30.
明日、ダンブルドアが迎えに来る。
早く眠らなければならない。
自室で眠る。
いつもの事なのに、この家に自分一人しかいないのだと思うと無性に気持ちが落ち着かない。
『………』
目を瞑る。
疲れていたのだろう。
途端にざわつく気持ちは凪いでいく。
そのまま意識も落ちていく。
考える事も不要なほどの、心地よい暗闇に向かって。
そして、突然目の前に赤色の光景がまざまざと浮かび上がった。
その赤色の中に人影を見つける。
こちらに背を向けていた。
見覚えのある背中だ。
それが父親の背中だと気付くのに、そして赤色は火だと理解するまでに、時間はかからなかった。
手を伸ばす。
しかし、届かない。
近付こうと手足を動かすが、その場でもがくばかりで、いくら手を伸ばしても届かない。
ついに父親の背中は火に飲み込まれた。
『………』
目を開ける。
暗い天井に向かって、自身の手が真っ直ぐ伸びていた。
遠くから蝉の鳴き声が聞こえる。
夢だった。
『…』
上半身を起こす。
寝間着がまとわりついてきた。
頬に触れると、じっとりと汗ばんでいた。
枕元に置いた時計を見ると、布団に入ってからまだ一時間程経っただけだった。
『…』
布団をはね除けて、名前は立ち上がる。
自室から出て、暗い廊下を夢遊病者のようにふらふらと歩く。
やがて洗面所に辿り着くと、明かりを点けた。
パッと明るくなった視界。
目の前に鏡が映る。
青白い顔だ。
いや、これは。
『、』
息を呑んだ。
鏡に映っていたのは名前ではない。
見たこともない女の子が、じっとこちらを見つめていた。
『…』
パチリ。一つ瞬く。
見つめ返すのは自分だった。
見間違いだったのだろうか。
蛇口を捻り、水で顔を洗う。
タオルで水滴を拭って、再度鏡を見た。
やはり自分の顔だ。
父親の面影を容易に見つけ出す事ができる、名前の顔だ。
『…』
この数週間。
様々な出来事が怒涛の勢いで過ぎ去っていった。
それは一介の子どもが受け止めるには少々無理があるものだっただろう。
だけれど名前は冷静に受け止めて、考え、行動してきた。
そうしなければ、
そうでなければ。
母親を守る事も、父親の残した言葉を叶える事も出来ない。
名前は名前に出来うる限りの事をしたし、常に冷静でいた。
けれども。
何をしていても、何を考えていても。
理性が自身を制御する一方で、錯雑した叫びが心の奥底で蔓延っている。
『…』
ぎゅと、目を閉じる。
気が付いてはいた。名前は冷静だった。
その叫びの一つ一つが何を吼えているのかまでは、突き詰める余裕はなかったけれど。
疲れが出たのかもしれない。
早く眠らなければならない。
もうすぐ迎えが来る。
翌日、昼過ぎ。
制服に身を包んだ名前は、昼御飯も食べずに、ただじっと畳の上で座っている。
その視線の先には、傍らにまとめて置いた荷物がある。
ただ、目付きはぼんやりとしていて。
何か考えがあって見つめているわけではなさそうだった。
『…』
ふと気配を感じて振り向くと、そこにはいつの間にかダンブルドアが立っていた。
青色の長いローブを身に纏い、歩く度にサラサラと衣擦れの音がする。
『ダンブルドア校長先生』
「お邪魔するよ、ナマエ。」
急いで立ち上がって、小さくお辞儀をした。
ダンブルドアは名前の隣までやって来るとピタリと立ち止まり、アイスブルーの瞳を名前に向ける。
『…お茶を、ご用意しましょうか。』
「いや。それは、わしの部屋に着いてからにしよう。
荷物はこれで全部かの?」
『はい。』
ダンブルドアは杖を取り出し、傍らにまとめて置かれた荷物に向けると、かき混ぜるように杖先をくるりと回す。
すると、荷物は瞬く間に消えた。
「寮に送っておいた。同室の子達は驚いたじゃろうな。
さて、ナマエよ。準備はいいかの?」
『はい。』
学校に戻る事は、柳岡にも母親にも話してある。
自宅の戸締まりは確認済みだ。
必要な事は全て済ませてある。
「では、近くに来なさい。
わしの腕を掴むのじゃ。しっかりとな。」
『はい。…』
「よいかの?」
『はい。』
言われた通り腕を掴む。
途端に目の前の景色がグルグルと回転し出した。
様々な景色が目にも止まらぬ速さで移り変わっていく。
まるで万華鏡ように。
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