17.-1






『……』





瞼を開く。辺りは薄暗い。
枕元の時計を確認すれば、起床時間だった。

体を起こして寝巻きを脱ぎ、畳んでおいたスウェットスーツを身に付ける。





『…』





結局、夢を見てしまった。
途中で目覚めないだけでも状況は改善された、と考えていいのだろうか。
けれど頭も体も気だるいままだ。

両親の死、火事、謎の女の子。
生まれた恐怖心、精神的な苦痛。
それらの影響は名前が感じているよりも、ずっと根深いものになっているのだろう。





『……』





運動靴を履いて立ち上がる。
するとタイミングを計っていたように、窓辺に止まっていたネスが音も無くやって来た。





『おはよう、ネス。』





くるる、と小さな鳴き声が返ってきた。
頬にすり寄って、金色の瞳が覗き込む。

こちらの顔色を窺うようにじっと見つめてくる。





『大丈夫。』





首元辺りを撫でると、ネスは心地良さそうに目を細めた。
その様子を眺めてから、名前は寝室を見渡す。

ハリーのベッド。
ロンのベッド。

両方昨夜見たままの状態だ。
皺一つ見当たらない。





『……大丈夫。』





ネスに耳朶を甘噛みされた。
視線を遣ると、また顔色を窺うように目を覗き込んでくる。

ネスはまるで人間のように感情や体調に敏感だ。

安心させるように言ってから、名前は寝室を出た。
日課の走り込みに行く為だ。





『……』





決めた距離と時間を、普段と変わらず走る。
白み始めた上空を、ネスが優雅に飛んでいた。















『……』





ネスに耳朶を甘噛みされた。
しかし今の名前に、安心させるような言葉を掛ける事は出来なかった。

もう間も無く九時三十分。第二の課題が始まる。
湖の周りには生徒と教師陣、代表選手が集まっている。
けれど一向にハリーが現れないのだ。

いないのはハリーだけではない。
ロンもハーマイオニーもいない。
朝食の席で探してみたが、三人はどこにもいなかった。
(長いこと探し回ったので、湖に着いた頃には観客席は満杯だった)
(なので最後列の端の席だが、長身の名前には関係無い話だ)





『……』





観衆の生徒に混じって、芝生を駆け下りてくるハリーの姿を捉えた。
無意識に吐息がもれる。
審査員席に向かうハリーを目で追った。

もう直ぐ課題が始まることだろう。
名前は落ち着かないのか、肩にいるネスを頻りに撫でた。
前回の課題は見ることが出来なかった。
水中で息をする方法は見付かったのか。
無事に課題を終えることが出来るのか。
不安の種はいくらでもある。

暫くして、審査員の一人であるバグマンの声が湖面に響き渡った。





「さて、全選手の準備が出来ました。
第二の課題は私のホイッスルを合図に始まります。選手達は、きっちり一時間の内に奪われたものを取り返します。
では、三つ数えます。

いーち……
にー……

さん!」





ホイッスルが湖面に鳴り響く。
拍手と声援が湖に反響した。

選手達がそれぞれ水の中に潜っていくのが見えた。
ハリーも靴と靴下を脱ぎ、他の選手と同じように湖に進む。

遠目からだが、ポケットから何かを取り出して口に含むのが見えた。
あれが水中で息をする方法に関係するのかもしれない。





『……』





腰の辺りまで水中に進んだハリーの体は震えていた。
二月の湖だ。体温などあっという間に奪われる。

声援の中に笑い声が交じる。
スリザリンの生徒だろう。
馬鹿にするように口笛を吹いたり、からかう言葉が飛び出てくる。

突然、ハリーは喉を押さえて背中を丸めた。
それから直ぐに水中に身を沈めたのだ。





『……』





チラリ。審査員席に目を移す。
教師陣は落ち着いていて動く気配はない。
つまり、ハリーの心配をする必要はないのだ。

湖に目を戻す。
先に口に含んだものが、水中で息をする方法だと思って良いのだろう。

波一つ立たない湖。
時間はゆっくり、しかし確実に過ぎていく。





『……』





制限時間の一時間が、過ぎた。

選手であるセドリック・ディゴリーと、「奪われたもの」であるチョウが一番に戻ってきた。
どうやら各選手に一人ずつ、その選手によって大切な人が水中人に捕らわれているらしい。

二番目にビクトール・クラムとハーマイオニー。
(だからハーマイオニーはどこにもいなかったのだ)

フラー・デラクールは一人だった。
大切な人を取り返すことが出来なかったのだ。
彼女は真っ青な顔で、湖をじっと見つめていた。





『……』





ロンはどこにもいなかった。
おそらく、ハリーが「奪われたもの」はロンだ。
しかしハリーもロンも戻ってこない。

制限時間はとっくに過ぎている。
教師陣は動く気配はない。



水面が揺れる。
波紋が広がる。

瞬間、ハリー、ロン、そして少女の頭が現れた。





『……』





名前が安堵の吐息を吐くと同時に、周囲の生徒が悲鳴を上げた。
ロンと少女が死んでいると思ったのだろう。
確かに、二人は真っ青な顔色だ。
けれど瞬間、二人は目を開けた。

ロンはピューッと水を吐き出して、上空の太陽に目を細めている。
少女は不安そうに目を彼方此方に遣り、ハリーから離れずにいた。





『…』





少しの間、水面でたゆたいながら、二人は言葉を交わす。
それから二人で少女を引っ張り、数十人の水中人に囲まれながら、岸へと向かって泳いだ。
岸辺には審査員が立ち、ハリー達が戻ってくるのを待っている。

湖面には水中人の悲鳴のような歌声が反響している。
以前ハリーから聞かされた、「うるさいばかり」の音の正体だ。

青白い顔をしたパーシーが湖に足を進めた。
制服やローブが濡れるのを、全く気にしていない。





「ガブリエル!ガブリエル!あの子は生きているの?怪我してないの?」





フラーの悲痛な声がした。
ダンブルドアとバグマンに手を貸され、何とかといった様子で立ち上がったハリーは、
叫ぶフラーに視線を遣って、口を開きかけるも、声にはならなかった。疲れきっている。

パーシーがロンの腕を掴み、岸まで引っ張っていこうとしている。
それに対して、ロンは何やら文句を言っているようだったが、その声は観衆席までは届かなかった。

フラーはマダム・マクシームの押し止める手を振り払い、少女に向かって走る。
そして、少女を強く抱き締めた。





『……』





先に岸辺に上がった選手達らを、忙しなく看病していたマダム・ポンフリーが、
ハリーを選手達のいるところへ引っ張っていく。
先の選手達と同じように分厚い毛布で包み、何かを飲まされている。
途端、ハリーの耳からうっすら湯気が立ち上った。

ハーマイオニーが破顔してハリーに近付いた。
何やら話しているようだったが、ハーマイオニーに向けられていた視線が、不意に別方向に向けられる。





『……』





審査員席の方向だ。
視線を辿ってみる。





『…』





カルカロフだ。
無表情で、何の感情も浮かんでいない。
虚ろな目でハリーをじっと見つめていた。

周りの者は皆、ハリー達が無事戻ってきたことに喜んでいるのに、不自然なほどだ。
(そういう名前も、負けず劣らず無表情だが)





『…』





ハリーに視線を戻す。
ハリーの視線はカルカロフに向いていなかった。
気が付いていながら無視したのだろう、ハーマイオニーと話している最中だ。

ダンブルドアは水際に屈み、水中人の長らしい女の水中人と話している。
あの悲鳴のような声が聞こえてくる辺り、ダンブルドアも水中人の言葉で会話をしているようだ。

暫くすると立ち上がって、審査員に振り向いた。





「どうやら、点数をつける前に、協議じゃ。」





審査員が顔を突き合わせて言葉を交わしている。
その間、マダム・ポンフリーが、パーシーに掴まれているままのロンを連れに行った。
ハリー達のところに連れてくると、同じように毛布でくるみ、何かを飲ませ(おそらく「元気爆発薬」だろう)、それからフラーと少女の所へ向かった。
数分にも満たない出来事である。

フラーは顔から足まで全身傷だらけでローブも破けていた。
けれどマダム・ポンフリーが綺麗にしようとすると断り、代わりに少女を預けた。
本当に少女が大切なようだ。

少女を預けたフラーは、ハリーの方へ向かって行った。
何やら言葉を交わしている。
と思えば、フラーは身を屈めて、ハリーの両頬に二回ずつキスをした。





『…』





瞬間、ハリーの青白かった頬が真っ赤に染まる。
(ついでに目撃者である名前の頬も真っ赤に染まった)

それからフラーはロンにも向き直り、同じようにキスをする。
ハーマイオニーの眉間にクッキリ皺が入るのが見えた。





「レディーズ アンド ジェントルメン。
審査結果が出ました。
水中人の女長、マーカスが、湖底で何があったかを仔細に話してくれました。
そこで、五十点満点で、各代表選手は次のような得点となりました……」





ルード・バグマンの魔法で大きくなった声が響き渡る。
(近くにいた者は飛び上がって驚いていた)

観衆のざわめきが次第に小さくなっていく。
やがて、辺りは静まり返った。





「Ms.デラクール。
素晴らしい『泡頭呪文』を使いましたが、水魔に襲われ、ゴールに辿り着けず、人質を取り返す事が出来ませんでした。
得点は二十五点。」





フラーは頭を振って否定している。
悔しそうな、悲しそうな表情だ。





「セドリック・ディゴリー君。
やはり『泡頭呪文』を使い、最初に人質を連れて帰ってきました。
ただし、制限時間の一時間を一分オーバー。

そこで、四十七点を与えます。」





ハッフルパフが大きな歓声を上げる。
セドリックの隣にいたチョウが、熱に浮かされたような表情だ。





「ビクトール・クラム君は変身術が中途半端でしたが、効果的な事には変わりありません。
人質を連れ戻したのは二番目でした。

得点は四十点。」





ダームストラングから拍手と歓声が上がる。
誇らしげな顔付きのカルカロフが、一際大きな拍手をしている。





「ハリー・ポッター君の『鰓昆布』は特に効果が大きい。」





湖に入る時ハリーが口に含んだもの。
あれが「鰓昆布」だったのだろう。
名前は成る程と頷いた。

しかし、「鰓昆布」をどうやって手に入れたのか。
そんな時間は無かったはずだ。名前は首を傾げる。





「戻ってきたのは最後でしたし、一時間の制限時間を大きくオーバーしていました。
しかし、水中人の長の報告によれば、ポッター君は最初に人質に到着したとの事です。
遅れたのは、自分の人質だけではなく、全部の人質を安全に戻らせようと決意したせいだとの事です。」





ロンとハーマイオニーが呆れたような顔でハリーを見た。






「殆どの審査員が」




バグマンがの目が一瞬カルカロフに向けられた。





「これこそ道徳的な力を示すものであり、五十点満点に値するとの意見でした。
しかしながら……

ポッター君の得点は四十五点です。」





しんとした観衆は、一瞬で湧き上がった。
力一杯の拍手が湖に響き渡る。
これでハリーは、セドリックと同点一位だ。





「やったぜ、ハリー!

君は結局間抜けじゃなかったんだ―――
道徳的な力を見せたんだ!」




ロンの声が歓声に混じって聞こえた。





「第三の課題、最終課題は、六月二十四日の夕暮れ時に行われます。」





バグマンの声が響き渡り、観衆の歓声が小さくなる。





「代表選手は、そのきっかり一ヶ月前に、課題の内容を知らされる事になります。
諸君、代表選手の応援を有難う。」






マダム・ポンフリーが代表選手達を城へ向けて引率する。
一刻も早く、彼らの濡れた服を着替えさせたいらしい。

思い思いに会話をしながら、皆城へ向かって歩いていく。

第二の課題は無事に終わった。
















第二の課題が終わった後、色んな人がひっきりなしにハリーやロンの元に訪れた。
何しろ湖の中の戦いなので、ただ水面を見ていた観衆からすれば何が起こったのか全く分からないからだ。
すなわち今回四年間で初めて、ロンがハリーと一緒に注目の的になったわけである。
ロンは少し照れ臭そうに、しかし嬉々として、訪れた人に話して聞かせた。

マクゴナガルの部屋に人質役となる生徒が集められ、ダンブルドアから説明を受けた。
人質全員の安全と、水から上がった時に目覚める事を保証し、眠りの魔法をかけた。

最初の内はそんな経緯で始まって、これはハーマイオニーの話と一致していた。
しかし段々とそれが危険を帯びた話に変化していったのである。





「だけど、僕、袖に杖を隠してたんだ。」






今回の話は、ロンが唯一人、武装した水中人五十人と死闘を繰り広げたというものだ。
容赦なく叩きのめされた後に服従させられ、縛り上げられたという。

パドマ・パチルは目を輝かせて話に聞き入っていた。
前はそんな事しなかったのに、廊下で擦れ違う度にロンに話し掛けている。





「やろうと思えばいつでも、バカ水中人なんかやっつけられたんだ。」



「どうやるつもりだったの?イビキでも吹っ掛けてやるつもりだった?」





皮肉がロンの心に突き刺さる。
ハーマイオニーは大分気が立っていた。
というのも、クラムの人質役がハーマイオニーだったからだ。
皆が面白おかしくからかうので、大変ご立腹である。

ロンは反省したらしい。
その一件からは、元の真実味のある話をするようになった。
それでも話を聞きに訪れる人は変わらずいて、ロンは嬉々として話す。

楽しそうに話をするロンの横顔を、呆れたふうなハーマイオニーと共に眺める。
話が終わって名前を見たロンは、何やら焦ったように目を泳がせた。





「あー、ナマエ?気にすることないよ。」



『…』



「僕ら友達だよ。誰がなんと言おうと。そうだろう?」



『……』





唐突に何の話を始めたのか。
パチパチと瞬きを繰返し、名前は焦るロンをじっと見つめた。
するとますますロンが焦るので、名前もますます不思議そうに見つめた。

横でやり取りを見ていたハリーが口を開いた。





「もしかしてロンは、ナマエが失いたくないものに選ばれなかった事を言ってるの?」



「ハリー、はっきり言うなよ。折角僕がオブラートに包んで話してたのに…。」



「本人には全く話が伝わってなかったみたいだけどね。」




何の話していたのかを理解したらしい。
うんうんと頷く名前を、ハーマイオニーがチラリと見上げた。





「ロン、ナマエには訓練があったのよ。私達には何も無かった。何も無い私達が選ばれて当たり前でしょう。
ナマエに訓練が無かったら、どうなっていたかは分からないわ。偶然よ。」



「第二の課題より訓練の方が大事だったって言いたいのかい?」



「結果そうだったでしょう。」



「何だよ、僕はナマエが気にしてると思って…。」





売り言葉に買い言葉で、二人の会話は白熱する。
当事者である名前は放置されていたが、相変わらずの無表情だ。
暫し二人を見つめた名前は、ハリーに視線を滑らせる。





『ハリー』



「なに?ナマエ。」





ハリーは普段通りの名前を見つめて、「少しも気にしてないな」と思った。
大分表情が読めるようになってきている。





『聞きたい事がある。』



「何だい?」



『第二の課題で使った、『鰓昆布』。』



「それがどうかしたの?」



『いつ手に入れたんだ。』






涼しげな目元がつい、と動いた。
未だにいがみ合うハーマイオニーとロンを横目で眺める。





『用意する暇は無かった。』



「ああ……。ドビーがくれたんだ。」



『……ドビー、』



「そう。屋敷妖精のドビーだよ。この城で働いている…」





ハリーはちょっと、周囲を気にするように目を動かした。
それから名前を見上げる。






「掃除で職員室に行った時に、マクゴナガルとムーディが第二の課題の話をしていたのを聞いたらしいんだ。
それで用意してくれたみたい。」



『そう。』



「そうなんだ。それで…
それで、ナマエは怒ってる?この事を先生達に話すかい?」




『いや、怒ってない。…
…何で怒るんだ。』



「だって本当なら、僕一人の力で課題をこなさなきゃならないんだよ。」



『これまで手伝ってきた。ハーマイオニーも、ロンも同じ。




「それは、そうだけど……。」






ハリーの声が尻窄まりに小さくなる。深い溜め息を吐いた。
納得いく説明を出来ない名前は、言葉を探して視線を彼方此方に泳がせる。
ハリーは挙動不審の名前を見上げて、話を変える事にした。
名前はあからさまに安堵したようだった。

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