唸りながら義足を伸ばす。
「あの地図を使いましたか?」
「勿論だ。」
ハリーの問いに答えながら、ムーディは懐から携帯用酒瓶を取り出した。
風呂騒動で地図をムーディに取られて以来、未だにムーディの手元にあるらしい。
酒瓶の中身を一口飲む。
それから再びムーディは口を開いた。
吐き出した息から、アルコール独特の匂いはしない。
名前は酒瓶を見つめた。
「お前の真似をしてな、ポッター。
『呼び寄せ呪文』でわしの部屋から禁じられた森まで、地図を呼び出した。クラウチは地図のどこにもいなかった。」
「それじゃ、やっぱり『姿くらまし』術?」
「ロン!学校の敷地内では、『姿くらまし』は出来ないの!
消えるには、何か他の方法があるんですね?先生?」
「お前もプロの『闇祓い』になる事を考えてもよい一人だな。
グレンジャー、考える事が筋道立っておる。」
ハーマイオニーはパッと頬を赤らめた。
誇らしげに笑うのを我慢しているが、口元は嬉しそうに笑んでいる。
「うーん、クラウチは透明ではなかったし。
あの地図は透明でも現れます。それじゃ、きっと学校の敷地から出てしまったのでしょう。」
「だけど 、自分一人の力で?
それとも、誰かがそうさせたのかしら?」
「そうだ。誰かがやったかも―――
箒に乗せて、一緒に飛んでいった。違うかな?」
自信たっぷりに言って、ロンは期待のこもった目でムーディを見た。
ハーマイオニーと同じように「闇祓い」の素質があると言って欲しいようだ。
「攫われた可能性が皆無ではない。」
「じゃ、クラウチはホグズミードのどこかにいると?」
「どこにいてもおかしくはないが。
確実なのは、ここにはいないという事だ。」
言葉尻が間延びする。話している最中に、ムーディが欠伸をしたのだ。
大きく開いた為に口の中が丸見えである。歯がいくつか無い。
「さーて、ダンブルドアが言っておったが、お前達三人は探偵ごっこをしておるようだな。
クラウチはお前達の手には負えん。魔法省が捜索に乗り出すだろう。ダンブルドアが知らせたのでな。
ポッター、お前は第三の課題に集中する事だ。」
「え?」
突然話が切り替わった事に頭がついていかないのか、ハリーは目を丸くさせた。
それから言葉の意味を理解する。
困ったように眉が寄せられた。
「ああ、ええ……」
「お手の物だろう、これは。
ダンブルドアの話では、お前はこの手のものは何度もやって退けたらしいな。一年生の時、賢者の石を守る障害の数々を破ったとか。そうだろうが?」
「僕達が手伝ったんだ。
僕とハーマイオニーが手伝った。」
「ふむ。今度のも練習を手伝うがよい。今度はポッターが勝って当然だ。
当面は……ポッター、警戒を怠るな。油断大敵だ。」
ムーディはまた酒瓶を煽った。
ゴクリと飲み、フウと大きく息を吐く。
やはりアルコールの匂いはしなかった。
「お前達二人は」
ムーディはロンとハーマイオニーを見た。
「魔法の目」は窓の方を見つめていたが。
「魔法の目」の視線を追って窓を見ると、青空を背景に、ダームストラング船の一番上の帆がはためいているのが見えた。
「ポッターから離れるでないぞ。いいか?わしも目を光らせているが、それにしてもだ……警戒の目は多すぎて困るということはない。
ミョウジ、お前はこれからが正念場だぞ。」
窓の方を見ていた名前は、突然呼ばれた自身の名前に振り向いた。
ムーディとハリー達三人の視線が突き刺さる。
話の最中に余所見をしていた名前を、心底呆れている様子だ。
申し訳なさそうに、名前は大きな体を縮こまらせた。
「スナッフルから返事が届いたんだ。一緒に読もう。」
翌日。
ハリー宛にシリウスから手紙が届いた。
何でも昨日の早朝、クラウチの事や第三の課題について手紙を出していたらしい。その返事が届いたのだ。
人目を気にしながら四人は身を寄せ合って、ハリーの手の中にある手紙を読んだ。
―――ハリー一体何を考えているんだ?ビクトール・クラムと一緒に禁じられた森に入るなんて。
誰かと出歩くなんて、二度としないと返事のふくろう便で約束してくれ。
ホグワーツには、誰か極めて危険な人物がいる。
クラウチがダンブルドアに会うのを、そいつが止めようとしたのは明らかだ。
そいつは、暗闇の中で、君のすぐ近くにいたはずだ。殺されていたかもしれないのだぞ。
君の名前が「炎のゴブレット」に入っていたのも、偶然ではない。
誰かが君を襲おうとしているなら、これからが最後のチャンスだ。
ロン、ハーマイオニー、ナマエから離れるな。
夜にグリフィンドール塔から出るな。
いくらナマエがマッド-アイの指導を受けているとはいえ、彼も命を狙われている身だ。
過度な期待はせず、避けて通れる危険に自ら近付かないことだ。
そして第三の課題の為に準備するのだ。「失神の呪文」「武装解除呪文」を練習すること。
呪いをいくつか覚えておいて損はない。
クラウチに関しては、君の出る幕ではない。大人しくして、自分のことだけを考えるのだ。
君も、ナマエもだ。もう変なところへ出ていかないと、約束の手紙を送ってくれ。待っている。
―――シリウスより
「変なところに行くなって、僕に説教する資格がある?
学校時代に自分がやった事を棚に上げて!」
読み終えた手紙を折り畳むハリーの口から出たのは、機嫌の悪そうな、いつもより少し低い声だった。
ハーマイオニーが眉を吊り上げて、ローブに手紙をしまう顰めっ面のハリーを見る。
「あなたの事を心配してるんじゃない!
ムーディもハグリッドもそうよ!ちゃんと言う事を聞きなさい!」
「この一年、誰も僕を襲お うとしてないよ。
誰も、なーんにもしやしない―――」
「あなたの名前を『炎のゴブレット』に入れた以外はね。」
苛々した様子のハリーに、ハーマイオニーは厳しく言った。
我が子を叱る母親のようだ。
「それに、ちゃんと理由があってそうしたに違いないのよ、ハリー。スナッフルが正しいわ。
きっとやつは時を待ってるんだわ。多分、今度の課題であなたに手を下すつもりよ。」
「いいかい。
スナッフルが正しいとするよ。誰かがクラムに『失神の呪文』をかけて、クラウチを攫ったとするよ。
なら、そいつは僕らの近くの木陰にいたはずだ。そうだろう?
だけど、僕がいなくなるまで何もしなかった。そうじゃないか?
だったら、僕が狙いってわけじゃないだろう?」
「禁じられた森であなたを殺したら、事故に見せ掛ける事が出来ないじゃない!
だけど、もしあなたが課題の最中に死んだら―――」
「クラムの事は平気で襲ったじゃないか。
僕の事も一緒に消しちゃえばよかっただろ?クラムと僕が決闘かなんかしたように見せ掛ける事も出来たのに。」
「ハリー、私にも分からないのよ。」
ハリーは思いを声にする度に苛立ちが募るようで、声音がどんどん刺々しいものへ変わっていく。
心配する気持ちを理解させようとするハーマイオニーは、ついには弱り果てて勢いを無くしてしまった。
「おかしな事が沢山起こっている事だけは分かってる。それが気に入らないわ……
ムーディは正しい―――
スナッフルも正しい―――
あなたはすぐにでも第三の課題のトレーニングを始めるべきだわ。
それに、すぐにスナッフルに返事を書いて、二度と一人で抜け出したりしないと約束しなきゃ。」
その日を境にハリーは、ロンやハーマイオニーを連れ立って図書館で呪文を探し始めた。
誰もいない教室に忍び込み練習もしているらしい。
ムーディが言った「正念場」と言うのは、これからますます訓練が厳しくなるという意味だったようで、名前はハリーの練習に付き合う時間が作れなかった。
出来る事と言えばアドバイスくらいだろうか。
例えば、使いやすそうな呪文をピックアップしたり、呪文のイントネーションや杖の動きについて注意したりだ。
『…』
訓練を終えた名前は「占い学」に向けて、一人北塔に移動中。
真昼の日光が高窓から射し込み、廊下には窓枠の影が伸びている。
高窓から見える空は雲一つなく真っ青だ。
「ナマエ!」
背後から名前を呼ばれ、名前は足を止めて振り返る。
ハリーとロンだ。小走りで近付いてくる。
『ハリー、ロン。そんなに急がなくても、授業まで時間はあるよ。』
「君を呼び止めたんじゃないか。一緒に行こうよ。」
『…』
腕時計を見やる名前を見て、ロンは呆れた顔をした。
名前はぼんやりロンの顔を見て、コクと頷く。
名前を真ん中にして三人横に並ぶ。
名前一人で歩く時よりゆっくりとした足取りで、改めて歩き始めた。
『練習はうまくいってるの。』
「まあまあだよ。」
「まあまあ?もうものにしたんじゃないの。僕、何度倒されたことか…。」
「ナマエこそ、調子はどうなんだい?」
『まあまあ。』
「ムーディに訓練つけられて、まあまあって事は無いでしょう。きっと僕より、ずっと良いよ。」
『…いつもは木の人形相手に訓練している。』
ほんの少し思い詰めたような声に、何事かと、ハリーとロンは名前を見た。
相変わらずの、最早見慣れた無表情だ。
『定期的に、ムーディ先生自ら、実戦として訓練をつけてくださる。』
「うわ」
『その時の俺は、避けてばかりだ。』
「ムーディ相手じゃ逃げたくもなるよな。」
避けると言っても、長身の名前だ。
長い手足と長身を持ち、机の並べられた教室の中で身をかわし続けることは困難を極める。
椅子や机に体の一部をぶつけたり転んだりするのはお決まりと言ってもいい頻度だった。
おかげで名前の体には、制服のせいで見えないが、痣や傷があちこちにある。
『…避けるのは上手くなった。』
呪文を受けない事は、勿論良いことだ。
何かしらで体を痛めてしまっては不利になる。健康な心身は戦闘のうえで大前提であろう。
しかし果たして訓練として成功なのか失敗なのか、不明である。
「トレローニーの部屋は蒸し風呂だぞ。あの暖炉の火を消した事が無いからな。」
螺旋を描く階段。
その階段を上りきった先にある、天井の撥ね戸を階下から睨みつけながら、ロンが心底嫌そうにそう言った。
「占い学」の教室へと続く撥ね戸だ。
ロンの言葉に想像したのか、ハリーが眉を寄せて溜め息を吐いた。こちらも心底嫌そうだ。
しかし行かなければならない。
三人は螺旋階段を上り、そびえ立つ銀の梯子を掴んだ。
時折荷物を抱え直しつつ、梯子を上る。
『…』
ロン、ハリーに続いて、名前は撥ね戸に身を潜らせる。
直ぐ様息が詰まるような熱気と芳香が体を包み込んだ。
入ったばかりだというのに、途端に汗が滲み出す。
「占い学」の暖炉の火には香料が入っているらしく、いつも強烈な匂いが漂っている。
(授業が終わった後も暫くは、体に匂いが染み付くほどだ)
それが熱気と合わさり、より強力になっていた。
席を探すハリーとロンの後を着いて歩くが、熱気と匂いに体がついていかない。
このままでは熱中症まっしぐらである。
「ナマエ、こっちにおいでよ。」
『…』
その時の名前がよっぽど酷い顔色だったのか、ハリーも同じ思いでいたからなのか。
窓際の席に座ったハリーは、すぐ隣の椅子を自身の席にくっ付けるように移動させて、そこへ名前に座るよう促した。
言われたままに座ると、風がゆるやかに頬を撫でていく。
見ると、閉めきったカーテンが、僅かに揺れている。
いつの間に窓を開けたらしい。
「僕のところまでは来ないな。」
「ナマエの顔が赤いから心配なんだよ。」
「この灯りの色じゃ、みーんな赤く見える。」
暖炉の薪とランプに照らされた室内は、ぼんやりとした赤色に染まっている。
トレローニーがこちらを見た。
小さな声でのやり取りだったが、名前を挟んで行われた為、結果頭を寄せ合うような見た目になっていた。
何か悪巧みをしていると捉えられても敵わない。
ロンとハリーはあからさまに居住まいを正した。
トレローニーはやっと三人から視線を外し、集まった生徒全員をぐるりと見る。
「皆様。
正座占いはもう殆ど終わりました。ただし、今日は、火星の位置がとても興味深いところにございましてね。その支配力を調べるのには素晴らしい機会ですの。
こちらをご覧あそばせ。灯りを落としますわ……」
トレローニーが杖を振る。
ランプは消えて、暖炉の火だけが残された。
暖炉の火を頼りに、トレローニーは座っている椅子の下から何かを取り出した。
火が反射してキラリと光るもの。ガラスで出来たドームだ。
中には小さな太陽系の模型が入っていた。
宇宙を閉じ込めたようなそれは美しい。
トレローニーはそれを用いて、火星と海王星の角度について説明を始めた。
『…』
ペンを握り締めた名前に耐え難い眠気が襲う。
真っ直ぐトレローニーを見つめて、説明を聞いていたはずなのに、気が付けば瞼を閉じている。
寝ては起きるを繰り返す。
意識が飛び飛びで、羊皮紙に走らせた文字が酷いことになっていた。
『…』
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