08.-1
一二月のある朝、空気まで凍り付いてしまいそうな異様な寒さに目が覚めた。
部屋は深閑としている。
まだ誰も彼も眠っているようで、みんなすやすやと寝息を立てている。
ベッドから身を起こして、名前はカーテンを引く。すると窓の外には、白銀の世界が広がっていた。
目を見開き、窓ガラスが結露して滴が伝うのも構わずに窓にへばりつく。
いつもの涼しげな瞳はそこにはなく、無邪気な子供のようなキラキラと輝かせた目で、まだちらちらと降る雪を食い入るように見つめている。
しばらくその景色を眺めた後に、急いで寝間着を脱ぎ捨て厚着をすると、名前は忍び足で寮を出ていった。
「「おや?」」
「フレッド、君には何が見える?」
「ジョージ、おそらく君と同じものさ。」
「「あそこに見えるは、長身白皙の美少年と有名な、
ナマエ・ミョウジじゃないか」」
雪の降る朝、静かな中庭で、彼らの声はよく響く。
暖かそうな毛糸の帽子を、目元が隠れてしまうくらいすっぽりと被って、おまけとばかりに、首筋辺りに燃えるような赤毛がこっそりと顔を出している。
一目見ただけでは誰だか判断できないだろうが、全く似た格好をした者が並んでいれば、知っている者ならなんとなく察しがつくだろう。
彼らは抜き足差し足で、足元一面に広がる雪を掬いとり、
固い丸い雪玉を作ると、勢いよく名前の頭にぶつけた。
『―――!』
「「ハーイ、ごきげんよう、Mr.ミョウジ。」」
『………誰。』
「…聞いたかい?ジョージ。」
「聞いたとも。フレッド。」
「ああ、なんて悲しいことだろう!」
「僕らはナマエに、あのハロウィンの日に、心をこめてプレゼントをお贈りしたのに!」
「「まさかその思いが伝わらなかったなんて!」」
『…
ロンの、双子のお兄さん…?』
これ以上悲しいことはない、と言いたげに、涙を拭う動作をしていた二人は、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。
それからさっと姿勢を正すと、名前に向かって恭しくお辞儀をした。
何がなんだかわからない名前は、雪玉をぶつけられた後頭部をさすりさすり、作っていた雪だるまの手を休めている。
「正解!まさか本当にわからないのかとヒヤヒヤしたよ。」
「僕ら二人を見分けられる人は少ないけど、僕ら二人を知ってる人はたくさんいるからな。少なくとも、この学校の中ではね。ところで、ナマエ。
僕らの名前はご存知かな?」
『いや…。』
「ならば名乗ろう。僕はフレッド。で、」
「僕はジョージ。」
「「以後お見知り置きを、ナマエ。」」
『……こちらこそ。』
「………」
「………」
『…』
「ナマエお坊ちゃんは、やっぱりちょっとズレてるよな。フレッド。」
「ああ。ネジの二・三本は抜けてるな。ジョージ。」
『…何の話を。』
「だって怒らないじゃないか。ハロウィンの日、君に悪戯仕掛けたのは僕らなんだぜ。今だって出会い頭に雪玉ぶつけたんだ。君はそれがわかってるのに。」
「なのに君ときたら『こちらこそ』だなんて言うんだから。」
「「そこは普通は怒るところだろ」」
真剣そうな二人の顔を前に、名前は微かに首を傾げただけだった。
『…二ヶ月近くも前のことですから。』
それだけ言うと、くるりと向きを変えて、ゴロゴロと雪玉を転がし始める。
その後ろを「「ちょっと待って!」」と追いかけ、本当に怒ってないのかと訊ねる二人に対し、名前は微かに頷いてみせるだけ。
相変わらず表情というものはなく、大股で雪の中をざくざくと踏み鳴らして歩いていくので、二人は名前が本当に怒ってないとは信じることができなかった。
そのうち大きな雪玉が出来上がり、木の実と小枝で装飾された、背の高い雪だるまが完成しても、名前は嬉しそうにも楽しそうにもしない。
ただだんまりと遠くから雪だるまを眺めている。
リアクションの薄い名前に、二人は額を寄せあって困っていた。
「ロンに聞いていた通り、ニコリともしないな。」
「怒りもしないけどな。ここまで無反応だとは予想外だ。」
「笑った顔を見たいもんだよ。」
「怒った顔も見てみたいな。」
「普段静かな人が怒ると怖いっていうぞ?」
「それだけ貴重ってことだろ。」
「まあな。」
「それよりまずは、」
「「どうしたらナマエの笑顔を見れるかだな。」」
むむ、と全く同じ顔で悩む顔が二つ並ぶ。首を傾げて唸るタイミングまで一緒だ。
まるで打ち合わせでもしてあったかのように、左右対称の動きをしている。
そんな彼らの目に、廊下を身を縮めて寒そうに歩くクィレルが視界に入った。
二人は少し思案するように視線を上の方にやったあと、にんまりと笑ってお互いの顔を見遣る。
そして杖を取り出すと、黙々と雪ウサギを生産する名前に向かって高々と言い放った。
「こっちをご覧、お坊ちゃん!」
「もっと面白いもんを見れるからさ!」
『…』
名前が首を傾げつつ振り返ると、なんと彼らは雪玉に魔法をかけて、クィレルを追尾するようにしたのだ。クィレルの重たそうなターバンに、ぽんぽんと雪玉が跳ね返っている姿が見える。
彼らは、あわあわと慌てふためくクィレルを指差して、腹を抱えて笑っている。名前は顔面蒼白だ。
『さすがにあれはねーわ。』という心境である。
「どうだい、最高だろ?」と言いながら、肩をバンバン叩いてくる二人に、名前はぶんぶんと首を横に振るだけで何も言わない。
その名前の反応が面白かったのか、二人は更に笑った。
そのうちやって来た別の先生が騒ぎに気付き、その場は収まったが、二人は罰を受け、連行されていった。
自業自得である。
廊下には、クィレルと名前が残されていた。
『………雪が、』
「な、なんだい?」
『雪が、背中に……』
ぼそぼそと呟くと、ゆっくりと手を伸ばして、クィレルの背についた雪を軽く払う。
ああ、雪を払ったのか。と、そこで気付いた。
声が小さいので、何を言ったのかわからなかったのだ。
「あ、ああ、ありがとう、ミョウジ君。」
『………
俺の名前を、ご存知なんですか。』
「あ、ああ、もちろんだよ。だ、だってき、君はわた、私の授業に、で、出ているだろう?」
『…』
少し間をあけて、名前はコクリと頷く。
「き、き、君は、目立つからね。あ、い、いや、悪い意味じゃなくてね…に、日本人は珍しいし、き、君は、一年生のわりに、せ、背が高いから…」
『…』
上げた口角をぴくぴくと痙攣させながら、引き攣る笑みを名前に向ける。
それに対して、頷きも、首を振りもしない。
何の反応もない。
ただ、ほんの少し眉根を寄せた。
(ようにクィレルには見えた)
「それでは、また授業で」とその短いセリフさえも吃りながら去っていくクィレルの背中を、名前はしばらくじっと見つめる。
『…っくしゅん。』
くしゃみが出たところで、名前は図書室へ向かった。
暖を取りに行くためだった。
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