13.






「いつもありがとうございます。」



『…』





毎日買いに来ているので、もう顔を覚えられているかもしれない。

にっこり微笑む店員から綺麗にラッピングされた花束を受け取って、名前は花屋を出る。

小さな花束を片手に、病院へ向けて歩いた。





『…』





特別話すこともない。

ただひたすら聞き手となり相槌を打つだけだ。

他の用事といえば入院中の用意を整えたり、たまに医師の説明を聞く。
名前の日課だった。





コンコン



『…』





病室の前に立ちノックをするが、しかし返事はない。
いつもならばすぐに返事がある。
眠っているのか、トイレにでも行っているのか。
分からないが、名前は扉を開けた。





『…、』





扉を開いた先。
正面に母親はいた。
窓辺に立っており、影が名前の足元まで伸びていた。





『…』





外の景色を眺めているのだろうか。
射し込む夕日は目が眩むほど赤く、微動だにせずそちらに顔を向けている。
逆光の中に佇む母親の姿を、名前は目を細めてじっと見つめた。





『…』





数分間はそうしていたかもしれない。
けれど母親はちっとも動かない。
いつもならば見舞いに来た名前を見て、嬉しそうに微笑み、取り留めのない話を始める。





『……』





母親から視線を外さないまま、一歩、また一歩と、母親の方へ近付く。
夕日によって長く伸びた母親の影が、名前の長身を覆い隠す。





『…』





触れられるほど傍まで近付いて、それでも母親からは何の反応もない。
項垂れるようにして窓の外を見つめたままだ。
こちらを見ない母親の顔、薄い肩、小さな手。
名前は徐々に視線を下げていく。
そして、足下をじっと見つめた。





『…』





足が床についていない。

影のせいで境目がはっきりせず、そう見えるのだろうか。





『…』





下から上へ、視線を移していく。
注意深く、徐々に徐々に。
最後に目を止めたのは、母親の首だった。















早く誰かを呼ばなくてはいけない。

床に張り付いたように動かない足を動かし、病室を出る。
近くを通り掛かった看護師を呼び止めて事情を説明すれば、看護師は大慌てで医師を呼びに行った。
数分後現れた医師は数人の看護師を引き連れ、引っ張ってきたストレッチャーに母親を乗せてどこかへ運んだ。
おそらく診療室であろうが、名前の足は動かなかった。

それから数十分が経過しただろうか。
やって来た警察が病室を現場検証し、病室の横に棒立ちになる名前に説明を求めた。
現場検証にそう時間はかからず、自殺と断定された。





『…』





全てが終わった頃、窓の外は闇に染まっていた。
院内は夕飯の時間のようで、閉じた病室の扉をすり抜けて食事の匂いが漂ってくる。





『…』





窓に部屋の明かりが反射し、自身の顔が映り込む。
映り込んで見える表情は、いつもと同じく無表情であった。





『…』





紙袋を広げ、母親の私物を入れる。
片付けなければならない。
コップ。
櫛。
鏡。

遺されたものは大した量ではない。





『…』




軽い紙袋を持って病室を出ていく。
エレベーターで一階まで下りると、広いエントランスホールに人は殆どいない。
出入口に向かう途中、電話ボックスを見つけて、名前はふと立ち止まる。





『…』





小銭を入れて、電話番号を打つ。
少しの呼び出し音の後、聞こえてきたのは穏やかな声。





「はい、柳岡です。」





柳岡はジムにいるようだ。
ジム生の声や、縄跳びが床を打つ乾いた音が聞こえる。





『…苗字です。』



「名前くん?なんや、
どないした。」





淡々とした抑揚のない声で、名前は淀みなく説明した。
ついさっき、警察にしたのと同じように。
柳岡は黙って話を聞いて、終わって初めて声を発した。





「…まだ病院におるの?」



『はい。…』



「今からそっち行くから、待っといて。」





直後、電話は切られた。
受話器を戻し、電話ボックスを出る。
その足でエントランスホールに向かうと、出入口がよく見える会計近くのソファーに座った。
じっと床を見下ろし、ただ瞬きを繰り返す。
そうしてどれくらい経っただろうか。
出入口の扉が開く音が聞こえた。





「名前くん。」





顔を上げて見れば、柳岡がこちらに早足で向かってくるところだった。
立ち上がりかけた名前に、柳岡は手で制してそれを止める。
座り直した名前の隣に、柳岡はゆっくりと腰掛けた。





「…話は電話で聞いたけど、あれで全部?」



『後は、葬儀の事とか、』



「うん。…」



『…家の事、とか。自営業でしたから、整理しないと……』



「うん…」



『それから、学校にも連絡しないといけません。…』





独り言のような言葉一つ一つに、柳岡は静かに頷く。
それから段々と口数が減り、名前はついに口を閉じた。
床を見つめる横顔は相変わらず無表情だ。
柳岡はその横顔を見つめ、痛ましげに顔を歪めた。





「大丈夫か?」



『…』



「いや…。すまん。大丈夫なわけないわな。…」





顔を上げて柳岡を見つめる。
柳岡はきまりが悪そうに目をそらして、床へと落とした。





『大丈夫ですか。』



「…え、」



『柳岡さん。お仕事の途中でしたよね。…』



「今は、」



『…』



「…な。君は気にすることないよ。」





頭に手をのせられる。
そのまま抱き寄せられて、肩に額がぶつかった。
耳元で柳岡の呼吸が聞こえる。
微かに震えた呼吸だった。





『…』





長くも短くも感じられ、やっと解放された時には柳岡の表情は落ち着いていた。
病院を出た二人は駐車場に止められた車に乗り込み、名前の自宅へ向けて車を走らせる。
葬儀に必要な書類諸々は自宅にあり、急ぎ準備しなくてはならなかった。
運転する柳岡の表情は落ち着いており、その横顔を見た名前は視線を前方に戻した。
夜の景色は瞬く間に過ぎ去っていく。





「ん…?」





不意にもれた声は尻上がりだ。
柳岡を見てみるが、名前に向けて発した声ではないらしい。
柳岡は真っ直ぐ前を向いたまま、何かをじっと凝視していた。





「なんやあっちの方、空が赤く見えへん?」



『…』





指で指し示される方向を見る。
確かにぼんやりと、夜空が赤く見える。





「ゴルフ場とも違う感じやけど、なんやろな。」



『…』





不思議そうな顔付きは、自宅に近付くにつれてだんだんと厳しいものへと変わっていった。

夜空を照らす赤。
ゆらゆらと揺れる光。
近付いて分かったのは、それが炎だということ。
そして火元は自宅だということだった。





「なんやねん、これは……
どないなってるんや…」



『…』





呆然とその光景を見つめながら、柳岡は掠れた声でそう呟いた。
それから思い出したように、急いた手付きで車を道の脇に止める。
外に出る柳岡に倣い、名前も外に出る。

途端に、物が焼ける匂いと熱気が纏わりついてくる。





『…』





火に包まれる自宅前には、近所の野次馬と消防署の人間が集まっていた。
その中にスウェットスーツを着た、見覚えのある背中見つける。
その人は消防署の人間に向かって、何やら必死な形相で話していた。
「まだ中にいるかもしれないんです」
そのような事が、近付くにつれて聞こえてきた。





『千堂先輩。』





声を掛けると、千堂はピタリと話すのを止めた。
そして一拍の間を置いて、勢いよく名前の方を見た。
目が大きく見開かれている。





「名前」



「この方が苗字さん?」





消防署の人間がそう問うが、千堂は返事をしない。
名前を見据えたまま、力強い歩みで近付いてくる。
目の前までやってくるときつく肩を掴まれた。





「無事やったんやな。」



『…』



「千堂、お前…何でここにおるんや?」





肩を掴んだまま千堂は、名前の後ろに立つ柳岡に目を向ける。





「ロードワーク途中で見つけたんですわ。
もうその時には、消防車が来てましたけど、…」



「この方が苗字さんをご存知でしたので、お話を伺っていたんです。」





消防署の人間がやって来て、千堂の言葉を継いだ。
名前に目を向ける。





「苗字さん、
お話を伺いたいので、こちらに来てください。」





返事をする間もなく促され、消防署の人間についていく。
肩に置かれた手はするりと離された。

放水される家はまだ、赤々と炎に包まれている。

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