02.-2
『…』
薄暗い部屋だ。
ごちゃごちゃと物が置いてある。
そして色んな匂いがした。
埃っぽい匂い。
薬品の匂い。
インクの匂い。
薄暗い室内のせいか、嗅覚は普段より敏感になっている。
『…』
名前が部屋に入った事を確認して、ムーディは扉を閉めた。
そして椅子の方へゆっくりと向かう。
段々と闇に目が慣れ始めた名前は、その間室内をぐるりと見回した。
机の上にはガラスの大きな独楽のような物が置いてある。よく見ればヒビが入っていた。
隅の小さなテーブルを見れば、クネクネ曲がったテレビアンテナのようなものが立っている。微かにブーンと音が聞こえきた。
向かい側の壁には鏡のようなものがかかっていて、しかし部屋を映してはいない。煙のようにぼんやりした人影が中で蠢いているだけだ。
『…』
さて。それでこれらは一体何か?
恐らくムーディの私物で、ムーディという人物に深く関係する物だろう。
見覚えがある気がする。
名前は考えに耽る。
『…』
ふと気が付けば、ムーディは椅子に座って名前を見ていた。
いつから見られていたのかは分からない。
観察するかのように隙の無い視線で、じっと見ている。
扉の前に立ったまま、名前は動けずにいた。
どうすればいいか分からない。そんな雰囲気だ。無表情ではあるが。
やがてムーディは腕を持ち上げて、向かいにある椅子を指差した。
そこに座れと促しているらしい。
『…』
扉の前を離れ、ムーディの向かいの椅子に腰掛ける。
それから顔を上げてムーディを見た。
黙ったままのムーディは、観察するかのような目で名前を見続けている。
名前も観察するようにじっと見つめた。
暫し二人は見詰め合う。
異様な光景だった。
耳鳴りが聞こえてきそうな静寂の中、先に口を開いたのはムーディだった。
「『服従の呪文』をかけられたのは今日が初めてではないな?」
話しながらムーディは、杖を胸の前に立てて、両手で支えるように持つ。
組まれた指は大小様々な傷が刻まれていた。
骨太で、皮が厚く、大きく、広い手だ。
マントの隙間から木製の義足が覗いている。
先端に鉤爪がついており、微かな明かりに反射して怪しい光を帯びていた。
「そして解いたのも初めてではない。」
そう言うと、ムーディは口を閉じる。黙ってしまった。
名前は顔を上げる。
指から顔へ視線を移した。
そして、じっと見つめる。
ムーディの手は傷だらけだ。
手だけではない。
顔も傷だらけだ。
鼻が削がれ、片方の目は「魔法の目」が代わりをしている。
大小も深さも異なるいくつもの傷痕が走り、それは不出来なパッチワークに似ていた。
肌が露出している部分は全て傷があるのだ。
恐らく、衣服の下にある体にも傷が刻まれていることだろう。
「誰に習った?」
やがて放たれたその言葉に、名前は微かに表情を変えた。
第三者には分からない程度ではあるが。
低い、唸りに近いその声に対し、名前はすぐには返事をしなかった。
ムーディの目をじっと見て、何か考えるかのように沈黙したのだ。
しかしムーディが名前に向ける目といえば相変わらず観察するかのような目付きで、そこから感情や考えを読み取る事など不可能だった。
『父です。』
「ほう。」
小さな声で、しかしはっきりと答える。
するとムーディは感心したようにそう声を漏らした。
名前はもう一度ムーディを見つめて、それから再び口を開いた。
『習ったと、どうしてお分かりになったのですか。』
「わしが杖を向けた時、お前の目には恐怖も不安も無かった。慣れすら感じられた。
ならば考えられるのは、余程の自信家か、安全性の高い教育の場があったかだろう。
お前は自信家には見えん。」
『…』
何か考えるかのように、ムーディは視線を床に落とす。
それから組んだ指を顎に持っていき、そこにあった傷痕を撫でた。
「お前の父親なら詳しいだろう。安全性の高い教育が出来たのも頷ける。何せ長い間あの呪いにかかっていたのだからな…。」
授業中にハーマイオニーが話したように、「服従の呪文」は人間に向けて良いものではない。
けれど強くなりたいという思いを理由に、名前は父親から教わった。
普通ならば非難される事だ。
しかしムーディに気にしている様子はない。
これが例えばマクゴナガルが相手だったなら、何らかのお咎めがあったに違いない。
「長期間『服従の呪文』をかけられた状態にあれば、普通だったら精神が破綻するものだが…お前の父親は解いたと同時に健全な精神を取り戻した。」
『…』
名前の父親の事を、ムーディはよく知っているようだ。
どこまで知っているのかは分からないが。
「いい心掛けだ。ミョウジ。いつ誰が襲ってくるか分からん。常に緊張し、警戒していなければならん。
それとも、その『首飾り』がお前をそうさせているだけか?」
「魔法の目」がグリリと回転したかと思うと、名前の胸元辺りをじっと見つめた。
母親から授けられた「鈴」が、衣服の下に忍ばせてあるのにも関わらず、どうやら見えているらしい。
『…』
鈴の音が聞こえるのだ。
数週間前学校に戻ってきて、「闇の魔術に対する防衛術」の授業で初めてムーディと顔を合わせた。
それ以来、ムーディと顔を合わせる度、名前の耳にはあの鈴の音が聞こえている。
それがどうにもムーディを見る目が注意深くなる理由だ。
鈴の音は警告音だ。
心中の声ではない。
だから名前は気持ち程度の警戒はすれども、疑う事が出来ずにいる。
ムーディは攻撃的ではあるが非情ではない。
ムーディの強すぎる警戒心から、生徒である名前に対しても少なからず攻撃的になっているのかもしれない。
だとすれば、これは名前だけに限った話ではないのだから。
「わしの役目は、魔法使い同士が互いにどこまで呪い合えるものなのか、最低線まで引き上げることにある。
…だが、お前は少なくとも最低線にはあるようだ。」
黙ったままの名前を、「魔法の目」がじっと見据えた。
「今日の授業で分かった。」
『…』
「わしの訓練を受けるだけの根性も能力もあるようだな。」
『………
…訓練………』
「ダンブルドアに頼まれたのだ。」
唸るように言って、ムーディは頷く。
「お前は『死喰い人』共に狙われているそうだな。」
『…』
「そして週末は帰省し、月曜の早朝に学校へ戻る。そうだな?」
『はい。』
「学校から離れればお前を襲う事は容易くなる。これがどういう意味だか分かるな、ミョウジ?
それだけ奴らに殺す機会を与えている事になる。」
『…』
「自分の身は自分で守るしかない。だから実践的な訓練をするのだ。」
『…』
「わしは贔屓はせん。しかしダンブルドアの頼みは断れん。
だが、ミョウジ。お前が断るというのなら、」
ムーディはそこで一旦口を閉じた。
名前はムーディを見る。
ムーディも名前を見詰めた。
一瞬の出来事だった。
「それもいいだろう。ダンブルドアにはそう伝えるとしよう。」
『…』
「さあ、どうする。
受けるか、受けないか?」
『…』
「受けるも受けないもお前の自由だ。これは授業ではない。そして授業以上に厳しくする。
泣きを見るかもしれん。」
今までの授業でも十分厳しく、難しく、過酷だった。
それ以上など考え付かない。というか考えたくもない。
しかしムーディは何でもない事かのようにあっさりと言う。
「だが、興味はある。
お前は筋がいい。飲み込みも早い。必ず成長するだろう。」
少なからず期待されているようだ。
嘘やお世辞を言う性格ではないだろうし、何より熱烈なこの視線が物語っている。
「わしの持ち時間は一年だ。ダンブルドアの為に特別にな。
つまりミョウジ、お前に教えられるのはこの一年のみだ。」
『…』
「魔法の目」がぐるりと回って名前を凝視した。
「それで、ナマエ。君、オーケーしちゃったの?」
『…』
コクリ、名前が頷く。
ロンは目を見開いた。
「マジかよ、ナマエ?
正気か?」
ボトリ。
フォークに突き刺したソーセージが、皿の上に落ちた。
何度かバウンドし、ソーセージは皿から半分テーブルの上にはみ出して動きを止めた。
「そりゃ、ムーディは君の力になるだろうさ。だけど訓練って……
授業以上に厳しくするんだろ?想像できないよ。君、殺されたりしない?」
『大丈夫。』
昼食に賑わう大広間で、ハリー、ハーマイオニー、ロン、名前のいつもの四人組の会話は途切れがちだ。
午前の授業が終わって大広間に集まると、ハリー達はムーディが一体どんな用事で名前を居残りさせたのか話を聞きたがった。
それで名前がぽつりぽつりと報告すれば、皆驚いたように目を見開いたのだった。
『………多分。』
「多分、だよね?やっぱり…。」
「ダンブルドア校長先生の考えは、きっとこの事だったんだわ!」
ハーマイオニーは思い付いたという顔付きで言って、名前、ハリー、ロンの顔を順に見回した。
「先生は、そうね。ちょっと…
変わってるけど、きっと身に付く事を教えてくださるわよ。」
「そうだね。」
テーブルにはみ出したソーセージにようやく気付いて、ロンは顔をしかめた。
「ナマエがムーディみたいになったら超クールだろうな。」
そんな事は微塵も思っていない顔である。
少しの間を置いて、ハリーとハーマイオニーまでも顔をしかめた。
そして名前に向かって、お願いだからそのままでいてくれと言う。
どんな姿を想像したのか分からないが、名前はとりあえず頷いた。
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