22.-2
二人の足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
今までの出来事が嘘のように、辺りは静寂に包まれる。
そして、その時、名前は気が付く。
鈴の音がいつの間にか止んでいた。
『…』
足に力を込めて、名前はフラフラと立ち上がる。
立ち上がった瞬間崩れ落ちそうになり、何とか堪えた。
片方の脚を引き摺るようにゆっくり歩き、落ちた杖を拾った。
そして、宙吊りのスネイプの方へと近付く。
杖腕とは反対の手で杖を握り、スネイプへと向けた。
『フィニート。』
モビリコーパスの呪文を終わらせる。
糸が切れたようにスネイプは倒れた。
名前が何とか受け止めたが、殆ど下敷き状態である。
下から這い出るように抜け出し、自身の膝にスネイプの頭を乗っけた。
『…』
ここまでの作業は全て殆ど片手片足である。
思いがけない重労働に、名前は少々息切れ気味だ。
しかし、一息つく暇などない。
名前はハンカチを取り出し、スネイプの顔の出血を拭う。
傷痕が露になった。思ったより深そうだ。
『……』
傷口に触れる度、スネイプの眉間の溝が深さを増す。
意識は無いが、眉間に寄せたままの皺は普段と同じく存在しているのだ。
名前は物珍しそうにその皺を見つめ、そろそろと指先を近付けた。
皺に指先を当てて、確かめるように撫でる。
すると、ほんの少しだが、皺が薄くなった。普段より幾分表情が和らいだように見える。
その様子を目の当たりにした名前は、驚いたように目を見開いた。
そして、普段よりも少しだけ穏やかな表情を、じっと見詰めた。
『…』
ピクリ。瞼が痙攣したかと思うと、徐々に目が開かれる。
黒い瞳と目が合った名前は、素早く手を退かした。
そして、窺うようにスネイプを見て、目を泳がせつつ口を開いた。
スネイプは名前をその目に映しながらも、意識はまだはっきりとはしていないようだった。
「…」
そして名前を見つめたまま、スネイプは唇を動かした。
それは小さく、掠れていて、ほとんど吐息で、声にはならなかった。
けれども唇が紡いだ言葉は、名前にははっきりと分かった。
名前の父親の名前だ。
『…』
名前は開いた口を閉じた。
目を見開き、じっと眼下にあるスネイプを見詰めた。
言い訳のように、今までの状況を話そうとしたが、そんな事吹っ飛んでしまった。
固まる名前をよそに、スネイプは段々と意識を取り戻していく。
ついに覚醒したとき、スネイプは素早く起き上がり、名前から身を離した。
「何故お前が我輩を抱えている?」
『…』
地面に座り込んだままの名前を、立ち上がったスネイプが見下ろしている。
眉間には深い皺が復活していた。
名前はゆっくりと立ち上がる。
スネイプを、その眉間に出来た皺を見つめながら、口を開いた。
『意識を無くされていたので、…』
「ポッター、ウィーズリー、グレンジャー…
奴らめ、教師に杖を向け、その上呪文を使うなど。許される事ではない。罰則は免れんぞ。」
名前がそう切り出せば、怒りが沸沸とわいてきたらしく、スネイプは一人興奮して恨み言を呟いている。
しかし、事態は深刻である。
ロンの事、ペティグリューの事。
早急に話を伝えなければならない。
名前が口を開く。
名前は名前の出来うる限り、今までの事を話そうとした。
しかし名前よりも早く、スネイプが先に声を発した。
「ブラックはどこにいる?」
『……あっちの方へ走っていきました。
ハリーとハーマイオニーが、その後を追って…』
眉間の皺がぐ、と深くなる。
そして無言でマントの懐に手を入れ、探り、更に皺が深くなる。
懐に入れていた手を名前に突き出した。
「杖を出したまえ。」
『……』
「…借りるだけだ。
我輩の杖はポッター共のおかげで在処が分からん。おそらく『叫びの屋敷』内か、ブラックが持っていったのだろう…。しかし今は探している時間など無い。君も分かっている事だとは思うがね。」
『……』
スネイプの突き出された掌の上。
名前は持っていた杖を、そっと置いた。
名前の杖を握ると、スネイプは早速担架を出す。そこへロンを乗せた。
意識の無いロンの様子を、間近でじっと見る。
「行くぞ。奴を捕えねばならん。」
『…』
言って、スネイプはチラリと名前を見た。
「来たまえ。人狼はまだ辺りをうろついているだろう。」
名前は頷いた。
そして、先立って歩く。
暗闇の中、迷いながら。
悲痛な犬の鳴き声がした方に。
友人達が駆けていった方に。
『…』
歩く。その度に。
シャツがピッタリと体にくっつく。
ズボンが脚にまとわりついてくる。
汗ではない。
血が流れているのだ。
目的地が曖昧で不確かだからにしても、それにしても覚束無い足取りだ。
横目でスネイプが訝しげに見た。
「どうも足取りが覚束無いようですな。」
『足場が悪いんです。』
「…」
嘘ではない。
舗装などされていない山道を下っているのである。
ふらついてもおかしくはない。
スネイプはそれ以上何も言わなかった。
けれど訝しむ視線は変わらなかった。
『…』
暫く歩いた頃。
地面に出来た二人分の影。
それ以外の影が、いくつも出来ては消えていく。
名前は空を見上げた。
頭上に茂る木の葉の間。
そこから見える夜空に、闇より黒い布切れが飛んでいく。
吸魂鬼だ。
「…」
スネイプも見上げていた。
数え切れないほどの吸魂鬼が、校門の方へと飛んでいく。
それから少し急ぎ足になって歩を進め、数分も経たない内に、眼前に湖が開けた。
そしてその湖の畔には、ブラック、ハリー、ハーマイオニーの三人が倒れていた。
『…』
スネイプは大股で、殆ど走る勢いで畔に向かって歩いていった。
少し遅れて、名前も畔に向かう。
歩く度に足元で小石がジャリジャリと音を立てたが、ブラック達は微動だにしない。
スネイプは各々の脈を確かめ、作り出した担架に乗せた。
ブラックだけはきつく縛り上げ、猿轡を噛ませてから、担架に乗せた。
「城に戻るぞ。」
『はい。』
名前は返事と共に頷いた。
畔の小石をジャリジャリと踏み鳴らし、スネイプの方に近付いていく。
スネイプはその様子をじっと見つめた。
そして、側まで来ると、いきなり腕を掴んだ。
『…』
遠慮無い力だ。
とはいえ、何でもない腕なら、何てことはない力だ。
ただ驚くだけだろう。
しかし、掴まれたのは負傷した方の腕だった。
名前は走る激痛に肩を揺らした。
「…」
スネイプが目を細めて名前を見る。
掴んだ腕を引き寄せ、反対の手でローブを捲る。
シャツは袖の部分だけではなく、今や胸の辺りまで真っ赤に染まっていた。
瞬間、スネイプの眉間の溝がぐ、と深くなった。
「誰だ。」
低い声で言う。
「誰がやったのかと聞いているのだ。」
スネイプの剣幕に目を泳がせ、名前は口を開く。
『…ペティグリューです。』
「何?」
ピクリ。片方の眉が上がる。
腕を掴んだまま、真正面から、睨み付けられた。
「何と言った?今、聞き間違いではなければ、ペティグリューと言ったのかね?」
『はい。』
「何と。君は錯乱しているようだ。担架がもう一つ必要なようだな。」
『俺は、』
「黙っていたまえ。今のお前と話ても無駄だ。」
スネイプは杖を振って担架を作り出した。
乗るように促す。
「乗れ。」
名前は立っていた。
スネイプはギロリと睨む。
「怪我は一つではないだろう。それで隠したつもりかね。」
くい、とスネイプの顎が動いた。背後の小石を見ろという。
名前は振り返って見た。
小石の上に、片方だけの足跡が出来ていた。
それは名前が今立っている場所まで続いている。
『………』
「乗れ。次に同じことを言わせたら無理矢理にでも乗せてやる。」
これ以上の抵抗は無駄だ。
名前は悟った。そして諦めた。
ノロノロと空中浮遊する担架に向かう。
担架に乗り込む時、少しだけ担架が下に下りてきたところに、名前はスネイプの優しさをちょっとだけ感じた気がした。
「……」
『……』
城に向かう道中。
刺さる視線は決して優しいものではなかったが。
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