02.-1






『……』





談話室には誰もいない。
名前一人を除いては。

皆昼食を摂る為に大広間にいるのだ。
名前は昼食なんてそっちのけで、白い鷹と恋人のように見つめ合っている。





『………』





暖炉に近いソファーを陣取り、ただ見つめ合う。
もうどのくらいそうしているか分からない。





『名前、どうしようか。』





やがて呟くようにそう問えば、白い鷹―――
ネスはくるる、と返事をしてみせた。

逞しい二本の足は、相変わらず繊細な力加減で肩を掴んでいる。














白い鷹の名が「ネス」と定着してから数週間が経過した。

それは名前が学校に戻ってきて、学生生活と帰省を繰り返し始めてから数週間。
そしてハリーがシリウスに手紙を書いてから数週間。
という事も意味している。

ハリーはシリウスの事をとても心配しているようで、時々ぼんやりと窓の外を眺めては憂いを含んだ表情を浮かべた。
返事がないという事も拍車をかけているらしい。
不安な気持ちを拭い去るかのように、クィディッチの練習に集中している事も少なくはなかった。

一方元々数週間のブランクがある名前は、それでも何食わぬ顔で授業に向き合っていた。
初めのうち生徒は名前がいる事に驚いた様子で、何度かチラチラと振り向いていたし、新入生である一年生らしき少年少女達は、見覚えのない先輩が気になるのか、廊下や大広間で擦れ違う度に視線で追っている。
その線の細さ故か、長身である為か、仮面のように変わらない無表情のせいか、思い付く理由は様々である。
先生達は、名前の欠席していた理由を知らされているようで、教室に名前が現れて目が合っても、深く追及されたりはしなかった。
(あのスネイプでさえも何も言わなかったものだから、ハリー達は驚いていた)
ただ、殆ど四六時中肩に居座る白い鷹を見て、そちらの方が気になるようだった。

白い鷹―――仮の名をネスという。
しかし今は「ネス」こそが彼の名となっていた。
名前にはそれ以外の名が思い付かなかった。





「でも―――」





本来ならば整然と並べられてあるはずの机は、壁の方に寄せられている。
中央に広くスペースが作られ、生徒達はこのスペースの形に沿うように並び、これから行う事に多少の不安を滲ませて立っていた。





「でも、先生、それは違法だと仰いました。確か―――」





「服従の呪文」をかけるのだ。

「服従の呪文」を生徒一人ずつにかけて、呪文の力を示し、その力に抵抗できるかどうかを試すというのだ。

「闇の魔術に対する防衛術」の新しい先生であるムーディは、そう発表した。





「同類であるヒトにこれを使用する事は―――」



「ダンブルドアが、これがどういうものかを、体験的にお前達に教えてほしいというのだ。」





所々つっかえながら話すハーマイオニーからは迷いが見て取れた。
ムーディはそんなハーマイオニーをじろりと見遣る。
そして何とも素っ気ない声でそう返した。





「もっと厳しいやり方で学びたいというのであれば―――
誰かがお前にこの呪文をかけ、完全に支配する。その時に学びたいのであれば―――
わしは一向に構わん。授業を免除する。出ていくがよい。」





そう言い終わるなり、ムーディは教室の出口を指差す。
ハーマイオニーは出ていかなかった。
頬を赤く染めて、「出ていきたいと思っているわけではありません」というような事を小さな声でムーディに伝えた。

そして順々に生徒が呼び出される。
中央に広く作られたスペースに立たせて、ムーディは一人一人に「服従の呪文」をかけ始めた。





『………』





「服従の呪文」―――名前はその感覚をよく知っているし、解決法も知っている。
しかし、呪いをかけられた人を見るのは初めてだった。

呪いをかけられた生徒は皆一様にぼんやりしていて、ムーディの命令に対して反抗せず疑問も抱かず、ただ命じられた事を忠実に行う。
それがたとえどんなに突拍子のない事でもだ。





「ミョウジ」





ついに順番が回ってきたようだ。

声が掛けられた事でそちらを見れば、ムーディがこちらをじっと見ている。





「前へ。」





生徒の壁が名前を通す為に左右に割れた。
長い足は床を踏み、すぐに中央スペースへ辿り着く。
そこで立ち止まり、ムーディの方へと顔を向けた。





『………』





ムーディはゆっくり腕を持ち上げ、杖を真っ直ぐ名前に向けた。

杖を向けられるこの瞬間、これまで多くの生徒が不安を滲ませ顔を歪めていた。
けれど名前は、いつもの無表情であった。

杖を向けられてもなお表情は変わらない。





「インペリオ!服従せよ!」





唱えられた呪文は、その場に立ち尽くす名前に直撃する。
杖を真っ直ぐ名前に向けたまま、ムーディは確認するように名前の目をじっと見つめた。
名前は微動だにせずムーディを見つめ続けている。

呪文は直撃した。
確かに呪いにかかっている。

生徒は誰も喋らない。
静かに見守っている。





「三回宙返りしろ。」





やがて下された命令に、名前は何の反応も示さなかった。

体操選手じゃあるまいし、出来るわけがない。

しかしこの呪文にかかってしまうと、出来るはず無い事が出来てしまう。
出来るか出来ないかなど関係無いのだ。





「三回宙返りしろ。」



『…』





繰り返された命令は、先程よりも強い口調だった。
しかし名前はやはり何の反応も示さない。

始めと同じようにムーディを見つめている。
自身へ杖を向けたままのムーディへ、真っ直ぐ瞳を向け続けている。

ムーディはもう一度、確認するように名前の目を見た。
光を映さない、真っ黒な瞳を。





「…」





ムーディは片方の目をほんの少し見開いた。
もう片方の「魔法の目」がぐるりと回転する。





「よくやった。」





やがて唸るようにそう言った。
ムーディの放ったその言葉に、見守っていた生徒達が僅かにざわつく。
これまで呪いをかけられた他の生徒のように、未だ呪いがかかったままだと思っていたからだ。

時間にして数秒間。
始まってすぐに、名前は呪いを解いてしまった。





「下がってよし。次だ。」





静かに後退して、生徒達の群れの中へと混ざる。
生徒達は名前をチラチラと見上げた。
名前はその視線には応えずに、次の生徒が呪いに抵抗する様子をじっと眺めている。

ディーン・トーマスは国歌を歌いながら片足跳びで教室を三周し、ラベンダー・ブラウンはリスの真似をして、ネビルは普通だったら出来ないような体操をやってのけた。

誰も呪いに抵抗出来ない。
ましてや、呪いを解く事など出来ない。
だから益々、名前を見る視線があった。





「ポッター、
次だ。」





ハリーが中央のスペースへ進み出る。
ムーディは杖を持ち上げて、真っ直ぐハリーに向けた。





「インペリオ!服従せよ!」





呪文はハリーに直撃した。
見た目では中々分からない。
しかし確かに当たった。





「机に飛び乗れ。」





その場に立ち尽くしていたハリーは、おもむろに膝を曲げる。

ムーディに言われるがまま、ジャンプする準備を始めたのだ。





「机に飛び乗れ。」





繰り返し命令する。
先程よりも強い口調だ。

しかし、ハリーは膝を曲げてから動こうとしない。





「飛べ!今すぐだ!」





大きな音を立てて机が床に倒れた。
そしてハリーも床に倒れていた。

ムーディが叫ぶと同時に、ハリーは机にぶつかったのだ。





「よーし、それだ!それでいい!」





飛び上がる動作と、飛び上がるのを自分で止めようとする動作が同時に行われ、結果ハリーは机にぶつかった。
呪文に抵抗してみせたのは、名前を除いて初めてだ。
ムーディは興奮したように続けた。





「お前達、見たか……ポッターが戦った!戦って、そして、もう少しで打ち負かすところだった!
もう一度やるぞ、ポッター。あとの者はよく見ておけ―――
ポッターの目をよく見ろ。その目に鍵がある―――
いいぞ、ポッター。まっこと、いいぞ!奴らは、お前を支配するのには手こずるだろう!」





それから授業が終わるまでの一時間、ムーディはハリーに呪いをかけ続けた。
ハリーの力量を発揮させると言うのだ。

クタクタに疲れてその場に倒れてしまいそうになった頃、やっと授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
疲れ果ててしまったハリーだが、ついに呪いを解く事に成功したのだった。





「待て。ミョウジ。」





鞄を肩に掛けて、ハリー達と一緒に今まさに教室を出ようとしたところだった。
引き留める声に足を止める。
呼ばれた名前だけでなく、ハリー達も振り向いてムーディを見た。





「お前は残れ。」





教壇に立つムーディは低い声でそう言った。

大きな声ではない。
しかしよく通る声だ。

一体何事かと、クラスメート達が名前とムーディとを見比べている。





『…』





チラリと視線を落とせば、不安げにこちらを見上げるハリー達がいた。





『先に行っていいよ。』





そう言うと、ハリー達は無言で互いの顔を見合う。
それから何事か決定したのか、名前をチラチラと振り返りながら彼らは教室を出ていった。
それを見送った後に、教壇でこちらを待ち望むムーディの方へと足を向ける。





「…」



『…』





ムーディの前に立つ。

ムーディは名前をじろりと見据えただけで、固く閉じた口を開かない。

一人、また一人と、チラチラと名前とムーディを気にしながらも、生徒が教室を出ていく。
そしてついに最後の一人が出ていって、教室に残ったのは名前とムーディだけになった。





『………』





フウ。
と、鼻から息を吐き出して、ムーディは動いた。

体を反転させて一、二歩進み、ピタリと足を止める。
顔だけを名前の方へと向けた。





「こっちへ来い、ミョウジ。」





言って、ムーディはまた歩き始める。

杖をつき、片足を引き摺るようにして歩くその進みは、とてもゆっくりしたものだった。





『はい。』





ゆっくりとした足取りの、その後ろを少し離れて名前はついていく。

教室の奥にある扉まで来ると、ムーディはその扉を開き、名前を部屋の中へ誘った。

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