09.-2






ガチャリ。

ドアを開ければ、月明かりの射し込む教室が名前を出迎えた。





『…』





室内に入ってドアを閉める。
そうすると大広間で繰り広げられる賑やかな夕食も、各々の自由時間の談笑も、どこかに遠退いて静けさに包まれる。

しんと静まり返る夜の教室には、周りを見渡し確認する必要もなく、勿論誰もいない。
明かりの消えた教室に、名前たった一人がいる。





『…』





机と机の間を縫って歩き、名前は奥の扉―――ムーディの私室へ向かう。

窓から射し込む月明かりに、時折、歩く名前の姿がぼんやりと照らされる。

ギシ、ギシ。
静けさに包まれた教室に、床板の軋む音だけが響く。





コンコン



『ミョウジです。』



「入れ。」



『失礼します。』





そう間も無く奥の扉に辿り着いて、名前は控えめにノックをした。
直後扉の向こうからは低い声が、こもって返ってくる。

これまた控えめに扉を開けて室内に目を遣れば、すぐにムーディの姿が見つかった。
椅子に座ったムーディが、名前を真っ直ぐ見つめていた。





「…」





ガチャン。
出来るだけ静かに扉を閉めて、名前は再びムーディへ目を向ける。
すると何やらムーディは瞬きもせず、いやにじっと見つめてくる。
ムーディに見つめられるのは、名前にとってはいつもの事になっていた。
けれど今回は様子が違う。
理由を尋ねるのも忘れて、名前はムーディをじっと見つめ返した。

ムーディの眉がピクリと動く。
「魔法の目」がぐるりと回った。





「ここへ来い、ミョウジ。」



『……はい。』





向かいに椅子を引き寄せて、ムーディは名前をそこへ座るように促した。
いつもならば直ぐに課題を言い渡すのに、ますますおかしい。
名前の顔色に若干の不安が表れた。

―――何かいけない事をしたのだろうか

ネガティブな方向に思考が流れて、名前はたった数歩の距離を、やけにゆっくり歩く。
そしてその椅子に、大きな身を縮こまらせて腰掛けた。





「寝不足か、ミョウジ。」



『…』



「ここに隈が出来ている。」





パチパチと、名前は瞬きを繰り返す。

想像していた言葉ではなく、名前は初め意味を理解する事が出来なかった。
一拍遅れてその意味を理解した瞬間、身構えていた体から力が抜けた。

そしてそれから、指先で目の下に触れた。
自分さえ気付かなかった。
ハリー達でさえ気付かなかった事だった。





『…』



「それとも疲労か。体調が悪くないか?」



『大丈夫です。』



「ふむ………」



『寝不足なだけです。疲れてはいません。』



「…」





その言葉が嘘か本当か、ムーディならば容易く見破る。
そして下した決断は、名前は嘘を吐いていないという事だった。
つまり、いつも通り訓練を始めたのだ。

ムーディの訓練は、実際にありうる様々な状況を想定して行われる。
その状況に見合う魔法を駆使し、瞬時に行動出来るよう身に付けるのだ。
使う魔法は攻撃ばかりではない。
身を守る魔法、治癒魔法なども含まれる。
そしてその上で、行動の素早さ、判断力、精神的な粘り強さを強化する。

そうした訓練が、毎日繰り返し行われている。





「ミョウジ」





訓練の途中、名前を呼ばれた。
今正に魔法を放とうとしていた名前は、ピタリと動きを止める。
そしてムーディの方へ目を向けた。





『はい。』



「今日の訓練はやめだ。」



『…』



「危なっかしくて見ておれん。…
ここに来い。ミョウジ。」



『………』





いつも通り振る舞っていたはずだが、ムーディの目には違って見えたらしい。
名前は杖をしまう。
そして促されるままに、向かいの椅子に座る。





「寝不足だと言ったな、ミョウジ。」



『はい。』



「勉強か。」



『いいえ。』





名前の返事を聞いて、ムーディは僅かに首を傾けた。





「今までにそういう事はあったか?」



『………』



「何か思い当たる事があるか。」



『…』



「あるようだな。」





名前は無表情である。
しかしムーディには名前の思いが分かるらしい。





「それは何だ。」



『…』



「話せんか。ミョウジ。」



『…』



「ならば話さずとも良い。
しかし、ミョウジ。それはお前だけで解決できるのだな?」



『………』



「………」





黙ったままの名前を、ムーディがじっと見つめた。
その視線から逃れるように、名前は膝の上に置いた拳に目を落とす。

「目は口ほどに物を言う」という言葉があるように、名前の瞳は雄弁だった。
解決出来る自信などない。

ムーディは名前の返事を待っている。





『気になる事があって、』





漸く開いた口から、ぽつりとこぼれた。
そうしてまた口は閉じられ、暫しの沈黙が訪れる。
それは先程よりも、短い沈黙ではあったが。





『いつも…頭の隅にあって、考えるんです。』



「何を考えている、ミョウジ。」



『…』



「考えて結論は出ない。今の状態が続けば必ず支障が出る。
無理にとは言わんが、わしに解決出来る事かもしれんぞ。」



『…。』





伏し目がちの瞳を、そろりと上げる。
ムーディを見た。
まだ躊躇いの残る様子で、しかし口を開いた。





『母が入院している事はご存知だと思います。』



「ああ、ダンブルドアからそう聞いている。」



『その母が、お腹に女の子がいると言いました。』



「…」



『妊娠はしていません。』





そう付け加えて、名前はまた口を閉じた。
ゆっくりと瞬きを繰り返す。





『その後、自宅で父の手記を見つけて、母の言動と重なるような事が書いてあったのに気が付いたんです。』



「子どもがいると?」



『はい。』





名前はまた黙り、先の言葉を探すように視線を泳がせた。
ムーディも名前と同じように、何か考えているようだった。





『…俺が、気にしすぎているのかもしれませんが、…
一度、女の子を見たんです。鏡に映っていました。』



「…」



『俺に姉や妹はいませんし、俺は男です。ですから、…』



「お前が産まれる前に女の子どもがいたかもしれない、という事か。」



『…』
頷く。



「今までお前の両親は話さなかったのだろう。知らずとも良い事かもしれんぞ。何故気になる。」



『…』





閉じられた唇が、真一文字に引き結ばれた。
ムーディはその変化に目敏く気が付く。
そしてこれから先に続く言葉が、おそらくこの話の核心だろうという事も、すぐに考え付く事だった。





『…俺が、産まれる……
………
…』





核心に迫るわりに、名前の声音はいつもと変わらないものだった。

抑揚のない、淡々とした声だ。





『そのせいで、その子が産まれる事はできない……
その様な事が、手記に書いてありました。』



「お前の両親の事はよく知っている。
だからこそ、あの二人が我が子を見殺しにするとは思えんが…。」



『長い間悩んだようです。』



「ミョウジ、それがたとえ全て事実だとしてもだ。
お前が悩む事ではない。両親が考え、選び、決定した事だ。罪の念に苛まれるな。」





名前は微動だにしない。
頷きもしない。否定もしない。

そうなる事は予想していたらしく、ムーディは間を置かずに口を開いた。





「しかしそれでも心が晴れないというのなら、せめてこれを渡しておこう。」



『…』





机の引き出しを開けて、中から「何か」を摘む。
そして膝の上に置いた手を掴むと無理矢理掌を向かせて、その上に「何か」置いた。
ムーディの手がどいてからやっと名前に見えた「何か」は、透明の液体が入った小瓶だった。





「睡眠薬だ。一滴飲めばたちまち眠くなる。夢も見ない内に朝を迎える。」



『…』



「量を間違えるんじゃないぞ。一瓶一気に飲んで、未だに目覚めん奴もいるからな…。」



『…ありがとうございます。』



「今日は寮に戻れ。お前に必要なのは睡眠だ、ミョウジ。」





言って、ムーディは名前の肘辺りを掴んで立たせた。

そのまま扉の方まで連れていく。




「いいか、ミョウジ。それを飲む時はベッドに入ってからにしろ。さもないと、風邪をひくかもしれんぞ。強力な薬だからな…。」





名前は神妙な様子で頷いた。
とはいっても、相変わらず無表情だが。





『おやすみなさい、ムーディ先生。』





言って、ペコリとお辞儀をする。
ムーディは低い声で唸るように返事をした。

それから名前はムーディの私室から出て、来た時と同じように教室を歩く。
教室の扉までやって来た名前は振り向いて、ムーディの私室の方へと目を向けた。
するとまだムーディはこちらを見ていて、目が合うと「早く帰れ」とばかりに顎をしゃくった。

名前はまたペコリと頭を下げて、教室の扉を開けた。





『…』





手の中の小瓶を、ぎゅと握り締める。

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