24.-2






翌日の昼。
四人は揃って退院した。
城には人気がない。
試験が終わり、皆ホグズミードではめを外しているのだろう。

名前達は出掛ける気分にはなれないようで、四人で人気のない校庭を歩きながら談笑していた。
話の内容は、昨晩の出来事だった。
「逆転時計」を使用してからの出来事を、名前はロンと共に聞いた。
バックビークを連れ出した事―――
強力な守護霊を出して、過去の自分を助けた事―――
ブラックと共にバックビークを逃がした事―――……





『……』





四人は湖までやって来ると、側まで近付いて腰を下ろした。
それまで続いていた会話が途絶えて、何を見るでもなく、湖で大イカがゆったりと泳いでいるのを眺めていた。

穏やかな風が木々の葉を揺らす。
波打つ水面に太陽の光が反射して、きらきらと輝いている。
小鳥の囀ずりなども聞こえてきて、まるで昨日の出来事など夢かのように平和な光景である。

そうしていると、不意に四人の頭上を影が覆った。
見上げると、ハグリッドが背後に立っていた。





「喜んでちゃいかんのだとは思うがな、何せ、昨晩あんな事があったし。」





言いつつも、満面の笑みである。





「いや、つまり、ブラックがまた逃げたりなんだりで―――
だがな、知っとるか?」



「なーに?」



「ビーキーよ!逃げおった!あいつは自由だ!一晩中お祝いしとったんだ!」



「すごいじゃない!」





ロンの口元が笑い出しそうになっている。
ハーマイオニーが咎めるようにみた。

四人共に周知の事実だが、知らないふりをしなければならない。
それが決まりなのだから。





「ああ……ちゃんと繋いどかなかったんだな。」





ハグリッドは遠くの方を、目を細めて眺めた。





「だが、朝になって心配になった……もしかして、ルーピン先生に校庭のどっかで出会さなんだろうかってな。
だが、ルーピンは昨日の晩は、何にも食ってねえって言うんだ……。」



「何だって?」



「なんと、まだ聞いとらんのか?」





それまで満面の笑みだったハグリッドの顔が曇る。
それから小声になって話を始めた。





「アー―――
スネイプが今朝、スリザリン生全員に話したんだ……俺は、もう皆知っていると思っていたんだが……
ルーピン先生は狼人間だ、とな。
それに昨日の晩は、ルーピンは野放し状態だった、とな。
今頃荷物を纏めておるよ。当然。」



「荷物を纏めてるって?」





ハリーは驚いたようだった。
素っ頓狂な声を出した。





「どうして?」



「いなくなるんだ。そうだろうが?
今朝一番でやめた。またこんな事があっちゃなんねえって、言うとった。」



「僕、会いに行ってくる。」





慌てて立ち上がったハリーは、ロンとハーマイオニーと名前に早口にそう言った。





「でも、もし辞任したなら―――」



「―――もう私達に出来る事はないんじゃないかしら。」



「構うもんか。それでも僕、会いたいんだ。
後でここで会おう。」





ハリーは駆け出した。

名前は小さくなる背中を見詰めて、おもむろに立ち上がった。

ハーマイオニーとロンは座ったまま、名前を見上げる。





「ナマエ、あなたも行くの?」



『……』





名前はハーマイオニーとロンを見下ろした。
じっと見つめる。
それからゆるりと頭を左右に振った。





『少し、歩いてくる。』





呟くように言う。
歩き始めて、名前は黒い犬に―――
正体はシリウス・ブラックだったが―――
出会った森の辺りへ向かった。

一緒に駆け回った場所、食事を与えた場所、ブラッシングした場所……
一つ一つ巡る。

ボールにフリスビー、ブラシやシャンプー等々…回収しなければならない。
それぞれの場所に、名前は犬用品を隠していたのだ。





『……』





そうしていると、城の方から、人が歩いてくるのに気が付いた。

大きなトランクを引き摺っている。

近付くにつれて、その人がルーピンだと分かった。





『ルーピン先生。』



「ナマエじゃないか。」





足を止めて、ルーピンは名前を驚いたような顔で見た。





「もう怪我はいいのかい?」



『はい。』



「とはいえ、こんなところに一人で、一体何をやっているんだい?」



『……』





純粋に疑問に思っているらしい。
ルーピンは少し首を傾げて、不思議そうに聞いた。
視線はじっと名前の手の中にあるフリスビーやらブラシやらに釘付けである。
名前はと言えば相変わらずの無表情で、目だけを素早く泳がせている。





『……ここで、黒い犬…、
ブラックさんに出会ったんです。』





言って、名前は涼しげな目を流れるように草むらへと向けた。





『俺は、犬だと思って…
ご飯をあげたり、遊んだりしたんです。
誰にも話しませんでした。今となっては、…それで良かったんだと思います。』



「どうして話さなかったんだい?」



『………』





またしても不思議そうに尋ねられた。
無表情のまま動きを止めて、名前の目だけが素早く空を泳いでいる。





『………
怒られると、思って。……』





ルーピンの口角がゆるりと上がって、やがてクスリと笑い声がもれた。





「成程。だから最初、
私が話し掛けた時、隠そうとしたわけだ。」



『……』



「後から聞いたんだ。マクゴナガル先生からね、クリスマスの頃かな。
君は食が細いそうじゃないか。」



『…』



「だからその時、おかしいと思ったんだよ。食が細いのに、わざわざ食べ物を持ち歩くのか?とね。
とはいっても、体を動かせば空腹になるし、…まあ、そのまま気にせずにいたんだ。けれども、これでスッキリした。」





にっこりと微笑む。
そして持っていたトランクを抱え直した。

その動作による反射的なものだろう、名前は重たそうなトランクをチラと見遣る。
それから、再びルーピンを見つめた。





『ルーピン先生。』



「何かな?」



『……
お辞めになると聞きました。』



「ああ、そうだよ。」



『あの、…
一年間、有難うございました。』





腕に抱えた犬用品を落とさないように気を配りつつ、
ペコリ、お辞儀をする。





『出来ることなら、これからも、あなたに教わりたかったです。』



「ありがとう、ナマエ。教師としては冥利に尽きるというものだね。」





ルーピンは朗らかに笑う。
目尻に出来た皺とともに、顔に残る傷痕がうっすらと浮かび上がった。





「もう君の先生ではないから、こんな説教じみた事を言っていいものか分からないけど、ナマエ。
君は体を労るべきだよ。」



『……』





窘める口調だった。

名前は黙ったまま目をぱちぱちさせた。





「この一年間。先生方からハリーや、君の色んな話を聞いたよ。
ナマエ、君はどうも、怪我が絶えないそうじゃないか。」



『……』



「君のお父さんやお母さんに、あまり心配をかけてはいけないよ。」





怪我をするのは事実だ。
けれども怪我が絶えない、なんて事はない。
名前は訂正しようと試みる。
しかしそれよりも早く、ルーピンは再び口を開いた。





「それから…」





言って、ルーピンは目を泳がせた。
開いた口を閉じて、真一文字に引き結ぶ。
話す事を躊躇うような、迷っているような様子だ。





「これも言うべきかどうか分からないが、その…私が狼に変身した時。
ナマエ、もしかすると、私の名前を呼んだかね?」



『……』



「君の声を聞いた気がするんだ。」





伏し目がちにそう続ける。
名前は少し黙った。
そして、やがて頷いた。
それを見てルーピンは笑った。少し戸惑ったような笑顔だった。





「こんな事は初めてなのでね…驚いている。しかし、確かに君の声を聞いた。
私はその一瞬、意識がハッキリしたのだ。」





言いながら、ルーピンは芝生の坂道を見た。
遠くの方を見るように、目を細めていた。





「さて、私はもう行かなければ。
あまり馬車を待たせてはいけないからね。

ナマエ、さよなら。」



『…さようなら、ルーピン先生。
お元気で。……』





トランクを持つ反対の手を、ルーピンは差し出した。
握手を求められたのだ。
名前がその手を握ると、ルーピンは穏やかに微笑んだ。

そして、芝生の坂道を下りていった。



彼は一度も振り返らなかった。

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