09.-1
『…』
吐き出した息は白い。
頭上に広がる空もまた、白い。
今にも降りだしそうな曇天だ。
十二月を迎え、寒さは一層厳しいものとなった。
城の中は勿論寒いが、外はもっと寒い。
そのせいか南瓜畑へ続く坂道を歩む名前の足も、自然と歩幅は広がり早足になる。
「ナマエ!ちょ、ちょっと、待って!」
『…』
足を止めて振り向けば、隣に並んでいたはずのハリー達と大分距離が離れていた。
立ち止まったまま待っていると、三人は転げ落ちそうになりながらやって来る。
「早いよ、ナマエ…。」
『…ごめん。』
追い付いたハリー達と共に歩き始めた名前は、今度は歩調を合わせて慎重に歩いている。
「こいつらが冬眠するかどうか分からねえ。」
鼻先と頬を少しだけ赤く染めているが、ハグリッドは元気そうだ。
寒さに震える生徒達とは真逆である。
南瓜畑に風を遮る物はなく、容赦ない冷気が襲い掛かる。
「魔法生物飼育学」は外での授業なので、冬の授業ではいつも体の芯まで冷えきってしまうのだ。
その上この冷気には、匂いだけで酔っ払いそうになるくらいの酒気も交じっている。
放牧場隅に置かれた桶に、ボーバトンの馬車の馬に飲ませる為のシングルモルト・ウィスキーが並々と注がれている。そのせいだろう。
「一眠りしてえかどうか、ちいと試してみようと思ってな……
この箱にこいつらをちょっくら寝かせてみて……」
言って、ハグリッドは巨大な箱を地面に置いた。
中には枕と毛布が敷き詰められている。
今や二メートル程に成長したスクリュートは相変わらず狂暴で、
互いに殺し合い、残り十匹となっていた。
「あいつらをここに連れてこいや。」
さてここで疑問が発生する。
あの狂暴なスクリュートが大人しく箱に詰められるのか?
それ以前に、スクリュートをここまで連れてこられるのか?
ハグリッドは簡単に言うが、それは中々に至難である。
「そんでもって、蓋をして様子を見るんだ。」
そして疑問はすぐに解消された。
スクリュートは冬眠しないし、大人しく箱に詰められる事もなかった。
「落ち着け、皆、落ち着くんだ!」
叫ぶハグリッドの周囲には、焼け焦げた箱の残骸が散らばっていた。
スクリュートは南瓜畑で暴れ回り、生徒は混乱状態で逃げ惑う。
そして殆どの生徒がハグリッドの小屋に逃げ込み、立て籠った。
しかし中には南瓜畑に残り、ハグリッドを助けようとする生徒もいた。おなじみの四人組である。
その他にディーンやラベンダーなども残り、皆で協力しあい九匹までは捕獲する事に成功した。
「脅かすんじゃねえぞ、ええか!」
ハグリッドがそう叫ぶのとほぼ同時にロンとハリーは、向かってくる残る一匹のスクリュートに火花を噴射した。
どうやらこれは逆効果だったらしい。
スクリュートは威嚇するように背中の棘を弓なりに反らし、ジリジリと二人に迫る。
「棘ん所に縄をかけろ。そいつが他のスクリュートを傷付けねえように!」
「ああ、ごもっともなお言葉だ!」
スクリュートは全く怯まない。
火花で威嚇し続けるロンとハリーを追い詰めていく。
二人の背後はハグリッドの小屋の壁で、もう後は無い。
「おーや、おや、おや……これはとっても面白そうざんすね。」
『…』
聞き覚えの無い声だ。
名前は声のした方に振り向く。
(その瞬間ハグリッドがスクリュートに飛び掛かり、捕獲に成功した)
ハグリッドの庭の柵に女性が寄り掛かり、こちらを眺めていた。
ワニ革のバッグに、紫の毛皮の襟がついた赤紫色の厚いマント。
服装に負けず劣らず化粧も濃い。
すぐ側にいるわけでもないのに、化粧品の匂いがはっきりとする。
「あんた、誰だね?」
「リータ・スキーター。『日刊予言者新聞』の記者ざんすわ。」
スクリュートに縄を掛けながら、途端にハグリッドは顔をしかめた。
しかしリータは笑顔を崩さない。
にっこり笑うリータの口元に金歯が光っている。
「ダンブルドアが、あんたはもう校内に入ってはならねえと言いなすったはずだが?」
「この魅力的な生き物は何て言うざんすの?」
聞こえなかったふりをしている。
と、この場にいる誰もが思った。
捕えたスクリュートを仲間のところへ連れていくハグリッドの後について、リータはニコニコしてそう尋ねた。
「『尻尾爆発スクリュート』だ。」
「あらそう?」
しかめっ面のままだがしっかり答えている。
リータはスクリュートに興味を抱いているようだ。
まじまじとスクリュートを眺めている。
「こんなの見た事ないざんすわ……どこから来たのかしら?」
黒いモジャモジャ髭の奥で、ハグリッドの顔が赤くなった。
言葉に詰まり、目をキョロキョロとさせて、挙動不審である。
どうやら胸を張って言える事ではないらしい。
「ほんとに面白い生き物よね?ね、ハリー?」
「え?あ、うん……痛っ……面白いね。」
それを素早く察したハーマイオニーの行動は早かった。
ハリーの足を力任せに踏んだのだ。
「まっ、ハリー、君、ここにいたの!」
そしてそれは成功した。
リータの意識をハリーに向ける事が出来たのだ。
「それじゃ、『魔法生物飼育学』が好きなの?お気に入りの科目の一つかな?」
「はい。」
「素敵ざんすわ。」
ハリーがしっかりした声で答えると、ハグリッドはにっこりと笑った。
「ほんと、素敵ざんすわ。長く教えてるの?」
今度の質問はハグリッドに向けてである。
しかしリータの目はハグリッドには向けられていない。
頬にかなりの切り傷(どれも深そうだ)があるディーン。
ローブが酷く焼け焦げた(大小様々な穴がある)ラベンダー。
火傷した数本の指を庇うシェーマス(痛むらしく顔を歪めている)。
次から次へと移っていく。
そして最後は小屋だ。そこにはクラスの殆どの生徒がいる。
窓ガラスに顔を押し付けて、外の様子を窺っていた。
「まだ今年で二年目だ。」
「素敵ざんすわ……インタビューさせていただけないざんす?あなたの魔法生物のご経験を、少し話してもらえない?
『予言者』では、毎週水曜に動物学のコラムがありましてね。ご存知ざんしょ。特集が組めるわ。この―――
えーと―――尻尾バンバンスクリュートの。」
「『尻尾爆発スクリュート』だ。」
随分と強い口調で訂正する。
「あー―――ウン。構わねえ。」
ハグリッドとリータがインタビューすると約束する傍らで、ハリー、ロン、ハーマイオニーが顔を見合わせている。
やがて城から終業のベルが聞こえてきた。
「じゃあね、さよなら、ハリー!」
ロン、ハーマイオニー、名前と一緒に帰りかけたハリーに、リータが明るく声を掛けた。
「じゃ、金曜の夜に。ハグリッド!」
言って、リータはどこかへ歩いていってしまった。
城に向かう坂道を、クラスメート達に交じりながら上がっていく。
その道すがら、ハリーは口を開いた。小さな声だった。
「あの人、ハグリッドの言う事、みんな捻じ曲げるよ。」
「スクリュートを不法輸入とかしていなければいいんだけど。」
ハーマイオニーも心配そうだ。
二人で顔を見合わせて、一層不安そうに眉を寄せる。
「ハグリッドは今までも山程面倒を起こしたけど、ダンブルドアは絶対クビにしなかったよ。」
心配そうな顔をする二人に、ロンがそう言った。
「最悪の場合、ハグリッドはスクリュートを始末しなきゃならないだけだろ。あ、失礼……
僕、最悪って言った?最善の間違い。」
心配そうな顔から一転、ハリーもハーマイオニーも笑った。
元気を取り戻したらしい。しっかり昼食を食べて、午後の授業に備える。
午後は「占い学」の授業だ。
やる事は相変わらず星座表や予言で、いつもならつまらなさそうにしているハリーだが、ロンと仲直り出来たので楽しそうである。
名前は再び一人ぼっちになってしまったが、二人の様子を見て安堵しているようだった。
「あたくし、こう思いますのよ。」
二人が始終クスクス笑っているので、トレローニーの機嫌は急降下である。
その声音にはっきりイライラが滲み出ていた。
「あたくし達の中の誰かが。」
言いながらどこか一点をじっと見つめる。
暗がりでよく分からないが、おそらくハリーが座っている方向だ。
「あたくしが昨夜、水晶玉で見たものを、ご自分の目でご覧になれば、それほど不真面目にはいられないかもしれません。
あたくし、ここに座って、レース編みに没頭しておりました時、水晶玉に聞かなければという思いに駆られまして立ち上がりましたの。
玉の前に座り、水晶の底の底を覗きましたら……あたくしを見詰め返していたものはなんだったとお思い?」
「でっかい眼鏡をかけた醜い年寄りの蝙蝠?」
ロンの呟きが名前の耳にはっきり聞こえた。
「死ですのよ。」
暗がりの中、パーバティとラベンダー両手で口を押さえる様子が何となく見えた。
「そうなのです。」
トレローニーは大仰に頷いた。
「それはやってくる。ますます身近に、それは禿鷹の如く輪を描き、だんだん低く……城の上に、ますます低く……」
トレローニーまたハリーのいる方向を見た。
「もう八十回も同じ事を言ってなけりゃ、少しはパンチが効いたかもしれないけど。」
教室を出て階段を降りる途中、ハリーはそう口を開いた。
「だけど、僕が死ぬって先生が言う度に、一々死んでたら、僕は医学上の奇跡になっちゃうよ。」
「超濃縮ゴーストってとこかな。」
ロンがクックと笑った。
ちょうど「血みどろ男爵」と擦れ違うところだった。
「宿題が出なかっただけ良かったよ。ベクトル先生がハーマイオニーに、がっぽり宿題を出してるといいな。
あいつが宿題をやってる時、こっちがやる事がないってのがいいねえ……」
夕食の席にハーマイオニーはいなかった。
二人はハーマイオニーを探しに行くと言ったが、名前はムーディとの訓練がある。
二人はそれを分かっていたから、名前をムーディの部屋へ向かうよう促した。
最近は空いた時間は殆ど訓練に使われてしまい、ハリー達と一緒にまったりする時間は無いに等しい。
それをハリー達も、名前自身も感じていた。
けれども身を守る手段なのだから、ほんの少しでもやらないわけにはいかないのだ。
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