16.-1
気が付けば辺りは火に包まれていた。
そこに人影が写り込む。
同じくらいの背丈の男―――父親の後ろ姿だ。
景色が夕日に変わる。
そこにまた人影が写り込む。
俯いた人影―――母親の姿。
そしてまた景色は変わる。
暗闇にぼんやりと浮かぶ人影―――無表情の女の子だ。
映画のフィルムのようだ。
代わる代わる現れる光景は、何度も巻き戻される。
これは夢だ。
『…』
瞼を開ける。辺りはまだ暗い。
瞬きを繰り返していると、だんだんと目が慣れてきた。
月明かりを頼りに、うっすらとベッドの天蓋が映る。
心臓が早鐘のように脈打ち、頭の中で鳴り響いていた。
手足は痺れるほどに冷えきっていたが、じっとりと汗をかいている。
『…』
じっと暗闇を見つめていると夢の光景が現れる。
再び眠る気にはなれなかった。
逃れるように、月明かりの方へ目を向けた。
ベッドのカーテンはきっちり閉めていたが、窓から差し込む月明かりは中々に明るい。
窓辺に何かいるらしく、そのもののシルエットが、カーテンに影絵のように映っていた。
鳥のシルエットだ。
体を起こしてベッドのカーテンを開けた。
『…』
カーテンを開けると、窓辺にいたものが振り向いてこちらを見た 。
ネスだ。
真っ白な羽毛に月明かりが反射している。
ネスはこちらを見つめたまま微動だにしない。
まるで剥製だ。
『…』
ベッドから降りてローファーに素足を滑り込ませる。
ピタリ、そこで動きを止めた。
自身の足を見下ろす。
ピッタリのはずのローファーがブカブカだった。
『…』
誰かの靴を間違えて履いているのか。
眠っている内に誰かに靴をすり替えられたのか。
そのローファーを履いて立ち上がると、また動きを止めた。
『…』
辺りを見回す。
皆熟睡中で、部屋には誰のものか分からないいびきが響いている。
普段と何も変わらない光景に、どうしてか違和感は強まる一方だった。
自身のベッドまで視線は戻ってきても、違和感は拭い去ることが出来ない。
無意識だったのだろう。月明かりを反射する鏡が目の端に映り、名前は鏡に目を向けた。
そして、またピタリ、動きを止めた。
『…』
女の子が映っている。
以前自宅の鏡に現れ、そして夢に現れた、女の子がはっきりと映っていた。
見慣れる自身の姿はどこにもない。
『…』
鏡に映る女の子は、瞬きもせずにじっとこちらを見返す。
逸らすことが出来ない。
瞬くことさえ出来ない。
一瞬、風景が歪んだかと思うと、目の前には床があった。
咄嗟についたであろう手と膝が、ぶるぶると小刻みに震えていた。
頭の中で鼓動が鳴り響き、呼吸が上手く出来ない。
トン、トン、トン……
『…』
階段を上る足音が微かに聞こえる。
その音を耳に捉え、名前の意識はそちらに引っ張られた。
卵の謎を解く為に、夜中に監督生の風呂に行くのだとハリーが言っていた。
戻ってきたのかもしれない。
『…』
立ち上がろうとして、何度も崩れ落ちた。
ようやく震える足で立ち上がると、素早くベッドに潜り込む。
頭まで布団を被ると同時にドアが開く音が聞こえた。
朝になって鏡を見ると、見慣れた自身の姿があった。
人知れず、名前は安堵の吐息をもらす。
『(同じ夢を見すぎて幻覚を見たのかもしれない)』
―――いや、そもそもこの出来事は夢だったのかもしれない。
―――夢じゃないのなら、何だというのか。
様々な憶測が頭を巡る。
当然、答えなど出ないが。
朝からネスが、名前の様子を窺うように行動を共にする。
いつもなら、いつの間にかいなくなってしまうのに。
その事も名前の不安を煽ぐ一因となっていた。
「卵の謎はもう解いたって言ったじゃない!」
「大きな声を出さないで!
ちょっと―――仕上げが必要なだけなんだから。分かった?」
ハーマイオニーとハリーの尖った声に反応して、名前は二人へ目を向けた。
今日の「呪文学」の授業は、「呼び寄せ呪文」の反対呪文を練習する事。
様々な物が飛び交う事を予想し、安全の為にクッションを一山配られた。
しかし案の定、クッションでは到底防げないような重たい物が教室を飛び交っている。
例えばフリットウィックだ。
名前達四人は、教室の一番後ろの席を占領しているので、まだ被害は少ない方である。
「頼むよ。卵の事はちょっと忘れて。」
ハリーの小さな声は、教室の喧騒に掻き消えてしまいそうなほどだった。
名前はハリーの方へ身を寄せる。
「スネイプとムーディの事を話そうとしてるんだから……」
『…』
卵の謎を解く為に、夜中に監督生の風呂に行った時の話だ。
ハリーはスリルを味わったらしい。
小さな声で少しずつ、ハリーは名前達に話して聞かせていた。
その話というのがまず、卵の謎を解くのに力を貸してほしいという事だった。
湖に入って、水中人から奪われた何かを取り返さなければならない、というのが第二の課題らしい。
制限時間は一時間。
ただ、水中で一時間もどうやって呼吸をするのか。
その方法を探すのを手伝ってほしい―――それは勿論、と名前達は頷いた。
安堵した様子でハリーの話は続いた。
肝心なのは、風呂の帰り道での事だった。
透明マントを着て「忍びの地図」を調べ、いざ帰ろうとした時。
スネイプの研究室で、バーテミウス・クラウチの名前が忙しなく動いていたという。
『彼は重い病気で仕事にも出られないはず。』
「僕もそう思って、何度も名前を確かめたよ。
確かにバーテミウス・クラウチだった。」
何故そのバーテミウス・クラウチが、スネイプの研究室にいるのか。
それも研究室には彼一人で、スネイプはいなかった。
ハリーは好奇心に負けた。
研究室に向かったのだ。
「でも僕、途中の階段で、騙し階段に足を取られたんだ。
バーテミウス・クラウチの動きばかり気にしてたから…」
騙し階段に片足を突っ込んだハリーは、突然の事に体をよろけさせた。
その衝撃に金の卵が腕をすり抜け、大きな音を立てて階段を落ちていった。
透明マントがずり落ちて、慌てて押さえ付けたはいいが、「忍びの地図」は手から滑り落ちてしまった。
階段下に落ちた卵は廊下に転がり、衝撃で開いてしまったのだろう―――大きな泣き声を響かせた。
「始めに来たのはフィルチだった。勿論ミセス・ノリスも一緒だったよ。
でも今となっては、フィルチで良かったのかも。もしも一番に来たのがスネイプだったら…」
ハリーは嫌そうに顔をしかめてから話を続けた。
卵を見つけたフィルチは、ピーブズの悪戯だと思って階段を上り始めた。
そこへスネイプが現れた。スネイプは憤慨した様子で、研究室を何者かに引っ掻き回されたとフィルチに言った。
そして一緒に侵入者を探すよう話した。
フィルチは首を縦に振らなかった。ピーブズを追い出したいフィルチにとって、これは絶好の機会だ。
暫く階下ではスネイプとフィルチの押し問答が続いた。
「その時、ムーディが来たんだ。」
フィルチは音を聞き付けて、階下でスネイプと出会した事を説明した。
そしてスネイプの研究室に何者かが侵入したことも話した。
「黙れ!って言ったんだ。スネイプは。
侵入者を探すのに、ムーディなら頼りになりそうじゃないか?」
ムーディは素早くハリーを発見した。
ムーディの「魔法の目」の前では、透明マントなど役に立たない。
ハリーがいる事に驚いた様子だった。
けれどすぐに冷静になった。スネイプの研究室に何者かが侵入したという話を追求した。
「スネイプが研究室に何か隠しているんじゃないかって、ムーディは疑ってた。」
「スネイプは、ムーディも研究室を捜索したって言ったのかい?」
杖を振ってクッションを追い払いながら、ロンの顔はハリーに向いたままだった。
目がキラキラと輝いている。
「どうなんだろう……ムーディは、カルカロフだけじゃなく、スネイプも監視する為にここにいるのかな?」
「ダンブルドアがそれを頼んだかどうか分からない。だけど、ムーディは絶対そうしてるな。」
疑い深いムーディの事だ。頼まれずとも常日頃からやっているだろう。
たとえ対象が生徒であってもだ。
ぼんやりとした様子でハリーが杖を振った。
クッションはその場で宙返りをして机から落っこちた。
「ムーディが言ったけど、ダンブルドアがスネイプをここに置いているのは、やり直すチャンスを与える為だとか何だとか……」
「何だって?」
一際大きな声を出して、ロンは目を見開いた。同時に杖を振る。
クッションは手裏剣のように回転しながらシャンデリアにぶつかり、フリットウィックの机の上に落っこちた。
「ハリー……もしかしたら、
ムーディはスネイプが君の名前を『炎のゴブレット』に入れたと思ってるんだろう!」
「でもねえ、ロン。」
ハーマイオニーが呆れた風に首を振った。
ハリーがその後どうなったのか―――話の続きは気になるが、名前はロンに倣い杖を振る。
クッションを三枚ほど、空中へ「追い払い」をする。
それをクルクルと回転させる。お手玉の要領だ。
「前にもスネイプがハリーを殺そうとしてるって、思った事があったけど、
あの時、スネイプはハリーの命を救おうとしてたのよ。憶えてる?」
話しながら、ハーマイオニーは杖を振る。
クッションは目的地の箱に真っ直ぐ飛び込んだ。
ハーマイオニーの言う通り、この四年の間で、スネイプがハリーの危機を救った事もある。大小は問わない。少なくとも、危害を加えることは無かったはずだ。
事ある毎に減点や罰則、退学処分を持ち掛けてはくるが。
スネイプはハリーに対して良い感情は抱いていないのだ。
「ムーディが何を言おうが私は気にしないわ。」
『…』
同意するようにうんうんと頷く。
ムーディの警戒心と疑い深さは今に始まったことじゃない。
「ダンブルドアはバカじゃないもの。ハグリッドやルーピン先生を信用なさったのも正しかった。あの人達を雇おうとしない人は山程いるけど。だから、ダンブルドアはスネイプについても間違ってないはずだわ。
たとえスネイプが少し――― 」
「―――悪でも。」
直ぐ様ロンが言葉を引き継いだ。
こればかりは名前も否定は出来ない。
名前が思うスネイプの印象は、決して悪いものばかりではない。
しかしそれにしたってスネイプは、グリフィンドールに対して当たりが強い。
「だけどさあ、ハーマイオニー、それならどうして『闇の魔法使い捕獲人』達が、揃ってあいつの研究室を捜索するんだい?」
「クラウチさんはどうして仮病なんか使うのかしら?
ちょっと変よね。クリスマス・ダンスパーティには来られないのに、来たいと思えば、真夜中にここに来られるなんて、おかしくない?」
「君はクラウチが嫌いなんだろう?しもべ妖精のウィンキーの事で。」
「あなたこそ、スネイプに難癖をつけたいんじゃない。」
「僕はただ、スネイプがやり直すチャンスをもらう前に、何をやったのか知りたいんだ。」
ハリーの声は尖っていた。
杖を振ると、ハリーのクッションは真っ直ぐ箱に飛び込んだ。
その夜、ハリーはシリウスに手紙を送った。
バーテミウス・クラウチがスネイプの研究室に忍び込んだ事、ムーディとスネイプの事。
ホグワーツで異変があれば全て知りたいという言葉に従ったのだ。
それからいよいよ、第二の課題に取り組んだ。
談話室の隅に四人で車座に座り、顔を突き合わせる。
「勿論、理想的な答えは、あなたが潜水艦か何かに変身する事でしょうけど。
ヒトを変身させるところまで習ってたらよかったのに!だけど、それは六年生まで待たないといけないし。
生半可に知らない事をやったら、とんでもない事になりかねないし……」
「うん、僕も、頭から潜望鏡を生やしたままウロウロするのは嬉しくないしね。
ムーディの目の前で誰かを襲ったら、ムーディが、僕を変身させてくれるかもしれないけど……」
「でも、何に変身したいか選ばせてくれるわけじゃないでしょ。」
「ナマエは何か知らない?ムーディとの特訓で、何か役立ちそうな呪文無いかな?」
ロンが嬉々とした顔を名前に向けた。
カクリ、少し首を傾げる。名前は考えているようだった。
肩には朝と変わらずネスが止まり、首を傾げる名前の顔をじっと見つめている。
『…ごめん、思い付かない。』
「本当に?もうちょっと考えてみて…」
ハリーが立願するように言う。
『攻撃的な呪文ばっかりだ。』
「そっか…」
「ナマエ、ムーディから聞いてきてよ。水中での戦いを予想した特訓を教えてって言ってさ…」
「ロン、ダメよ。ナマエ、言わなくていいからね。」
『…分かった。
ただ、薬とか薬草は、呪文ほど力をいれていない。調べれば役立ちそうな物が見つかるかもしれない。』
「そうか、成る程ね。確かにそれは盲点だった。
「ポリジュース薬」の時みたいにすればいいんだ!」
ロンが明るい声で言った。ハリーの顔もいくらか晴れる。
しかしハーマイオニーは眉をしかめた。
「確かに良い案だわ。調べる価値はあるわね。
でも見つけたとしても、材料が簡単に手に入るとは限らないわよ。」
ロンとハリーは一気に落ち込んだ。
ついでに名前も落ち込んだ。無表情だが。
ハーマイオニーは男三人の顔を眺めてから、小さく息を吐いた。
「だめよ。
やっぱり一番可能性があるのは、何かの呪文だわね。」
それからハリー達は時間があれば図書館に入り浸るようになった。
ムーディとの特訓がある名前は、三人のように入り浸る事は出来なかったが、出来る限り本を調べた。
何しろ図書館には膨大な量の本がある。
人手は多い方が断然良い。たとえ少しの時間でもだ。
ハリーはマクゴナガルに禁書の棚を利用する許可を得て、司書のマダム・ピンスにも助けを求めた。
しかしハリーが求めるような呪文は一向に見付からないまま、時間だけが無情にも過ぎていく。
刻一刻と、第二の課題日が迫ってきていた。
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