05.-2






ハリーの声に反応したように、トロールは急に暴れだし、ロンへ向かって棍棒を振り上げる。
ロンは呆然とトロールを見上げる。

ハリーは走り、ジャンプすると、トロールの後頭部に張り付いた。
トロールはハリーを振り離そうと、ぶるぶると頭を振る。
ハリーも一緒に揺さぶられ、しかし飛ばされまいとしがみつく。

その拍子に、手に持っていたままのハリーの杖が、ずぶっとトロールの鼻の中へ突き刺さってしまった。

トロールの暴れ様は激しさを増す。

ロンはとっさに杖を持ち上げ、トロールへ向けて呪文を叫んだ。





「ウィンガーディアム レビオーサ!」





トロールの手から棍棒がするりと抜けて、空に浮かんだ。
天井近くまでふわふわ飛んだかと思うと、ぴたっと止まる。
トロールがゆっくりと天井を見上げた。

ごちん。

棍棒はトロールの脳天に落っこちた。

ばたんとうつぶせに倒れる。
一瞬、地面が揺れた。





「これ……死んだの?」
震えた声でハーマイオニーが言う。



「いや、ノックアウトされただけだと思う。」





ハリーは自信無さげに答えると、トロールの鼻に刺さった自分の杖を引き抜く。
鼻水が糸を引いた。

ハリーが顔を顰めて、トロールのぼろ切れでそれを拭いていると、何やら廊下の方からばたばたと慌ただしい足音がする。

三人が振り向くと、そこにはマクゴナガル、スネイプ、クィレルの三人の教師の姿があった。





「先生!助けてください!ナマエが!ナマエが…!」
泣き叫ぶようにハーマイオニーが言う。



「落ち着きなさい、Ms.グレンジャー!
Mr.ミョウジはどこにいるのです?」





マクゴナガルは瞬時に物事を理解したようで、はっと息を呑む。
顔は青ざめている。
他の二人の教師も、ハーマイオニーが指差す壊れたトイレの床にうっすらと散った赤色に、次第に事態を把握する。

ハリーは走り、瓦礫と化した陶器製のトイレの破片を夢中で掻き分ける。
ロンも一足遅れて、ハリーの後に続いた。





「「ナマエ!!」」



『あ、
………ハリー、ロン。』



「『あ、』じゃないよ!」



「ナマエ、大丈夫かい?」





ハリーの問い掛けに、名前は頭を振る。

それでも二人は憂わしい表情を見せ、気遣わしそうに覗き込んだ。





「本当に?じゃあ、何で鼻を押さえてるの?」



『、………鼻血。』



「鼻血?」



『壁に顔をぶつけたんだ。…』



「何で壁なんかに顔をぶつけるのさ?…」



『トロールの棍棒を避けるために、ローブを使って、……
軸をずらしたんだ。それで、…今だと思って、走って、振り向いたら壁が…あって。』



「「……………。」」



『避けることに、夢中で。…』





ぼそぼそと話す名前。
いつも通りの無表情である。

いつもと違うのは、赤く伝う鼻血と、埃まみれの猫の耳と尻尾くらいだろう。





「大事なく済んだから良いものの、少しでも間違えば生きてはいなかったのですよ。Mr.ミョウジ。」
マクゴナガルが呆れた様子で言う。



『…ごめんなさい。』



「まったく。一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか。」
マクゴナガルは四人を見渡し、憤然といった様子で言った。



「………」



「殺されなかったのは運がよかった。
寮にいるべきあなた方が、どうしてここにいるんですか?」





マクゴナガルの声は厳しい。
怒鳴られた方がましだと思えるほどだ。
スネイプがじろりと睨むようにハリーを見る。
その目と目が合ってしまったので、ハリーは俯いて自分の爪先を見た。
ロンは固まっている。





「マクゴナガル先生。聞いてください。

―――三人とも、私を探しに来たんです。」



「Ms.グレンジャー!」



「私がトロールを探しに来たんです。私……
私一人でやっつけられると思いました。あの、本で読んでトロールについてはいろんなことを知ってたので。」





ハリーとロンはばっと勢いよくハーマイオニーを見て、互いに顔を見合わせた。

ハーマイオニーは明らかに、三人を庇っている。
そのために、教師や規則に対して忠実なあのハーマイオニーが、真っ赤な嘘を吐いている。

二人は驚いた。だが、そうだという顔を装った。





「もし三人が私を見つけてくれなかったら、私、今頃死んでいました。
ナマエは私を守ってくれて、ハリーは杖をトロールの鼻に刺し込んでくれ、ロンはトロールの棍棒でノックアウトしてくれました。
三人とも誰かを呼びにいく時間がなかったんです。
三人が来てくれた時は、私、もう殺される寸前で……」



「なんと愚かしいことを。
たった一人で野生のトロールを捕まえようなんて、そんなことをどうして考えたのですか?」



「………。」



「Ms.グレンジャー、グリフィンドールから五点減点です。あなたには失望しました。
怪我がないのならグリフィンドール塔に帰った方がよいでしょう。
生徒たちが、さっき中断したパーティーの続きを寮でやっています。」





ハーマイオニーはちらりと名前を見てから、女子トイレを出ていった。
それを見届けてから、マクゴナガルはハリーとロンに向き直る。

名前はトロールの棍棒によって破けたローブを拾い集めていた。





「先程も言いましたが、あなたたちは運がよかった。
でも大人の野生トロールと対決できる一年生はそうざらにはいません。一人五点ずつあげましょう。
ダンブルドア先生にご報告しておきます。帰ってよろしい。」





マクゴナガルに促され、ロンが廊下へ向かって歩き出した。
ハリーはそれに続き、名前の腕を引っ張る。
しかし名前は、掴む手をやんわりと離した。
そして、ゆるりと頭を振る。





「何か用があるの?」





小声のハリーに、名前は微かに頷き返しただけだった。
仕方なくトイレを出ていく。

こうしてスネイプ、名前、クィレルの男性三人が残った。

場所は女子トイレ。
異様な光景である。





「わ、私が、と、トロールを森に返すから、き、君はり、寮に帰りなさい。」



『………はい。』





スネイプはちらりとクィレルを見遣った後、大股でトイレを出ていく。
名前はクィレルとスネイプを交互に見つめ、少し固まってから、つんのめりながらも、小走りでスネイプの後を追った。

スネイプの背中に追い付いた名前は、目の前にある黒い頭を見上げる。

(見上げると言っても、ほんの頭一個分くらいだが)





「医務室に行かなくていいのかね。Mr.ミョウジ。」



『…鼻血程度ですから。、…
スネイプ先生。』



「何だね?」



『……先生、大丈夫でしょうか。さっき、あんなに…驚いていたのに。』



「…奴は仮にも教師という役職にある。気にする必要はない。」



『…そうです、ね。あの、……』



「今度は何だね。」



『……あの、脚大丈夫ですか。…』





スネイプが足を止めた。
いきなり止まったために、名前はスネイプの背中に鼻血だらけの鼻をぶつけてしまったが、それについて何か文句を言う気配がない。

スネイプが振り向く。眉間に深い溝ができている。





「気付いていたのか。」



『…。』
頷く。


「なんとも…目敏いやつだ。」



『………………手当ては。』



「君が気にする必要はない。ミョウジ。」



『…、病気になったら、大変です。』



「…」



『、あの…』



「………。」



『これ、使わないようでしたら、捨ててください。…よかったら。』



「…何だね、これは。……」



『…。薬です。』



「違う、何のつもりだ、という意味で言っているのだ。」



『…先生の作る薬が、俺に作れるはずがないのはわかっています…。でも、………ただ、いつも持ち歩いているもので、その…、…先生に何かできたら、と、思って、あの、お礼で………』





スネイプはじっと、名前を睨むように見詰めている。

口を閉じた名前は、しばらくしてスッと顔を上げた。





『いらなかったら捨ててください。失礼します。…』





名前は小声ではっきりそれだけ言うと、いつもの姿からは想像もつかないほどの機敏な動作でユーターンをして、
全速力で女子トイレ前の廊下を駆け、角を曲がって姿を消した。

残されたスネイプは、固まり、後に目を細め、深く深く、溜め息を吐く。





「(まるで旋風だ。しかし…)」





スネイプは前に向き直り、名前とは逆方向を歩き出した。

あれだけ素早い動作にも関わらず、名前の後ろ姿は、奇妙にもはっきりと瞼の裏に焼き付いている。

というか、奇妙な姿だったと、スネイプは思う。





「(走るときくらいは、背中を丸めてもよいものの…)」





名前の馳せる姿は、まるでマラソンランナーのように姿勢がよかったのだ。

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