20.













雪が溶けて木々に葉が芽吹き、緑の芝生が顔を出す。
寒々しい冬の景色は、気が付けば春の陽気に変わっていた。
いよいよ夏学期に突入したのだ。

例年ならシーズン最後のクィディッチ試合に向けて練習をしている頃だが、今年は三校対校試合の最終課題がある。
第二の課題が終わってから約三ヶ月経つが、今のところ課題の話題は持ち上がらない。





「ポッター、今夜九時にクィディッチ競技場に行きなさい。
そこで、バグマンさんが第三の課題を代表選手に説明します。」





そうしてやっと話があったのは、五月も終わりの週だった。
「変身術」の授業後にマクゴナガルからそう伝えられたのだ。

午後の授業を終えて大広間で夕食を摂り、名前は「闇の魔術に対する防衛術」の教室に向かう。
(ハリーは一旦寮に戻るらしい。確かに九時まで時間がある。)

名前とハリー達三人は、大広間のドア前で別れた。





『…』





サマータイム真っ只中のイギリスは八時過ぎでも明るい。
窓から射し込む赤い光りに照らされ、長身の名前は殊更長い影を作り出した。

影を引き摺るようにして石畳の廊下を歩く。

五月下旬の日の入りは九時くらいだから、特訓が終わる頃には、辺りは真っ暗になっている。





『失礼します。』





教室に着くとノックをして、一声掛けつつドアを開けた。

教卓の椅子にムーディが座っている。
入ってきた名前をじろりと見て、返事のつもりか、頷く仕草をした。

机をどけてスペースを作ったら特訓開始だ。





「また眠れていないようだな。」





特訓が始まってから三十分ほど経った頃だった。

木製の人形相手に魔法を放っていた名前は、振り向いてムーディを見る。


椅子に腰掛けて、いつも突いている杖を両手で支えるように、胸の前で掴むムーディは、
上目遣いにこちらをじっと見ていた。





『眠れてはいます。』



「だが熟睡はしていない。」



『…』





ムーディの言う通り。
夢の影響で眠りが浅く、すぐ目覚めてしまう。
それからまた眠ることもなかなか難しかった。
なので眠る事を諦め、その時に出来る事(勉強や宿題など)をやるようにしていた。

眠る事よりも何かしている方が、名前にとってはずっと楽だったのだ。

睡眠時間は少ないが慣れてきてしまっているのか、前ほど強烈な眠気に襲われることは無くなっていた。
ムーディが定期的に、そして強制的に熟睡させるようにしているのも、眠気を感じない理由なのかもしれない。
睡眠を諦めただなんて言ってしまえばムーディがカンカンに怒ってしまいそうなので、名前は口を閉じて目を逸らす。





『医務室に行って、マダム・ポンフリーに診てもらった方が良いのでしょうか。』





こういった状況が異常だとは理解しているらしい。
目を逸らしたまま、名前は小さな声で聞いた。





「やることは変わらん。お前の心の問題なのだ。」





あっさりそう言って、ムーディは杖を使って立ち上がった。
ついてこいとでも言いたげに顎をしゃくり、ムーディは私室に足を向ける。

名前はムーディの斜め後ろにつく。
義足を引き摺るムーディの歩みに合わせて、ゆっくり歩いた。





『…眠るのですか。』



「眠るべきだ。」



『……俺、顔色悪いですか。』



「元から生っ白いわ。」



『……』



「魔法の威力が違う。ミョウジ、お前は自覚が無いのか?」





私室のドアを開けて名前を中に招き入れる。
ムーディの顔は呆れに歪んでいた。

ムーディの鋭い観察力はよく知っているが、名前が自覚していないのは有り得ない、というような声音だ。

自覚があるのか無いのか、名前は考えるように視線を泳がせた。





「さあ、横になれ。寮に戻って浅い眠りを続けるよりは良いだろう。」





促されたのはムーディのベッドだ。
何度このベッドで寝たことだろうか。

他人の、しかも教師であるムーディの寝床で眠るという行為は、未だに名前の身を竦ませた。
ぎこちない動作でローブを脱いだりネクタイを取ったりして、眠る準備を終えてベッドに潜り込む。

身を横たえると、ムーディがすかさず杖を取り出す。
これから数時間、夢も見ずに眠る魔法だ。
そうだと分かっていても、杖先が眼前に向けられるのは、何度経験しようとも慣れないものだ。















「起きろ、ミョウジ。」





意識が急激に浮上した。
今まで眠っていたとは思えないくらい、ぱっちりと目が開く。

ムーディが名前を見下ろしている。
ゆっくり瞬きを繰り返しながら自身見てくる名前を見て、ムーディはくるりと身を翻す。

義足を引き摺りつつ、机に向かった。





「夢は見たか?」



『……いいえ。』



「魔法で眠った時は平気なようだな。」





義足を引き摺りつつ戻ってきたムーディの手には、うっすら湯気が上るゴブレットがあった。
まだ身を横たえたままの名前の鼻先に、ゴブレットが差し出される。

微かなミントの香り。
前回出されたものと同じもののようだ。





『有り難うございます。』





ゴブレットに頭をぶつけないよう慎重に上半身を起こした。
寝起きの掠れた声で何とかお礼を言って、ムーディの手からゴブレットを受け取る。

それを口元まで持っていくと、冷ますように息を吹き掛けた。
何度か繰り返すが、疲れたのか。ゴブレットの中身を見つめたままぼんやりとし始めた。

一連の動作を見届けたムーディは、机に再び体を向ける。





『何かされていたのですか。』






踏み出した足を戻し、体を捻って名前を見た。
名前はゆっくりと、ゴブレットに口を付けていた。





「何?」



『爪に、』



「爪?」



『土が入っています。』





コクリ。ゴブレットに入った液体を、名前は慎重に口にした。
それからチラリとムーディを見る。

ムーディは手を持ち上げて、目の前に持ってくると、
「ああ」と溜め息のような声をもらした。





「転んだ時にな。」



『……怪我は無いですか。』



「受け身をとった時に、擦り傷は出来たな。
だがお前が心配するほどのものではないぞ、ミョウジ。」





持ち上げた手を下げて、ムーディは机に向かう。
机の上からゴブレットを持って、杖をつきながら名前の方へ戻ってきた。

引き寄せた椅子に腰掛ける。





「昨晩バーティ・クラウチが現れたのだ。」





ゴブレットを口に運びながら、ムーディは言った。
飲み物の効果でとっくに目が覚めていた名前だが、ムーディの発言によって更に神経が飛び起きた。

石のように固まった名前をよそに、ムーディは湯気の立つゴブレットの中身を冷ますように息を吹き掛けている。
ヨモギのような草っぽい匂いが漂ってくる。





『ご病気のはずです。審査員として来れないくらいには、深刻な状態です。』



「そうだ。だが、ポッターとクラムが見たらしい。
選手に第三の課題の説明があると事は、ポッターから聞いているか?」



『はい。』



「禁じられた森付近に現れたようだ。支離滅裂な事を言っていたらしい。
クラムを見張りに置いて、ポッターがダンブルドアを連れて戻ってきたが、クラムは失神術をかけられて倒れていた。
そして、バーティ・クラウチの姿はなかった。」



『…』



「わしは禁じられた森の中を探した。結局、見付からなかったがな…この土はその時のだ。
あの森は足場が悪くてかなわん。」





言って、ムーディは憎々しげに義足を見た。
確かに、禁じられた森は木々の根っこが彼方此方に地面から出ている。
年中日の入らない森の中は、常に湿り気を帯びていて苔だらけだ。
石にもまるで毛皮のように苔がびっしりはえていて、地面はぬかるみ、落ち葉は滑りやすい。
その上常に漂う霧のせいで見通しが悪い。段差に気付きにくいのだ。
禁じられた森の中に入ったことがある名前は、納得したように、うんうんと頷いた。






『…』





あかべこのように頷いていた名前は、それから少しして頷くのを止めた。
そして、じっとゴブレットの中身を見つめた。





『方法ですが…』
言いながら、ゴブレットからムーディに視線を移す。



「ん?」



『此処に、学校に来た方法です。病体のクラウチさんが……
消えた方法もですが…
方法が分かりません。それに、来た理由も、消えた理由も。……』



「先に話した事だが、バーティ・クラウチは支離滅裂な事を言っていたそうだ。
まともに会話を出来ない状態で、そこに理由を見付けるのは難しいだろう。だが、方法は…」





目は名前を捉えたまま、ムーディはゴブレットを口に運んだ。





「無いわけではない。箒に乗って来たか、協力者がいたのか、攫われたのか。方法はいくらでもある。可能性もな。
バーティ・クラウチを見付けて本人の口から聞く以外に答えはない。話せる状態かどうかは分からんが…
ミョウジ。」



『…はい。』





咄嗟に反応が出来なかった。
ムーディの口から出てきた自身の名前を聞いて、名前はパチパチと瞬きを繰り返す。

数拍遅れて出てきた返事は、若干喉に詰まったおかしな声になった。





「クラウチの事を気にしているようだが、心配するな。既にダンブルドアが魔法省に知らせている。直に捜索が始まるだろう。
今は自分に集中するのだ。」



『……はい。』





ムーディを見つめていた目がだんだんと下がり、ついにはゴブレットの水面に落ちてしまう。
ベッドの上で大きな体を縮こまらせて、名前は小さな声で返事をした。

命を狙われる身だからと、特別に訓練をつけてもらっている。
しかし現状、満足に訓練が出来ているとはいえない。眠れないからとムーディに寝かし付けられている状態だ。眠らなければ結果も出せない。

あれこれと口出し出来る立場ではないのだ。





「さあ、もうすぐ朝食の時間だ。
一度寮に戻ってシャワーでも浴びてこい。」





背中を叩かれた。
先程よりも明るい、優しい声だった。

名前は頷いた。それとともに返事をしようとして口を開き、





『…』



「どうした。」





開きかけて、そのまま素早くムーディを見た。
側にいたムーディはその勢いに若干体を引く。
目の前で後退りされているのに、名前はムーディから視線を逸らさなかった。
瞬きすらしない名前の無表情を、ムーディは注意深く見つめる。





「おい…」



『朝食』



「ん?」



呟く名前を不思議そうに見て、ムーディは少し首を傾げた。
名前はムーディから視線を逸らして、自身の腕に巻き付けられた腕時計を見る。
薄暗い部屋の中。鼻先にまで持ってきて、じっと時計盤を見つめた。





『…』





六時。

何度見ても六時だった。

よろよろとムーディを見る。
片方の瞼が腫れぼったい。疲れた顔だ。





『…ごめんなさい。俺、……』



「どうした。」



『俺、ムーディ先生のベッドを取ってしまって…』



「なに、夜中は騒動で起きていたのだ。その間ベッドは空いているのだし、それならばミョウジが英気を養った方が効率が良いだろう。
よく眠れたか?」



『はい。』





そう言われても名前は、納得出来るような性格ではない。
しかしここで申し訳ない気持ちのまま謝罪を続けてもムーディを困らせるだけだ。

口から飛び出そうになる「ごめんなさい」をぐっと堪え、代わりに「有り難うございます」とお礼を言った。

ムーディの傷跡にも見える眉間の皺が、ほんの少し弛んだ。

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